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「旧帝・国立大学医学部」受験対策講座(9)

「旧帝・国立大学医学部」受験対策講座(9) Labor gives birth to ideas. (Jim Rohn) 日本にも「下手な考え休みに似たり」というのがある。実力のない人、その道にくわしくない人がいくら考えても大したことは思いつかないので休んでいるのと同じようなもの、という意味です。 勉強にも同じことが言えます。落ちる子は「朝型が夜型よりいいらしい」「休み時間にチョコを食べるといいらしい」「A問題集はB問題集よりいいらしい」「P塾がS塾よりいいらしい」と限りなく“下手な考え”に熱中する。 そんな時間があったら数学の問題を1問解け! 他塾から移ってきた子に 「この問題をやってみて」 と言ったら、問題の横に解答を置いて読みだした。それは、入力というのであって出力とは違う。講師の解説を聞いたり、参考書の解説を読むのは「解く」とは言わない。 注意をしたら 「ボクの勉強方法を否定するのですね!前の塾ではこう教わりました!!」 と言う。面倒くさいので放置した。学園ドラマなら叱咤激励して間違いを修正してやるのだろうけど、現実はそんなに甘くない。修正しているうちにライバルは遥かかなたに進

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難関大に合格するために本当に必要なこと

難関大に合格するために本当に必要なこと 私は難関受験指導を長年やらせてもらっているが、京大・阪大・名大などの難関大に合格していく子には共通点があることが分かっている。ほとんどの生徒の方が、中学生の頃から 「私は医者になりたい」 とか 「ボクは研究者になりたい」 といった目標が明確なのだ。ナポレオン・ヒルなど成功するための「成功哲学」に関するベストセラーにも同じことが書いてある。「明確な目標」がなければ何も始まらない。受験勉強も同じこと。 では、偏差値の高い優秀な子たちはどうやってその明確な目標を持ちえたのか。実は、多くの方が気がついていないけれど、これは「宗教心」なのだ。実現可能性など誰にも分からないけれど、とにかくやってみる。日本人に分かりやすく言うと「希望」。 日本では「宗教」という言葉を口にすると「頭がイカれた奴」と思われるのがオチだ。しかし、ガリレオの湯川先生が言う「仮説は実証しなければ真実とは言えない」という信念を持った多くの物理学者がクリスチャンであって神様を信じているのは何故なのか。天才物理学者のアインシュタインはクリスチャンだった。 私も日本の教育を受けて、日本文化の中

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ある日の「京大医学部医学科」受験生のモモちゃんとの会話

ある日の「京大医学部医学科」受験生のモモちゃんとの会話 「モモちゃんはどうして研究医になりたいの」 「だって、臨床医だと一生に何人の患者を診れるのかな?」 「え?」 「研究医になって画期的な治療法を発見したら何億人と救えるじゃん」 「なるほど、モモちゃんらしい理屈だね」 「それに、ひとつ一つの病気の治療なんて面倒くさいよね」 「なに、何を考えているの?」 「要するに人を不老不死に出来たらいいんでしょう?」 「えーっ?そんなこと考えているの?」 「そう」 「不老不死の生物ならいるよね?」 「うっそ!生き物は必ず死ぬでしょう!」 「いや、ベニクラゲは不老不死らしい」 「そうなんですか?」 「老化が進むと、ある時に全ての細胞が初期化されて赤ちゃん状態になるって」 「でも、記憶は残るのかな?」 「え?」 「記憶が消滅したら別の生き物ってことで自分じゃないじゃん」 「そうだね」 「不老不死のクラゲ」として知られるベニクラゲに魅せられて40年以上になる。久保田信さん(69)は京都大学准教授を2018年に退官後、和歌山県内で「ベニクラゲ再生生物学体験研究所」を開き、所長を務める。そのメカニズムを解明

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「小学生までの子」

「小学生までの子」 酒井 政人 スポーツライター 恵まれた体格と才能を生かし、「日本一」を目指してスポーツに励む小中学生は多い。だが、親やコーチによる行き過ぎた勝利至上主義によってつぶれてしまう悲劇も起きている。スポーツライターの酒井政人さんは「例えば陸上では、全国中学駅伝(全6区間)で優勝したチームの選手計118人を調べると、その後大学で箱根駅伝に到達したのは8人のみ。五輪や世界選手権の代表になった選手もいない」という――。 受験業界にも同じことが言える。よく「東大までの子」と「東大からの子」と言われる。小さい頃から無理して勉強して東大までたどり着いても、そこがピークの子たちは東大で本物の才能のある人たちに出会う。 塾や予備校などに行くこともなく、クラブ活動も趣味もデートも楽しみながら楽々と東大や京大に合格してくる子たち。一浪や二浪してかろうじて東大に合格した子たちは、楽々と第二外国語をマスターし学生時代に起業したり司法試験に合格していく子を前に呆然とする。 これは、私も経験したことだ。中学生のときは“そこそこ”の秀才だったけれど、高校に行ったらアスリートなのに帰国子女より英語ができ

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受験勉強における「成文法」と「判例法」。多様性の本質。

受験勉強における「成文法」と「判例法」。多様性の本質。 私は法律家ではないので詳細のことは分からないが、法曹界では「成文法」と「判例法」という考え方があるそうだ。素人の聞きかじりではあるが、成文法というのは「人を殺してはいけません」という条文がきちんと文章に書いてあるものを言うそうだ。一方、判例法というのは事件が起こったら裁判をして判決がくだる。そういう判例を積み重ねたものらしい。 たとえば、「人を殺してはいけない」という条文があったとしても正当防衛や緊急避難の場合は人を殺しても罪にならない国もあるだろう。だから、人々に文章で「人を殺してはいけない」と知らせる方法もあれば、様々な裁判を通じて「こんなケースは殺人罪になるんだ」と知らせる方法もあるということらしい。 まったく同じ事件というのはないので、私は成文法より判例法がすぐれていると考えている。もちろん、現実は成文法と判例法の両方を用いて処理しているわけですけどね。 これは、受験指導にも当てはまる。こんな仕事をしていると 「どんな英作文を書けば京大で8割を超えられますか?」 と、質問を受けることが多い。そういう質問をする生徒の頭には「

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京都大学受験生の指導専門=“英語講師”ときどき“数学講師”ができるまで=

京都大学受験生の指導専門=“英語講師”ときどき“数学講師”ができるまで= 第一章、 英語講師になるまで 私の亡き父はウザかった。高校入試の合格発表についてきたし、就職したら2時間以上かけて勤務していた塾まで挨拶にきた。 高校2年生の時までは、理系に進むつもりだった。ロボットを作りたかった。しかし、四日市高校は当時男子の割合が高くて男子クラスがあり、私はその男子クラスに放り込まれた。 今もその傾向があるが、当時も男子生徒は理系が多くて私はその中で理系に行くのが当然だと思って勉強していたが、数学の勉強を始めるとめまいがするような感じがし始めた。 それは、公式の成り立ちを納得していないのに無理やり使わされることに生理的な拒否感が生まれたらしい。模試の結果によると、文系なら難関国立大に合格できるけれど、理系だとそこまではムリという結果。泣く泣く「教育学部」に進むことになった。 生きていくには英語講師になるしか選択の余地はなかった。しかし、その英語でも真摯に向き合うと問題だらけだった。 最初に 「何かおかしいぞ」 と気づいたのは、1982年にアメリカのユタ州ローガン中学校で社会の授業をしている時

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父親は一筋縄ではいかない(4章、名古屋大学の受験前)

4章,名古屋大学の受験前 数学に対する執着は残っていた。 最初に 「ボクは数学が苦手なのだろうか?」 と疑問を持ち始めたのは、四日市高校の2年生の頃。1970年代の四日市高校は男子の割合が大きく、男子クラスがあり私は男子クラスに在籍していた。 当時、男子は理系に進むのが大多数だった。その中にあって、テストの度に数学が壊滅的な点数になっていた。全国の模試なら、そこそこでも四日市高校の男子クラスではどうしても周囲の子と点数を比較してしまう。平均点と比べてしまう。 点数だけでもない。三角関数、対数、微積分と進むにつれて 「もうボクの頭には入りきれない」 と友人にぼやいていたのを思い出す。物理で13点を取り、 「こんなのありえない!」 とショックを受けて、クシャクシャにして捨ててしまった。私は数学の公式を使う場合に、 「証明できないと、使う気になれない」 というタイプだった。今思うと、それでは前に進めない。結局、自分が何をやっているのか分からなくなり気持ちが混乱し始めた。そして、1974年の大学受験の5日前を迎えた。 2階の勉強部屋で数学の勉強をしていたら、突然手足が震え始めて椅子からズリ落ち

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