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朽ちた恋

いつだって始まりは唐突で、無意識の中でコップへ水を注いでいたかのように、急な出来事であった。溢れんばかりの「好き」という感情が現れたのだ。それから半年経ち、私はその場面を目撃する。 無知でいたかった。でも、無残にも事実を突きつけられる。過去の出来事の辻褄が合っていく。これを踏まえて証明完了と言わないのは、ただの夢見る愚か者だ。 ちょっとした期待だって、初めは火薬の一粒に過ぎない。しかし、塵も積もれば山となる。そうして何かの拍子で爆発する。爆発は花火のように美しくて、一瞬だ。爆発の後には燃え切った火薬の匂いだけが残る。 虚無感は心を食い散らかして穴を開ける。切なさは首を締めて食事を困難にさせる。悲しさは気持ちを黒く染めて感情を塗り潰す。後悔は脳内を支配して全身の機能を停止させる。 自分が自分でいられなくなる。自分に対して辟易してしまう。いや、正確には自分の運命に。その辺に投棄できるものでもない。生まれた時から貼り付いている。それが運命というもの。 でも……。でも、私は抗おうと、抗えると、思ってしまった。前進に犠牲は付き物。進歩に伴う退化は宿命。もしもこの法則が崩れているのならば、ここは既

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イナベより愛をこめて(21)数学は演繹、英語は帰納

イナベより愛をこめて(21)数学は演繹。英語は帰納。 「学問」の名に値するのは数学と哲学だけ。物理や化学は現物を研究対象にしているけど、原子が何物かさえ分かっていない。生物も生き物の定義さえ曖昧。それに比べて、数学や哲学は論理構成のみで美しい。 受験指導をしているので、よく「良い参考書を推薦して下さい」と尋ねられる。数学は簡単。「チャート式」。永遠の定番。しかし、英語は優れた参考書が存在しない。定番が無い。なぜか?それは、数学の勉強は演繹。英語の勉強は帰納だから。 数学は微分が何か理解したら、あとは論理のみ。英語は関係詞を理解しても、英語が使えるようにはならない。極論すれば、関係詞など理解していなくてもたくさん読み、英語圏の人と話していればそのうち英語は身に着く。 織田信長も坂物竜馬も学校に通っていない。 「学校という制度は本当に必要なのだろうか?」 受験指導をしていると、たまに考える。もちろん、学校が合っている生徒もいる。しかし、いわゆる“落ちこぼれ”と“浮きこぼれ”の子には「百害あって一利なし」だよ。 だから、登校拒否が増え続け、ブラック部活、ブラック校則と批判が絶えない。私の教え

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イナベより愛をこめて(21)「坂本龍馬の名言」

イナベより愛をこめて(21) アインシュタインは「晩年に想う」の中で 「「わたしは今、孤独の中に生きています。若者には苦痛だが、 成熟した人間にとっては、甘美な孤独の中に。」 と書いている。私は高校生のときにこの言葉を読んで救われた。誰一人分かり合える人はいなかったし、学園ドラマの“友情”なんて嘘っぱちとしか思えなかったからだ。 友情だけではない。大学時代にオフコースの「眠れぬ夜」を聞いていた。歌詞は以下のようなものだった。 たとえ君が目の前に ひざまずいて すべてを 忘れてほしいと 涙流しても 僕は君のところへ 二度とは帰らない あれが愛の日々なら もう いらない 愛に縛られて うごけなくなる なにげない言葉は 傷つけてゆく 似たような経験があったので、激しく共感した。 「友情も愛情もウソっぱちではないか!」 というのが、今も昔も私の経験から得た知見だ。 「可哀そうな人だ」 と言う日本人は多いのだろうが、アメリカで生活していると個人主義が徹底していた。日本のようなもたれあいの人間関係が苦痛だった私は快適に過ごせた。 日本は同調圧力が強くて、一人でいると勝手に「可哀そう」と思う人が多す

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イナベより愛をこめて(18)「私はなんてバカなんだ!」

イナベより愛をこめて(18)「私はなんてバカなんだ!」 私は自分の「名古屋大学」の入試だけではなく「京都大学」の二次試験を7回受けた。センター試験は10回。「河合」と「駿台」の京大模試は10回。それと並行して「Z会」の京大即応コースを8年間受けて添削方法を盗んだ。その時、Z会から六段認定証を受け取った。 資格試験は、英語検定1級、通訳ガイドの国家試験、ビジネス英検A級、国連英検A級、観光英検1級などを受けた。TOEFLも受けた。 英語講師として河合塾学園、名古屋外国語専門学校、コンピューター総合学園HAL、名古屋ビジネス専門学校、名門会、駿台プロメディカスなどで講師の採用試験として筆記試験を受けた。 全部で40回以上の試験を受けて悟ったことがある。 「本当にくだらない!」 若い頃は他人の評価が得られないと就職できないので必死で合格しようとしてきた。しかし、何十回と受けるうちに自分が何をやっているのか分からなくなってきた。 「これ、英語能力を測定できないよね」 問題を作る人、それを評価する人、合否を決定する人。みんな自分より英語力が低い。草野球のコーチがメジャー選手の評価ができるのだろう

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イナベより愛をこめて(15)お金と健康とどちらが大切か。

イナベより愛をこめて(15)お金と健康とどちらが大切か。 校則も含めて「規則」というものはナゼ存在しているのだろうか? 空港ではナゼ手荷物の検査をしているのか。それは、何十万人に一人いるかもしれないハイジャック犯に備えるためだ。わずか、0.0000001%のテロリストのために99.999999%の人たちが迷惑を受けている。費用も手間暇も大変なムダになっている。 私は塾を始めた頃は「塾則」なんてものは存在しなかった。アメリカから帰国直後で、アメリカのような自由な雰囲気が好きだったからだ。ところが、しばらくすると日本ではそれが通用しないと分かった。 遅刻をする子がいるし、月謝を踏み倒す子もいるし、机に落書きをする子もいる。廊下を走り回る子もいれば、参考書や問題集を盗む子もいる。だから、「遅刻は駄目」「月謝は10日まで」「落書き禁止」「廊下を走るな」「参考書を教室外に持ち出し禁止」と、次々と「塾則」を作るハメに追い込まれた。 今は躾の悪い子は塾から追い出して、まともな子ばかりになったので塾則は必要なくなった。 良い子を犠牲にするような「塾則」を押し付ける自分が本当に嫌になってしまったのだ。私

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イナベより愛をこめて(11)今まではこれでうまくいった

第二章 イナベより愛をこめて(11)今までこれでうまくいった 人は年月とともに成長していく。だから、誰にとっても過去の自分はバカで失敗だらけに思える。そうして、 「あの時に、あんなことをしなければ・・」 と、つぶやく人も多い。 私は大学時代に恋愛をしたのだが、出会った女性には3年間つきあっていた男性がいた。それでも、私と急速に仲良くなっていく自分が許せずに私に辛く当たって別れようとしたようだ。結局、私と付き合うことになった頃に私は彼女のしたことが許せなくなっていた。 20年後に再会した彼女は旦那様が不治の病だった。そして、私に言った。 「あの時に、あんなことをしなければ・・」 このような言葉は、自分を犠牲者にしてしまう。この世には、自分がコントロールできないことが溢れている。過去の自分のしたことも、その一つだ。変えられないことを愚痴るほど時間とエネルギーの浪費はない。 私は受験指導が仕事だから、生徒を変えようと努力してきた。そして、悟るのに30年かかったが真理を悟った。 他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる。(エリック・バーン) これを教育の放棄の言葉だと受け取る人もいる

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イナベより愛をこめて(7)

イナベより愛をこめて(7) 言うことを聞かない子ほど可愛い ある生徒が登校拒否になった。学校の授業が役に立たない。部活動に参加したくない。自分で勝手にやらせてもらう。高卒認定試験があったはずだ。もっともな理由だけれど、学校側は何とか出席させようと躍起になった。しかし、彼女はその後、登校することなく現役で日本で最難関の大学に合格してしまった。 学校側は自分たちの指導、授業を否定されたまま合格させてしまい面目は丸つぶれだ。彼女の存在は学校では抹殺された。通常、最難関校に合格した生徒のことを教師は後輩たちに話すのだけれど、彼女はいなかったことになっている。 しかし、彼女は後輩たちのヒロインになった。 教師も、友人も、家族さえ彼女の行為を批判し、宥め、周囲に同調するように勧めた。しかし、彼女は自分の信念を守り、その思いを静かに周囲に語り、ひたすら合格をめざした。すると、友人たちは口には出せないけれど陰ながら彼女を応援していた。家族も、手に負えないと嘆きながら心の中ではこの反逆児を尊敬と畏敬の念で見るようになっていった。 他人が自分をどう思うかは、究極的にはどうでもいいことなのだ。自分のやりたい

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イナベより愛をこめて(5)

イナベより愛をこめて(5) 話の通じない人を相手にして時間とエネルギーを浪費しないこと 三重県では以前、免許の更新のためには県庁所在地の津まで行く必要があった。公務員だから午後5時には仕事が終了するというので仕事を休んで行く必要があった。私が出向いた時は正午前だった。私の後ろには自分の番を待つ人が長い列をつくっていた。 私の書類を受け取ったら正午になって、受付の女性はカーテンを閉めてしまった。私の次の人は憤慨して 「オレは仕事を休んで来てんだぞぉ!さっさと窓を開けろぉ!」 と怒鳴っていた。もちろん、開くはずがない。公務員だもの。 お役所だから決まった手順の仕事以外はやらない。改善する気もない。今ならロボットが代わりをやった方がずっとマシ。こんな公務員の態度に憤慨しても時間とエネルギーの浪費だ。 学校も同じで、公立中学・高校の先生は公務員で何も決められない。決まったことを処理したらそれだけでいいという仕事。自分の学力に全然合わないテキスト、授業進度、テスト。そんなこと抗議や提案しても無題。改善する気がない。 京大医学部医学科に現役合格したある女子は、授業中はすべて内職をしていた。学校の定

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イナベより愛をこめて(3)

「自由権」を大切にしよう 自由とは誰かが与えてくれるものではない。日本の給食は全員同じものがお盆に乗せられて用意される。しかし、私のいたローガン中学校ではバイキング方式だった。自分の好きなものを、好きな量だけお盆に乗せる。考えてみたら当たり前ですよね。大きな身体の子もいれば、小さな子もいる。同じものを、同じ量だけなんてナンセンス。 学力も同じこと。得意科目はみんな違う。同じ数学でも、分数計算ができない中学生や高校生もいる。逆に、中学生や高校生の中でも微分・積分を楽しく計算する子もいる。チャート式でも、簡単な白、標準の黄色や青。難しい赤と分かれている。志望大学もAランクからFランクまでバラバラに進学する。それなのに、同じ授業で同じ宿題なんてありえない。 自分で自由に教材を選び、学習進度を決められない状態を“奴隷”と呼ぶ。ご主人様が全てを決めて、奴隷は無条件でその命令に従うしかない。日本の中学生・高校生は自分の受けるテストさえ決められない。ベネッセの進研模試は簡単すぎると言う高校生が多いけれど、どの模試を受けるかは学校に決定権があるのでバカバカしくても受けるしかない。 エピクテトスは言った

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イナベより愛をこめて(2)

自分が大切なら「ノー」と言ってみよう 私がハッキリ日本の社会、学校がおかしいと気づいたのはアメリカのユタ州にあるローガン中学校にいた時のことだ。日本では、みんな同じ制服、靴、鞄、靴を身につけ、みんな同じクラス、教材、宿題をやる。 授業が終わると、みんな部活で日没まで学校にいる。 ところが、アメリカでは私服、化粧も自由。みんなバラバラ。もちろん、髪も色とりどりでカールやパーマの子も多い。クラスなど存在せず、授業毎にみんなバラバラで歩き回る。部活など無いので帰宅後は学校とちがう生活がある。教会活動やボランティア。スポーツをする子も勉強する子もバラバラ。 日本の中学も高校生も、他人の意のままに動く操り人形のように見えた。他人の命令によって動いている日本の生徒たちは不気味でさえある。自分の人生が自分中心にまわっているアメリカの中学生や高校生とちがって、自分を押し殺して生きている。 他人に自分の人生をコントロールされている人を犠牲者と呼ぶ。きっと、日本の中学生も高校生もこう言うだろう。 「だって、小さい頃から“先生の言うことを聞いて良い子でね”って言われて育ったんだよ」 私は、そのような日本の中

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