キョウダイセブン

無料テキスト

「京大医学部4名合格講師」による受験対策講座(158)

「京大医学部4名合格講師」による受験対策講座(158) 飛び抜けた能力、なじめない学校 文科省「ギフテッド」の子を支援へ 「ギフテッド」と呼ばれる突出した才能を持つ子どもが円滑な学校生活を送れるよう、文部科学省は来年度から支援に乗り出す。周囲となじめず困難を抱える子のために、学習プログラムを展開するNPOなどの情報を提供。こうした子たちへの理解を深めるため教員の研修も充実させる。 「いらんことせんでよろし!」 教員の研修って、要らないよ。私の教えている京大医学部医学科を受験した子たちは 「学校から出来るだけ早く解放してほしい」 というのが共通点だった。 教師が指導したくても、能力が無いのだから生徒からお断りという状態だった。普通に考えて、京大に落ちた先生(受けることすら出来なかった先生)が京大で最難関の医学部を受験する生徒の指導は出来ないし、生徒も信用しないから「教師―生徒」関係が成立しない。 いらんことせんでいいので、部活は自由化して帰宅させて自分の好きなように勉強させるのが一番。指導者として認める先生が、予備校や塾にいたらそちらに通うから黙って見ていればヨロシ。 “Don't do

「京大医学部4名合格講師」による受験対策講座(158)

キョウダイセブン

無料テキスト

ホンマにアホやなぁ!(17)

ホンマにアホやなぁ!(17) 第三章、数学講師になるまで 数学に対する執着は残っていた。 最初に 「ボクは数学が苦手なのだろうか?」 と疑問を持ち始めたのは、四日市高校の2年生の頃。1970年代の四日市高校は男子の割合が大きく、男子クラスがあり私は男子クラスに在籍していた。 当時、男子は理系に進むのが大多数だった。その中にあって、テストの度に数学が壊滅的な点数になっていた。全国の模試なら、そこそこでも四日市高校の男子クラスではどうしても周囲の子と点数を比較してしまう。平均点と比べてしまう。 点数だけでもない。三角関数、対数、微積分と進むにつれて 「もうボクの頭には入りきれない」 と友人にぼやいていたのを思い出す。物理で13点を取り、 「こんなのありえない!」 とショックを受けて、クシャクシャにして捨ててしまった。私は数学の公式を使う場合に、 「証明できないと、使う気になれない」 というタイプだった。今思うと、それでは前に進めない。結局、自分が何をやっているのか分からなくなり気持ちが混乱し始めた。そして、1974年の大学受験の5日前を迎えた。 Chapter 3, Becoming a

ホンマにアホやなぁ!(17)