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父親は一筋縄ではいかない(8章、A子ちゃんのこと②)

当たり前だが、マナーやエチケット、採点官に対する思いやりが欠ける英作文は高く評価されない。学力だけではなく、そういう人間的な深みがないと見込みがない。浅い理解では京大などの難関大は合格できるものではない。 実は、私に京大を7回も受けさせたのも直接的にはA子ちゃんの影響が大きい。 「この子は日本の宝だ。何としても志望校に合格させなければ」 と思った。出来ることは何でもやる。娘以外の人間で、私にそんな思いをさせたのはA子ちゃんが初めての生徒だった。 A子ちゃんは、あるクラブに所属して大会で入賞する成績をおさめていることは耳にしていた。ところが、高校2年のある時、自主的にそのクラブを引退した。理由は分からなかったけれど、成績が伸び悩んでいたのが理由だということは推測できた。 私は、彼女の覚悟というか気魄に驚いた。 「先生はバツイチでも、1回結婚できたからいいですよ」 と笑っていた。言葉の端々にクラブばかりか、彼氏も結婚も何もかも犠牲にしても医者になるんだという決意が満ちていた。彼女のクラスがある時は、楽しかったけれど緊張した。 「この仕事を始めてよかった」 私にそう思わせてくれた塾生の子は多

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父親は一筋縄ではいかない(8章、A子ちゃんのこと①)

8章、A子ちゃん もう10年以上経ったから書いても人物が特定できないだろう。長く受験指導をしていると忘れられない生徒がいるものだ。A子ちゃんも、その一人だ。 私の塾に来てくれたのは彼女が小学6年生の時のことだった。最初に面接した時に、一目見て 「この子は賢い子だ」 と分かった。学力を確認しようとプリントを渡したら、いつまで経っても提出しようとしない。完全に仕上げるまで粘る子だった。 彼女は小学校の時から 「私は医者になりたい」 と言っていた。私の塾はそういう子が多い。しかし、家庭は金持ちではないので何がなんでも国立大でないといけないと覚悟していた。私の小学校時代とはえらい違いだ。 中学校では猛勉強して常に学年でトップクラスだった。そして、 「自治医大だと無医村に行けば学費が浮くとか聞いた」 とお金がなくても医者になれる情報を集めだした。私もできるだけ協力して情報を収集した。 そう思わせてくれる塾生だった。 灘やラサールや東海の過去問を集めて練習する授業も彼女から始めた。そして、当然のように四日市高校の国際科に合格した。 その頃、メールやファイルが普及し出したので私はさっそく 「家庭学習

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父親は一筋縄ではいかない(6章、京都大学を7回受けることに)

6章,京都大学を7回受けることに 中学の数学を徹底的に教え込んでいるうちに基礎が固まったのか、中年になって精神が鍛えられたのか、よく分からない。とにかく、「オリジナル」を2周、「一対一」も2周、「チェック&リピート」も2周、「京大の数学」も2周。並行してZ会の「京大即応」を8年間やり続けた。 その間に腕試しに「京大模試」を10回、「センター試験」を10回、「京大二次」を7回受けた。 そのくらいやらないと、優秀な生徒の指導には役立たない。成績開示をしたら、京大数学で7割正解だった。「暁6」の特待生、「国際科」の上位の子を指導しても困らなくなった。 しかし、そういう点数の問題だけではない。自分の中で大きな変化が起きた。数学アレルギーが全く消えた。トラウマが消えた。怖くなくなった。今では 「まぁ、たいていの問題は質問されても困らないだろう」 とリラックスして授業に臨める。当塾は、大規模塾のように準備した授業を一方的に話すスタイルではなく、生徒の質問に答える形式なので常に本番なのだ。 今では、英語より数学の方がはるかに面白いと思える。だから、私は19歳の時点で「文系」「理系」に分類することに疑

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父親は一筋縄ではいかない(5章、英語講師なのに数学Ⅲの勉強を始めた)

5章,英語講師なのに数学Ⅲの勉強をはじめた ところが、自分で塾を始めると 「明日は理科なのに、英語の授業ですか?」 と生徒から文句が出始めた。それで、英語、数学についで、理科、社会、国語の指導もせざるをえなくなった。 そのうち優秀な子が来ると、高田、東海、灘、ラサールなどの難関高校の数学の過去問にも手を出さざるを得なくなった。そして、ある日気がついた。 そういう優秀な子は 「高校に入っても指導をお願いできませんか?」 とリクエストが入り始めた。最初は、英語だけという約束だったのに中学生と同じで数学の質問も入り始めた。 それで、考えた。 「灘高の入試問題の数学が解ける私なら高校数学も大丈夫かな?」 と考えた。 「高校クラスも作りたいし、試してみる価値はあるかな」 と思って、近所の本屋さんに行って高校数学の参考書・問題集の棚を見た。なつかしい「オリジナル」が目に入った。四日市高校の悪夢が蘇った。 それで、恐る恐る手にとって中身をのぞいて見た。ひっくり返ってから25年以上が過ぎていた。まだトラウマがあり、手が震えた(笑)。しかし、驚いたことに、25年前の記憶が残っておりどんどん解けた。

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父親は一筋縄ではいかない(4章、名古屋大学の受験前)

4章,名古屋大学の受験前 数学に対する執着は残っていた。 最初に 「ボクは数学が苦手なのだろうか?」 と疑問を持ち始めたのは、四日市高校の2年生の頃。1970年代の四日市高校は男子の割合が大きく、男子クラスがあり私は男子クラスに在籍していた。 当時、男子は理系に進むのが大多数だった。その中にあって、テストの度に数学が壊滅的な点数になっていた。全国の模試なら、そこそこでも四日市高校の男子クラスではどうしても周囲の子と点数を比較してしまう。平均点と比べてしまう。 点数だけでもない。三角関数、対数、微積分と進むにつれて 「もうボクの頭には入りきれない」 と友人にぼやいていたのを思い出す。物理で13点を取り、 「こんなのありえない!」 とショックを受けて、クシャクシャにして捨ててしまった。私は数学の公式を使う場合に、 「証明できないと、使う気になれない」 というタイプだった。今思うと、それでは前に進めない。結局、自分が何をやっているのか分からなくなり気持ちが混乱し始めた。そして、1974年の大学受験の5日前を迎えた。 2階の勉強部屋で数学の勉強をしていたら、突然手足が震え始めて椅子からズリ落ち

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父親は一筋縄ではいかない(3章、名古屋の予備校事情)

3章,名古屋の予備校事情 アメリカから帰国した私は公的な資格を取ろうと思って、とりあえず英検1級の過去問を書店で入手した。そして、知らない単語や表現を見つけてウンザリした。 もはや、高校生の時のように 「頑張って勉強しないと」 と自分を責める気になれなかった。私はネイティブの助けを借りて問題を解き始めたが 「これは何だ?なんで、日本人のお前がこんなものを」 と言う。それで、 「どういう意味?」 と尋ねると 「こりゃ、シェークスピアの時代の英語だよ」 と笑っていた。 しかし、アメリカから名古屋にある7つの予備校、塾、専門学校に履歴書を送付しても全て無視されたので、私は日本の英語業界で認知されている資格を取らざるをえなかった。 事実、英検1級を取ったらどの予備校、塾、専門学校も返事が来るようになった。結局、コンピューター総合学園HAL、名古屋ビジネス専門学校、河合塾学園、名古屋外国語専門学校などで14年間非常勤講師をすることになった。 その間に出会った英語講師の方たちの中に、英検1級を持っている人はいなかったし、旧帝卒の講師の方もいなかった。資格を持たないと雇ってもらえないという私の見方は

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塾はなぜ存在しているのだろう?(下)

塾はなぜ存在しているのだろう?(下) では、塾や予備校は信頼に足るのだろうか?30年以上、塾業界に生きてきて 「塾・予備校業界も学校と何ら変わらない」 と分かっています。 そもそも、三重県の田舎にある当塾の講師などに京大英作文の添削を依頼してくる優秀な受験がいるのか?河合塾、駿台、東進、Z会など選択肢はいくらもあるのに、どうして京大医学部医学科に合格した子たちは無名の私を選んだのか。 私は自分で添削を始める前に「Z会」の京大即応コースを8年間やり続けて添削方法の長所と短所を学びました。河合塾と駿台の「京大オープン」「京大実戦」を10回受けて模試の内容を調べました。そして、受験生の生の声を調べました。 「添削者が毎回変わる」「添削者が誰なのか分からない」「減点理由が明確ではない」。 そこで、私は京大の成績開示を公表し、チャットツールで減点理由の質疑応答を自由に無制限にできるようにしました。 京大入試の成績開示 平成18年、20年(文学部)    正解率の平均  66%( 受験英語 ) 平成21年、22年(教育学部) 正解率の平均  76%( 資格英語 ) 平成24年、25年(総合人間) 

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どうして塾は存在しているのだろう?(上)

塾はなぜ存在しているのだろう?(上) 私はアメリカのユタ州、ローガンにあるローガン中学校で教師をしていたことがある。その町には塾はなかった。大学受験のための予備校もなかった。 「なぜ、アメリカには塾や予備校が存在しないのか?」 日本には、どんな小さな町にも塾がある。何が違うのだろう? それは、アメリカと日本では価値観が違うからだ。ローガン中学校の生徒に将来どうしたいのか尋ねると 「ビル・ゲイツやスティーブジョブズのようになりたい」 と言う子が多かった。ガレージの一角で自分の好きなことをやりながら、世界的な大企業を作り上げた。そんな姿がカッコイイ、憧れなんだそうだ。 日本はどうか。自分の塾生に尋ねると 「トヨタのような大企業に就職したい」 という子が多い。寄らば大樹の陰らしい。ご存じのように、大企業に就職するには学歴フィルターを通り抜ける必要がある。 国内における 大企業 の 割合 は、約0.3%。 国内にある 企業 の総数は421万社ですから、「 大企業 数は約0.3%で、およそ1.2万社」「 大企業 以外の中小 企業 は約99.7%で、およそ419.8万社」と算出できます。 こうした

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「流血を厭う者は、流血を厭わぬ者に必ず征服される」(戦争論)

「流血を厭う者は,これを厭わぬ者によって,必ず征服される」(戦争論) カール・フォン・クラウゼヴィッツの言葉。戦後、日本は 「日米安全保障条約があれば、いざという時にアメリカが守ってくれる」 と、勘違いしたまま生きてきた。私も若い頃は勘違いしていた。 「戦争は第二次世界大戦が最後だった。だって、核戦争では勝者がいないんだもんね」 と信じる人が多かった。私も先週までは、そう信じていた。 しかし、今私たちが目にしているのは21世紀になっても他国の国境を戦車で踏み越えてゆく国が存在すること。市民の上にミサイルを撃ち込む国があること。 「邪魔をする奴は歴史上見たことがない悲惨な目に会う」 と恫喝する国が国連の常任理事国ということ。 結局、19世紀の天才軍人と呼ばれたカール・フォン・クラウゼヴィッツの見立てが正しかったのだろうか?流血を厭わぬロシアの思いのままに世界は進んでいくのだろうか?ウクライナがロシアの手に落ちたら、中国に 「これは、いける!」 と思わせてしまうのではないだろうか?間違ったメッセージを送ったツケは日本が後で払うことになる可能性がある。 普段 「日本国憲法を改悪するのを許すな

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事業復活支援金の申請で起こったこと(シングルマザーの場合)

「事業復活支援金」の申請で起こったこと(シングルマザーの場合) 私の知人はシングルマザーで小さな個人塾をやっている。詳細は知らないが、小学生や中学生に英語と算数を指導しているらしい。ところが、コロナで生徒が集団指導の塾を避ける傾向が続いている。それで、事業復活支援金を申請することを考えたらしい。 ネットに疎いものの何とか申請したら、修正依頼がきたらしい。話を聞くと青色申告なんだけど、民商という組織の助けを借りて確定申告をしているらしい。売上は年間の分だけ記載でもう何十年もやってきたらしい。税務署が何も言わないから問題はないと信じていたそうだ。 ところが、コールセンターで尋ねたら修正が必要でその修正が正しいものであることを証明するために税理士の署名と捺印が必要と言われたそうだ。彼女と小さな子供との生活を守るために必死な思いで近所の税理士さんに電話して確認したらしい。 でも、すべて断られたそうだ。そりゃ、そうでしょうね。税理士は 「普段お付き合いのない方はお断り」 と同じ言葉を伝えたらしい。お金を払ってくれるお客様はサービスするけど、どこの馬の骨とも分からぬヤツに手を貸すいわれはない。 そ

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