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「京大医学部4名合格講師」による受験対策講座(172)

「京大医学部4名合格講師」による受験対策講座(172) 医師の見解を受けて、智子はギフテッドに関する書籍に片っ端から手を伸ばした。紹介された病院に行くころには、ギフテッドについてのちょっとした専門家になっていた。パズルのピースがバーッとはまっていくように、すべてのことが符合した。  改めて学校での学習活動とタクマの特性を照らし合わせてみると、 学校での学習活動のほとんどが、タクマにとっては不快でしかないことがはっきりした。 やり方さえ違えば、タクマにとって学びは快であることもわかっていた。  つまるところ、学校にいることは、タクマにとっては学びの邪魔でしかない。  学校との面談で、校長から「タクマくんがギフテッドだとしても、学校としてできることには限界があります。ご家庭でやれたら、そうしたほうがいいかもしれない」と言ってもらえた。教室を覗くと、タクマの目は完全に死んでいた。  それを見て、決心がついた。  家に帰ってタクマに話した。 「もうやめようか、学校」  そのときタクマからこぼれたひと言が忘れられない。 「はぁ、息ができる」 親子の気持ちが固まった。 〈もう学校には行かない〉 私

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「京大医学部4名合格講師」による受験対策講座(168)

「京大医学部4名合格講師」による受験対策講座(168) もし、三重県北部に生まれて大学受験を考えたらどこを受けますか?自宅から通学という条件が付いたら1番は名古屋大学、2番が名古屋市立大学、3番が三重大学くらいだろう。では、名古屋大学に最も近いコースというとどうなるだろう? まず、県立トップの四日市高校に入って上位1割くらいに入れば名古屋大学を狙うことが出来る。公立中学だと1学年100人くらいの中で上位2番くらいでないと四日市高校に合格できないからね。 つまり、5%の中の10%だから0.5%。200人の同学年の生徒の中で1番という計算になる。英検でいうと準1級くらいかな。数学は過去問で7割近い正解がないとダメと聞く。そのレベルの指導を受けられる予備校や塾を探すことになる。 私は名古屋の7つの大規模予備校・塾・専門学校で14年間英語講師をさせてもらったけれど、旧帝卒や英検1級を持った講師に出会ったことがない。現実は、名古屋大学に落ちて南山大学に行った講師が「名大コース」の講師をしていた。 英検1級の勉強をしている時に、名古屋のECCに適当なコースがないか尋ねたこともある。すると 「そんな

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「京大医学部4名合格講師」による受験対策講座(159)

「京大医学部4名合格講師」による受験対策講座(159) 教育関係者の不祥事が相次いでいる。 広島県教委が懲戒免職としたのは、庄原市立小学校教諭の福原優理被告ら3人。この内、福原被告は、当時勤務していた学校の修学旅行の引率中に、宿泊施設の浴場で裸になった女子児童3人を、小型カメラで隠し撮りしたなどとして3度逮捕され、先月、起訴されている。この他、迷惑防止条例違反で逮捕された教諭と、少女にわいせつな行為をした教諭が懲戒免職となった。 もうみんな気づいているのに、見ないふりをしている。気づかないふりをしている。教員の仕事がブラックであることは知れ渡り、教師をめざす学生が減り、最近の採用試験では倍率が2倍をきっている事実。 そんな教員に応募してくる人の中には、子供の裸の写真が撮れるという下心の輩も混じっているのは最近のエロ教師の激増で気づいているはず。なのに、いつまで経っても 「大半の教師はマジメに仕事をしていて・・・」 などと、遠い昔の話を繰り言のように繰り返すのみ。 犠牲になるのは、いつも無垢な女子児童。 Everyone has already noticed, but they pre

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「京大医学部4名合格講師」による受験対策講座(158)

「京大医学部4名合格講師」による受験対策講座(158) 飛び抜けた能力、なじめない学校 文科省「ギフテッド」の子を支援へ 「ギフテッド」と呼ばれる突出した才能を持つ子どもが円滑な学校生活を送れるよう、文部科学省は来年度から支援に乗り出す。周囲となじめず困難を抱える子のために、学習プログラムを展開するNPOなどの情報を提供。こうした子たちへの理解を深めるため教員の研修も充実させる。 「いらんことせんでよろし!」 教員の研修って、要らないよ。私の教えている京大医学部医学科を受験した子たちは 「学校から出来るだけ早く解放してほしい」 というのが共通点だった。 教師が指導したくても、能力が無いのだから生徒からお断りという状態だった。普通に考えて、京大に落ちた先生(受けることすら出来なかった先生)が京大で最難関の医学部を受験する生徒の指導は出来ないし、生徒も信用しないから「教師―生徒」関係が成立しない。 いらんことせんでいいので、部活は自由化して帰宅させて自分の好きなように勉強させるのが一番。指導者として認める先生が、予備校や塾にいたらそちらに通うから黙って見ていればヨロシ。 “Don't do

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ホンマにアホやなぁ!(17)

ホンマにアホやなぁ!(17) 第三章、数学講師になるまで 数学に対する執着は残っていた。 最初に 「ボクは数学が苦手なのだろうか?」 と疑問を持ち始めたのは、四日市高校の2年生の頃。1970年代の四日市高校は男子の割合が大きく、男子クラスがあり私は男子クラスに在籍していた。 当時、男子は理系に進むのが大多数だった。その中にあって、テストの度に数学が壊滅的な点数になっていた。全国の模試なら、そこそこでも四日市高校の男子クラスではどうしても周囲の子と点数を比較してしまう。平均点と比べてしまう。 点数だけでもない。三角関数、対数、微積分と進むにつれて 「もうボクの頭には入りきれない」 と友人にぼやいていたのを思い出す。物理で13点を取り、 「こんなのありえない!」 とショックを受けて、クシャクシャにして捨ててしまった。私は数学の公式を使う場合に、 「証明できないと、使う気になれない」 というタイプだった。今思うと、それでは前に進めない。結局、自分が何をやっているのか分からなくなり気持ちが混乱し始めた。そして、1974年の大学受験の5日前を迎えた。 Chapter 3, Becoming a

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