
長野県上伊那郡辰野町の新興住宅街の一角に、風変わりな一家が住んでいた。夫と妻に息子の3人家族。夫はサラリーマン、妻はパートタイマー。一般的な建て売り住宅に住み、車を1台所有していた。
夫婦仲は良く、子供もスクスクと育っていた。しかし奇妙なことにその夫婦は、何かが不自然だった。
恐ろしいものや奇妙なものというのは、要素に分解してみれば、なんら特徴のないものであることがある。その家族が正にそうであった。近所の人々にその家族について尋ねても、
「普通のご家庭ですよ」
「お金持ちってわけでもないし、かと言って貧しいって感じもしないし」
「お子さんも順調に育ってますしねぇ」
と、大体このような答えが返ってくるだろう。そして、それは事実だ。しかし、その家族がある秘密を抱えていたのも事実なのである。
夫婦は夫が31歳、妻が29歳の時に結婚した。息子が生まれたのは妻が30歳の時である。当時は家賃8万円のマンションに住んでいた。
夫は商社勤めのサラリーマン。年収は460万円で、お金持ちでも貧しくもないという評価は妥当だろう。車はホンダの赤いフィット。
子供が2歳の時、妻は息子を保育園へ預け、パートタイムで働き始めた。年収100万。夫の扶養から抜けないギリギリの年収になるよう設定していた。
共働きとなって貯蓄は大きく増え、その額が700万に届いたとき、一家は辰野町の建売住宅をローンで購入した。夫37歳、妻35歳、息子5歳のときである。
全くと言って程、不自然な所のない家族である。しかしこの家族の恐ろしさを知るものがいた。息子の3歳半検診に立ち会った心理士である。
検診では何の異常も見られなかった。身長も体重も平均的。にも関わらず、夫婦は息子の発達検査を強く求めた。通常は障害が疑われる場合にだけ行う発達検査であるが、要望があればしてもよいことになっている。
結果に心理士は驚いた。発達指数100。それは知的レベルと実年齢が同じであることを意味した。しかも発達の各領域に、何の偏りもなかった。その息子は、知的レベルにおいて、完全に平均であった。
発達検査とは発達指数100を平均としてどの程度乖離があるか、偏りがあるかを測る検査である。しかしながら、全ての項目において基準通りの平均値を示した子供を、心理士はそれまで見たことがなかった。
プロフィールを見ると、身長も体重も平均値。そんなことが有り得るのか。
ある種の恐怖を覚えながら、心理士は検査結果を両親に伝えた。すると両親は、心の底から安堵したような笑顔になった。
(ありえない)
心理士はそう思った。しかし、検査は全て正常値。誰に何を言うこともできなかった。
どこからどう見ても3歳半だった息子は、どこからどう見ても5歳の子供に成長した。
この夫婦が抱えた秘密。それは「平均」であった。
初婚平均年齢男性31歳女性29歳、初産平均年齢30歳、平均年収460万円、平均世帯年収550万円、平均貯蓄額700万円、持ち家購入平均年齢30歳後半、頭金平均額300万……。長野県上伊那郡辰野町が日本の中心点と言われていることも偶然ではないだろう。
何よりも平均に拘った夫婦。それがその家族の正体であった。夫婦のどちらから言い出したのか、両方の理想像だったのか、それは分からない。しかし夫婦は常に平均を求め続けていた。
夫婦が罪深かったのは、それを息子にまで押し付けたことである。平均的な発達。それは理想であれ、人も自然の一部である以上、有り得ないことだった。どんな方法を使ったのか、その夫婦は息子に平均的な発達を求め、それを実現させた。
全てが平均値の子供。その存在は、最もありふれた存在であるはずなのに、酷く歪んで見えた。しかし夫婦にとっての育児は成功を収めていた。
妻は2人目を妊娠していた。なぜなら合計特殊出生率は現在1.43人であり、もうひとり産む必要があったからである。だが夫婦は、ここで大きな問題と向き合うことになった。
子供は、産んでしまえば2人になる。2.0人だ。合計特殊出生率は1.43人だから0.57人もオーバーしてしまう。無視できない数字だ。平均に近づけるため、この0.57人分をどうするか……。お腹を擦りながら、あるいは息子を眺めながら、夫婦は考えるのであった。
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