鋼の光

Chapter 2 - 第二話 異星到着

イカ大王2020/07/04 03:49
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美沙希、イネスらが乗った惑星降下舟艇は、火星居留地のセントラル・ブロックにある離発着ポートに着陸した。

 軽い振動が床下から突き上げ、タイヤが舗装されたポートを踏みしめる。

 小型噴射機を使用しての垂直着陸だ。左右の安定翼が胴体内に収納され、パルス・エンジンの鼓動がゆっくりと小さくなってゆく。



「ねえ、ミサ。着いたわよ。居留地に」



「ふ…ふぇ……?」



 美沙希はイネスに肘で突かれ、目が覚めた。

 大気圏突入ののち、魂が抜けたかのようにぐったりしていた。気付いた時には火星地上、という状態である。

 美沙希はゆっくりと上体を起こしながら周囲を見渡す。やや間をおいて目を見開かせ、叫んだ。



「……うそ、わたし寝てた!?」



「寝る、というより失神よ。さっきのあなたは」



 自分の情けなさに苦悩する友人に、イネスは呆れながら言った。



「下船。第1班から順番にだ!」



 美沙希がオロオロとする中、骨太な声が船内に響く。



 降下舟艇に乗る125名の付き添いとしてやって来ていた月面飛行士学校のアーネスト・アーチャー教官だった。

 オールバックの金髪、左目を覆う眼帯、熊のようながたいが特徴だ。

 美沙希、イネスや他の孤児院の仲間達をみっちり2 二年間しごいてきた張本人であり、核戦争やプロジェクト・サテライトに参加した根っからのベテラン宇宙飛行士である。

 元軍人で、ジブラルタル級衛星戦艦に乗り込んで沈没を経験したこともあるというが、詳しくは分からない。



 分かっていることといえば、典型的な「鬼軍曹」である。という点だった。



「第1班、起立!」



 アーチャー教官の叩きつけるような号令で、前の方の座席に座る20名の初任飛行士が背筋を伸ばして起立する。

 続く号令で2班、3班の40名が起立し、4班が起立する頃には1班の20名がハッチから火星地表に降りている。

 美沙希ら5班にも号令がかかり、二人を含む20名が起立する。



 美沙希はアーチャー教官を見、向こうもこちらを見て、目が合う。

 美沙希は首席で卒業した成績優秀者であるため、教鞭を振るった教官としての思い入れがあるのかもしれない。



「?」



 だが、美沙希は小さな疑問を感じる。

 アーチャー教官の眼帯に覆われていない右目は鷹のように鋭い眼光を放っていたが、目が合った際、その目の奥に怒りような色を伺うことができたのだ。

 美沙希は一瞬、自分が何かまずいことをしてしまったのかもしれない……と不安になったが、教官の口から怒号が飛び出すことはなく、自然に降艇口に進むよう促される。



 美沙希の前を歩くイネスは、一足早く出口から地表に伸びた階段を降り、火星の地表を踏みしめた。

 少しの疑問を頭の奥に追いやった美沙希も、後ろから続く。



「火星……長かった、長かったけれど。着いたわね」



 両足で大地を踏みしめたイネスが感極まったように言った。



 地球と火星の距離は、最接近する時期でも約7,058万キロメートル。

この膨大な距離を航行するのに、反物質推進機関を搭載した惑星間航宙船で15日。これに加えて火星衛星軌道上に展開している衛星戦艦に到着してからは2日間の火星気圧順応が必要であり、地球を出発してから火星に降り立つまで、合計17日間も必要になるのだ。



 美沙希も気持ちは同じである。

 待ちに待った赴任地への到着に、なにか熱いものが込み上げてきていたが。



(ここが人類の新天地。……さぶ!?)



 降下舟艇から一歩外に出た瞬間。火星の平均的な気温──マイナス50度の洗礼を受け、両手を自分の肩に回して縮み上がった。



 美沙希らが着装している宇宙気密服は火星に対応した仕様であり、火星の砂が細部に入り込まないように防塵対策が取られていたり、機材の操縦や運動がしやすいように身体にフィットした作りがされている。

 その一環として零下数十度の気温にも対応した暖房性、保温性も兼ね備えているが、25、6度という平穏な気温から突然マイナス50度の極寒に放り出され、寒気を感じない方がおかしいというものだ。



 そんな中、後方を続いていた降下舟艇二、三番艇も、一番艇に続いて着陸する。

 両艇とも、人員は載せていない。

 新たに火星に配備される予定の、全地形対応型人型駆動兵装──A2-8L1“マーズ・ジャッカル”を、15機ずつ積載している。

 マーズ・ジャッカルは、体長10メートルに及ぶ人型の重機兼機動兵器であり、多脚戦車に変わって火星開拓局の主力兵装になると期待されているものだ。

 美沙希とイネスは、このマーズ・ジャッカル専攻の飛行士として火星にやってきていた。



 美沙希は寒さに震えつつも、足を進める。

 離発着ポートは降下舟艇が同時に何機も離発着できる広さを持っており、アスファルトで舗装された地面の上にあった。



 ポートには別の降下舟艇や、その一段階上の艦種にあたる航宙揚陸艇、火星での運用を目的としたティルトローター式のヘリコプターなどが羽を休めている。

 周囲は、灰色で統一されたタンク、格納庫、見上げんばかりの高さの鉄塔など数々の建造物に囲まれており、美沙希ら同様の宇宙気密服に身を包んだ開拓局の職員らが、ライフルを持って警備に当たっている。

 その職員らの誘導で、舟艇から降りた初任飛行士らは列をなし、ポートの側に立つ一際大きな庁舎に足を進めた。



「こんなに広いのに、まだ火星のほんの一部なのよね。火星のほとんどは、人間未踏の地なんだわ」



 イネスが目の前の光景に圧倒されつつも、これからの開拓の困難さに想いを馳せている。



「それを切り拓いてゆくのが、私達の仕事なのだぜ」



 美沙希は親指をぐいっと立て、ニッコリと笑ってみせた。



「そうね。お互い頑張っていきましょう」

「うん」



 火星は地球の四分の一の大きさしか持たないものの、海がないため全面積は地球の陸地に匹敵する。

 人類火星移住ニミッツ計画の開始より、早5年。人類は火星での版図を広げてきたが、人類が探査任務で進出した地域は火星全面積の11パーセント、生活を営んでいる居留地は3パーセントにしかならない。



 それでも、美沙希たちが降り立った居留地は広大だ。

 直径5キロメートルの居留地が合計六つ。六角形の頂点に配するような形で建設され、それぞれを半地下式のリニアモーターカーが結んでいる。

 六つの居留地の中央には火星開拓の地表本拠地となるセントラル・ブロックが位置しており、地球・月面・軌道上の衛星戦艦、この三つとのレーザー通信を担当する全高250メートルの鉄塔──通称マーズタワーと、司令部施設、離発着ポート、地底の不凍湖から水分を組み上げる施設、原子力発電設備などが存在している。



 入植している人口は非戦闘員が17万人、火星開拓局の職員が3万人だ。

 六つの居留地には、それぞれ過酷な火星開拓最初期で命を落とした宇宙飛行士の名が付けられており、セントラル・ブロックの真北に位置している居留地から順に、『フェアファックス』『ギリアード』『バークレー』『フジオカ』『マーカンド』『キッシンジャー』の呼称で呼ばれている。

 セントラル・ブロック以外の居留地はそれぞれ外部と内部を遮断する半円形の電磁ドームに覆われており、内部は気圧以外、地球に準ずる気温、重力、空気を保てるようなっていた。



 125名が案内された「一際目立つ庁舎」は、セントラル・ブロックの中枢をなす司令部施設であった。





───続々と建物に入ってゆく初任飛行士たちを、アーチャー教官が怒りと悲しみが折り重なったような表情で見つめている。

 拳をきつく握りしめており、今にも降下舟艇の階段に殴りかかりそうだ。



「なんであんなハタチにもなってないガキ共を、こんな地獄のような星で戦わさなければならないんだ。やつらは、月か地球で学者か真っ当な宇宙飛行士にでもさせてやるべきだったんだ。畜生め」





 ◇



「火星開拓局局長、兼衛星戦艦『サウス・フランクリン』艦長のアイリス・ブルーフィールド星将よ。これからよろしくね。新顔諸君」



 初任飛行士たちを待ち構えていたのは、星将の紀章を肩に乗せた気密服を着た若い女性だった。

 身長は170センチほどで、スラリと伸びた両足が目を惹く。腰は抱きしめると折れてしまいそうなほど細く、その対比で胸は豊満な色めかしい大きさを持っていた。

 身体のラインが浮き出る気密服では特に顕著に強調されており、雪のような白い肌と緑眼、整った顔立ちが相まって、相当な美人……火星一と言っても良いほどのレベルだった。



「すごい美人さん。しかも若い」

「軍人出身の初の局長で、しかも初の女性艦長。年齢は、……確か26歳だったはず」

「26!?」



 驚きのあまり、美沙希は声を上げた。

 今、初任飛行士達が整列している司令部内ホールは与圧されているため、全員がバイザーヘルメットを収納している。

 さっきまではヘルメット内の通信機でイネスとの個人的な会話ができたが、今は外しており、自分の声は全員に聞こえてしまう。



 列の外側にいるアーチャー教官にギロリと睨まれ、周りに並ぶ飛行士らの訝しげな目線が向けられた。

 美沙希は顔を赤くし、目を伏せる。縮こまる。日本人らしい小柄な身体が、更に小さくなったように見えた。



 だが、ホール前の台に立って初任飛行士らを見渡しているアイリスは、一切気にせずに話を始めた。



「私が率いている火星開拓局は、準軍事組織、人類初の地球外実働部隊よ。戦略砲熕兵器を含む多数の兵器も有しているわ。部隊も同様で、衛星戦艦一隻と各兵科三個旅団。現在は開拓・技術開発を目的とした宇宙開発機関となっているけれど、火星方面軍と名を変えてもいい程のレベルよ」



 彼女は腰の後ろで両手を組み、顎を上げ、背筋を伸ばした。一歩一歩を踏みしめるようにして、整列した初任飛行士の前を歩き始める。



「ここにいる全員が、火星開拓の過酷さを学んできたと思うわ。それに対応するためのキツい訓練も受けてきたはず。けど、実際に身をもって体験することとは、当然違うわ」



 アイリスの後ろを、タブレットを片手に持ち、同じく気密服を着た長身の男が続く。

 肩の紀章は大佐を示しており、局長の右腕を務める戦務幕僚だと推測することができた。



「重力は地球の40パーセント。マイナス50度の極寒。降り注ぐ放射能。乾き切った赤い砂漠。大気は大半がCO2で、生存には適さない。こんな過酷な環境で、容赦なく襲ってくる『火星危険生命体』。あなた達は、この環境の『過酷さ』と、凶暴な生物と対決する『恐怖』に打ち勝たなければならない」



 火星危険生命体。

 美沙希は、飛行士学校での座学を思い出した。



 火星危険生命体──通称「火危生」は、未だに核戦争中だった2051年に火星のアマゾニス平原で確認された生命体群の総称である。

 現時点で確認されているだけでも42種類の個体が存在しており、特に全体90パーセント以上を大型翼竜型、軟体触手型と呼ばれている二種類が占めている。



 戦闘シュミレーション訓練や対策方法などは学校で学んできていたが、初任飛行士らは誰一人実物を見たことがない。

 火星の地球・月とは劇的に異なる環境に慣れるのは当然だが、火危生との戦いも避けられない課題であった。



「その道はひどく困難だわ。けど、私達はここで引くわけにはいかない。地球外脱出の嚆矢となる私達の火星開拓の成功が、地球に残された人類に新天地を約束する。私よりも、あなたたちのほうが最近の地球の惨状をよく知っているわよね?」



 アイリスは皆に聞く。

 初任飛行士たちの顔に、赤みが増す。自らに課せられた使命に、内心で奮起しているようだった。



「あなたたち22期生からは、マーズジャッカルの訓練課程が基礎から組み込まれている。火危生に対して有効と考えられている新型兵器よ。期待しているわ」



 アイリスは足を止め、初任飛行士たちに向き合った。美沙希の目の前だった。美沙希は背筋を伸ばす。



「あなたは……確か、首席卒業生のミサキ・シモムラよね?少し聞きたいのだけれど、やはりマーズジャッカルは多脚戦車とは勝手が違うのかしら。私は多脚戦車専攻なのだけれど、私でも操縦することのできるものなの?」



 アイリスは目線を下げ、頭一つ下にある美沙希に意識を向けた。“マーズ・ジャッカル”実習課程が加えられた初の卒業生で、首席の成績を収めた少女に興味があるようだ。



 美沙希はまさか自分に声がかけられるとは思ってもいなかったので、声が上ずる。



「は、はじめまして。しもむりゃみさきです」



 ……噛んでしまった。しかも、ここは自己紹介ではなく簡素かつ的確な質問の答えをするべきところだ。

 美沙希は、昔からあがり症のところがある。

 アーチャー教官が小さくため息をつき、イネスが頭を抱えた。



「しもむりゃ?しもむりゃァ?……フフフ、アーハッハッハッハッハッ!」



 アイリスは美沙希の言葉を二度反芻し、やや間を開けて腹を抱えて笑い始めた。

 傍に立つ戦務幕僚、アーチャー教官以外の初任飛行士たちが不思議そうな表情を向けた。

 そしてひとしきり笑い終えた後。



「あー、ごめんごめん。あなた知力も技量もトップなのに、こういう事に弱いのねぇ?」



 爆笑して涙を拭く『火星方面作戦の最高責任者』に対して、美沙希はオロオロとすることしかできない。



「ホントごめんね。君たちにはカタイ感じでいこうと思ったんだけど、やっぱり素の方が私に合っているみたい。かわいいあなたを見て緊張の糸が切れちゃった」



 アイリスの言葉に、美沙希はホッとした。

 軍人出身と聞いてお堅い厳しい人だと思っていたが、26歳の女性にふさわしいフレンドリーな性格を持っているようだ。



 だが、アイリスの性格はそれにとどまらない。

 両手を大きく広げると、満遍の笑みで美沙希に抱きついた。

 豊満な胸が顔に押し付けられ、美沙希は「ふごッ」という間抜けな声を上げてしまう。

 細い腕が背中に回され、ガッチリとホールドされた。



「え?ええッ?」



 イネスが自分の目を疑い、他の一同の目がアイリスに向く。美沙希は声もあげられない。

 当のアイリスは嬉しそうに微笑み、「ふふーん」と唸っていた。

 1分近く経った頃。



「艦長」

「わかってるわ…ケンゾー」



 後ろに控える戦務幕僚の言葉に、アイリスは不承不承といった表情で美沙希を胸から離す。そして「ぷはッ」と、呼吸を再開する美沙希の顔を正面から見据えた。



「ガンバってね。人類のために」



 ニッコリと笑う女性を見て、美沙希はただ立ち尽くすことしかできなかった。