怪異の森には白い羽根が落ちている

Chapter 11 - 化け物たちの休日:後編

藺草 鞠2020/06/15 11:20
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「・・・2200年。アメリカ、ニューヨーク。500万人が飲み込まれたその崩落は、最初の崩落であると同時に、最大の崩落である・・・。」

力仕事は明日からで構わない、今日は本当に1日休んでいて良い。その代わり、今日1日計画のことは考えないこと。・・・今まで休んでいたというけれど、どうせ頭の中はこれっぽっちも休まっていなかったに決まっているんだから。

セレナにそう言われ、今日一日は大人しく本を読むことにした。

この星の成り立ちから始まり、人間の誕生、都市の誕生。火の発見。時間や数の概念の誕生。哲学、文学、食事文化の発展。芸術。戦争。電気の誕生。原子の爆弾、銃火器。

何日もかけて様々な時代の文化を辿り、歴史書のページはついに残り10分の1ほどになっていた。

「崩落は本が書かれた今現在まで原因不明。・・・1500年前くらいの本か。今はもう本の出版なんかできる世界じゃないからな。」

この本の著者は500年前に保護区に住んでいた人間で、ハンター協会が定期的に残す歴史記録データがかなり美化されたものであることに反感を覚え、製紙、製本、全てを手作業でこの本を作成し、秘密裏に流通させたと、この章の冒頭に記されていた。

「崩落が起きたのは年末。多くの人間が年の終わりの祭事に浮かれ・・・観光地には多くの観光客が。アメリカの独立を、自由を謳ったその女神像が突如水に沈み始めた。女神像を飲み込んだ大穴は不気味なほどに正確な正円。ゆっくりだが、しかし大穴の拡大は止まらず、5時間もの間拡大し続けた大穴は500万人を飲み込んだ。」

タイタンが持つのは崩落以前の記憶だけだ。崩落の混乱、悲鳴、追い詰められた人間たちの悪意は想像することしかできない。

しかし本には、ヘリコプターでニューヨークから命からがら逃げ延びた人間の記録が記されていた。

「ハンター協会に残っている記録を閲覧し、その内容を要約する。読者へ配慮し、記録をそのまま記述するのではなく、ここにはなるべく実際に起きた出来事だけを簡単に記述することにする。・・・しかし、実際の記録はより凄惨で、壮絶なものであったことは、読者諸君も記憶しておいてもらいたい。」

地面がどんどんと沈んでいる。止まらない地震が起きた、と。

現地の人々は高層ビルが崩れる轟音を巨大な地震だと誤解したらしい。

たまたま高台にいた男はそれが間違いだということにすぐに気づいた。

巨大な黒い穴がじわじわと、男の居た高層ビルに迫ってきていた。

男はすぐにヘリポートに走った。仕事柄利用することが多かったヘリコプター。自分なら馴染みの人間に乗せてもらえると分かっていた。

非常階段でビルを降りる。道路は当然大混乱で、乗り捨てられた車で渋滞が起き、車に轢かれて腕が外側に曲がった女の遺体を踏み越えながら人々は逃げ惑っていた。

人の流れもぐちゃぐちゃだ。大穴の方向へと逃げていく者もいた。

白杖を持った老婆が頭を打ち呻いている。

母親を見失った子供の声が耳を劈く。

黒人のドライバーに車を動かせと怒鳴る白人の男。

男は善良な人間だった。田舎から夢を追い大都会にやってきて、苦労をかける両親に、少ない収入から必死に仕送りをしていた。

都会にいる苦しむ人々を写真記録に残して人々に訴えたいのだと、そう思い買った一眼レフカメラを、男は重いからと道に投げ捨てて走った。

救いたいと思った苦しむ人々を無視して、男は自分が助かるためにヘリポートへ走った。

ヘリポートにいた馴染みの職員と共に、男は一台だけ残っていたヘリコプターで飛び立った。

男たちは大穴から遠く離れることに成功した。ほっと一息をつき、後ろを振り返り驚愕する。

男のヘリコプターからは豆粒程度にしか見えない遠くにいたもう一台のヘリコプターの尾が折れ、墜落していくのが見えたからだ。

後からわかったことだが、初期の大穴の付近は酷い強風が吹き荒れることが多かったそうだ。

その時ようやく男たちの耳は、上空まで届く酷いビープ音を聞き取った。

高音、低音。掠れた音。老若男女、様々な人種。500万の断末魔の合唱が、ヘリコプターの騒音と共に男の鼓膜を揺らした。

泣き喚き半狂乱になりながら脱出に成功した男たちは、半年後に精神病棟で自殺したことが確認されている。

死んだ500万人の中には友人も、同僚もいた。あの凄まじいビープ音が、寝ても覚めても耳から離れず、男は記録を残す数週前に自らの鼓膜をペンで突き刺したそうだ。

筆談で行われたこのインタビューは、音声記録と文献記録でハンター協会に残されている。

「・・・音声記録の閲覧は、開始10分で止めた。聞いていたらこちらの気が狂ってしまいそうで・・・っ。ああ、クソ。」

思わず本を閉じそうになる自分を必死で堪えた。

自分でもあの大穴と腐臭がトラウマになっているのがよくわかる。

それでもこれは知らなければならないことだ。自分が戦う敵の正体を、学ばなければならないのだ。

「ニューヨークの大崩落で経済は崩壊。世界的な経済混乱で各地で暴動が発生し、多くの死者が出る中、一ヶ月後に再び大穴が発生する。しかも今度は三箇所同時に。エジプト、イギリス、中国。特にイギリスは酷く、島がまるごと地図から消滅する事態に。そこから一ヶ月に一度、一週間に一度とどんどん頻度は増し。2201年3月、この謎の大災害に崩落と名前がつけられ、世界崩落対策本部・・・後のハンター協会が立ち上げられる。」

地図はどんどんと黒く染まり、世界を腐臭が満たしていく。

一年後には1日数回の崩落の発生すら珍しいものではなくなった。

安全領域の存在しない世界に怯え、人々は半狂乱になりながら家に引きこもっていたという。

「2201年10月24日、結界の誕生の日であり、世界に魔道が生まれた日である。・・・って、ん・・・?」

順序がおかしくないか?とタイタンは首を傾げた。

「多くの人間が誤解しているが、魔道が生まれてそれから結界が作られたわけではない。結界を作ろうと研究をしていた研究者が、偶然に魔道を発動させ結界を作ったことで結界が生まれた。魔道を学問と定義するなら、魔道の方が結界より後に誕生したのだ。魔道の発生の原因は諸説あるが、私はその原因は崩落であると考える・・・」

崩落から吹き出す腐臭の成分を解析したところ、主成分は人体が腐ったことで発生した硫化水素やアンモニアだが、それと同量の未知の成分が含まれていた。人間の粘膜に触れると急速に人体に取り込まれるその成分は人間の遺伝子に干渉する。

遺伝子に干渉された人間は自分の意思で何故か物理法則に干渉できるようになる。人間以外の生き物にこれは発現しない。崩落発生以来シェルターに篭っていた政府要人たちは、魔道を使うことができなかったことからこの説は有力となった。

「・・・崩落の研究を続け、常人の数倍の腐臭を吸い続け、結果誰よりも早く遺伝子を変質させてしまったその研究者が後の原初の大魔導師、アレクサンドラである。・・・驚いた。魔道の成り立ちが、ここまで崩落に紐づいたものだったなんて。保護区に篭っていたって、祖先は絶対に腐臭を吸っているはずだ。遺伝子が子孫に継がれて、その結果地球上の全人類が魔道を使用可能になった結果生まれたのがこの魔道社会なのか!」

連綿と注がれた魔道を使うための遺伝子。細々と生き延びてきた人類だが、結果的に危機に対抗しうる力を手に入れ、進化を遂げた。

「しかし、保護区の現状は酷い。魔道という無限の可能性を秘めた力を手に入れた人類の、最後の砦の見る影はない。争いを起こさないことにとにかく特化した社会であると、私は評する・・・」

少ない資源を巡った争いが起きぬよう、食料は全て配給。

食料だけではない。娯楽、衣類、生活必需品。生活の全てが一律に人々に与えられる配給のみで成り立つ。外出すら完璧に管理され、外出の日も、外出の日にどこへ出かけるのかさえスケジュールで決まっている。

一律の同じ真っ白な衣服を着た人間が、ある日は庭園へ、ある日は映画館へ。協会から割り当てられた単純労働を日替わりでこなす。

唯一、戦闘で命を危険に晒すハンター達にだけ、ある程度の自由や食料の優遇が行われているが・・・一般的な保護区民の生活は家畜に近しいものであるのが現状だった。

「・・・っ、なんだこれ。保護区とはそんな場所なのか・・・?こんなの、人間が生きているなんて呼べるものか。こんなことをする必要が、どうして。」

「・・・タイタン。本を読みながら独り言を言うのが癖なの?外まで聞こえているのだけれど。」

「うわああ!?」

熱中していて完璧に気づいていなかった。外から窓を開けたセレナが上半身を乗り出し家を覗いていた。

「・・・計画のことを考えるなと言ったのに。その本を読んだら意味がないじゃないの。やっぱりタイタンは意外とお馬鹿さんね。」

驚いてまだ心臓がどくどくしているタイタンを睨み、よいしょ、と、窓を乗り越え淵に腰掛けたセレナがシャツで汗をぬぐった。もうそこまできたならドアから入ればいいのに、と思わなくもない。

水浴びでもしていたのか。腿まで惜しげも無く晒された真っ白な裸足がぷらぷらと所在無さげに揺られた。

「保護区のお話?残酷だけれど・・・仕方ないことじゃないかしら。あの狭い保護区で格差や差別が生まれたら・・・もしも争いが生まれて保護区民が自滅したら、本当に人類は滅ぶんだもの。」

「・・・っ、だからって、ここまでする必要があると思えないし・・・正直逆効果だ。こんなことをしたらハンター協会と保護区民の対立が生まれる。抑圧されている自分と優遇されているハンター達を比べてしまうに決まっている。」

「ええ、そうね。協会が潰れた先、結界を保護する方法を知る人間がいなくなって、困るのは保護区の民だけれど。」

そこでタイタンはいつかセレナが声を荒げたことを思い出した。

結界を作ることを知る人間が、崩落の原因を知らないわけがないと。

崩落の理由を誰も未だ解析できていないなんて嘘に決まっている、と。

「・・・っ、まさか。その為に崩落の原因を秘匿しているのか!?」

「噂よ。鵜呑みにしては駄目。ハンター達だってそれほど裕福な暮らしをしているわけではないし・・・結界内の情勢もかなり変化してきているもの。反感を覚えた人間がいるからこそ結界の外に逃亡する人間も続出しているし、結界内もだんだん格差が生まれて完璧な平等社会とは呼べなくなっているみたいなの。その辺りは1500年前の本を鵜呑みにするより、あのディアンという人に聞いた方が早いのではないかしら?」

セレナは淡々と答え、そのまま浴室へ入って行った。

自分がどう思っていようと、こういった時に感傷的にならずに公平な目線をくれるのは彼女の美徳だ。一度深呼吸をし、頭を冷やし、再び本に目を下ろした。

大方セレナの言った通りの事実が書かれていた。・・・著者が酷く感傷的なのを除いては。

ハンター達は優遇されている。一般市民より遥かに豪華な食事を摂り、柔らかな寝具で眠り、我々を嘲り笑っている。

彼らのために、我々罪のない一般市民が抑圧されるのはおかしい。

我々は人間の生活をハンターどもに奪われている。こうして歴史を辿り、人が人らしく、文化の中で生きる素晴らしさを我々は知ったはずだ。

呼吸をしていることだけが生きていることではないはずだ。食事と水と酸素だけで生きられるのが人間ではないはずだ。

ハンターと戦うべきだ、ハンターは敵だ、そうこの歴史書は締めくくられていた。

「・・・歴史書なんて名ばかりだ。これは保護区民がデモを起こす為に書かれた啓発本じゃないか。」

なんだか裏切られたような気持ちになり、タイタンは椅子にもたれた。

「いい。目的は達成した。崩落以後の歴史は把握したし・・・俺の記憶と、過去の記録はほとんど完璧に一致しているのもわかった。大体2000年代初めあたりの記録が、記憶として俺の頭に入っている・・・」

ニューヨークの風景。エジプトのピラミッド。イギリスの時計台。

数日前は名前すら知らなかった都市の情景が、まるで故郷であるかのように鮮明に浮かぶ。

そしてタイタンはもう1つ。この「渡しもの」が相当に悪辣なものであることを今理解した。

この記憶は知識記憶ではない、思い出記憶に類するものだ。

ニューヨークの大通りを歩く父親の記憶。

日本の女子高生の記憶。サラリーマンの記憶。

カナダの新婚夫婦の記憶。イギリス観光客の中国人。

過去の記憶を手繰って思い出すのはデータというよりは、世界各国様々な場所で生きた様々な人間の思い出に近いものだ。

あの夜タイタンの空っぽの記憶にぶち込まれたものは、どうやら「2000年前の人間の複数の人間の思い出記憶を継ぎ接ぎして作られた歪な旧時代のデータ」であるらしい。

客観性が欠けているかと思いきやそうでもない。

むしろ、歴史書の間違っている箇所を指摘できるほどだ。この本は話を盛りすぎだと、本能的に分かってしまうのだ。自分の記憶の方がこの本より正確であるという自信が、何故だかタイタンの胸に湧いてくる。

「・・・これが、崩落を止めるヒントだって?さっぱり訳が分からん。素敵な文化だとは思うが、滅んだ街の記憶なんか持っていたってどうしようもないだろう・・・」

どっと疲れたような気持ちになる。開いた本を目に被せてタイタンは唸る。

セレナには計画のことを考えずに1日過ごせと言われたが、暇な時間を与えられたら嫌でも考えてしまうし、いっそセレナの手伝いのことで頭をいっぱいにしたほうが気持ちは休まるのかもしれない。

夕飯にはまだ早い。本当に明るいうちに帰ってきてくれたセレナをねぎらおうと、タイタンは氷茶の用意を始めた。

台所の床には重い木の蓋がはめ込まれている。中には台所の床を掘って作られた冷凍庫が備えられていて、夜のうちに水を平らな器に入れておけば翌朝には氷ができている。板状になった氷を砕いて小さくしてグラスに入れ、そこに熱い茶を注げばすぐに冷えた茶が飲める。セレナはこうして淹れた茶のことを氷茶と呼んでいた。

ただ冷ました茶よりも香りが立って美味い。爽やかなハーブの茶を氷茶にして風呂上がりに飲むのが好きで、セレナに淹れ方を教わって以来、毎晩氷を作ることを欠かさないタイタンだった。

氷を器を叩いて剥がし、小ぶりなナイフを懐から取り出しダンダンと氷を叩く。

小気味好い音を立てて氷が割れるのが心地よい。氷がグラスに入るほどの大きさになった辺りでタオルを体に巻いたセレナが浴室から出てきた。

真っ白な肩が、僅かに覗く豊満な胸の谷間が、太腿が、ほかほかと湯気を立てているのを、直視してしまった。

タイタンは慌てて後ろを向く。どうして自分が気を使わないといけないのだ。沸騰した頭から怒りが吹き出す。

「・・・・・・風呂上がりは、タオルではなく、服を着ろと、何回言えば!分かるんだ!あんたは!?」

「着替えを持っていくのを忘れたの!すぐ着るから怒らないで・・・あ、氷を使いたいの?」

「あ、ああ。氷茶を淹れようと・・・飲むだろう?」

つい普通に返答してしまった自分が恨めしい。これだからこの阿呆は付け上がるのではないだろうか。

ちょっと待っていて、と。セレナはばたばたと自室に駆け込み、シャツと麻のショートパンツ姿で戻ってきた。

ろくに拭いていないであろう髪からぽたぽた水が垂れている。棚からタオルを出して頭に被せてやれば、タオルの中からわぶ、と犬のような声がした。

「んん・・・トトからミルクが採れたのよ。蜂蜜を入れて冷やせば美味しいシャーベットが作れるわ。だからその氷、使ってもいいかしら?」

トトとは、畑の側で飼っているヤギだ。冬場にタイタンも何度か世話をしているが、数匹いるヤギの中で最も温厚で、一番最初にタイタンに懐いた雌ヤギがトトだった。

「ちゃんと髪を拭いて乾かしてからならいくらでも。・・・冷凍庫を使うのでは駄目なのか?」

「ふふん。いいから見ていて?きっとびっくりするわ。」

セレナはそう言い、大きなボウルに溶いた卵とミルクを注ぎ、これでもかとばかりに蜂蜜を入れた。

「・・・入れすぎじゃないか。」

「冷たいものはこのくらい甘くしないと甘さを感じないのよ。っ、わ、わかったから。ちゃんと髪を拭くから、作業している時に頭をタオルでかき回さないで!タイタンが頭を拭くと痛いのよ!」

分かればいい。ぶつくさ言いながら髪を拭くセレナを睨み、氷を冷凍庫に戻した。

「どうしたらいい。」

とりあえず1人で作業を進めることにする。セレナは大人しく頭を拭きながら指示をする。

「ミルクに蜂蜜を溶かして。そうそう。きっちり混ぜて頂戴。」

ぐるぐると、匙でひたすらミルクを混ぜる。菓子作りというものは、女性らしい趣味のように見せかけて、とても筋力を使うし、疲れる。軽い気持ちでクッキー作りの手伝いを申し出た時にとても驚いた記憶がある。

大体混ざったかと思う頃には既に手首が疲労を訴えていた。少し湿った髪を結い上げたセレナがとことこと台所に戻ってきた。

「ありがとうタイタン。それをこれに入れて。」

「・・・・・水筒?」

それは遠方に行く時にセレナが水を淹れてくれる金属の水筒だった。ますます訳がわからないタイタンはとりあえず言われるがまま水筒にボウルの中身を注いだ。

「それでね。この洗濯タライに氷を入れてね、ここにお塩をどばっと・・・」

「も、勿体無い・・・。ミルクも蜂蜜もそうだが、岩塩だって貴重品だろうに。」

「細かくするのが面倒なだけ、予備はまだあるもの。」

まさかこの塩をぶちまけた氷を食べるわけではないだろうな。これをシャーベットと呼びだしたら、彼女を怒ることにしようとタイタンは1人決意する。

そんな気持ちをつゆ知らず、ぐるぐると塩と氷を大きな匙でかき混ぜるセレナは心底楽しそうだ。

「そこに水筒を入れて、氷を混ぜて・・・ああ、素手はダメよ。きちんと匙を使って。霜焼けになってしまうから。」

訳もわからぬままぐるぐると氷を混ぜさせられ、流石にタイタンも疑心暗鬼になってきた。

いったい自分は何をさせられているんだ。セレナさんに揶揄われているんじゃないだろうな。

しかし当のセレナはそんなタイタンの百面相を見てにやにやしている。この表情は見覚えがある。タイタンを初めてワープ装置に乗せた時と全く同じ顔をしている。

これは、嘘をついている反応じゃないな。多少安心したタイタンは氷を混ぜることに集中することにした。

まだか。まだよ。・・・まだなのか。まだよ。

やりとりが続くこと数十分。セレナがふと声を上げた。

「・・・ん。そろそろできたかしら。ほら見て。」

ぱか、水筒の蓋が開けられると、中身は。

「・・・凍ってる!」

「ふふ、冷凍庫を使うより早いでしょう?氷を触ってみれば分かるわ。」

おそるおそる氷に触れると、塩がかけられた氷は先ほどタイタンが砕いた時よりよっぽど冷たく、なるほど、確かにこれを素手で混ぜたら霜焼けになってしまうだろう。

水筒から匙で取り出されたシャーベットを皿に盛りつければ、暖かくなってきた春の午後にふさわしい立派なデザートの完成だ。

セレナは待ちきれないとばかりにばくりとシャーベットを口に含み、既に目を輝かせている。

いただきます。タイタンも食卓につき、柔らかく凍ったシャーベットを口に含んだ。

「・・・ん、美味い。」

ひんやりと喉が冷えるのが疲れた体に嬉しい。とれたてのミルクの新鮮で濃厚な味わいと、蜂蜜のとろりとした甘さが舌の上で溶けて喉の奥に流れてゆく。

「ふふ、お疲れのタイタンを喜ばせようと思って考えたんだから。」

「ああ、ありがとうセレナさん。これ美味い。」

セレナほどの甘いもの好きではないタイタンだが、それでもあっという間に無くなってしまったと少ししょんぼりしてしまうくらいには、そのシャーベットは絶品だった。

「ふふ、昨日約束したもの。・・・1日が終わるまで時間はまだいっぱいあるわ。何をする?一緒に本を読むのもいいし、のんびりお話しをするのも素敵ね?それとも蓬山までお散歩する?」

きらきらと、セレナの銀色が今日これからの楽しい時間に煌めく。

彼女は嬉しかったのだ。タイタンが休日を自分と過ごしたいと言ってくれたことが、本当に嬉しかった。

彼に大事に思われていることはわかっていた。

でも、好意が明け透けな割に、いつも怒ってばかりで素直ではないタイタンが、はっきりと一緒に遊びたいと言ってくれたのが、セレナには堪らなく嬉しかったのだ。

あの時、命からがら2人で家に帰ってきたあの日、なんと答えていいかわからなかった。

タイタンが、人間でも化け物でもなんでもいいと言ってくれたのが、泣いてしまいたくなるほど嬉しかった。

お前は化け物だと言われるたびに悲しくなった。

お前は人間だと言われるたびに罪悪感を感じた。

でもタイタンが、自分が好きなのは人間でも化け物でもなく、セレナなのだと言ってくれた。

あの日以来、タイタンがセレナを案じてくれたり、優しくしてくれたり、揶揄われたり、その度になんだか目が潤んでしまいそうになるのだ。

いつかこのありがとうをうまく伝えられたらいい。上手に言葉にするのが難しいけれど、ゆっくり時間をかけて、それをタイタンに伝えられたらいいと思う。

今日が、その一歩になりますように、と彼女は祈っていたのだ。

予想外にはしゃいでいるセレナに、タイタンは少し驚いたようだった。

ちらり、と目を逸らし、頭をがしがしと掻き毟り、小さく息を吐いて。それからニヤリと笑ってセレナを見た。

「・・・ん、そうだな。とりあえずさっき冷凍庫にこっそり仕舞った、あんたが夜に1人で食べようとしている残りのシャーベットを出してくれ。」

「・・・!!」

ピシリ、と固まったセレナを放置し、冷凍庫を開くと見覚えのある水筒が。

やっぱり。さっき全部皿に出さなかったな。量が少ないと思った。

「俺のために作ったんだったら貰ってもいいだろう?」

かぱり、水筒を開いたタイタンを見て、慌てたセレナが椅子から立ち上がる。

「ちょ、ちょっと待って頂戴!また、また作るから!ねえ!」

夜の楽しみが奪われてしまう!!

「また作るなら俺が食べてもいいよな。夜にこんなに甘いものを食べたら太るぞ。」

「今度は違う味のも作るわ!ジャムを入れたらフルーツの味になるの!だから、だからーー!ああああ!」

立ったまま水筒に直接匙を突っ込んで食べ始めたタイタンを阻止しようと、セレナはウサギのように飛び跳ねる。

背が高く育って良かった、とのんびり考えるタイタンと正反対に、セレナの目はどんどん潤んでいく。

流石にいじめすぎた。このままだと本当に泣かせかねない。

シャーベットひとつで泣くな、などという冷静なツッコミは甘党に通用しない。

「冗談だ。残りは食べていい。」

「意地悪タイタンなんかやっぱり大嫌いよ!お馬鹿!こんどベリーのシャーベットを作った時は絶対分けてあげないんだから!」

渡した水筒を奪い取ったセレナが叫ぶ。このまま拗ねられたら今日の予定はなかったことになりそうだ。

「フルーツ味も美味そうだな。あとはチョコレート味とか。女の子は好きだろう?」

タイタンは何気なく言った言葉のつもりだった。

しかしその瞬間。きょとんとした表情のセレナが、ぴたりと動きを止めた。

「タイタン。チョコレートってなに?」

タイタンの心臓がどくんと跳ね、背筋が冷え上がる。



チョコレートなんて、自分は見たことも食べたこともない。



冷え切った血液が、全身を巡る。浮かれていた気分が一撃で叩き落とされた。

自分のものではない知識、記憶が、まるで自分のものであるかのように口をついて出た。

食べたこともないサーティワンアイスクリームのチョコレートアイスの味を、セレナは好きそうだと判断できた。

チョコレートどころか、カカオ豆だってあるか怪しいこの世界で、自分は確かに生まれ育って生きているはずなのに。

「・・・何でもない。この森にあるはずがなかった。あんまり便利な生活をしていると、ここに何でもあるとつい思ってしまうな・・・。」

「・・・タイタン?」

「セレナさん、シャーベットが溶ける。水筒を手で温めすぎだ。」

セレナは賢い。だからそれ以上チョコレートについて聞いてくることはなかった。蓬山で2人で昼寝をしている間も、夕飯の時も、眠る前に2人で植物図鑑を読んでいる間も、彼女はそれを尋ねなかった。

きっとそれが何なのか調べることすらしないでくれるだろう。

彼女は今日一日、甘いシャーベットに夢中な女の子をうまく演じきった。彼女はそういう人だ。

だから何の心配もいらない。彼女はその言葉を、二度と口には出さない。

だが、その時、タイタンは狼の言っていた言葉を思い出した。



お前は異形に成り果て、記憶を取り戻す機会も永遠に失くす。

決して元の道に戻ることはないし、もう戻れない。



継ぎ接ぎの歪な「誰か」は間違いなくタイタンを蝕んでいる。気を抜いたら旧時代の数多の人間達に「タイタン」を奪われてしまうような、漠然とした、しかし末恐ろしい恐怖がタイタンの胸を支配する。

自分は、成り果ててしまった。

自分はもう人狼になる以前の自分とは違うものに成り果てたことを、今、タイタンは真に理解したのだ。