Chapter 2 - 大穴:中編
セレナの住む家は、巨大な樹木の根元に建てられている。
セレナの部屋、居間、狭い作業場、そして一番広い客間がひとつ。
簡素な一階建ての小屋だがしっかりと作られている。生半可な風ではビクともしない、頼もしい家であった。降る雪に隠れてもう見えないが。
「いったいどこへ向かっているんだ。まさか闇雲に進んでいるわけではないよな。」
この森にはセレナがつけたであろう所謂獣道が、生活の要所には引かれている。
しかし数分ほど前から二人は食料庫への道を逸れ、足場の悪い雪藪の中を進んでいた。
もちろん地図もない。もし迷ったら、この距離でも二度とあの家に戻れる気がしなかった。
「もう、そんなに不安がらなくて大丈夫よ。もうしばらくすれば見えてくるわ。」
説明してくれ、という言葉をタイタンはグッと飲み込む。
この森は一体この世界のどこなのか。結界がないとここにたどり着けないとはどういうことか。セレナは何者なのか。どうしてこの森に一人で住んでいるのか。お母様とはどんな人物なのか。彼女は自分の正体を知っているのではないか?
様々な疑問があったが、タイタンはそれらを深く聞くことができずにいた。
自分のことをあまり聞いて欲しく無さそうなのは、セレナの振る舞いを見ていればわかったから。困った顔をされるのは分かりきっていた。
彼女は正直な良い人で、とても嘘が下手だ。そういうセレナだからこそタイタンは信用していたし、事情を語らないのは彼女なりの優しさで、彼女もそのことに相当罪悪感を感じていることもわかっていた。
ぬるま湯に浸されたような生活が心地よい。未来を無視し今だけを見つめているのは楽だ。
褒められたことではないかもしれないが、”ようやく手に入れた”平穏を手放したくはないと、なぜだかそう願ってしまう自分を否定できなかった。
それでも日々不安は増大する。タイタンは揺らいでいる。
今こうしてセレナに強引についてきたことが、この平穏を崩してしまう一手になってしまうのではないかと。
真っ白な世界で、自分を先導して歩く小さな背中を、縋るようにタイタンは見つめている。
突如セレナが立ち止まり、振り返った。
「・・・ほら、ここを見て。魔道装置がここにあるの。」
確かに、塗装され木に偽装されているが、見覚えのある金属で作られた柱があった。
中心は青い鉱石のようなものがはめ込まれている。これがスイッチであるらしい。
「ふふ、さあ、目を閉じて、この石に触れて。」
「・・・っ、何をさせる気なんだ。いくらなんでも、少しくらい事情を教えてくれたっていいだろう?」
「大丈夫よ、心配しないで?尊き大魔導士の作った魔道装置なのだから。」
一体何が起きるのか。おっかなびっくりのタイタンをセレナは面白そうに見つめている。
・・・この反応ということは、危険はないのだろう、きっと。
セレナを信じ、おそるおそる目を閉じれば、変化はすぐに訪れた。一陣の風。
冷たく頰に吹き付けた風が、温かいものに変わったのを感じ目を開くと、風景が一変していた。
「ああよかった。やっぱり雪も少ないわ。・・・ふふ、驚いた?内緒にしたら面白いと思ったの。ここは私の住む場所から遠く離れた森の端。環境も植生もずいぶん違うのよ。」
隣にはいつのまにかセレナが立っていた。まるで別の場所みたいでしょうという言葉にタイタンは深く頷いた。
確かにそうだ。まず雪が少なく、ところどころ土が見えている。生えている樹木も背が低い。あちらは天辺が見えないほどの高木ばかりが生えた場所であった。
気温もあちらに比べれば随分と高く感じる。晴れた日でも、これほど温かくなることはあの家ではなかった。
「・・・驚いた。広いんだな、この森は?」
「私が暮らしている範囲なんてこの森のほんの一部よ。端と端では天気が全く違うくらい、この森は広いの。」
「そうか・・・くく。」
何故かタイタンが笑っている。セレナが期待していた反応とは随分違う。
「どうして笑うの。何が面白かったのかしら?」
「いや。俺は幸運だったんだなと思って。こんな広い森で怪我をして、たまたまあんたのいる場所に辿り着くなんて。」
「・・・ふふ、なによそれ。タイタンは変な人ね。・・・さあ笑っていないで、早く行きましょう。急がないと明るいうちに帰れないわ。」
そう言って楽しげに笑ったセレナの口には、既に昼食のサンドイッチが頬張られていた。
「・・・植物?野生動物などではなく、植物に襲われるのか?」
「信じられないかもしれないけれど。お母様が作ってしまったその植物は・・・寒くなって栄養が足りなくなると、動物でも人を襲って食べてしまうの。栄養剤を投入してやれば大人しくなるから、定期的に面倒を見にこないといけないのよ。」
「・・・聞いてもいいか。何者なんだ、あんたの母親は。」
タイタンとしてはかなり勇気を出して発した質問であったが、意外にもその疑問はあっさりと答えられた。
「実の母親ではないわ。世界でも希少な、豊かなこの森を守るために魔道を振るい続けた尊き大魔導士が・・・私のお母様よ。随分前に亡くなってしまったけれど、魔道装置の作り方は、お母様に全て教わったの。」
セレナはふふ、といつも通りに笑った。
ざくざくと、氷状になった雪道を、先導して進んで行く背中が楽しそうに揺れる。
「無口で真面目なんだけれど、発想がいつもどこかズレている、変なひとだったわ。侵入する悪い人間を追い払うために植物をつくるなんて、普通はあり得ないでしょう?そうやって作った植物が予想外の行動を始めたとき、お母様は泣いて後悔していたわ。ならば抜いてしまえばいいと言ったら、今度はすごく怒られて・・・私たちの都合で生み出した命なのだから、責任持って面倒を見なくてはいけないだろうって。」
そう語るセレナは、本の話をするよりもずっと楽しそうだ。歌うように語られる数々の思い出話は、どれもが不可思議で、冒険譚のように痛快だ。
毒の木の実を食べて皮膚が真っ赤になってしまった時のこと。傷ついた子供の狼を拾った時のこと。魔道具づくりで失敗した母が屋根を吹き飛ばした時のこと。
思い出を語る口が止まらないセレナに、タイタンの胸は何だか少し痛んだ。
何かを言わなくてはとやっと吐き出した一言は当たり障りないものだった。
「・・・好きなんだな、母親が。」
「そうね。何度も助けられたけれど、その倍以上は迷惑をかけられて。それでも不思議と嫌いになれないの。そういう所が一番腹が立つのだけれどね?」
セレナもちり、と胸が痛くなった。誤魔化すようにセレナは晴れやかな空を見上げる。
ああ、お母様の瞳の色だわ。
母が亡くなった時は随分と泣いたが、数年がすぎ、セレナも大人になり。もういなくなってしまった温もりを想って泣くことなどないだろうと思っていたけれど。
どうしてかしら、こうして口に出すと、急に寂しさが込み上げるものなのね。
少しだけ滲んだ視界を振り切り、頰を叩いた。今はそれどころではない。
「・・・ずっと、それから、一人でここに?」
「ええ、そうよ。私はお母様の残してくれたこの場所を守りたいの。魔道の力がなくては、この豊かな森は維持できないもの。ここがなくなってしまうのは、嫌なの。」
タイタンの気遣うような優しい声を心に入れないように答える。
それを受け入れてしまったら、場所もかまわずここできっと泣き出してしまう。
「寂しくはなかったのか。」
どうしてこの人はそんなことを聞くのだろう。
「いいえ?この森はいつだって私に優しいもの。寂しくなんか、なかったわ」
その声は震えていなかっただろうか。
「・・・あれか?濃い紫の潰れた形の花、細い茎、肉厚の三つ葉の葉・・・言っていた特徴と一致するが。」
「ええ、そうね。念を押すけれど・・・絶対に剣は抜かないで頂戴?あの子は危険だけれど繊細な生き物。それに繁殖する機能はないから枯れたらおしまいなの」
「とても危険な植物には見えないな。普通の綺麗な植物に見える。・・・まあ少し大きすぎるが。」
美しい紫の花をつけた植物は、2m近いタイタンの背の倍近い大きさ。ほっそりとしたシルエットでありながら力強く空に伸びる姿は美しく、危険な植物だと知らなければ無用意に近づいてしまいそうだ。
「人を食う花なんだろう?もっとこう、作戦を立てるとかしたほうがいいんじゃないのか?」
「大丈夫よ。そんなに危険なら貴方を絶対連れてこないもの。まだ前回の栄養が切れる時期じゃないはずだわ。栄養切れしない限りは、たとえ敵でも襲わないように手を加えているの。まあ暴れられたら困るから栄養を撒く前に拘束はするし、そうしたら多少抵抗はするでしょうけど。ポーラは優しいから心配ないわ。」
「・・・ポーラ?」
タイタンの疑問に、ああ、とセレナは答える。
「あの花にお母様がつけた名前よ。私が生み出したのだから子供のようなものだって言ってね。・・・失敗作として生み出されて、危険すぎるからと生み出された役割を奪われて・・・それでもポーラは優しいの。なるべく他の命を奪わないように、苦しみながら頑張って本能を押さえ込んでくれて。だから万が一襲われても怪我はしないわ。」
まるで妹の話をするようにセレナは語る。ポーラは優しい、か。
望みもしないのに生まれ、好むわけでもないのに他の命を奪う役割を与えられ。
どんなに悲しい命だろう。それでもポーラが他の命に優しくあれるのは、きっと目の前のセレナが、セレナの母親が、命に対してどこまでも真摯であったからだろう。
「・・・でも本当にいいの?ここまで連れてきてしまって言うことじゃないけれど、素手は怖くないかしら?」
「下手は打たない。俺はどうやら荒事には慣れているようだから。危険だと思ったらすぐに身を引いてセレナさんに任せるし、そこまで出しゃばる気もない。・・・元々そのつもりだったようだし。」
セレナは礼を言い、タイタンに透明な液体の入った小瓶を差し出した。
「とりあえずは私が魔道で動きを封じるから、その隙にポーラの根元に栄養剤を散布して欲しいの。できるだけ満遍なくね。もし私が失敗したらすぐに逃げて頂戴。・・・お手伝い、本当に助かるわ。よろしくお願いするわね。」
そう言い、セレナはとことこと植物に近づいてゆく。瞬間。
「っ!?」
潰れた形の花が、大きく口を開いた。そう、特徴的な花の形は、人間の唇を模したものであったのだ。
ずずう!!と三つ葉がセレナに向かって伸びる。大きな厚い葉が、セレナに叩きつけられる。
「・・・おい!?」
思わずタイタンは剣に手をかけた。まさかもう失敗したのかと冷や汗が吹き出す。
しかし、セレナの小さな体が地面に叩きつけられることはなかった。
肉厚の葉はセレナの腹部に当たるギリギリで停止し、小さく痙攣している。
「・・・栄養切れ?でも、そんなはず・・・」
植物・・・ポーラを縛り付けていたのは、細い鎖。地面に楔を打たれた銀色の鎖が、ポーラの細長い体を大地に縛り付けていた。
ふー、と息を吐き出したその声は緊張に震えている。いつも通り立っているだけのように見えるが、その小さな体が、まさしく月光のように薄ぼんやりと光輝いていた。
「・・・今やる!」
「急いで、動き出したら厄介だわ。って、タイタン、速い・・・!」
タイタンの体が、恐ろしい速度でセレナの横を駆け抜けた。
あの巨体が、いったいどうやったらあんな速さで走るのだ。坂で手を離した台車よりもずっと早い!
「・・・ふ、っ!」
ドッ、と轟音が響き、タイタンの丸太のような足が大地を蹴る。
数メートルの距離をほとんど数歩で詰め、瞬時にタイタンはポーラの根元にたどり着いていた。
「あとは栄養剤・・・!」
「上をちゃんと見なさいお馬鹿!!」
セレナの焦った声に慌てて上空を見れば、ポーラの花弁が、まっすぐにタイタンを見ていた。
発声する機能はポーラには無い。しかしそれでもタイタンは確かに聞いた。
ポーラの歓喜の悲鳴。狩るべき獲物を見つけた歓喜の悲鳴。
1本、拘束の隙間から手を伸ばすように、三つ葉がタイタンの首を狙っていた。
「ーーーー!!!」
慌てて後方に飛び退く。爆発したかのような轟音が響き、先ほどタイタンが立っていた、かなり踏み固まった地面が、深く深く陥没していた。血の気が引く。
あんなものに当たったらひとたまりもない。聞いていた話では、もっと、こう、手加減してくれるのではなかっただろうか!?
「屈んで頂戴!」
飛んできたセレナの声に従い頭を下げれば、タイタンの頭があった場所を鎖が高速で飛んでいった。
巻き取られた三つ葉が上空遠くに離れて行くが、しかし近くに餌が来たことでポーラの抵抗はますます増す。1本、また1本と三つ葉が鎖から逃れ始める。
「タイタンを見た瞬間抵抗が増したわ。お母様に似て若い男が好きなのね、ポーラも」
「そんなわけがあるか!植物だぞ!?」
「冗談よ!いちいち突っ込んでいる暇は無いでしょう!?集中しなさいな!!」
「つまらん冗談を言う暇も無いだろう馬鹿!」
セレナの援護で何とかタイタンは三つ葉を回避しているが、状況は悪い。
援護に集中していては拘束が疎かになり、いずれは鎖が砕け散る。タイタンも回避のうちにポーラの根元からかなり離されていた。
「っ、駄目ね。こんなことになるなんて初めてだわ。どうしちゃったのポーラ・・・」
セレナの額からだらだら汗が流れていた。脳に過剰な負荷がかかっているのがわかる。自分の頭に冷却装置でも取り付けてやりたい気分だ。
拘束だけでも10本、タイタンの援護に5本。計15本の鎖を個別に動きを指示し続ける重労働。ポーラを殺さないように加減するのも難しい。セレナの集中が途切れるのも時間の問題だった。
「っ、後は撒くだけなのに・・・いや、セレナさん!鎖を俺の腰に巻きつけて後方に飛ばせ!できるだけ俺を振り回さないようにだ!何とかする!」
「な、何とかって・・・どうするつもりなの?」
「いいから早く!絶対失敗するな、上手くやれ!」
そんな横暴な。全くこの人はいつもそうだ!謙虚なように見せかけて、やることがいつも強引だし、治療の言うことは聞かないし、頑固で、大雑把で。支えるこっちの身になってほしい。
だけどこの人は、意外と人をよく見ていて、何かを指示をするときにそれが間違っていた試しがない。こういう局面で、一番信用できる男なのだ、悔しいことに!
「・・・信じるわよ!受身は自分で取りなさいな!」
セレナがタイタンを指差せば、空中に現れた鎖が命じられるままタイタンを目指して飛ぶ。
鎖は的確に腰に巻きついた。ここからが問題だ。セレナはなるべく慎重に指で鎖の軌道を引く。計算する。タイタンの体の重心、風、ポーラの攻撃の予測地点。熱い頭を必死に動かし、割り出した一番安全な軌道は、ここ。
セレナが右後方を指差す。ぴんと伸びたその指が指し示す方向へ、タイタンの巨体が思い切り飛んだ。
最初の衝撃はあったがすぐに姿勢は安定した。完璧だ。セレナは完璧に要求に応えた。これなら。
タイタンは背負った大剣を鞘から抜いた。
「ちょっと、本当に何をする気・・・!?」
「こうする!」
ポケットから出された小瓶が、空中に放り投げられる。中に浮いた小瓶が、横に大きく振られた剣の高さに並んだ瞬間。
「・・・はあああッ!!」
一閃。正確な太刀筋で叩き割られた小瓶が、栄養剤が、まっすぐにポーラの根元へと飛んでいった。
タイタンはベシャリ、と大地に栄養剤が染み込んだのをきっちり確認した。安心してため息をつくが、すぐにその視界が逆さまであることに気づく。
斬撃の衝撃は流石に計算していなかったらしい。青ざめるタイタンを尻目に鎖はびよんびよんとゴムのように撓み、長身の男を固く凍った雪に投げ出した!
「い、痛てーーーーッ!!!」
尻が大地に叩きつけられ、ヒリヒリと痛む。絶対に青痣になったし・・・先ほどの大回転のせいで目が回る。空中で2回ほど回転していた気がする。
立ち上がるのを諦め、くらくらしながら視線を遠方に向け・・・目に入った光景に冷や汗が出る。
どばんどばんと、地面を叩く轟音が響く。セレナが拘束を解いたのだろう。
鬱憤晴らしのように全力で暴れるポーラを見て、タイタンは思った。
セレナさんのお母様よ。いくら森を守るにしても、やりすぎではないのか。
「無事!?怪我はない!?」
逃げ出したセレナが駆け寄ってくる。疲弊しているが怪我はないようだ。
「尻が痛い・・・目が回る。少し座らせてくれ・・・」
「無茶するからよ。剣を振るなら先に伝えて頂戴?計算外のことをしたらああなるのは当たり前よ。」
水を差し出すセレナの目には非難が込められていた。タイタンは痛いところを突かれ思わず目をそらした。
「・・・し、仕方ないだろう、長々説明している暇なんかなかった。・・・あんたこそ、ポーラがあんなに暴れるならもっと強く言ってくれないか。戦場にサプライズなんて要らないだろう・・・」
「け、計算外だったのよ!なによ、いつもいつも計算外の無茶ばかり言って!!私が未来予知でもできると思っているの!?魔道は奇跡でもなんでもないのよ!」
今日はどう考えたってタイタンの方が悪いだろう!と、思わず声を荒げたのが不味かった。スイッチを踏まれたタイタンの額にピシリと青筋が走る。
「そういうことを言ってるんじゃないだろ!?あんたはいつも説明不足だと言っているんだ!今日だってピクニック気分で浮かれて、俺を驚かそうとか余計なことを考えやがって!!その時間があったらもっと情報共有が出来ただろうが!!」
「普段だったら平気なの!!後出しで人を責めるなんて狡いわよ!こっちだって文句は山ほどあるのよ!?病み上がりに走るなと言っても言うことを聞かないし、治療が痛いとねちねち文句を言うし!お皿を拭くのも雑だし靴の雪は落とさないし、貴方がいつも逆さまにしまう本を直しているのも私なのよ!?文句なんて言える立場だと思わないで頂戴!!」
「雑・・・ッ!?雑なのはあんただろ!?床で寝るのは百歩譲って許すにしても、玄関で寝るのはやめろ玄関は!!風呂上がりにタオル一枚で居間を歩き回るのもだ!!動物かあんたは!?女の子だからとこっちが気を使っていれば言いたい放題やりたい放題・・・!お姉さん扱いされたいなら大人の振る舞いを身につけろ馬鹿が!!」
「馬鹿!?馬鹿って言ったわね!?馬鹿って言った方が馬鹿なのよタイタンのお馬鹿ーーーッ!!!」
ポーラの暴れる轟音に負けない、馬鹿2人の怒声が森に響く。
どしんどしんと鳴り響く地響きが鳴り止んでも、2人の不毛な言い合いは止まらない。
ポーラの方がよっぽど賢いわね、という呆れた声が雲の上から聞こえた気がしたのは気のせいだったか。
「・・・やめましょう。疲れたわ。」
「・・・気が合うな。俺も馬鹿らしくなってきた。その、悪かった・・・言いすぎた。」
「私も・・・その、ごめんなさい・・・。色々言ったけど、今日は本当に助かったわ。普段はこんなに暴れないから。」
大声で怒鳴りあい、少ない体力をすり減らした2人は濡れるのもかまわず雪に座り込んだ。
ひんやりとした雪が熱くなった体を冷やしていく。白い息が暮れ始めた空に薄ぼんやりと溶け込んでいく。
「そういえば・・・計算外だと言っていたな。何か思い当たる節はないのか?」
タイタンとしては何気ない質問だったが、聞かれたセレナは気まずそうに言い淀む。思い当たること自体はあるようだ、遠慮するなといえば、もごもごと口を開いた。
「・・・だって、そもそもポーラはこの森の外部の人間を殺すための植物だもの。何も考えず連れてきた私が悪いのだけど・・・こんなことになるなんて聞いていなかったのよ。防衛機構としての役割は確かに失わせたはずだし・・・なによりあの優しいポーラがまさか本気で人間を殺しにかかるなんて・・・」
「ああ、そうか・・・俺が原因なのか?俺がこの森の住人ではないから過剰に反応したのか・・・すまないな。」
それはそうだ。タイタン自身はここに住んで随分長いと思っていたが、タイタンがここに住むことを認めたのはセレナだけだ。植物や動物から見たら、この森を荒らしにきた部外者と区別がつかないのだろう。
「何も知らないタイタンが謝ることじゃないわ。実はね、私も・・・お母様が作ったものの機能全てを把握できているわけじゃないの。お母様は突然亡くなったから、お母様から聞いていないことが沢山あって。・・・それなのに不用心だったわ。ごめんなさい。」
「強引に着いてきたのは俺だろう。これ以上はやめよう。・・・体は、平気か。」
あの風邪を引いたような不快感を思い出す。カッとなって言い合いになってしまったが、そもそもセレナはあれだけの大魔道を振り回したあとなのだ。
「ふふ、私を誰だと思っているの?・・・嘘よ、疲れたわ。ポーラを確認したら、帰って早く眠りたいわ・・・」
「もうとっくに沈静化している・・・だろう?だったら早く戻ろう。向こうは吹雪も酷いのだし・・・」
そうセレナを促し、立ち上がる。暗くなる前にと早足で歩き出したタイタンに、彼女は少し待って、と声を掛けた。
「挨拶しないとポーラが寂しがるの」
寂しがる、とはどういうことだろうか。首を傾げるタイタンを置いて、静かになったポーラの元へセレナは歩いてゆく。
落ち着いたポーラはただの美しい花だ。念のためタイタンは近寄らなかったが、セレナが優しく花弁に触れると、ポーラはよく懐いた動物のように、嬉しそうに、セレナに向かって花弁をもたげた。
「・・・貴方は嫌いかもしれないけれど、タイタンはいい人よ。・・・ああ、そうね。その・・・さっきは確かに怒鳴っていたけど、いつも私のお手伝いをしてくれる優しい人よ。その、喧嘩をしただけだから。もう仲直りしたの、大丈夫。ポーラは怒らなくて平気よ。」
・・・やっぱり近寄らなくて正解だった。先ほどの怒鳴り合いは当然丸聞こえだったらしい。
大好きなセレナを虐める悪人を懲らしめようと、気合十分に三つ葉を振り回すポーラをセレナが必死になだめているのが聞こえてくる。
「・・・ええ、ええ。悪かったわ、いろいろ忙しくて来るのが遅れてしまったの。貴方を忘れるわけないじゃない。・・・貴方が大好きよ、ポーラ。だから、どうか気に病まないで。」
数分ほど、楽しく会話をしていただろうか。
成る程。セレナはこの森は優しいと言っていたが・・・それは言葉通りの意味であったようだった。
美しい紫の花弁に頰を寄せる姿はまるでおとぎ話のよう。銀色の瞳がポーラの紫を写し、優しく煌めいていた。
彼女は文字どおり、この森に愛されているのだろう。ここが彼女の居場所なのだ。
「待たせてごめんなさい。戻りましょう・・・大丈夫?疲れているわよね。」
タイタンの胸には美しい光景への感動と、僅かなほの暗い気持ちが渦巻いていた。
自分はこの森の異物なのだ。タイタンが勝手にこの居場所に親しみを感じていようと、タイタンの居場所はもうここだけだと腹を決めていても。この森は未だタイタンを認めていない。
このおとぎ話のような美しい光景への横にタイタンが立つことは、未だ許されていない。
自分は世界の弾き者なのだという事実、記憶を失ったことによる孤独が、再びタイタンに襲いかかっていた。
「・・・風が冷たくなってきたな。早く家に戻ろう。暖炉に当たってゆっくりしたい。」
なにも知らないセレナはぼんやりとそう呟いたタイタンを心配そうに見ていた。
心配ない。俺は鍛えているから。その声はいつも通りに聞こえていただろうか?
首を振って心配を振り切り、タイタンは歩き出した。感傷に浸るのは家でもできる。急いで戻らないと、自宅の庭で遭難しかねないのだから。
案の定、転移装置の先・・・家の付近は降り続けた雪でますます悪路になっており、家に着いた途端セレナとタイタンは倒れこむように自室で眠りについてしまった。
翌朝、いや、もうとっくに昼を過ぎているが。
今日は久しぶりの晴天だ。
タイタンはいつも通り起床し、鍛錬を済ませ、食事を済ませていたが・・・セレナは太陽が天辺に登っても起きてこない。
流石に心配になる。魔道の負荷を身を以て知ったからこそ、嫌な想像が脳裏をよぎる。
体調を崩して起き上がれない、とかではないだろうな。
「・・・寝ている間は部屋に入るなと、きつく言われていたが。仕方ないだろう。」
セレナの部屋の前にタイタンは立つ。妙な緊張が背筋に走る。
一応ノックをするが返答はない。そこそこ長い時間ドアの前で迷ったあと、タイタンは静かにセレナの部屋のドアを開いた。
「・・・だから。目の前のベッドで眠ればいいのに、どうして床で毛布に丸まるんだ。それでは疲れが取れないだろう・・・」
あと数歩歩けば寝ごごちの良いベッドがあるのに。癖なのか、本当に気絶するように眠ってしまったのか。寝間着にも着替えていないようだから恐らく後者だろう。
セレナを抱き上げる。脱力した人間の体だというのに、セレナの体はひどく軽く感じた。
最近はしつこく言って、作業を切らせてでも食事を摂らせているが・・・まだまだ足りないようだ。もう少し太らせないと、とタイタンは静かに決意する。
腕の中のセレナはすよすよと規則正しい寝息を立てている。どうやら体調が悪いわけではなかったようだ。タイタンはひとまず安心して、セレナをベッドに横たえた。
「・・・しかしまあ、余計なことを言わなければ、本当に綺麗だなあんたは・・・。本当に同じ人間なのか?銀色の瞳も、真っ白な肌も、この髪の毛・・・も・・・」
俺と同じものとは思えないよ、と続けようとした時、強烈な違和感を覚える。
セレナの、その耳元。普段は深く巻いたストールや、ふわふわとした髪型で隠れていた耳元。
彼女は、耳に羽根飾りでもつけていただろうか。
おそるおそる、タイタンはセレナの髪を掻き分けた。そしてそこに見えたのは。
「・・・どういうことだ?」
本来耳があるべきその場所に、人間の耳はなかった。耳元から後頭部にかけて、白銀の、髪の色と同じ羽根がふわふわと生えている。
・・・疑問こそあったが、単純な好奇心で、タイタンは耳元の羽根に触れた。明らかに人間の部位としては異物であるその羽根だが、ふわふわとした羽根は触り心地が良さそうで、何より僅かに透き通ったその羽根は見たことがない美しさだったからだ。
普段セレナが他人には決して見せず、触れさせるなどもってのほかのその部位に、タイタンは無用意に、触れてしまった。
当然、セレナの目はばちりと開かれる。そして耳元に触れる手の感触、視界いっぱいに映るタイタンを視界に捉え・・・銀色の瞳は恐怖に見開かれた。
「見ないでーーーーッ!!!」
飛び起きたセレナの絶叫がタイタンの耳を劈き、そして真っ白に染まった視界と顔面に触れたもふり、という感触。
「・・・あ、」
絶望に満ちたセレナの声。ようやく思考が動き始めたタイタンが、目の前に突如現れた羽根の塊をゆっくりと搔きわける。
そして固い骨のような部位を顔の前から退かし、ぽろぽろと泣き出したセレナの顔を視界に捉え、その全身を視界に捉え・・・タイタンはようやく理解した。
謎の白い羽根の塊。それはセレナの背中から生えた、鳥のような真っ白な翼であった。