Chapter 40 - ことの全ては初めから
――誰一人生きては戻ってこなかったと言われちゃいるが、ありゃ嘘だ。
ルパで、輝石の島から戻ってきた人がいると教えてもらった。彼の名はフィノ。シェリックの旧友、リディオルに取りつけてもらった約束と、待ち合わせてからフィノが語ってくれた、輝石の島のことと。
話を聞いたあと、ラスターたちはフィノと別れたのだ。別れ間際のあの時、フィノはアルティナに戻る前に少しやらなければならないことがあると言っていて――では、今目の前にいる彼は。
「なんで、フィノが……それにその服、リディオルと同じ……」
どうして彼がいるのだ。この場所に。リディオルも着ていた、黒の外套を羽織って。
「何も不思議ではないでしょう。私も、アルティナに所属する人間の一人なのですから。それとも、私はリディオル殿とは違うと思われておりましたか?」
フィノの言葉にぐっと口をつぐむ。
彼の服装は、ルパで見たときとは違う。彼が羽織る外套も、外套についている留め具も、リディオルと同じもの。初めて見た時に格好いいと思った、銀の紋章。アルティナに属する証。
そうだ。情報を手に入れたのはラスターだったが、その人物と知り合いだったのは、彼と約束を取りつけたのは、どちらもリディオルだった。
そうして気づく。それらは全て偶然ではなく、必然だったことに。
「全部、初めから仕組まれてたんだね」
「そういうことです」
同じアルティナ出身だということは、彼らの間にも関わりがあったということだ。どうして初めに気づかなかったのだろう。どうしてそれが仕組まれたことだと気づかなかったのだろう。いつだって、後悔は先に立たない。あとになって悔やむことばかり。
穏やかに見えるし、物腰も柔らかいけれど、そんなフィノの外見にまどわされてはいけないようだ。
「ここは、輝石の島じゃなかったってコト?」
消えた屋敷と、いなくなった人たちと。作りものでしかなかったそれらがなくなってしまったのなら、この場所ですらもまがいものなのではないだろうか。たどり着いたと思っていたこの場所は、輝石の島ですらなかったのではないだろうか。
嘘で偽り。ラスターの目に映っていた全てが。
「――いいえ」
ところがフィノは、その問いには首を振ったのである。
「ここは確かに輝石の島です。あなたにお見せしたあの景色も、嘘ではありませんよ」
「景色って……砂浜?」
景色と言われて思い出すのは、高所から見たまばゆい光景だ。名も知らぬ男に案内され、言葉を失くして魅入った、あの。
「ええ」
何かを懐かしむように、フィノは目を細める。
「ここは私の故郷です。星命石の元となる輝源石の産地で、村はうるおい、当時は栄えたものでした。今はもう、石が取れるだけで他は何もない、寂しい場所となりましたが」
「どうして?」
星命石。それは一人ひとつ、この世に生を受けた時に授けられる石。
ならば、必要とする人は多いはずだ。余程のことがない限り、栄えていた場所が寂れてしまうなんて、そんな事態は起きないはずだけれど。
「色々、あったのですよ」
フィノは微笑んだだけで、何も語らない。そうして「さて」なんて口にし、仕切り直す。雑談はこれで終わりだとでも言うかのように。
「シェリック殿がいないのは都合がいいですね。ラスター殿、ものは相談ですが、私と取引をしませんか?」
「取引?」
何を言い出すのだろう。フィノは右手のひらを差し出してくる。
「はい。あなたをルパに戻して差し上げます。ああ、もちろん安全は保障しますよ。途中で海に落としたりなんてことはしませんから、ご安心ください」
「……それ、本当?」
「ええ。その代わりと言ってはなんですが、今後一切シェリック殿と関わらないで頂きます」
出された提案は、とてもじゃないが是、とは言えない内容だった。優しい声音でも有無を言わせない響きがあって、リディオルとはまた違った強迫を感じる。どの道、無理強いをさせようとする言動であることに違いはないけれど。
「理由を、教えて」
絞り出した声を、震えないようにするので精一杯だった。わざわざそんなことを言い出すのだから、それなりの理由もあるのだろう。
「あの方は大変危険視されている人物なのです。ともにいるのなら常に危険にさらされるからです。これは、あなたのためでもあるんですよ、ラスター殿」
そんな人には見えない。
ここに来る前だったら、そう言えただろう。言葉は乱雑だし、ラスターに対する扱いは適当だけど、いつだって気にかけてくれていた。シェリックは優しい人だ。例え最果ての牢屋に入っていた過去があったとしても、牢屋に入れられてしまうような、そんな様子は微塵《みじん》も見えなくて。
でも、ラスターは聞いてしまった。見てしまって、知ってしまった。
彼の名を。立場を、彼の周りにいる人々を。彼にしてしまったことと、言えないことと。
浮かんだあらゆることが頭の中でぐるぐるめぐる。ラスターはわからないながらも考えて、出した答えがあって、その先に気づいたことがひとつあった。
「――ねえフィノ、訊いてもいいかな」
「質問ならご自由にどうぞ」
息を吸う。顔を上げて、フィノの顔を真っ向から見据えて――それを問うた。
「どうしてシェリックを連れ戻したいの?」
思いがけないことだったようで、フィノが目を見張る。
「誰がそのようなことをおっしゃいました?」
「リディオルが」
「あの方は、余計なことを……」
「――ううん」
ラスターは首を振る。
「面と向かって言われてはいないよ。だけど、考えたらそうなんだ」
船上で突きつけられた選択。二択にひとつでしかないものだったけれど、単純に見えて本当は違ったのだ。
リディオルは言った。王宮に来るか、と。来ればシェリックには今後一切手を出さないし、薬もくれると。逆に来なければ船を沈めると。
だからラスターは思ったのだ。自分がアルティナに行けば、シェリックもついてくるからなのだと。それでラスターがアルティナに『誘われた』のだと。
「リディオルに、王宮に来ないかって言われたよ。あの時ボクがリディオルについていったら、シェリックは絶対に追いかけてくる。ボクが頷かなかったから、今こうして取引を持ちかけているんでしょう?」
船から降りたらその機会が失われてしまうから。
あのとき――リディオルと対峙して答えを告げたとき。ラスターは何か変だと感じたのだ。そうではない。ラスターの答えは、半分しか当たってないのではないかと。彼の思惑は、別のところにあったのではないかと。
「だって――人質としての価値は十分だから!」
ラスターでなければ駄目だったのだ。
シェリックは言っていた。互いのことには干渉しないと。自分の干渉で関わらせてしまった者は、シェリック自ら遠ざける傾向がある。そんなシェリックだからこそ、何でも解決しようとする。誰かが悩めば手を差し伸べる。自分のせいで苦しむ者がいれば、必ず助ける。
ラスターから見たシェリックは、そんな人だ。
だからラスターだった。今のシェリックが見て見ぬふりのできない人物。誰でも良かったけれど、今においてそこに当てはまるのは、ラスターしかいなかった。
「ボクは、シェリックを連れ戻すために選ばれた、体のいい人質。そうでしょ? だからその取引、ボクは受けないよ!」
受けてしまったが最後、シェリックはアルティナに戻されることになる。それは駄目だ。ラスターがシェリックの枷《かせ》になるわけにはいかない。何よりラスター自身が、シェリックの枷になりたくないのだ。
これ以上シェリックの重荷にならないように。迷惑をかけないように。
張った声音を落ち着けていると、フィノが笑ったのが見て取れた。
「――参りました。あなたのことを少々甘く見ていたようです。ずっと、シェリック殿に看破されやしないかとひやひやしていたのですが、まさかあなたに気づかれるとは」
「シェリックは――」
言いかけて口を閉ざす。
気づいていたのだろうか。このことに。
フィノに聞いたところで、答えなんてわかるわけがない。答えられるのはシェリックだけだろうし、何より本人がここにはいない。確かめる術すらないのだ。気づいていてもいなくても、ラスターはシェリックに助けてもらった。船で、海の中で、他にもたくさん。それだけは、変わりようのない事実だ。
鳴らされた指が、ラスターの意識を向けさせる。地面から、ぼこ、と聞き慣れない音がした。
盛り上がる塊を視界に入れ、ラスターは周りを見回す。地面からせりあがってくる土は、徐々に人に似た形を成していく。そうして土塊は、二本の手と二本の足のようなものがついた、何とも不格好な物体となった。
リディオルもそうして指を鳴らしていた。先の指はきっと合図で、これはフィノの仕業なのだろう。リディオルが操っていたのは風だった。では、フィノが操っているのは。
「土……」
「そのとおりです」
ぼこぼこと現れる。その数は、全部で四体だ。
「即興だとこんな風にしかならないんですよ。あそこまで人に似せたものを作るのは苦労したんですけどね。見破られたら壊れてしまうようにしたのは失敗でした」
フィノが残念そうにつぶやく。
やはりあれは作られたものだったのだ。土塊はラスターを取り囲むようにじりじりとにじり寄ってくる。ラスターは後ずさりしつつ、その向こうにいるフィノをにらみつけた。
「こういうの、脅しって言わない?」
「すいません。けれど、何が何でも同行して頂きます。悪く思わないでくださいね」
「嫌だって言ったら、どうするの?」
聞かれなくてもわかる問いを繰り出し、いつでも逃げられるように準備をする。
「もちろん、捕まえるまでです」
フィノの言葉を合図に、土塊はじりじりと間合いを詰めてきた。
それと時を同じくして、ラスターも後ろへと駆け出す。行き先は後方、海の方角だ。
――逃げないと。
あの中の一体にでも捕まったら終わってしまう。ちらりと後ろを確認すると、動きはそれほど速くはないようだ。幸いと言えば幸いだが遅いわけでもなく、距離を稼げはしない。
海が徐々に近づいてくる。土ならば、水に浸かれば形を保てないだろう。海まで逃げれば、あの土塊には勝てる。
問題はフィノだ。ラスターよりも年上の、それも男性となれば力ではまず敵わない。ならば、どうしたらいいのか。とにかく、海に着くまでに考えなければならない。こうしている間にも時間がなくなってしまうのだから。
ともあれ今は逃げて、時間を稼ぐのだ。土塊を何とかすれば、あとはフィノだけなのだから。人間相手だというのなら、まだ何か勝機はあるはず――
「――っ!?」
気づいて足を止めた時には遅かった。海まではもう少し。十数歩でも進めば着けるだろう。
「もうおしまいですか、ラスター殿?」
足を止めたラスターの後ろから、フィノが近づいてくる。知っているからこその余裕だろうか。
ラスターの目前には海があった。そして、その間には、断崖絶壁が。
唇をかみ締める。これ以上は進めない。思えば、初めから誘導されていたのだ。このためだけにこちらの方向をわざと空けていたに違いない。早く逃げないといけないのに。早く、早く――!
「逃げ場などありませんよ。ときには諦めることも肝心です」
「――っ」
フィノの言うとおりだ。もう逃げ場はない。
あせっているのはわかる。頭が十分に回っていないことも。
――それでも。
「あがいても無駄です。ラスター殿、これでおしまいにしませんか?」
「そう、だね……」
ラスターは後ろを向く。
約束をした。
「でも、無駄じゃないよ。おしまいにもならない」
――捕まるくらいならば。
こちらへと歩いてくるフィノに、ラスターは怖さを押し込めて笑って見せた。今できる、精一杯の笑顔で。
約束を、したのだ。
「だって、逃げられるところはまだあるじゃん」
無茶はしないと、シェリックと約束したのだ。
うまく笑えたかどうかわからない。見抜かれていたかもしれない。フィノに意図を察知される前に、ラスターは素早く振り返って走り出していた。
あれだけきれいな青だったのに。きらきらと輝いていて、輝石の島の由来を見せてもらったのに。今は黒く、何もかも飲み込んでしまいそうで怖い。走った先は海へと向かう道、その前を阻む崖へと。
約束をしたのに。
逃げるためだ。なんとしても、どんなことをしてでも、ここから逃げるため。逃げるべく、その崖から跳ぶために。
――シェリック、ごめん。
交わした約束を守れそうにないから。それでも、どうしても捕まりたくなかったから。
「! 待ちなさい、ラスター殿!」
狼狽し、上擦ったフィノの声を背に、ラスターは足に力を込めた。