翡翠の星屑

Chapter 13 - 出発の日は二日後に

季月 ハイネ2020/10/21 14:23
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 客船に乗るにはまずは手続きをしなくてはならない。

 二人と別れたリディオルは、とある建物を訪れる。そこには待ち合い用の椅子と細長い卓、ふたつだけの質素な家具があった。奥で気だるげに欠伸をしているこの店の主人と自分以外、他に人は誰もいない。


 すっかりこの店の常連となってしまった自分は、幸なのかあるいは不幸なのか。考えても仕方のないことを夜色の裾に換えて、蹴飛ばしながら闊歩かっぽする。いや、間違ってもやりたくて蹴飛ばしているわけではないのだけれども。

 歩く度に広がるこの裾はなんとかならないものだろうか。ただでさえ長いのに、靴にまとわりつきそうになって非常に歩き辛いのだ。

 店の主人はちらと視線を寄越すも、興味が失せたように欠伸を再開する。来訪に気づいていながら無視をするとは何事か。たどり着いた受付の卓へと無遠慮に肘を置き、その先にいる人店主に声をかけた。


「よぉ。相変わらず陰気くさい店だな。繁盛する日は来るのか? なんなら俺の顔見知りを呼んできてやろうか?」


「そういうのを大きなお世話と言うのだ。この若造め」


 顔を上げたのは、厳めしい面をした白髪混じりの男性だ。

 部屋が薄暗いので、密会するのに最適な場所であると言ったのは誰だったろう。それとも自分が言ったのだったか。覚えがないので、いずれにせよたいしたことではない。


「じいさん、若造はないだろう。若造は。あんたよりは十分若いつもりだが、これでも数年前には成人した身なんだぜ?」


 大仰に肩をすくめる。仰いだ天井から薄暗い灯りが見下ろしていた。


「それもそうだな。ではお主は童顔だ」


「はいはい、口の減らないじいさんで。しぶとさが年齢によく出てるわ」


「それこそお互い様だ。まったく、今更何を言うておる。そこの童顔の若造よ」


「……そもそも俺は童顔じゃねぇよ」


 ほっほっほっ、と明るく笑う。険しかった彼の面構えがいくらか柔らかくなるも、こちらをおちょくろうとする態度に変わりはない。リディオルはこれ見よがしにため息を吐いた。


「して、リディオルよ。何用で参った?」


 口元に笑みはたたえたまま、彼はそう聞いてくる。


「加えて人も悪いときた。わかっててわざわざ訊くのか? ここに来たらやることはひとつしかねぇだろう?」


 回りくどいことはやってられないので、単刀直入に尋ねる。


「必ずしも前と同じ用件とは限らんじゃろう? 昨日酒場に酒を飲みに行った人間が今日も同じ酒場に行って、同じ酒を頼むとは限らんようにな」


「また妙な例を使うな。納得せざるをえん」


 頭を抱えてうめく。本当にこの人は――話していて飽きないけれど、相手をするのは面倒くさい。


「ほっほっほっ。人生経験が足りんのう。ほれ、早よ出さんかい」


「はいよっ、と」


 懐の中から取り出したのは、青い背景に剣と銀竜が描かれた一枚のカードだった。それともうひとつ、右の中指から外した指輪である。リディオルから受け取ったカードをしげしげと眺め、裏も返して確かめている。そうしたあとで指輪も手に取り、同じように確認を取る。


「ふむ。確かに。行き先は王国でいいんじゃな?」


 ひと通り調べたところで彼は尋ねてきた。


「そうだ。アルティナまで頼む」


 乗客名簿と書かれた冊子によどみなく書き込んでいく。それが終わってから、カードと指輪をリディオルに返した。


「ほれ。今回の出航は明後日のネボの日だ。海神が荒れやすい日なのはお前さんも知っていよう? 心しておけ」


「そりゃありがたい忠告なこった――ところでじいさん。ひとつ頼まれちゃくれねぇかい?」


 返された指輪をまた元の指にはめて、今度は両腕を卓上に乗せる。内緒話でもするように、少しばかり声を潜めて。


「聞くだけ聞いてやろうかの。ほれ、言ってみい」


「こいつでもう二人ばかし乗せてやる、なんてことは可能か?」


 すると、男は目をすがめた。


「ほう。そりゃまたどうして?」


「俺の旧友が王国に行くんだ。ちょいとわけありでね。で、昔恩を受けた分をここいらで返してやろうかと思ってだな。できるかい?」


 実際に向かう場所は王国ではないのだけれど、そんなことを言えるはずもない。どのみち向かう方角は同じだ。それに、いずれにせよ王国にも行くだろうし。


「そういうのは職権濫用と言わんか?」


 男は向かいから乗り出していた身を起こす。そうして腕を組み、深々とため息を吐いた。


「名目はあくまでも恩返しだ。これ以後は二度とやらないと約束する」


「一度でもごめんだがな。まぁいい。お主の頼みごとなんぞ、滅多に聞けるものではないからのう。貸しひとつじゃな」


「高くつきそうだな、それ。けど、さすがじいさんだ。ありがとう」


 リディオルがそう言うと、彼は先刻の冊子をもう一度開けながら目を見開いた。


「まさか、お主から素直に礼を言われるとはのう……」


「たまには受け取っておくんな」


「気持ち悪いの。明日と明後日は悪天候じゃな」


「はっはっは、減らず口ばっか叩くじいさんだ」


 こんな会話も慣れたものだ。手続きされていく様を眺めておく。


「それで、その二人の名は?」


 顔も上げずにそう問われた。どうせ自分の身分は告げているのだ。二人の名は正確なものでなくてもいいだろう。


「シェリックとラスター」


「ほいほい、これでよしと。乗船前に、その二人にも身分証の提示を頼んでおいてくれの」


 それもそうだ。リディオルは先ほど見せたものの、現時点で二人に関しては身分証がここにないのだから。


「あいよ。助かる」


「なんのなんの」


「それじゃ。また来るぜ、じいさん」


「うむ。達者でな」


 お互いにあっさりと別れを告げ、手続きはひと段落ついたのだった。



  **



 リディオルが二人の元に朗報を持ってきたのは、その日の夜遅くのことだった。


「どうにか取りつけた。出発は明後日だそうだ」


 シェリックが招き入れていた部屋の中、備えつけてあった椅子を勧めると、彼は開口一番にそう告げたのだ。ラスターが見た四回目も、以前と変わらない黒い外套を羽織っていた。

 昼間に話した際はあきれられたけど、やはりリディオルの代名詞は『黒い服の人』でいいのかもしれない。ここまで来たら、きっと五回目に会う時も同じ格好で現れるだろうから。


 とはいえ。シェリックはその黒服を『制服みたいなものだ』と称していたが、常用されるほどだから使い勝手はいいのだろう。どこで買ったものだろうか。先日上着を購入したばかりではあるが、気になってしまう。丈夫でかつ使いやすい服にはなかなかめぐり会えないのだ。


「明後日か」


「そうだぜ。あー、疲れた。あのじいさん相手だと毎回疲れる疲れる――しっかし、お前らいい部屋に泊まってんなー。羨ましい限りだ」


「お前が言うか」


「俺だから言うんじゃねぇか。あんな堅っ苦しい部屋は苦手なんだよ」


「ああ、逃げてきたのか」


「語弊がありすぎんだろそれ」


 げんなりしたリディオルを見ながら、シェリックは楽しそうに笑っていて。


「ここもそれなりにいい値段したんじゃねぇか?」


 組んだ手の上に顎を乗せながら、リディオルはぼやいている。さて、今の質問の答えをシェリックは知らないだろう。宿を取ったのはラスターなのだから。


「でも格安だったよ。他の町より全然安かったし」


「へぇ。そりゃ何よりだ」


 椅子に座っているリディオル――もとい、椅子の背もたれを前にして行儀悪く座るリディオルは、大きな欠伸をひとつ漏らした。気だるい姿勢と眠たげな目蓋の様子から、本当に疲れていそうだ。


「寝るなら宿に戻れよ」


「はいよっと」


 つられて欠伸をしそうになり、ラスターは慌てて唇をかんで耐えた。いつもならそろそろ寝る時間なのだ。寝台に腰かけているから、余計に誘惑が強くなっている。横になりたい思いはあるけれど、話を聞いていたい気持ちもある。


「遠いんだよな、あそこ」


「文句はアルティナに言ったらどうだ」


「へいへい。半ば嫌がらせみたいなもんだから、ありがたく受け取っておくとするよ」


 欠伸混じりにそんなことをつぶやくリディオルは、なんだかおかしな人だ。礼を言っているはずなのに、感謝が伝わっている様子はあまりないのだ。


「それにしても、出航の日って意外に早いんだね。もっと時間かかるかと思ってた」


「当日の天候にもよると思ったが……ま、現時点での状況では船を出せるみたいだな。大丈夫だろ」


「ふうん?」


 そんな適当な決め方でいいのだろうか。言ったところで決めるのはラスターではないから、どうすることもできないのだけれど。


「当日までわからないんじゃな――ふわ、あ……」


 今度こそ欠伸が漏れ、目を閉じなら口元を手で覆った。それを二人に凝視されていたと知ったのは口を閉じてからで、彼らの無言の視線にたじろぐ。


「……そんなに見られても」


 穴は空かないし、出てくるものなどありはしない。だから期待に添えるようなことは何もないというのに。


「ま、そろそろいい時間だな」


「嬢ちゃんも眠そうだし、お暇しますかね」


 素知らぬふりをしたシェリックに次いで、立ち上がったリディオルにもそう言われては、少々申し訳なくなってくる。二人の行動の発端は、どう考えてもラスターだ。


「……ごめん」


 まだ子どもで――彼らの横に並ぶには、身長も年齢も、経験ですら足りなくて。仕方ないと言えばそれまでだ。


「お前のせいじゃない。こいつが遅くに来たのが悪いんだ」


「まぁ……そう、だな」


 責任の一端どころかすべてを押しつけられ、リディオルは苦笑いをこぼす。


「出発までは一日あるが、おまえらはどうするんだ?」


「適当に過ごすさ。たまにはのんびりするのも悪くない。――見ていないところだってあるだろ?」


 後半はラスターに向けられたものだ。逡巡《しゅんじゅん》してから、ラスターは思いついたことを指折り挙げていく。


「うん。海沿いで掘り出し物市やってたよね? あそこも行きたいし、材料も買っておきたいし、それに市場だって回りきれてないし」


 そうして数えてみればまだまだ行きたいところがある。ルパから出る前に、全て周りきりたいけれど――


「――あれ」


 ふと入った視界の中。見覚えのある模様がよぎった気がした。ラスターは寝台から飛び降り、それを確かめに行く。


「嬢ちゃん?」


 リディオルのすぐ前で立ち止まり、彼の外套をじっと見やった。ちょうど胸の位置、外套を留めているのは銀の飾りである。それをしげしげと眺め、今度はリディオルを見上げた。


「ねえ。これって、もしかしてアルティナの紋章?」


「お、嬢ちゃん目がいいな。目立たないから意外と気づかれにくいんだよな、これ」


 銀一色。描かれているのは竜と剣。リディオルが持っていた、あのカードに描かれている絵柄と同じだ。


「アルティナに属している者の証、とでも言っておこうかね。どうだ、これも格好いいだろう?」


「うん。つけてるだけで、なんか偉そうに見えるね」


「……偉そうって、お前な」


 単純にそう思っただけで、他意はない。半眼になったシェリックとは反対に、リディオルは茶目っ気たっぷりに笑った。


「ほれほれ、もっと崇めてもいいんだぜ?」


「えー……」


 不意に近くまでやってきたシェリックに腕を取られる。突然どうしたのだろうと、引かれるままについていくと――


「ほら、お子様はとっとと寝た」


 最後は背中を押されて、ラスターを元座っていた寝台に追いやったのである。


「えー、横暴」


「どこがだ。そのうち目が冴えて眠れなくなるぞ。明日欠伸しながら回りたいっていうなら話は別だけどな」


「……はーい、わかった」


 反論したのはいいけれど、眠いのも確かなのである。今も気を抜くとまた欠伸が出てきそうになる。


「ちゃんと寝ておけよ。じゃあな、嬢ちゃん」


「うん。それじゃあ」


「お前もな」


「俺はついでか」


 笑いながら出て行くリディオルの声を聞きながら、ラスターは大人しく寝台に潜り込んだ。今日を楽しみ過ぎると、明日の楽しみがなくなってしまう。それはいけない。


「おやすみ」


 布団から少しだけ顔を出してシェリックに言うと、こちらを見て微笑んだのが見えた。


「ああ、おやすみ」


 その言葉を聞いて、目を閉じて、明日を待ちわびて――そうして夜は更けていったのである。