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不思議の国、ジャパン(17) (パウロ・ボケ)

不思議の国、ジャパン(17) (パウロ・ボケ) 私は山形県の天童市で宣教師をしている時に日本語を身に付けました。東北出身のオフコースがとても好きで、今もよく聞いています。小田さんのハイトーンは唯一無二ですね。 ユーミンも好きです。ユーミンがデビューの頃にレコード関係者から言われたことが記事にありました。 業界関係者からの「売れない予言」も何度となく聞かされたという。 「『 君は絶対売れない 。哀愁の哀の字がないから』とか。演歌的な湿り気のことを指していたんじゃないかな。今思えばむしろ哀の塊みたいな音楽だったと思うけど、まだ子どもだったし、売れる、売れないということもピンときていなかったから、ぽかんと聞いていた」 私はこの記事を読んだ時に、小さい頃好きだった(今も好きですが)ビートルズの逸話を思い出しました。以下のような話です。 デッカ・レコードでオーディションを受けた ザ・ビートルズを「不採用にした男」 の悪名を墓場まで背負っていったのは、同社プロデューサーのディック・ロウだ。実際のところ、ビートルズの代わりにブライアン・プール&ザ・トレメローズを契約しようと決めたのは、彼の部下だった

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ホンマにアホやなぁ!(17)

ホンマにアホやなぁ!(17) 第三章、数学講師になるまで 数学に対する執着は残っていた。 最初に 「ボクは数学が苦手なのだろうか?」 と疑問を持ち始めたのは、四日市高校の2年生の頃。1970年代の四日市高校は男子の割合が大きく、男子クラスがあり私は男子クラスに在籍していた。 当時、男子は理系に進むのが大多数だった。その中にあって、テストの度に数学が壊滅的な点数になっていた。全国の模試なら、そこそこでも四日市高校の男子クラスではどうしても周囲の子と点数を比較してしまう。平均点と比べてしまう。 点数だけでもない。三角関数、対数、微積分と進むにつれて 「もうボクの頭には入りきれない」 と友人にぼやいていたのを思い出す。物理で13点を取り、 「こんなのありえない!」 とショックを受けて、クシャクシャにして捨ててしまった。私は数学の公式を使う場合に、 「証明できないと、使う気になれない」 というタイプだった。今思うと、それでは前に進めない。結局、自分が何をやっているのか分からなくなり気持ちが混乱し始めた。そして、1974年の大学受験の5日前を迎えた。 Chapter 3, Becoming a

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