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京都大学受験生の指導専門=“英語講師”ときどき“数学講師”ができるまで=

京都大学受験生の指導専門=“英語講師”ときどき“数学講師”ができるまで= 第一章、 英語講師になるまで 私の亡き父はウザかった。高校入試の合格発表についてきたし、就職したら2時間以上かけて勤務していた塾まで挨拶にきた。 高校2年生の時までは、理系に進むつもりだった。ロボットを作りたかった。しかし、四日市高校は当時男子の割合が高くて男子クラスがあり、私はその男子クラスに放り込まれた。 今もその傾向があるが、当時も男子生徒は理系が多くて私はその中で理系に行くのが当然だと思って勉強していたが、数学の勉強を始めるとめまいがするような感じがし始めた。 それは、公式の成り立ちを納得していないのに無理やり使わされることに生理的な拒否感が生まれたらしい。模試の結果によると、文系なら難関国立大に合格できるけれど、理系だとそこまではムリという結果。泣く泣く「教育学部」に進むことになった。 生きていくには英語講師になるしか選択の余地はなかった。しかし、その英語でも真摯に向き合うと問題だらけだった。 最初に 「何かおかしいぞ」 と気づいたのは、1982年にアメリカのユタ州ローガン中学校で社会の授業をしている時

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父親は一筋縄ではいかない(5章、英語講師なのに数学Ⅲの勉強を始めた)

5章,英語講師なのに数学Ⅲの勉強をはじめた ところが、自分で塾を始めると 「明日は理科なのに、英語の授業ですか?」 と生徒から文句が出始めた。それで、英語、数学についで、理科、社会、国語の指導もせざるをえなくなった。 そのうち優秀な子が来ると、高田、東海、灘、ラサールなどの難関高校の数学の過去問にも手を出さざるを得なくなった。そして、ある日気がついた。 そういう優秀な子は 「高校に入っても指導をお願いできませんか?」 とリクエストが入り始めた。最初は、英語だけという約束だったのに中学生と同じで数学の質問も入り始めた。 それで、考えた。 「灘高の入試問題の数学が解ける私なら高校数学も大丈夫かな?」 と考えた。 「高校クラスも作りたいし、試してみる価値はあるかな」 と思って、近所の本屋さんに行って高校数学の参考書・問題集の棚を見た。なつかしい「オリジナル」が目に入った。四日市高校の悪夢が蘇った。 それで、恐る恐る手にとって中身をのぞいて見た。ひっくり返ってから25年以上が過ぎていた。まだトラウマがあり、手が震えた(笑)。しかし、驚いたことに、25年前の記憶が残っておりどんどん解けた。

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「教育学」は「医学」や「数学」のように信用できません

「教育学」は「医学」や「数学」のようには信用できません。 自分の娘が「治験に参加してよいか?」と尋ねてきたことがあった。よほどお金に困っているのだろうと推測した。それで、お金は送るから治験は止めた方がいいと言っておいた。新しい薬というのは何かの副作用が出たら困るからだ。製薬会社がお金を払うのは、少しでも副作用があった場合に備えているとしか思えないからだ。 命に関わる医学界は薬効があっても副作用が出たら人命に関わるかもしれないから慎重だ。後で訴えられるリスクもある。 翻って、私の生きている受験業界ーあるいは教育業界の現状はどうだろうか?一言でいうと「カオス」だ。悪く言うと「詐欺」まがいだ。医学界なら新しい術式が考案されたら、何度も安全性を確認して症例を積み重ねてゆく。 ところが、受験業界はどうだろう?ある塾は「コンシェルジュが相談に乗り、ハイブリッド授業を行い、AIが評価」という文句がチラシに書いてある。コンシェルジュは何をするのが職務なのだろう?ハイブリッド授業の中身の効果は?AIがどのような基準で何を評価するのだろう? もちろん、そのような塾は集客のために意味の分からないハヤリの文句

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イナベより愛をこめて(21)数学は演繹、英語は帰納

イナベより愛をこめて(21)数学は演繹。英語は帰納。 「学問」の名に値するのは数学と哲学だけ。物理や化学は現物を研究対象にしているけど、原子が何物かさえ分かっていない。生物も生き物の定義さえ曖昧。それに比べて、数学や哲学は論理構成のみで美しい。 受験指導をしているので、よく「良い参考書を推薦して下さい」と尋ねられる。数学は簡単。「チャート式」。永遠の定番。しかし、英語は優れた参考書が存在しない。定番が無い。なぜか?それは、数学の勉強は演繹。英語の勉強は帰納だから。 数学は微分が何か理解したら、あとは論理のみ。英語は関係詞を理解しても、英語が使えるようにはならない。極論すれば、関係詞など理解していなくてもたくさん読み、英語圏の人と話していればそのうち英語は身に着く。 織田信長も坂物竜馬も学校に通っていない。 「学校という制度は本当に必要なのだろうか?」 受験指導をしていると、たまに考える。もちろん、学校が合っている生徒もいる。しかし、いわゆる“落ちこぼれ”と“浮きこぼれ”の子には「百害あって一利なし」だよ。 だから、登校拒否が増え続け、ブラック部活、ブラック校則と批判が絶えない。私の教え

イナベより愛をこめて(21)数学は演繹、英語は帰納