
うちの施設には花見がある。といっても散歩の延長の様なもので、川べりの桜並木を歩く。日程は特に決まっておらず、桜が綺麗で職員と子供がある程度いる日。何日かやる年もある。バタバタとする時期だが、なんとなく続いてきた風習だった。
施設職員として五年、サービス管理責任者として四年、施設長となってから三年。出世したわけではない。上が抜け続けて仕方なく就いただけだった。とはいえ周囲には恵まれた。保護者や市、法整備にも振り回される中で、なんとか子供に向き合う時間を作れている。桜の花見は開設当初から、施設長が仕切る習わしだった。
今日は職員三人に子供が十人。それ程道は広くないから、一列になったり二列になったりして川べりを歩く。途中、橋を渡って反対側の川べりを歩いて施設に戻る。シートを広げるようなスペースはないから、宴会騒ぎをするような花見客はいない。子供たちを酒や煙草に近づけたくないから、調度いいコースだった。
去年、困難ケースを引き受けた。田中光希。クラスメイトを千枚通しで刺した。保護観察処分となり、親が養育を拒否した為に一時保護委託で施設にやってきた。今は中学三年生になる。事件までは欠席しながらも登校していたようだが、今では完全な不登校になっている。職員の目を盗んでは施設を抜け出し、街へ繰り出す。警察に保護されてパトカーで帰って来ることもあった。施設では食事を取らず、金銭はどうやら実親が工面しているようだった。面倒は見られないが小金は出す。たまにあるケース。だがこれは子供を助長させるきっかけになる。彼は施設のどの子供よりも裕福だし、身に着けているものは派手で、煙草や酒も易々と手に入れる。彼はどの子供とも関わらなかったが、いつもボスの様な態度で振る舞っていた。
花見をしながら彼のことを考えたのは、ひとつの企みを思いついたからだった。彼は施設の誰ともまともに話そうとしない。しかし、自分とはある程度話をするのであった。
施設内の喫煙所でマルボロを吸っていると光希がやってきた。
「おぅ」
「おぅ」
光希はラッキーストライク。煙草がみるみると短くなっていく。
「おっさん仕事はよ」
時刻は十四時を回っていた。光希は起きたところだろう。
「今やっと昼休み」
「ふーん」
光希はそう言って早くも二本目に火を点けた。
理事会には内緒にしているが、光希にはこの喫煙所でだけ喫煙を許している。入所した頃は施設内のどこでも煙草を吸っていた。それでは他の子供に影響が大きいし、火災の心配もある。ならば、と出した条件だった。この喫煙所で煙草を吸う限りは、職員は注意をしない。健康面は気になるが、喫煙所という接点を作ってもいいと思った。この施設内で喫煙者は自分だけだ。否応なくできる二人の時間。言葉を交わすようになるまで時間はかからなかった。
「光希は花見はせんのか」
「どうだろ、連れ次第」
「今から歩くか。川沿いは綺麗だぞ」
光希が煙草を灰皿に突っ込む。
「行くわけねぇだろ。馬鹿か」
予想通りの反応だった。
「実はそろそろ禁煙しようかと思っててなぁ」
「はぁ?」
「いい機会だから、敷地内禁煙にしようかと思ってる。中学生の煙草を許してるってのも、やっぱり変だしなぁ」
光希はこちらの意図を察したらしい。
「汚ねぇなぁ。花見に行けばいいってことかよ」
「そうは言ってない」
光希は特別扱いされるのが好きだ。喫煙所もそう。自分のために用意された提案には大抵乗ってくる。
「桜、嫌いなんだよなぁ」
光希は散った花びらを踏みながら歩いていた。
「理由は?」
「なんか、騒ぎ過ぎじゃね?しかも桜だけ」
「そうかもな」
ささやかな花見で光希とした会話はこれだけだった。
喫煙所はせり出した屋根の影にある。真夏はさすがにつらいが、初夏くらいなら煙草を吸うことくらいはできた。
「扇風機くらい置けよ」
「ここにはコンセントがない」
光希が壁を見る。「ホントだ」という表情をした。
「桜でも見に行くか」
「は?もう夏だろ」
「夏でも桜はあるぞ」
ここでわざと沈黙を作った。
「はいはい、行けばいいんだろ」
「あっつ。正気かよ」
「正気だよ。ほら、桜あるだろ」
「葉っぱだけじゃねぇか」
「木と枝がないと葉っぱはないぞ」
光希が立ち止まる。
「なに?たとえ話?」
何かを警戒するような視線が飛んできた。
「いや、見たままを言っただけ」
光希は「そうかよ」と言ってまたゆっくり歩きだした。その足が舗装から飛び出た根っこを踏む。
「まだ誰とも話してないのか」
「あいつらうるさい」
「何か言われるのか?」
二人とも自然と下を向いた。
「あいつら、変われ変われってうるさいんだよ」
心の中で首を傾げる。
「それ、ウチの職員も言うか?」
「あ?言うけど。なんで?」
「そういうことは言うなって言ってあるんだけどな。性格なんて無理には変わらんからな」
「ふーん。でも言ってるよ、あいつら」
目の前の根っこを跨ぐ。
「なら職員にはオレから注意しておく。オレは変われとは言わない。これはこの施設ができたときからの決まりだ」
「へー」
(性格は無理に変えるべきものじゃない。それはどんな問題を起こした子供でも一緒)
前施設長の言葉が蘇った。かなり経ってから気づいたが、問題児という表現を使わない人だった。問題児ではなく問題を起こした子供。その違いが、今となってなんとなく分かる。
「つかむしろ大丈夫なの?オレ、また刺すよ」
光希が試すような目を向けてくる。
「成長すれば人は変わる。それはむしろ止められん」
これも前施設長の言葉だった。光希はそれから口を開かなかった。
「桜でも見に行くか」
季節は秋になっていた。光希は黙ってついてきた。
「何かあったか?」
「別に」
あったのだろうな、と思う。恐らく親が金を出さなくなったのだ。出していたとしても少なくなったのだろう。光希はたまに施設で食事を摂るようになったし、夜遊びも減った。相変わらずせっかちに煙草を吸うが、本数も減ったように思う。養育を拒否した親、金銭援助はする親。光希にとっては、手持ちの金を失ったことは、カネ以上に堪えるものがあるのだろう。
「オレ、高校行かなあかんの?」
視線を落としたまま光希が訊いてきた。
「義務教育じゃないから、行かなきゃいけないわけじゃない」
「でも、施設出されるんだろ?」
そういう決まりはない。しかし、高校に進学できなかった子供は施設を出るのが通例だった。
「そうだな。いろんな道があるが」
「ふーん」
実際問題、近くに光希が行けるレベルの高校はなかった。
「灰皿どかすなら、別にいいよ」
「そうか」
様々な動揺が伝わってくる。自分の感情の正体が分からないのかもしれない。名前を付けることができない感情を持つのは苦しい。だからこそ光希は刺したのだろうし、今も灰皿の話なんかするのだろう。
「あっ」
桜の根っこにつまづいた光希が幹に身体をぶつけた。
「……って」
そのまま桜を蹴り飛ばす。その光景がなんだか微笑ましかった。
「気持ち悪い顔してんじゃねぇよ」
重苦しくなる一歩手前といった沈黙の中、光希はつかず離れずついてきた。
かしゃり……。
光希が止まった気配を察して振り向く。その靴が落ち葉を踏み抜いていた。
「どうした」
「別に……」
光希は不思議そうに地面を見つめていた。
「何かあったか?」
光希がこちらに向かって歩いてくる。
(秋にも桜はあるんだな)
そう聞こえた気がした。
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