
毎年1月1日頃から1月5日頃に出現が見られ、1月4日頃に鋭い出現のピークを迎える。日本では1月4日の明け方近くに最も多く見られることが多い。ピークの前後1時間から4時間程度の短時間しか激しい活動が続かないため、ピークが昼間に当たった年はあまり多くの流星を見ることができない。
極大時には1時間あたり20個から40個程度の出現が見られ、活発な年には1時間に60個もの出現が見られることもある。ペルセウス座流星群、ふたご座流星群と並び、年間三大流星群の1つに数えられる。
放射点が北天にあるため、この流星群の観測は事実上北半球に限られる。またヨーロッパの冬の晴天率が低いのに対し、日本の太平洋側はこの頃天候に恵まれ、日本での観測に適した流星群である。
Wikipediaより引用
■0-90度
自分は社会の歯車のひとつ。しかしその前に、人生は歯車の連なり。
たったひとつの歯車の狂いだけで、人生の全てが崩れていく。自分の場合は、それが失恋だった。付き合って四年の彼女に振られる。どこにでもあるエピソード。しかしそこから生活は破綻していった。仕事中も彼女の事が頭から離れない。今どこにいるのか、何をしているのか。それが気になって、彼女のSNSに片っ端からアクセスをする。ある時は仕事中の携帯使用を咎められ、ある時には社内パソコンの私的利用で訓戒処分を受けた。
仕事にもミスがでた。現場に派遣する人数のミス、給与計算のミス、備品納入のミス。しかしそれらも、後から考えれば些細なミスだった。
ビルの建築現場に労働者をひとり送った。なんでもない仕事。しかし、派遣したのは高所作業が初めての新人だった。新人は二人以上で組ませるのがセオリー。危険な現場なら尚更の事だった。
結果として、高所からの落下事故が起き、それは死亡事故となった。原因は安全帯の装着ミス。
新人とはいえ自分よりも歳上だった。現場でも年下の人間の方が多かったに違いない。使ったことも無い安全帯。しかし彼に使い方を教えようとする者はいなかったろうし、彼としても、誰にも訊けないままに足場を登って行ったのだろう。
「ご安全に」
そう声をかけたのが、彼との会話の最後になった。とはいえ、事故の一報を受けて誰を派遣したのか社長に訊かれても、書類を底まで漁らなければ彼の名前は分からなかった。
遺族は、悲しみに沈んでいた。リストラされて再就職先が見つからず、日雇労働者の道を選んだということだった。この会社にはそういう人間が多い。謝罪として頭を下げたが、遺族の目は焦点が合っていなかったし、もちろん自分のことも見ていなかった。
いっそ罵倒され、土下座させられ、蹴られでもした方が良かったのかもしれない。しかしお通夜にも葬式にも出席する事は許されたし、彼の妻は最後に、
「ご迷惑をおかけしました」
と言った。私はこの事件の責任を取らされる形で解雇された。
とうに潰しの効かない歳。解雇された者に世間は冷たい。一年かけて就職先を探したが、定職に就くことは出来なかった。自分に残された道を思った時、人生の皮肉さを感じた。
日雇労働者。
私は安全帯とヘルメットを着け、毎日毎日、コンクリート混じりの埃と鉄屑にまみれる生活を送ることになった。初めて入った現場でペアを組んだ先輩は、安全帯の使い方を丁寧に教えてくれた。
「事故だけはすんなよ」
見上げると、
『無事故40日達成!』
と書かれた看板が目に入った。彼が死んで現場に足を運んだ時にも同じものを見た。あの看板はあの日、ゼロにリセットされたのだろう。
■90-180度
息子が取り返しのつかないミスを犯し、転職に失敗したことで、家の空気も変わった。父と母は昔からあまり口数の多い方ではなかったが、明らかに沈黙が増えていった。会話は少なくとも、落ち着いていて居心地の良かった家は、常に無言の喧嘩が飛び交う茨の空間になった。
そんな中、母が転倒した。原因は踏みつけたガラス片。その破片は、私が派遣先で罵倒され、晩酌の際に握り潰したグラスだった。片付け損ねた一片の欠片が、家の空気を更に暗くした。
父と二人での生活は、苦しかった。言葉を交わすことはほとんどないが、父は明らかに苛立っていた。家事を一手に担っていた母。その母が入院することになって、父と自分で家事を分担することになった。二人とも家事などやったことも無い。二人とも働いている身。しかも帰りの時間はいつもまちまち。ゴミを出し忘れたり、着ていく服がなくなったり、虫が湧いたりする度に、父との仲は静かに険悪になっていった。
これ以上の地獄はない。そんなことを考えていたが甘かった。
母の退院を目前にしていたある日、父の運転する車が、小学生をはねた。左折時に横断歩道上にいた女児を見落とし、横から衝突した。
幸い命に別状はなかったが、女児は顔に怪我をし、その子の父母は、あらん限りの剣幕で父を罵倒した。
前方不注意による事故だが、怪我も大きくなく、警察や救急へも自ら速やかに通報していたから、刑は50万円の罰金刑で済んだ。しかし損害賠償は、相手方がやり手の弁護士を雇ったようで、かなりの額を請求されたらしい。保険で賄うことは出来たが、保険料は今後かなり上がるという話になった。
車の修理費、罰金、保険料。結局我が家は、車を手放すことになった。家に一台の車。三人で乗っていたが、それは原付にとって変わった。母は無事帰って来たが、家の空気は沈んだままだった。
「この家、売りましょうかね」
母が冗談めかして言ったこの言葉が、悲しく重く私の上にのしかかった。
■180-270度
こんな時でも頼りになるのは、やはり友の存在だった。大学で知り合ったから、十年来の付き合いになる。どんなに暗い話題でも、どんなに重い話でも、酒を飲みながら聞いてくれた。聞いて貰えるだけで随分と楽になった。
「まぁ、今が底ならその内よくなるよ」
親友の言葉でなければ聞き流していたような言葉でも、不思議と胸に染みた。
大学で学んだことはほとんど活きていない。派遣業になんとか就職は決まったが、上司や先輩には高卒の方が多かった。それでも、かけがえのない存在に出会えた、ただそれだけで大学へ行ったことも無駄ではないと思えた。日雇労働者になるときも、
「皮肉だーなんて言うなよ。お前は事務方で現場を知らなかったんだろ?死んでしまった人は生き返らないけど、どんな所で働いていたのかを知ることは、無駄にはならないと思うぞ」
と言ってくれた。弔い合戦では無いが、その言葉に勇気づけられて、私は今も仕事を続けられている。
そんな親友がある時顔をしかめた。共通の知人でもある、別れた彼女の消息を尋ねた時だった。
「お前、この期に及んでまだそんなこと気にしてんのかよ」
親友には散々彼女のことで相談に乗って貰っていた。いろんなアドバイスをくれたし、助けてくれた。親友の中で彼女のことは、既に解決済みのことだった。それを突然蒸し返した私に、親友は冷たい視線を向けた。
そんな折に父の事故が起きた。車を手放したくなかった私は、あろう事か親友を頼った。
「金は貸さん。第一返すアテなんてあるのかよ。お前も社会人だろ?他の方法で努力してから言ってこいよ」
借金を作るのが嫌だった。だから最初に親友を頼った。しかしそれが、ただのワガママな努力不足だったのだと、そのとき気がついた。
数日後、電話で親友を飲みに誘うと、
「用事があるから無理だわ」
と返ってきた。そんなことを言われたのは初めてだった。いつも「その日は無理だけど他の日で行ける日はあるか?」と訊いてくれた。大体、用事というのは何なのだろう。そんな抽象的な言葉も初めてだった。仕事でも、予定でもない、用事。それは、親友が初めて自分に向けた拒絶だった。
■270-360度
自分が自殺するとして、その動機は、人生に絶望したとか、今の生活に耐えられなくなったとか、そんなところになるだろう。
しかしそれでも、自殺のきっかけになるのは、かつての親友からの「用事があるから無理だわ」という言葉になるだろう。それは、積もり積もった苦悩が溢れる最後の一滴なのかもしれないし、もしかしたら、その一言だけでも自分は死ねるんじゃないかと思った。
そんな事を考えてから、自殺という単語が自分の中で徐々に大きくなっていった。
自分が自殺するとして、自分が自殺するとして……。
そう考える内に、自殺というのは、この問題だらけの人生の中で、魅力的な解決策ではないかと思う様になった。
罵倒され、軽蔑されながら働く過酷な職場。精神的にも金銭的にも余裕が無くなり、針のむしろと化した家。自分を見放した親友。
行く場所もなく、会う人も居ない。同期達は皆、立派に働いているだろう。昔馴染みとすれ違う時は、気づかれない様に目を逸らした。
「用事があるから無理だわ」
頭の中に、かつての親友の言葉がこだました。
母校である大学の近くの山には散歩コースがある。そこから外れると、昔サバイバルゲームで使っていたフィールドがあった。その土地が誰のものなのかは当然知らないし、恐らく違法行為であったろうが、発覚することはなかった。散歩コースには頂上に休憩所が設けられているが、実はこのフィールドの一角に、頂上よりも眺めが良い場所があった。私はその場所に、確か大木があったということを思い出していた。
深夜、寒空の中、私は家を抜け出した。原付をしばらく押して、家から離れてからエンジンをかけた。今日を過ぎれば仕事始めだ。もうあの場所には戻りたくない。あの家には帰りたくない。
山の中は真っ暗だった。懐中電灯を点け、下見の時に確認した通りに散歩コースを歩き、途中で折れて森の中へ入っていく。やがて、目的地である大木に辿り着いた。
凹凸に足をかけて大木を登り、十分な高さにある枝に乗り移る。自分が乗ってもビクともしない。これだけ太い枝ならば大丈夫だろう。職場でくすねたロープを固く結び、念の為に安全帯で補強する。先端を輪っかにして自分の首にかけた。後はここから飛び降りればいい。
遺書は書かなかった。と言うよりも、上手く文章にならなかった。こんなものなら遺さない方がマシだろうと思った。
久しぶりに呼吸をした気がした。とても心が静かだった。自殺する者は皆、こんな気持ちで死んでいったのだろうか。
自分はこれから死ぬのだ。
「そういえば……」
と、まったく目をやっていなかった街の景色に顔を向けた。
北天の空に、無数の光の筋が走っていた。
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