Chapter 8 - 時回り 空回り③
放課後。
授業が終わり、教室を出ようとするとクラスの女子に止められる。
「ねえ、時枝君。今日…掃除だよね?」
その女子は三本持っている箒の内一本取って渡してくる。もはや返事をする間も与えてくれない。
それを渡し終えると箒を二本持って、おそらくはもう一人の掃除の班のメンバーに渡しに行ったのだろう。
掃除当番であることを伝える方法としては少し押し付けがましいものを感じる。
余り気分のいいものではなかったが、掃除のことは完全に忘れていた以上彼女を咎めることは出来ない。
前もって確認しておかなかった自分のミスに悔みながら、心の中で海老根に済まないと謝るのだった。
掃除があらかた終わった後、二人いる女子の一人が
「確か今日ってゴミ袋をゴミ捨て場に持っていく日だったよね?」
皆に聞こえるようにだろうか、少し大きめの声で話す。
「そうだったっけ?」
もう一人の女子がそう返す。
「確かそうだよ」
よく覚えているなと思いながら塵取りでごみを集め、ゴミ袋に入れる。
「ねえ、杉山君、時枝君じゃんけんで決めよう」
女子二人組は自分と杉山を呼ぶ。
掃除は決められたことだからするのは構わないが、ゴミ捨て場まで行きたくない。まして今日は用事が有るのだ。
しかし、行きたくないのはみんなそうであり、自分の都合ばかり言うことは出来ない。
結局何も言えないまま流れに任せ、じゃんけんに参加するのであった。
「じゃあ、よろしくね」
軽い調子でごみ袋という置き土産を残し女子二人は帰ってしまう。
そこには溜まったゴミ袋が二つ並んでいる。どちらもそこそこ詰まっており、どうしたら一週間ほどでこれほどのゴミが出るのかが不思議になる。
一つずつ片手で持つ。
見た目こそ割と入っているがゴミの中身は丸められたプリント類が多いのか見たよりは重くない。その様子を見て心配してくれたのか、杉山が声をかけてきた。
「時枝、一人で大丈夫か?」
「問題ない」
「そうか。なんか悪いな。部活が無ければ手伝ってあげたいんだが、練習開始時間がもうギリギリで……」
焦りっているのはよく伝わる。
「気にするな」
一言残し鞄を肩にかけ、体育館裏のゴミ捨て場まで運ぶ。
教室からゴミ捨て場までは割と距離があり、何もない状態で歩いていくのにも結構時間がかかる。
ゴミを両手に抱えている分余計に歩きにくいが、それでも今出せる最大限のスピードで歩いていく。
なんとかゴミ捨て場でゴミ袋を放り込んだ後、急いで一年五組の教室へと向かう。
時間は授業終了から考えると結構時間が経っている。もしかしたらもう帰ってしまっているかもしれない。そう思いながらもまだ待ってくれている可能性にかける。
少し息を切らしながら一年五組の教室前にたどり着く。まだ、電気は付いている。つまり、まだ誰かがいるということだ。
息を整え教室の扉を開け、教室を覗く。
一見誰もいないように見えたが、どうやら一番前の最も窓側の席に一人突っ伏している人がいるようだった。
教室の扉は前後にあり、後ろの扉から見ているためそれが誰かはわからない。
教室に入り、ゆっくりと近づく。近づけば嫌でもわかる。海老根であった。寝ているのか? と思い近づき顔を見る。
目が合った。
寝ていると思っていた人と目が合うというのはなかなかシュールな気分で、驚きの声をあげる。
「お、起きていたのか」
自分の焦った表情を見て海老根の口角は上がっていき
「翔の驚いた顔久しぶりに見た!」
と嬉しそうに笑う。
大分待たせてしまっているはずだが、その割には怒っており様子はなく、ホッとする。
「どちらかというとホラーだがな」
「どちらでもいいよ。翔が驚いていたから」
「はいはい」
「それにしても久しぶりね。何カ月ぶりかな?」
確かに海老根に会うのは久しぶりな気がする。
かれこれ半年くらいだろうか。
互いに高校受験も控えていたし、中学の時はクラスも異なったために意識しなければ会う事もなかった。
「半年ぶりくらいじゃないか?」
「そうね。それくらいかしら」
過去の自分との記憶を辿っているようだった。
昔から変わらずの短めのポニーテールで、彼女の快活さを表すように肌は微かに小麦色だ。
「というか私、翔にここの高校に通っているって伝えたっけ?」
「いや、聞いてない。俺も知ったのはごく最近だ。晩御飯中に姉貴が言っていたんだ」
「ああ、翔姉! 翔姉にも久しく会ってないなあ」
「姉貴の方は海老根姉と今でも時々会っているらしいけどな。そこから聞いたんだと」
「そうなんだ。いいなぁ」
この、いいなぁと言うのは何に対してだろう。ふと思う。
「そうだ、ところで頼みって何?」
相変わらず落ち着きないようで話の話題がころころ変わる。言及しようかとも思ったが頼んでいる以上幼馴染とは言え強くは言えない。
「凛にお願いしたいことっていうのは、自分のクラスに一人、人と話すのが極端に苦手な奴がいて、そいつと友達になってやって欲しいんだ。もしくは友達の作り方を教えてあげて欲しいんだ」
静かに聞いていた海老根は静かに頷く。そして何か可哀想なものを見るかのようにこちらを見る。
「そう……それって翔のこと?」
どうしてそうなった。
確かに人に比べて友達の数は少ないだろうが、人に頼まなければいけないほど人に飢えてはいない。
「いや、断じて自分じゃない」
「そうなのね。さすがの翔もまだそこまで落ちぶれてはいないってことね」
落ちる、落ちないの問題ではないのだが……。
言いたいことはまだいくつかあったが、それを堪え本題へ戻す。
「その子、家庭環境の関係で今までほとんど同年代の人と話したことがないんだ。それで、同年代の人と話すにはどうすればいいのかがよくわからないらしい。
その相談を自分が受けることとなったんだが、改めて友達の作り方といわれてもピンと来なくてな」
海老根の顔を見るとあからさまに驚いた顔をしている。
「翔」
「はい?」
「熱でもあるんじゃないの?」
「どうして?」
「だって、私の知っている翔は出来るだけ面倒な人間関係は作らない人間だったでしょ! それがどう道を間違えて人の相談を受けるようになるのよ!」
「そうは言われてもな。俺もやる気はなかったが、約束があってだな」
「へえ。翔をそこまでさせるなんてどんな奴よ?」
「東雲美咲っていうんだが……」
「えらく女の子っぽい名前の男子生徒ね」
少し怒っているようにも見える。
「いや、男子じゃない」
「へ?」
「いや、女子生徒……なんだが」
多分これほど驚いている顔を自分は今まで見たことがあるだろうか? いや、たぶんないだろう。
驚きすぎているせいなのか口はぽかんとしているのに声は全くと言っていいほど出ていない。
しばらく待っていると声がようやく戻ってきたようで、混乱しているのであろう頭の状況を一つ一つ整理しながら言葉を発しているのを感じる。
「えっと……。とにかく整理していくわね。
まず、翔の頼みっていうのが私に、その、東雲さんの友達になってあげて欲しいということと友達の作り方を教えてあげて欲しいということね」
額には冷や汗だろうか、それが浮かんでおり言葉がとぎれとぎれとなっている。
とにかくかなり動揺しているのが窺えた。
「まあそうなる。というか大丈夫か?」
「ええ、大丈夫。翔が私以外の女子と話したことがあるというところに驚いただけ」
心外である。
「まずはその頼み自体は問題ないわ。
でも、一つ。他のクラスの私が友達になっても結局クラスの中では孤立してしまうんじゃない?」
「まずは誰か友達が出来たなら上手く他の友達も出来るのではって思ったんだが……」
「確かにそうかもしれない。
けれどそれじゃあその子のためにならないんじゃないの? 今は良くてもこれから大人になっていく中でそれじゃあだめだと思う」
確かにそうかもしれない。
もともと頼りになるというのは知っていたがここまで大人な考えが出来るとは思っていなかった。
自分の知っている海老根はもっとお転婆な女の子だったはずだ。
身近にいた人の成長に少し感慨深いものを感じる。
「じゃあどうしたらいい?」
「教えてあげてもいいけど……」
少し悩んだ素振りを見せる。が、それはまやかしである事は長い付き合いでわかる。
自分に何かしら仕掛けようとして、その内容を考えているのだろう。
そして、その内容が思いついたのか手をポンと打つ。
「そうだ、この答えは自分で考えてきてもらおう」
「えっ……。教えてくれてもいいじゃないか?」
指を横に振る。
「だって今日放課後残っといてって伝言もらったはいいけど、何分待たせたと思っているのよ」
「それは……ごめん。掃除とかいろいろあって気付いたらこんな時間に……」
割と心の底から謝る。
「そういうわけで、ここから先は自分で考えてみて。もし出来たなら力になってあげる」
少し意地悪そうに笑い、席から立ち上がる。
「帰るよ」
海老根はそういうと自分の手をつかみ引っ張る。
「いいよ。自分で歩ける」
「まあ照れちゃって。いくら私が可愛いからってそんなに照れなくてもいいのよ?」
「照れているわけじゃない」
「ならこのままでもオッケーよね」
言われるままに手を引かれるのだった。
斜め後ろから海老根を見る。
昔から知っているせいかそこまで意識したことはなかったが確かに改めて見るとかわいいのかもしれない。というよりは社交的で明るい分ためにそう感じさせるのだろう。
手を引かれていると昔のことが蘇る。
昔から今と同じように、外で走り回るタイプじゃなかった自分は部屋に引きこもることも多かった。
その時もよく海老根に今のように引っ張られ、遊びに付き合わされていたものだ。
「凛。もういいよ。流石に恥ずかしい」
先陣を切って歩く海老根に逆らうようにして立ち止まる。
放課後ということでそれほど通行人がいるわけではないが、部活をしている人達からの視線は感じる気がする。
もちろん気のせいだろうが。
「……しょうがないなぁ、わかった。でもここまで来たんだから一緒に帰ろうね」
「一緒に帰りたくなくても家が近所なんだから一緒になるだろ」
「それもそうか」
ご満悦という表情で歩き出す。昔から変わらないなと感じながら、置いて行かれないように歩き出す。
結局、帰りも懐かしい昔ばなしがメインとなってしまった。
それはそれで楽しかったので問題は無いのだが、やはり一番頼りにしていた海老根に自分で考えなさいと言われてしまった以上ほかに頼れる人となると……花山くらいなのだろうか。
無計画すぎたかなと少し後悔を抱えながら帰宅するのだった。