Chapter 12 - 九発目
帰路に就いた物信、正確に言うと帰路に就き喫茶店のカウンターで正明の出してくれたコーヒーを飲んでいる物信は「はぁー」とのため息を盛大にわざとらしく吐いた。その様子に正明は心配そうに「大丈夫か」と声を掛けるが物信の返事は言葉ではなくため息であった。なんでも物信は奏莓に告白はしたもののその返答は「考えさせて」との言葉であった。決して断られてはいないものの物信には何か来るものがありこの有様である。
「別に断られたわけじゃないんだろ物信?だったら元気出せって。コーヒーのお代わりいるか?」
物信はいつの間にか空になっていたカップを見て「うん」と言って正明の勧めに頷かせてコーヒーのお代わりを貰った。そうして二杯目のコーヒーが注がれているとお客が来たことを教える扉に取り付いている鐘の音が鳴り渡り誰かが入ってきた。正明はコーヒーを注ぎながら「いらっしゃい」と言い、物信は誰が来たのかと興味ありげに振り向いて見るとそこには、いつぞやのちよこの姿があった。ちよこは何の迷いもなく物信の隣の席にと座り「コーヒーを」と言い正明にコーヒーを頼んだ。それに応えるように正明は注いだコーヒーを物信に渡しながら「あいよ」と言った。
「今日は、前に言われた通り客として来ました」
ちよこは誰に言う訳でもなくそう言うと物信もそれに返すように「そうか」と言い正明の注いでくれたコーヒーを飲み言った。流石の物信も誰か人が来れば先までの態度では無く、少しはしゃんとした態度を取った。それでも悩んでいたことには変わりなく、それをちよこは読み取ったのか心配そうにして「何かありました?」と言った。
他人に言うことでも無く、誰かに言えば解決するものでも無いため言う必要は無いのだが、この時の物信は何を思ったのか、今日あったことを簡潔にし、あえて奏莓の名前は伏せてちよこに物語っていたのだ。
「そんなことがあったのですか。・・・それにしてもデートですか、羨ましいな・・・」
「なんだ、ちよこも気になる相手とかいるのか?意外だな」
「い、いますよ、私だって気になる人くらい。とは言っても叶いそうにないんですけどね」
するとちよこは恥ずかしそうに言うなり何故だか自信なさげに言った。その自信の無さに物信は不思議そうにして「どうしてだ?」と言いちよこにと聞いた。するとちよこは昔のことを思い出すかのようにして、思い出に耽るようにして言った。
「その人、昔に会ったきりでその後は話してないんです。ですから、どう会って話せばいいか分からなくて」
ちよこのその物語を物信は横目で見て聞きながら「だったら」と言い話の主導権を握り言った。
「だったら、面と会って話せばいいんじゃねえか?それに、お前って眼鏡を外せば意外と美人なんだしさ」
「無理ですよ、いくら物信さんがそう言っても私には・・・だって、だって」
そうちよこが続きを言おうとした瞬間だった、物信はちよこの顔を伺わせるようにして顔を出し、接近した形でちよこの目を見て言った。
「いちいち他人にとやかく言うような性格では無いが言わせてもらうぞ。そう言うとこだよ、そんなくよくよしてたら相手だって真剣に向き合ってくれない。もっとしゃんとしろよ、俺みたいにひねくれてもいいからさ」
その言葉がちよこにとっては何よりの励ましとこれ以上にないアドバイスであった。他人にとやかく言わない彼の性格を知っているちよこには、彼は自分のことを見てくれている、いるのだと見てくれる。
「物信さんって、優しいのか優しくないのかちょっと分かりません。日頃からそんな性格なら友達ももっと増えたんじゃないんですか」
ちよこのその何気ない言葉は物信の心を突くような言葉であった。こちらのことをお構いなしでそんな呑気な口が物信には気に入らなかったのだ。その気に入らなさに物信は苛立ちを感じ、少し機嫌を損ねた声で「余計なお世話だ」と言って物信はそっぽを向き、再び座り直した。その様子にちよこは、しまったと思い何か言って話を繋げなければ思い考えていると正明が見かねたのか話に割って入るかのように、場を和ませまいと陽気な声で言った。
「まあまあ、物信もそんな尖るなって。だが、物信の性格がこんなのもこいつの個性だからちよこもそう言わないでくれ」
「個性、ですか?これが物信さんの?」
ちよこは正明にオウム返しをするようにして言った。物信も正明の言う言葉には流石に耳を傾けて聞いた。正明は「あぁ」と頷き続きを語り始めた。それはまるで様々な人を見てきたかのような口ぶりであった。
「いいか、人間は誰にだって優しくすることはできないんだ。それに、誰にだって優しい人なんてはっきり言って気持ち悪いだろ?誰にだって優しくできないからこそ人間臭くていいんだろ?」
その言葉は物信にはとても衝撃的だった。いつも陽気でどんなお客に対しても明るく接客している正明からこのような言葉が出てくるとは思わなかったのだ。正明のあれはまるで正明自身の優しさを否定しているようでそんな気が物信にはしたのだ。その否定している気が物信は嫌ですかさず正明をフォローするかのように入った。
「でもさ、オヤジはどんな人にも明るく陽気だよね。そう言うのは優しさじゃないの?」
「面白いこと言ってくれるな。確かに、それは優しさかもしれない。だが、その行為を相手が求めてなければそれは優しさじゃない。俺はただ、ただ明るく振舞っているだけなんだ」
正明の言うそれは自分の生き方そのものと言うかとばかりに心に刺さるものがあった。それはとても笑いごとや、ただの話にはしてはいけないかのようにシリアス的な何かであった。それが場の空気を重くし、シーンとした伽藍とした状態を作り上げた。しかしそれも束の間に、正明が手を「パチン」と叩き伽藍とした空気を塗り替えるように陽気とした声で再び話はじめた。
「そんなしけた空気になるなって、これじゃあ俺が悪いみたいじゃないか」
「あぁ、そうだなオヤジ。オヤジが悪い、こんなしめったい空気にしたんだからな」
物信と正明はお互いに「この野郎」と遊びの混じった態度でお互いを突き合いじゃれ合ったのだ。その様子がちよこには微笑ましく見え小さな笑みを浮かべた。
「やっぱり、今の物信さんは昔と変わらずそのままです。あの時と同じように」
「ん?どう言うことだちよこ?俺とお前って昔どこかで会ったことあったか?」
物信にとっては当たり前の疑問であった。少なくとも物信の記憶では数日前にちよこに会い、それ以上前にちよこに会ったという記憶は物信には無かった。仮に物信がずっと前の過去にちよこと会っており会話をしていたとしたら間違いなく覚えているはずなのだが物信の記憶にはそのような覚えが無いのだ。そのため物信はちよこに確認するかのように聞いたのだ。
まさかの反応、返答にちよこは絶望感に近い失望感を感じた。ちよこは確かに覚えているのに物信は覚えていないとの謎の喪失感に耐えられなかった。きっとあの頃のことを覚えていると勝手な期待をしていた自分も悪いのかもしれない、だけど自分はあの時、彼の言葉で助けられた。それなのに覚えていないと言う事は当然そのことも覚えてないと言う事だ。それが耐えられなかった、胸の奥の何かが張り裂けそうでここに居続けることが辛く、すぐにでもここを飛び出て遠くにと行きたい気持ちに襲われた。
「どうした、ちよこ?腹でも痛めたか?」
何も知らない、だからこそ何の罪もない、それが分かっているのに今のちよこにはそれすらも許せなかった。だから怒るでもなく、何もせずにちよこはただテーブルにお金だけを置き「ごめんなさい」と何に謝まるで無くそう言いちよこは駆け足で喫茶店を後にするように出て行ってしまった。その様子を物信は何もする出なく見るしかなかった。自分には呼び止める権利が無いようなそんな気がしたのだ。
「良かったのか?呼び止めなくて」
正明はちゃっかりとちよこが置いていった、おつりの出る千円札をポケットに入れながら物信を見て言った。それでも物信はいつもの平然とした態度を装って「別に」と言った。その様子が正明には酷く虚しく見え、これ以上刺激しない方がいいだろうと思い「そうかよ」と言いちよこがさっきまで使っていたコップを取り洗い始めた。そして物信はその洗っている水の音を聞きながら思い出そうとしていた。
物信は自分で何も悪くないとは分かっていても急にあのような態度を取られれば自分が悪いような気がしてならなかった。それで、せめてもの気持ちで過去に、ずっと前にちよこに会ったことは無いかと思い出そうとしていたのだ。しかし、それでも思い出せない物は思い出せないのだ。そのため物信はどこか拭えない気持ちで奏莓のこととちよこの二つの悩みに悩まされることとなった。