Chapter 18 - 絶望の地平線:3
「ハンター協会失踪者リスト。ルーヴ。20歳・・・本当に年下だったのね。ハンター協会結界外調査隊第4小隊の副隊長とハンター協会特務班班員を兼任。家族構成は、両親と兄が1人。祖父母は既に他界。彼は協会に多大な貢献をした偉大なハンターである。以下に彼の受賞した賞と経歴について記していく・・・。」
一度眠って酔いが抜けたセレナは机に向かっていた。
ランプをつけると「消し忘れか」と言って、馬鹿でかいノックと同時にタイタンがずかずか踏み込んでくる。あの人はノックの意味を分かっていないのだ。せめてセレナの返事を待つべきだと思うがそれは今度きちんと説教をする。
とにかく、そういった事情故に、セレナは小型の携帯ランプの明かりをさらに最小に絞ってディアンの封筒の中身を読んでいた。
「・・・世界崩壊時の・・・ええと、ワルシャワ?の大崩落から当時のコンピューターを持ち帰る。コンピューターを解析した結果当時のソーシャル・・・えっと。SNS?・・・何のことかしら。えっと、とにかく過去の時代のデータが沢山見つかったのね。」
読み進めて行く。そこに記された情報はセレナにとっては理解不能なものばかりだったが、ずらりと並ぶ難しい名前の賞たちから、ルーヴが偉大なハンターであったことは見て取れた。
「崩落内部の、調査。他任務中の事故で崩落に落下したが自力で壁をよじ登り帰還・・・?彼が落下した距離は不明だが、持ち帰られた崩落内部の情報は協会に多大な貢献をもたらした。」
やっぱり筋力お化けだ、あの人の肉体は一体どうなっているのだ。
セレナは冗談みたいな彼のぶっ飛んだ逸話に思わず口を押さえる。笑い声で本人を起こしたら笑えなくなる。
ある時は生身で逃げる牛を追いかけ捕まえ農家から感謝状を贈られ。
ある時はたった1人で反ハンターの武装組織を鎮圧し。
またある時は犬一匹を助けるために断崖絶壁の氷山を踏破し。
見知らぬ子供が失くしたおもちゃを追いかけて保護区を走り回り、始末書を書かされたこともあるという。
まるで物語の主人公のよう。まさに英雄。彼のエピソードはどれもが痛快で、豪胆だ。
ハンターになったきっかけは幸せなものではなかったかもしれないし、危険を体良く押し付けられていた事実は変わらない。それでもタイタンはその顰めっ面を引っさげて、たくさんの人を助けて、たくさんの人に感謝されていたのだ。
それは、素直に嬉しいし、ちょっと羨ましい。
しかし、まさか協会で数多の功績を残した鋼の男が、今は森の一軒家で女の尻に敷かれて、毎日家事をさせられているとは誰も思うまい。
「ふふ、タイタンは意外と家庭的なのよ、誰も知らないと思うけれど!ふふ・・・。」
あの口うるさい小姑の、知らない一面を知るのが楽しい。
夜がどんどん更けて行くのも気づかず、セレナは細かい字のならんだ紙束をうきうきとして読み進めた。
「特務班の任務中に失踪。5ヶ月以内に彼の生存が確認できなかった場合、死亡扱いとなり正式にハンター協会から除名される。任務の内容については・・・ええと。人類保護区域から1500km西方に位置する未調査区域の調査、その内部に遺棄されたと思われる魔道機械H-003の回収。H-003というのは分からないけど、協会が狙うんだもの・・・きっと結界装置のことね。」
そして最後に、ディアンの直筆らしい紙が挟まれ、自分の権限ではこんな簡単な情報くらいが閲覧する限界であったこと、隊長から断片的にルーヴのことを聞いて気になっていただろうからこれを渡したこと、タイタンは知りたくなさそうだったからセレナにだけ情報を渡した旨が書かれていた。
「ありがとうディアン、明日こっそりお礼を言わなきゃ。」
資料をそっと封筒にしまい、ベッドのマットレスの下に挟んだ。あと今日しなくてはならないことはない。あとはゆっくり眠って、明日はディアンを見送るだけ。だというのに。
「・・・すっかり目が冴えてしまったわ。どうしたらいいかしら。」
暖かいお茶を飲もうか、それとも少しだけ本を読もうか。
思案しながらちらりと見上げた窓の外。まるで写真のような、穏やかで静かな夜が窓の外に広がっている。
「・・・少しお散歩するくらいなら、そんなに怒られないわよね。たぶん・・・」
過保護な小姑がつきまとうせいで、最近は1人で過ごす時間もめっきりなくなっていた。
窓の外、大きな満月が煌々と夜道を照らしてそんなセレナを誘っている。
ああ、あまりに魅惑的。冷たい夜風を飲み干して、小鹿のように爪先を夜露で濡らしてスキップしたら、どれほど楽しいだろう。
「大人の女には、1人になりたい時があるものなのよ。」
賑やかなのは好きだが、大人の女というのはそういうものなのだ。
これから、いけないことをする。
とくとくと胸を鳴らし、セレナは寝間着の薄いワンピース一枚で窓から飛び出す。
散歩は気まぐれな方が好みだが、今日のセレナには明確な行きたい場所があった。
裸足で歩いた転移装置の先、森の南方。土で足を汚すのは嫌だと、右手で持って来た赤い靴をそっと履いた。
絶対に1人で行くなと言われているが、今回ばかりは仕方ないのだ。
「だって、タイタンは崩落を見ると具合が悪くなるものね。」
セレナはゆっくり森の出口へ向かって行く。
安全に森の外までたどり着けるのは、この南方地域しかない。あとは囲い込むように、西方、東方は未知の区域、家より北は断崖絶壁だ。
そう、彼女が見たかったのは。
「・・・森の外なんて久しぶりに出たわ。」
彼女の足は止まらない、止められない。
好奇心に踊る胸を止められる唯一の男は、今は遠く、夢の中だ。
ぐわりと圧を増した腐臭に表情ひとつ変えず、セレナは死の大地へ踏み込む。
勿論彼女の持ち物に結界装置などない。しかし彼女の顔に恐怖はない。
森の中にはない、圧倒的な地平線。平らな大地。その「絶景」に彼女の心はただ躍っていた。
当然だが、森の外にも世界は広がっている。
立ち入り禁止の特区の先にも、保護区の先にも、当たり前に世界は広がっている。
想像もつかない。この世界はどれほど広いのだろう?
この広大すぎる世界をかつて、人間の文明が覆い尽くしていたのだなんて。
「ふふ、きっと私なら忙しなくて目が回ってしまうわ。」
タイタンは過去の文明が好きなようだが、自分はやっぱりこの静かな世界が好きだ。
自分と大地と満月しかない。誰もセレナの心を揺り動かそうとしない。
自分以外の命が存在しない穏やかな空間が好きだ。
崩落は嫌いだが、もし過去の文明時代に自分が生まれたら、きっとおかしくなってしまっていたと思うのだ。それを壊してくれたことだけは、少しだけ有難いとセレナは思ってしまう。
セレナは大地に開いた大穴を、ぺたりと座って覗き込んだ。
正確に切り取られた正円。それは内部もほとんど同じで、僅かに樹木の根や岩が出っ張っている以外はほぼ凹凸のない滑らかな壁面が果てしなく奥まで続いていた。
「・・・やっぱり。タイタンはどうやってよじ登ったのかしら?見てみればわかるかと思ったけれど、魔道もなしにここをよじ登るなんて、タイタンはやっぱりおかしいわよ。」
なんとなく崩落跡を見てみたくなった。理由はそれだけだった。
一体崩落の中とはどうなっているのだろう、この先はどこに続いているのだろう。
今までセレナは、地球の内核まで続いているという言葉を鵜呑みにしていた。
しかし、先ほど読んだあの紙束には確かに、崩落内部の情報がタイタンによって持ち帰られ、それが協会に何か貢献したと書いてあったではないか。
この世界に住むほとんどの人が知らない真実が、ひょっとしてこの中にはあるのではないだろうか?などと、散歩の途中に思い立ってしまい、とりあえず崩落を見に来てしまったのだ。
目で見ても、しかしそれはただの深い穴。
「魔道的に解析してみればわかるかしら。」
セレナはじっと、自分の目に魔道を込めてみた。
くるくる、セレナの目に光が映る。グリムメタルのような金色の、ラベンダーの香りがする涼やかな光が、セレナの目から、神経を通って、耳に、鼻に、脳に、口に流れ込んだ。
「ごはごはん。」
「え?」
耳を疑った。ここには誰もいないはずだ。周囲には相当注意してここまで歩いてきた。
今の声はどこから?はっとして槍を背後に向けるが、そこには誰もいない。
「え、何・・・?」
セレナの感覚器に引っかかる魔道の痕跡はない。
「ごはごはん、あなた、ごはん。」
「違うわよ!私はご飯じゃないわよ!」
あまりに不思議すぎる発言に反射的にそう返事をした。一体何なのだ、全く。
声の主人はしばらく考え込んだようだった。
「ごはんじゃない。」
あまりに間の抜けた、幼い少女の声に、セレナはすっかり毒気を抜かれてしまった。
攻撃する意思はないらしい。
セレナはどっと背中にのしかかった重みを吐き出すように、その声に応えてやった。
「私、セレナ。貴方はどこにいるの?」
「せれ、な。」
初めて聞いた言葉を、声の主人は機械的に繰り返した。
「ぴぴ。せれな、せれな。あなたはせれな。ぴぴ。ぴぴ。」
セレナは気づく。声は崩落の奥から聞こえる。
「・・・ひょっとして、崩落の中に落ちてしまったの?」
「あなぼこのなか。ぴぴ。」
ピピ、というのがこの声の主人の名なのだろうか。
最近はめっきり来なくなったが、この辺りには結界外集落がいくつかあり、時々人が迷い込んでくることがある。きっと集落の子供が崩落に足を滑らせたのだろう。
そこら中穴だらけなのでそういった事件は珍しいものではない。大概は諦められてしまうが、奇跡的に生き延びた命を見逃すなど、セレナにはできない。
「ど、どうしようかしら。鎖を落として引き上げて・・・いえ、そんなのは無理。きっと横穴に引っかかったのよね。タイタン、タイタンを呼んできて・・・」
「ひきあげなくて。ぴぴ。いいよ。ぴぴ。きらわれもの。ぴぴ。よこあな。あなぼこ。だいじょうぶ。」
抑揚のない口調。感情の読めないその声の発した言葉に、セレナの胸がぎゅっと詰まった。
きらわれもの。彼女は確かにそう言った。
「・・・大丈夫って。大丈夫なわけないじゃない。」
「だいじょうぶ。ぴぴ。ぴぴ。おそと。ぴぴ。きらわれもの。ころされる。ころされる。」
ころされる。ころされる。
冗談のような巫山戯た口調だが、きっとそれは、冗談でも何でもない。
セレナは集落のような閉鎖された人間関係の中で嫌われた人間がどんな目に遭うのか、よく知っている。吐きそうになる程、知っている。
そして、そこから引き上げようと無理強いをされる煩わしさも知っている。煩わしいのだ、信じてもいない人を信じることを強要される、押し付けの善意など。
ピピがそれでいいなら、とあっさりと納得することができるのは、そういう世界で生きてきたセレナだから。
「ぴぴ。ここ。すき。ひきあげなくて。いいよ。」
「分かったわ。私に、何かできることはある?」
ピピは間髪入れずに答えた。
「ごはん。ずっとたべてない。おなかすいた。おなかすいた。ごはごはん。ぴぴ。」
それはそうだ。穴の中に、食べるものがあるわけがない。
セレナは慌ててポケットを探る。持っているのは非常食の蜂蜜飴。金属缶にぱんぱんに詰まった薄茶色の塊が、この場にある唯一の食べられるものである。
「飴玉でいいなら、あるわ。・・・でも、どうやってピピに渡したらいいかしら。」
「なげて。ぴぴ。ぴぴ。ひろう。まどうつかえる。ぴぴ。」
確かにセレナは物心ついた頃から魔道を手足のように振るっていたが。
それは私が魔道の天才だからであって。誰でも幼い頃から魔道を振るえるというものではないのだけれど。
セレナは半信半疑で缶を崩落の中に放り込んだ。かん、かん、という小気味良い音はすぐに聴こえなくなり、返事もなく、セレナが不安になったころ。
「ぴぴ。ぴぴ。ぴぴ。ぴぴ。なにこれ。」
抑揚のない声でもわかる。お前騙しやがったな、と言わんばかりの態度。
顔も見えないピピに睨まれている。気がする。
確かに飴玉など集落にはないものだが、いや、それ以前にピピは缶のこともわかっていないのではないか。あの金属を食べ物だと誤解して丸齧りしたらたまったものではない。
「違うわよ!その銀色の蓋を開けて、中身の茶色いのを口で転がして溶かして食べるの。」
再び無音。
さすがにそろそろ帰らないとまずいのだが。
でも人命が関わっているのだし、と焦る気持ちを押さえつけ、そしてちょうど、セレナが飴玉を食べ終わるぐらいの時間が過ぎた頃。
「おいし。ぴぴ。」
ちょっと声が満足げで可愛い。ピピの気持ちはよくわかる。お腹が空き切ったころに食べる飴玉は染み渡るように美味しいのだ。
「おなかいっぱ。ぴぴ。ねるねる。」
飴玉一個で。そんなわけがあるかと呆れるが、ピピの声が本当に眠そうになってきた。
「ぴぴ。せれな。せれな。またきて。またあめだまちょうだい。ぴぴ。」
「明日の夜、いっぱいご飯を持ってくるわ。毎日は来られないけれど・・・。時々保存のきくご飯を持ってくるわね。」
「せれな。せれな。やくそく。ぴぴ。ないしょ。ぴぴ。ごはん。あめだま。やくそく。やくそく。」
面倒を見る生き物が1つ増えたと思えばこのくらい大したことではない。ピピは飴玉ひとつで満腹になる少食らしいし、ポーラに比べれば大したことではない。精々タイタンに内緒にするのが大変なくらいだ。
「わかったわ。内緒、ご飯、飴玉、ね。ふふ。・・・じゃあね、ピピ。おやすみなさい。」
「せれな。ぴぴ。おやす。」
それ以降セレナの耳に音は届かなくなった。
セレナは穴の奥を見つめ、そのどこかにいるピピのことを思う。
彼女も、自分と同じような経験をしたのだろうか。今度会ったら聞いてみたい。
彼女と話すのは、楽しい。
思えば最近、腹の読み合いのような会話ばかりで、こんなに純粋に、ただ楽しく誰かとお話をしたのが、本当に久しぶりだったのだ。
「また明日の夜も会えるのだから、これっぽっちも寂しくない!ピピと約束したもの、お友達だもの!ふふ!」
もうすぐきっと、夜が明ける。
月は自分の役目を太陽に譲り渡そうとしている。きらきら、間も無く群青に隠れようとする一等星が、最後の仕事だとばかりに頑張って輝いている。
地平の向こう、紫色と砂色の切れ間を、眩しくて目を閉じてしまうまで見つめていたい。
ずっとここに座っていたい。
起きてきたピピとまた話したい。
タイタンはここには連れてこられないけれど、それは少し勿体なく思う。
・・・そして次の瞬間頭に浮かんだのは家の玄関で仁王立ちする小姑の怒り顔。
さーっと背筋に冷たい汗が伝う。感動している場合ではなかった。
「ああもう!走らないと間に合わないじゃない!お家が遠いのよお馬鹿ーーー!!!」
セレナは飛び上がるように引き返し、兎の如く自宅に向けて全力疾走する。
悠々自適にひとり森で暮らしていたはずが、本当にどうしていつの間に門限が設定されてしまったのか!怒るだけならまだしも年甲斐もなく泣きまでするのが余計に厄介なのだ、あの男は!
結局、朝日が顔を覗かせる前に何とかベッドに滑り込んだセレナは、ディアンがとっくに帰った後、キレ気味のタイタンに叩き起こされた。
「客人の見送りくらいしろ!酔って昼過ぎまで眠りこけて!あんたはこの家の主人だろうが!」
「・・・うう、もうタイタンが主人でいいから、眠らせて頂戴・・・」
この調子では昨晩の醜態のことはすっかり忘れている。
俺はあれほど恥をかかされたのに。
元凶の馬鹿野郎はだらしなく二度寝しようとしているこの理不尽が許されていいものか。
もそもそとベッドに戻るセレナの布団をひっぺがし、着替えを顔面に叩きつけ、ふさふさの尾を生やした小姑は今日も叫ぶ。
「だったらこの家は禁酒だ!!!二度とあんたに酒は呑ませないからな!!!」
そうしてその日から、セレナの夜の不思議な逢瀬は始まった。
週に一度、タイタンが寝静まったのを見計らい、セレナは鞄いっぱいにパンを詰めて森の外に出かけ、内緒の友達と他愛ないお喋りをする。
それはセレナにとっておそらく初めての女の子のお友達。
穴の淵に腰掛けて、タイタンにはとても話せないような赤裸々な悩みを語る。
今日のお星様は何という名前なのかを教えてあげる。
タイタンに怒られたこと。タイタンが褒めてくれたこと。
今日着ている服がお気に入りであること。他にもいろいろ素敵なお話を沢山。
一緒に飴玉を頬張って、顔も見えないお友達と語り合う。
穏やかで不思議な時間は、誰にも言えないセレナの宝物になったのだった。