翡翠の星屑

Chapter 35 - その優しさに抗って

季月 ハイネ2020/06/28 16:51
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 ほんのり甘い口の中。

 飴が入っていた袋の中身は半分ほどまで減り、それ以上は止めておこうと決める。これから先は何があるか見当もつかないから、大事に取っておいた方が良さそうだ。ラスターは袋の口を縛り、再び隠しへとしまった。


 これで大丈夫だ。隠しの上から押さえると、袋で膨らんだ塊に手が触れる。ちゃんと入っていることに安心したけれど、今度はなんだか落ち着かなくなって、頭をかいた。陽に当たっていたせいか、そこはほんのりと暖まっている。ついつい木陰で昼寝をしたくなるような天気だし、うっかりあくびもこぼれてきて。


「――あれ」


 ラスターは両手で頭のあちこちに手を当て、後ろの髪を押さえた。

 船で目が覚めてからずっと、何かおかしいと思っていたのだ。どうして今の今まで気づかずにいたのだろう。

 はらりと落ちてきた髪をつまみ上げる。髪を結わいていた紐が、いつの間にかなくなっていた。


 どこで落としたのだろう。ラスターはほどいた覚えなどない。別に安物だし、特別気に入っていたとかそういうものではないけれど、ないと髪が邪魔をして視界が見えづらくなり、大変不便になってしまう。


「ラスター? 何してるんだ」


 髪を触ってやはりどこにも紐がないのを確認していると、シェリックから不思議そうな声がかかった。


「うん、紐がなくて。髪がちょっと邪魔だなって」


 飴の紐を使ってもいいけれど、そうしてしまうと今度は袋に入っている飴がこぼれてしまう。そんな大惨事は避けたい。


「ああ、それだけ長いと確かに邪魔そうだな。いっそのこと切ったらどうだ?」


「うーん……」


 ラスターはうなった。長い髪に固執しているつもりはないけれど、いざそれを指摘されるともったいなく感じてしまう。この機会に切ってしまうべきか。今まで長かったから、短さに落ち着かなくなるのではないだろうか。

 晴れ晴れとしない思いで考えていたら、隣から何かが引きちぎれる音がした。ぎょっとしてそちらを見、シェリックが手にしているものを目に入れて――音を聞いた時以上に固まった。


「――ほら、これでも」


「待って、それ、大事なものじゃないの!?」


 ラスターは反射的に声を上げていた。シェリックはそれを差し出したまま、もの問いたげにこちらを見ている。シェリックが差し出したのは、ラスターにも見覚えのある紐だった。

 それは、シェリックの星命石をくるんでいた紐だ。先の音はシェリックが紐を引きちぎった音。首から下げられるほどの長さにあった紐は半分以下になり、シェリックの手の中で不格好に揺れている。


「別に? 石があれば十分だ」


「でも!」


 そう言ってちぎった紐をラスターに押しつけると、シェリックは短くなった紐を結び、輪にして外套の隠しへとしまった。

 ラスターの手の中には紐が残される。結ぶことも返すこともできずに、その明るい茶色の紐を見下ろした。もらえるわけがない。

 やっぱり返そうと面を上げたラスターに、シェリックは何食わぬ顔で言ったのである。


「気にするな、飴をもらった礼だ」


「そんなコト言われたら返せないじゃん」


「じゃあ使うしかないな」


「うー……」


 納得が、いかない。

 なおも返そうとするも、シェリックには受け取る様子がない。シェリックと、渡された紐とを見比べて、ラスターはとうとう根負けした。


「……わかった、使うよ。ありがとう」


「どういたしまして。その割に不本意全開だな」


「気のせいだよ」


 ラスターは手早く髪をまとめ、譲り受けた紐でひとつに縛る。視界が大変快適になって、余計に悔しくなった。


「……ありがとう」


「はいはい、どういたしまして」


 悔しさがにじみ出て、適当な言葉になってしまったのは否めない。返したシェリックもぞんざいな答えだったからおあいこだ。


「人が全然見えないケド、ここって無人島なのかな」


「何とも言えないな。もう少し歩いたら誰か見つかるかもしれないが……少なくとも、無人島ではなさそうだ」


「どうして?」


 断言するシェリックは足元を指さした。


「ここ、比較的『道』になってるだろ?」


「? うん」


「誰もいないなら、道にはならずに植物に覆い隠されてるはずだ。そうならないのは、ここを通る何かがいるから。それが人なのか、それ以外の何かなのかはわからないが、ま、人じゃないか?」


「その根拠は?」


 ラスターはわくわくして返事を待つ。シェリックはどんな答えを持っているのだろうかと。


「勘」


「……ねえシェリック、適当だって言われない?」


「冗談だ」


 あれだけ楽しみにしていたのにあんまりだ。


「――っわ、ととっ」


 足元がおぼつかなくなって体勢を崩しかける。後ろから伸びてきたその手がラスターの腕を取り、間一髪のところで支えてくれた。


「ありがと、びっくりした……」


「歩きにくいから気をつけろ」


「うん」


 前に出そうとした足が上がりきらず、落ちていた石につまずいたのである。どうしてこの場所はこんなに歩きづらいのだろう。


「どこかで休んでるか?」


 シェリックからそんな提案が出され、ラスターは首を振った。


「ううん、平気」


「あまり無理を――」


「へっちゃらだよ」


 重ねて口にし、シェリックの目をじっと見据えた。


「行くならボクも行きたい。だって、聞きたいんだもん。ボクも、ここがどこなのか知りたいし、何か役に立つかもしれないよ。シェリックが気づかないコトにだって、ボクなら気づけるかもしれないし」


 希望だけは伝えることにする。


「それに、お母さんに続く手がかりになればもっといいなって」


 ――だから、少しばかりお腹が満たされて、うっかり口が滑ってしまったのだ。


「お母さん?」


「あ」


 シェリックの疑問を聞いたところで、ラスターは慌てて口を押さえる。しまった。


「お前、もしかして探してるのは母親か?」


「……そうだよ」


 話すつもりなんて全然なかったのに、どうしてこぼしてしまったのだろう。きっと気が抜けてしまったからだ。そうに違いない。

 膝に落とした両手をぎゅっと握る。


「輝石の島に手がかりがないかなって思って、それでここを目指してたんだ」


「以前俺に聞いてきたのが、母親の行方だったんだな」


「うん」


「そうか」


「――わ、ちょっと、シェリック!」 


 頭をかき回され、抗議しようと顔を上げたところで、穏やかな表情でこちらを見てくるシェリックと目が合った。


「見つかるといいな」


「う、うん。ありがと」


 なんだか気恥ずかしくなって、ラスターから離れていく手をなんとなしに眺める。


「――訊かないの?」


「何を?」


 あらぬ方向を見ながらうそぶくシェリックに、大人の余裕を感じてしまう。知っているだろうに、あえて聞いてくるのは卑怯だと思ったのだ。


「お母さんのコト」


「別に?」


 そして、シェリックはこう続けたのである。


「お前が話したくないならそのままでいいし、話したくなったらその時に話せばいい。俺から無理に聞く気はねえよ」


「そっか……」


 ラスターが息を吐くと、身体が少し軽くなるのを感じた。無意識のうちにきっと、肩に力が入っていたのだ。話していて幾分か気が楽になってきたのだろう。これが一人きりだったならと思うと寂しいし、とてもじゃないが耐えられない。

 シェリックがいてくれてよかった。ラスターはそう、心底思った。