Chapter 35 - その優しさに抗って
ほんのり甘い口の中。
飴が入っていた袋の中身は半分ほどまで減り、それ以上は止めておこうと決める。これから先は何があるか見当もつかないから、大事に取っておいた方が良さそうだ。ラスターは袋の口を縛り、再び隠しへとしまった。
これで大丈夫だ。隠しの上から押さえると、袋で膨らんだ塊に手が触れる。ちゃんと入っていることに安心したけれど、今度はなんだか落ち着かなくなって、頭をかいた。陽に当たっていたせいか、そこはほんのりと暖まっている。ついつい木陰で昼寝をしたくなるような天気だし、うっかりあくびもこぼれてきて。
「――あれ」
ラスターは両手で頭のあちこちに手を当て、後ろの髪を押さえた。
船で目が覚めてからずっと、何かおかしいと思っていたのだ。どうして今の今まで気づかずにいたのだろう。
はらりと落ちてきた髪をつまみ上げる。髪を結わいていた紐が、いつの間にかなくなっていた。
どこで落としたのだろう。ラスターはほどいた覚えなどない。別に安物だし、特別気に入っていたとかそういうものではないけれど、ないと髪が邪魔をして視界が見えづらくなり、大変不便になってしまう。
「ラスター? 何してるんだ」
髪を触ってやはりどこにも紐がないのを確認していると、シェリックから不思議そうな声がかかった。
「うん、紐がなくて。髪がちょっと邪魔だなって」
飴の紐を使ってもいいけれど、そうしてしまうと今度は袋に入っている飴がこぼれてしまう。そんな大惨事は避けたい。
「ああ、それだけ長いと確かに邪魔そうだな。いっそのこと切ったらどうだ?」
「うーん……」
ラスターはうなった。長い髪に固執しているつもりはないけれど、いざそれを指摘されるともったいなく感じてしまう。この機会に切ってしまうべきか。今まで長かったから、短さに落ち着かなくなるのではないだろうか。
晴れ晴れとしない思いで考えていたら、隣から何かが引きちぎれる音がした。ぎょっとしてそちらを見、シェリックが手にしているものを目に入れて――音を聞いた時以上に固まった。
「――ほら、これでも」
「待って、それ、大事なものじゃないの!?」
ラスターは反射的に声を上げていた。シェリックはそれを差し出したまま、もの問いたげにこちらを見ている。シェリックが差し出したのは、ラスターにも見覚えのある紐だった。
それは、シェリックの星命石をくるんでいた紐だ。先の音はシェリックが紐を引きちぎった音。首から下げられるほどの長さにあった紐は半分以下になり、シェリックの手の中で不格好に揺れている。
「別に? 石があれば十分だ」
「でも!」
そう言ってちぎった紐をラスターに押しつけると、シェリックは短くなった紐を結び、輪にして外套の隠しへとしまった。
ラスターの手の中には紐が残される。結ぶことも返すこともできずに、その明るい茶色の紐を見下ろした。もらえるわけがない。
やっぱり返そうと面を上げたラスターに、シェリックは何食わぬ顔で言ったのである。
「気にするな、飴をもらった礼だ」
「そんなコト言われたら返せないじゃん」
「じゃあ使うしかないな」
「うー……」
納得が、いかない。
なおも返そうとするも、シェリックには受け取る様子がない。シェリックと、渡された紐とを見比べて、ラスターはとうとう根負けした。
「……わかった、使うよ。ありがとう」
「どういたしまして。その割に不本意全開だな」
「気のせいだよ」
ラスターは手早く髪をまとめ、譲り受けた紐でひとつに縛る。視界が大変快適になって、余計に悔しくなった。
「……ありがとう」
「はいはい、どういたしまして」
悔しさがにじみ出て、適当な言葉になってしまったのは否めない。返したシェリックもぞんざいな答えだったからおあいこだ。
「人が全然見えないケド、ここって無人島なのかな」
「何とも言えないな。もう少し歩いたら誰か見つかるかもしれないが……少なくとも、無人島ではなさそうだ」
「どうして?」
断言するシェリックは足元を指さした。
「ここ、比較的『道』になってるだろ?」
「? うん」
「誰もいないなら、道にはならずに植物に覆い隠されてるはずだ。そうならないのは、ここを通る何かがいるから。それが人なのか、それ以外の何かなのかはわからないが、ま、人じゃないか?」
「その根拠は?」
ラスターはわくわくして返事を待つ。シェリックはどんな答えを持っているのだろうかと。
「勘」
「……ねえシェリック、適当だって言われない?」
「冗談だ」
あれだけ楽しみにしていたのにあんまりだ。
「――っわ、ととっ」
足元がおぼつかなくなって体勢を崩しかける。後ろから伸びてきたその手がラスターの腕を取り、間一髪のところで支えてくれた。
「ありがと、びっくりした……」
「歩きにくいから気をつけろ」
「うん」
前に出そうとした足が上がりきらず、落ちていた石につまずいたのである。どうしてこの場所はこんなに歩きづらいのだろう。
「どこかで休んでるか?」
シェリックからそんな提案が出され、ラスターは首を振った。
「ううん、平気」
「あまり無理を――」
「へっちゃらだよ」
重ねて口にし、シェリックの目をじっと見据えた。
「行くならボクも行きたい。だって、聞きたいんだもん。ボクも、ここがどこなのか知りたいし、何か役に立つかもしれないよ。シェリックが気づかないコトにだって、ボクなら気づけるかもしれないし」
希望だけは伝えることにする。
「それに、お母さんに続く手がかりになればもっといいなって」
――だから、少しばかりお腹が満たされて、うっかり口が滑ってしまったのだ。
「お母さん?」
「あ」
シェリックの疑問を聞いたところで、ラスターは慌てて口を押さえる。しまった。
「お前、もしかして探してるのは母親か?」
「……そうだよ」
話すつもりなんて全然なかったのに、どうしてこぼしてしまったのだろう。きっと気が抜けてしまったからだ。そうに違いない。
膝に落とした両手をぎゅっと握る。
「輝石の島に手がかりがないかなって思って、それでここを目指してたんだ」
「以前俺に聞いてきたのが、母親の行方だったんだな」
「うん」
「そうか」
「――わ、ちょっと、シェリック!」
頭をかき回され、抗議しようと顔を上げたところで、穏やかな表情でこちらを見てくるシェリックと目が合った。
「見つかるといいな」
「う、うん。ありがと」
なんだか気恥ずかしくなって、ラスターから離れていく手をなんとなしに眺める。
「――訊かないの?」
「何を?」
あらぬ方向を見ながらうそぶくシェリックに、大人の余裕を感じてしまう。知っているだろうに、あえて聞いてくるのは卑怯だと思ったのだ。
「お母さんのコト」
「別に?」
そして、シェリックはこう続けたのである。
「お前が話したくないならそのままでいいし、話したくなったらその時に話せばいい。俺から無理に聞く気はねえよ」
「そっか……」
ラスターが息を吐くと、身体が少し軽くなるのを感じた。無意識のうちにきっと、肩に力が入っていたのだ。話していて幾分か気が楽になってきたのだろう。これが一人きりだったならと思うと寂しいし、とてもじゃないが耐えられない。
シェリックがいてくれてよかった。ラスターはそう、心底思った。