翡翠の星屑

Chapter 18 - 疑惑の眼差し、注がれて

季月 ハイネ2020/06/15 15:36
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 薬師。そう呼んでいいのか微妙なところではある。母親から教えてもらった知識で薬を作れるだけであって、ラスター自身、『薬師』という資格を持っているわけではないのだ。その資格を取る方法を聞こうとしたところで、母親がいなくなったのだから。


 そうして行方知れずのまま、現在。本当に、あの人はどこに行ったのだろう。

 今はとにかく、目の前のことに集中しなければ。


「船員さん。調理場って借りられる?」


「調理場、ですか……? ええ、こちらです」


 承諾の意を得て、ラスターは寝台の横にいる女性に向き直る。


「作って持ってくるから、少し待ってて」


「そうですか、わかりました――セーミャ」


「はい! ――あのっ」


 治療師見習いと言っていた女性が手を挙げた。


「わたしにできることがあればお手伝いしますよ!」


「えっと……」


 返事を迷う。先の悔しそうな様子を見てしまっては断りにくい。治療師見習いというならば、他の人より多少は薬に関する知識があるだろう。彼女の腕の程度はわからないけれど、シェリックに託せないことだって託せるかもしれない。


「人手がいるなら頼んだらどうだ?」


 シェリックからの助言に頷き、緊張した面持ちで待っている治療師見習いの女性へも頷いた。


「じゃあ、お願い」


「はいっ、お任せください!」


 そうして顔を戻した途端、額を指で弾かれる。


「いった!」


 弾いたままの姿勢でいるシェリックに何かしただろうかと思いめぐらせるも、思い当たることは何もない。


「年上には敬語」


 そろそろ教えておかないとだな、なんてつぶやきが聞こえてくる。教えるとは自分にだろうか。もうひとつ、浮かんだ疑問があって。ラスターは額をさすりながら聞いてみることにした。


「……シェリックにも?」


「俺は別にいい。慣れた」


 慣れれば使わなくていいとか、敬語とはそういうものではないと思うのだけれど。


「俺はここで待ってる。行ってこい」


「うん」


 この場をシェリックに任せて。ラスターは先に部屋から出た二人を追った。



  **



「ここです」


 連れてきてもらったのはひとつの部屋の前。扉はない。開け放たれたその入口から、ラスターはひょっこりと中を覗いた。後ろから治療師見習いの人も身を乗り出す。


「わ、すごい」


「うわあ、立派ですねえ!」


 こんな時なのに、二人して感嘆の声を上げて、合わせた目を互いに輝かせてしまった。

 船内だから恐らくそれほど面積は取れないだろうに。そんなことを一切感じさせない広さと、きれいに磨かれた台や床。汚れどころか塵《ちり》ひとつ見当たらない厨房がそこにあったのだ。


「自慢の調理場です。もう少しすると夕食の仕込みに取りかかる時間なので、今は空いているのですよ」


「今からだと、どのくらい使えるんです?」


「そうですね、半刻ほどでしたら……」


「だそうですよ」


「ありがとう。十分だよ」


 肩にかけていた荷物を台の端に置かせてもらい、ラスターは中から必要なものを漁った。

 二人のやり取りを聞きながら改めて眺めてみると、確かにここには人がそれほどいない。忙しい時間帯は人でいっぱいになって、大変慌ただしくなるのだろう。


 手を洗いながら、頭の中でこれからの流れを確認していく。――大丈夫だろうか。

 振り払おうとした不安に襲われる前に、ラスターは調理場の中をもう一度眺める。やはりきれいで広い。それと同時に、隅々まで丁寧に掃除された様子がうかがえて、この調理場が大切に使われていることがわかる。卓上を綺麗だと思うのと同時に、どうあってもこれから汚してしまうのだと考えて、少々申し訳なくなってしまった。


 ――汚したら片づければいい。今は優先すべきことがあるのだから。

 そう結論づけて、意をも決する。


「ちゃっちゃと作っちゃわないとだね」


 限られた時間で腕を振るわなければならない。腕まくりをして、準備は整った。


「船員さん、お湯沸かすの頼んでもいい? 鍋とやかんと、両方でお願い。あと何か平たい小さなお皿があれば貸して――ください」


「ええ、わかりました」


「お姉さん、沸いたら道具の消毒お願い……します」


「かしこまりまして、です!」


 シェリックが敬語を、なんて言うもんだから、たどたどしい言葉になってしまった。慣れないことはするものではない。

 とにかく忙しくなる時間に差しかかるまでに終わるかどうか、速度勝負だ。

 先ほど取り出したのは褐色の瓶が全部で三本、木製の薬さじ、立体的な半月型の茶こし、陶器の小さな容器、それと白い紙だ。


「先に皿を置いておきますね」


「ありがとう」


 横目でちらりと確認する。大きさは大丈夫そうだ。白い紙を台に敷いて、褐色の瓶のふたを開ける。中から乾燥した薬草を薬さじで取り出した。水分がないので飛ばないようにしなければならない。手にも呼吸にも気を配り、紙からこぼれないように適量を出していく。


 ――ラスター、これはね。


 昔、母親から教えてもらった時のように、ひとつひとつなぞりながら進めていく。その間、目は薬草から片時も離さない。何があっても、目を離してはいけないのだと教わった。

 薬草によっては必要量以上取ってはいけないものがある。だから配合を間違えて作っては大変なことになってしまうと、何度も何度も、それこそ耳にこびりついて離れないほどに教えられた。


「お湯沸きました」


「お鍋お借りしますね!」


 ここはラスターの家ではないから、簡単なものしか作れない。それでも手は抜きたくないし、今出来得る最高のものを作りたいという思いはあるのだ。

 わけた薬草を茶こしに入れる。それを茶こしごと紙の上に戻して、一旦息を吐く。


「お茶、ですか?」


 話しかけてきた船員に頷いた。


「うん。お茶みたいなものかな」


 茶と、今作っている薬と。思い浮かべた手順を照らし合わせてみると、双方は似ている。異なるところというと、薬効があるかどうかの違いだろうか。


「どれくらい消毒しておきます?」


「もういいかな。ありがとう」


 いつもより少しばかり短いけれど、致し方ない。鍋からお玉ですくい上げられた陶器は、素手では到底触れそうにない。粗熱が取れるのを待って、薬草の入った茶こしを陶器の上に乗せる。これで準備は完了だ。


「やかんのお湯をちょうだい」


「どうぞ。こちらも熱いので気をつけてください」


 渡された湯を陶器の中に注ぐ。茶こしの八割くらいにまでなみなみと入ったのを確認して、そこにふた代わりのお皿を置いた。

 あとは、待つだけだけど――

 ちらりと目にした時計の針は、ここにきてからもうすぐ半刻だ。そろそろ時間切れである。ここでできることは終わったし、残りはあちらの部屋で仕上げてもいいだろうか。

 ラスターは陶器を両手で包む。


「む……」


 ――包み込もうとして手を離した。


「どうしたんです?」


「……熱い」


 容器のまま持っていこうとしたのだが、いかんせん熱い。消毒した後にすぐ使ったからだ。

 このままでは持てないし、さてどうしよう。冷めるまで待つのは時間がかかるから除外しておく。考えられるのは容器を手巾に包んで持っていくか、容器自体を移し替えて持っていくか――いや、それだと消毒した意味がないからこれも駄目だ、もしくは氷を使って急速冷却するか――

 思案していると、後ろから何か丸いものが差し出された。動かした目が船員に行きつく。


「よろしければこちらを」


 丸い形。配膳でよく見かけるお盆だ。


「ありがとう。でも……」


「何か気になることでも?」


「あげる時に火傷しちゃうかなと思って」


 持っていくのはいいけれど、これでは飲ませる時に熱い。あの寝台の横に座っていた女性が火傷してしまう。


「確かに、そうですね。では木さじを添えましょうか」


 木さじ。

 茶のように一気に量は飲めないけれど、火傷するよりはよほどいい。結果的に量が取れればいいのだ。


「うん。お願い――します!」


「子ども用のものがあるので、そちらをお出ししましょう」


 途中で薬湯をこぼさないように、手元にも足元にも注意を払いながらゆっくりと進んだ。盆の上にある容器内の液体が、ラスターが歩く度に波打つのがわかる。こんなに移動距離があることは滅多にないから、どこかで落としてしまいそうで怖い。容器ぎりぎりに入れたわけではないし、入れ物の容量に余裕はあるけれど、ラスターの気持ちに余裕がない。


 治療師見習いの人が先導し、その後をラスターが、しんがりを船員が担当する。そうして戻ってきた部屋には、出てきた時と変わらない光景が広がっていた。


「あら、おかえりなさい」


「ただいま戻りました!」


 押さえられた扉に感謝をしながら、ラスターは初めに扉をくぐる。

 先ほどと異なっていたのは、ラスターが入った時に、向けられる疑いの目が少なくなっていたことだ。


 決して認められたわけではない。席を外しただけで認められるそんな都合のいい展開なんてないのだ。けれどもきっと皆、わらをもつかむ思いで待っていたのだろう。

 場所を空けてもらった卓の上に、ラスターは盆を置く。乗せていたふたを取り、茶こしを外して盆に置いた。途端に立ち上る薬草の香りと白い湯気。

 火傷しないように気をつけながら、ひとさじの液糖を垂らす。最後に木さじで中をかき混ぜて。


「できた」


 混ぜた木さじは、そのまま使ってもらおう。


「――あれ」


 意外そうな声が上がる。


「それ、クゥートですか?」


 さらっと薬湯の名前が出てきたところを考えると、やはり見習いでも彼女は治療師なのだなと思ってしまう。


「ううん。ガローだよ」


「ガロー? ――って言うと、子どもに飲ませる、あの?」


「ええと、子どもが、っていうより、正確には薬を誰でも飲みやすいようにしたものかな」


 きょとんとしている彼女に説明する。


「クゥートだと、慣れてない人は苦みを感じやすいんだ。いつも飲んでる薬でも、作る人と使う材料によってはその苦みもちょっと違ってくるから、調整しにくくて。その人の腕の見せどころだね。――ボクはまだまだだから、こうやってずるしちゃうの」


 ガロー、そしてクゥート、と言うのは、薬の製法の一種である。ふたつの製法は違えど、どちらも主に薬湯のことを指すものだ。

 クゥートとは、植物の葉や花を、お茶のような製法で作る薬のことを指す。植物の種類も一種類だけであったり、場合によっては数種類用いたり。数や種類は、作る薬によって多様化する。人によって、あるいは使用する薬草の状態によっても変わってくる製法だと言われている。製法自体は簡単ではあるけれど、よほど腕利きの人でなければ同じものを作るのは難しいと言われるのだ。


 もうひとつ。植物の成分である苦みやえぐみが出てしまうので、クゥートを飲みやすくしたものがある。それがガローだ。

 途中まではクゥートと同じで、作り上げたそこに甘い液糖を加えたものがガローである。不快な薬草の味を飲みやすくし、また喉の痛みも和らげる利点を持っている。特に喉風邪を引いた時であれば、わざわざ苦い味を通すより、喉に優しい甘い味を通した方がいいという考えもある。


 そんなわけでクゥートではなくガローを作ったのだけれど――ラスターは少々思い出したことがあって顔をしかめる。

 薬草の味を知っておくために、昔、母親が作ったガローを何杯も飲んだのだ。もちろん、一日でとれる量を調整しながらではあったけれど。今思い返せばあの時ほど大変だったことはなかった。苦みにはだいぶ慣れたとは言え、子どもの味覚ではなかなかに辛いものがあった――と、それは置いといて。


 それこそ腕利きの人ならば、苦くないクゥートを作ってみせるのだろう。そう、ラスターの母親のように。

 以前ラスターが人に頼まれてクゥートを作った時、こんなものが飲めるかと容器ごと投げられてしまったのは、まだ記憶に新しい。だからラスターは安全策を取るのだ。いつか誰かのかかりつけになれるその時まで、ラスターはガローを作り続けるのだと決めている。誰にも言わない、自分だけの約束だ。


「苦みを消すための甘味を入れてあるから、普通に作られるものよりは飲みやすいはず。それに、すぐ効果が出る時に使いたいならこっちかな、と思って」


「そうだったんですね」


 彼女が納得したように頷く。


「――うん、それなら大丈夫そうです。どうぞ、お嬢様に差し上げてください」


「うん」


 空けられた道、ラスターの手足に緊張が走る。ベッドの傍に腰をかけている女性へと、薬の入っている容器を盆ごと差し出した。


「これを……ええと、どうぞ。熱いので気をつけて、ください」


 先ほどよりはだいぶましな敬語になったのではないだろうか、なんて自画自賛をして。


「飲ませればいいのね?」


 淡く微笑した女性に、ラスターは頷く。


「それで――これが毒ではない保証はあるかしら?」


 ――頷いて、続く言葉に凍りついた。