Chapter 4 - 港町ルパの人々
宿屋を出て、寂しく一人。町を歩くラスターは早くも後悔していた。
海から吹いてくる風が思った以上に冷たく、今着ている服だけでは完全に防げないからだ。
以前買った外套を名残惜しげに思い出す。どこかの町からの輸入品である、保温性、風避け抜群のそれはとうの昔に売り払ってしまって、もう手元にはない。
ルパで必要な情報を集めたらすぐに出発となるだろう。今のうちに何か一着買っておいた方がいいかもしれない。
シェリックの旧友だという彼の格好が、ちらりと頭をよぎる。彼が着ていた、あんな感じの羽織ものならいいかもしれない。備えがあれば、憂いはないものだ。
港の方へ下って行くと、頃合い良く服屋らしき店を見つける。らしき、というのも、看板は見えているのだが、遠目で文字が判別できなかったからだ。
ラスターは自分の幸運を喜び、いくらか軽くなった足で歩いていく。
近付いてみると自分の判断が正しいことが実証された。入口の横には服を象った看板が置かれていたのだ。近くで見てみると、とてもわかりやすい店だったのである。
「あれ、これって……」
さらに間近で目を凝らし、よくよく見てみる。看板に書かれた店の文字が立体的に彫られていて、誰かの手製の物であることが伺えた。
看板と言えば、有名な店では職人芸の物が多い。
しかし、ここの看板はお世辞にも職人の技術とは似ても似つかず、ところどころ歪な形に仕上がっている。そう言った意味では職人芸の看板の方が見栄えはいいが、こちらの方がなんだか親近感を感じる。完璧でない分、温かみが備わっている感じがするのだ。
思わず笑みが浮かんできた。
服型の珍しいお手製の看板。それにしばらく見惚れた後、店の扉を押してみる。
明かりが点いていないのでまだ開いてないのかと思いきや、扉自体は簡単に開いた。
「お」
驚きつつも恐る恐る中に入る。
店の中は薄暗く、人の気配がない。
「すいませーん」
中に向かって声をかけてみるが、返事はない。店内を見渡してみるも、やはり誰の姿も見当たらなかった。店が開いているなら誰かしらいるはずだ。けれど、扉が開いているだけで、店が開いていない可能性も捨て難いし――
「す、い、ま、せーん!」
もう一度、今度はより大きな声で叫んでみる。すると。
「はーい! ただいま!」
奥から若い女の人の声が返ってきた。
こちらへと走ってくる音が聞こえ、途中で止んだと思ったら明かりが点いた。そこで初めて店の中が露わになる。
外見からわかるように店内はあまり大きくなく、こぢんまりとした店だ。港町ということ、それにこの辺りの気候の関係で、風を避けられそうな服が思っていた以上に置いてあった。
その他にも普段着用の服や漁師の人がよく着ていそうな服、旅の人用の服や貴族の人が着ていそうな高価な服まで置かれている。中でも特に目を引いたのは、店の隅に飾られている、傷だらけの服だった。
屈んで眺めてみる。
どうやら相当古いものらしく、あちこちがほころんでいたり、破れて汚れていたりしている。それらの裂け目の周りには何やら黒ずんだものがあった。
これは、ひょっとして血の跡だろうか。
その推測は外れていないような気がした。
服についている中では左胸の位置に当たる穴が最も大きく、どす黒く変色している。
もしもこの黒いものが本当に血であったなら、これを着ていた人間は、壮絶な最期を遂げたことになる。どうしてこんな物騒なものが服屋にあるのだろうか。服であることに間違いはない。しかし、どう考えても似つかわしくない。
単なる趣味とか、ありえそうだ。
「――それはね、命を賭して戦い、この町を救った海賊が亡くなる時に着ていたものよ。この町では英雄なの」
ラスターの疑問に答えるかのように返ってきたのは、先ほど奥から聞こえてきた声と同じだった。
海賊と言えば、海の覇者であると同時に略奪者でもある。噂でしか聞いたことはないが、その海賊が、英雄?
「海賊が英雄なの?」
思ったままの疑問を口にする。
「そうよ。ヴェノム=サーク=アルエリアっていうんだけど、聞いたことない?」
「ない。初めて聞いた」
「そう? この町では知らない人がいないくらい有名な人よ。特に、男の子なんかみーんな『大きくなったら英雄になるんだ!』っていうのが口癖でね。笑っちゃうでしょ」
肩をすくめて彼女は朗らかに笑う。それでも彼女が語る言葉はどこか誇らしげだった。
「――あ」
ぱん、と音を立てて、彼女は胸の前で両手を合わせる。
「ごめんなさい、おしゃべりが過ぎたわ。何をお探しですか?」
一度ぺこんとお辞儀すると、口調はすっかり店員のものになっていた。
「えーと……風避けの、できれば他の国でも着れるような服ってある?」
「ありますよ。あなた、ひょっとして旅の方?」
ついでとばかりに彼女は尋ねてきた。
「うん。そうだよ」
頷いて答える。
「やっぱり。この辺りじゃ見かけない服装だし、ルパは他の大陸にも渡れるからね」
ラスターたちも一応目当ては船だ。
船、と言っても漁船や貿易船ではなく、人を乗せて運ぶ客船のことだ。シェリックから話を聞いた限りだと、その船の行き先は主に隣国のアルティナ王国だと言われている。
「あなた、一人旅?」
探す手を止めず聞いてきた彼女に、ラスターは大きく手を振った。
「まさか! もう一人は宿屋でお留守番」
「じゃあ、二着探した方がいいかしら?」
店員の少女はくすくすと笑い、一旦手を止めてこちらを振り返った。
「うん、お願い」
ラスターが返事をすると「かしこまりました」という応えののち、すぐさま探すのを再開した。
「そういえば、ここのお店は開くの早いんだね」
来る最中に、閉まっていたいくつもの店の扉を思い出す。
朝早くとなれば、開くのは大抵飲食店だ。シェリックにはああ言って出てきたものの、実はそんなにすぐ見つかるものだとは思っていなかったのだ。
「ここは港町でしょう?」
「? うん」
改めて確認されるも、漁師がいて、船が出て行く町、くらいしか浮かばない。
「ここには様々な人が訪れるし、同時に色々な人が出ていくの。発つ時間もまちまちで、どうせなら送ってやりたい、というのがうちの店主の意向でね。だから朝早く、夜は遅くまで開いてるの」
「それ、大変だね」
夜明けから陽が落ちてなおもということは、確実に店が開いている時間より、閉じている時間の方が短い。その間働きっぱなしになるのだろう。
「と思うでしょう? 実は昼間は休みなのよ、うち」
「え?」
なんだろう、その不思議な時間は。
「お昼になると、町の飲食店にお客さんが取られちゃって商売上がったりだから、開きたくないんですって」
「変なの」
「私もそう思うわ」
茶目っ気たっぷりに言う彼女につられて、ラスターも笑みをこぼす。風変わりな店主のおかげでこうして恩恵に与れているのだから、文句などあろうはずもない。
「もう少し待ってね。――あ、そうね、こんなのもいいかも。どうかしら?」
見立ててくれたいくつかの服を間近で眺める。
さて、どんなものがいいだろうか。手に取り生地を確認する。とは言ってもあまり詳しくはないので、ほとんど自分の勘に従っているだけだ。
そうして何着か見せてもらったところで、ラスターの目に止まったのは。
**
「ありがとうございました!」
店員の明るい声を背に店を出ると、町中の様子は活気あふれたものに変わりつつあった。
買った二着のうちひとつはすぐに羽織り、これで寒さもしのげそうだと安堵《あんど》する。もっとも、陽の出てきた今の時間帯からだと、もしかしたらすぐに必要なくなるかもしれない。
さて。
ラスターは鞄の中身を思い浮かべながら歩く。
色々な店に寄りたい気持ちはあるけども、ここで無駄遣いをするわけにはいかない。
とりあえず必要なものだけ確保しておいて、あとはそれから考えようか。
「ん?」
視界に何か青い色が映った。
顔を上げたラスターの目の前に、境目がわからないくらい真っ青な海と空が広がる。それらを背景にして、辺り一面に名も知らない白い鳥が飛んでいたのである。
「うわぁ……!」
初めての光景に、ラスターは感嘆の声を上げた。きれいだ。思わず走り寄り、落下防止の手すりにしがみついて目を凝らす。
どうやら、考え事をしているうちに、いつの間にか港まで来てしまったらしい。
鮮やかな白と青の調和する世界。例えて言うなら流れる雲のように、夜空に浮かぶ星のように、しんしんと降り積もる雪のように。何よりも、開放感たっぷりの広大さに、それ以上の言葉が出てこなかったのだ。
ただただ広い。
世界とは、こんな場所を指すのではないだろうか。それでも『世界』というくくりで考えると、この場所はあくまでもその一端にしか過ぎない。他にもこんな景色がいくつもあるのだと考えると、なんだか途方もなく凄い。
「よお! ここいらじゃ見かけない顔だな!」
風に吹かれるまま立ちすくんでいると、そんな声が聞こえてきた。下方を見れば、船を背後にしてこちらを見上げる男性が一人。
「お前、海見るのは初めてか?」
簡素で動きやすそうなその格好から判断するに、恐らく彼は漁師だ。
それもたった今戻ってきたところらしい。彼の足下に放り出されている大きな網には、大量の魚がいる。飛び跳ねている魚の多いこと。
「うん、初めてだよ! こんなに広いなんて思わなかった!」
負けないくらいの大声を張り上げると、またもや大声が返ってくる。
「はっはっはっ、海は広いさ! 外に出ればもっと広いことがわかる!」
「だろうね! ここから見える限りでも十分広いと思うケド、一面海になるコトもあるんでしょ?」
それを聞いた男は顔をほころばせた。
「おう、その通りさ! お前も一度船に乗ってみるといい! 海の偉大さがわかるぞ!!」
「そのうちね!」
苦笑いをした。
この進み方から言って何となく「今から乗れ!」とか言われそうな気がしたのだ。気にはなるけれど、今はまだお断りしたい。
「必ず一度は乗れよ! 海はいいぞ!」
「うん! じゃあ――」
手を振ろうとして、その動作を止める。ふと思いついたことがあった。
「ねえ、おじさん!」
「ん?」
仕事を再開しようとしていた男は手を止めてこちらを見上げる。
「この辺りで漁師がよく集まる場所ってある?」
「漁師が集まる場所?」
首を傾げ、上を向いて考える素振りをした。
「そうだな……灯台の近くにある飯屋だと思うぜ。他の奴らはどうか知らんが、俺は良く行く!」
ラスターから見て左の方向を指され、指に合わせてそちらへと視線をやる。なるほど、言われてみれば確かに背の高い建物がひとつ、寂しそうに建っていた。彼の示す灯台とは、きっとあれのことだろう。
そういえば、この町に来る時遠くから見えていたのも、あの建物ではなかっただろうか。
このまま海沿いを歩いていけば着けそうだ。
「それと、俺はおじさんじゃなくてお兄さんだ、間違えるなよ!」
苦笑ぎみに返され、ラスターは自分の失言に気づいた。
「! ごめん!」
「いいってことよ!」
人を見た目で判断してはいけない。遠目だったからとはいえ、こちらの失態であることに変わりはない。
「お兄さん、ありがとう!」
「おう、じゃあな!」
今度は間違えない。大きく手を振り、身を乗り出していた手すりから離れる。ラスターは灯台の方に向けて歩き出した。