タツマゲドン2020/06/15 09:19
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 何処かに横たわっている。

 眩しい。目が開かない。

 耳鳴りのような騒音。はっきりと聞こえない、意味を持たないノイズ。

 何なのか分からないが、鼻を通過する匂い。

 背中は柔らかいクッションらしき物体。

 腕には何かが触れている。手探りで探し当てようと……

「……ゴホッ!」

 息を吸った途端、大きく咳き込んだ。空気は埃っぽくはないが、まるで息をす方法を忘れてしまったような……

 それをきっかけに、全てが明瞭になった。

 首を動かして見えたのは、簡素な医療室らしき部屋と、白いベッドのシーツ。

「負傷者を運んで来たぞ!」

「今そっちへ行く!」

「早くしてくれ、血が止まらないんだ……」

「大丈夫だ、助けてやるからよ!」

 次々と負傷者が担架で運ばれ、それに合わせて迷彩服を着た人物達が休む暇なく勤しんでいる。

「ストーン先生はどうしたんです?」

「相手の『トランセンド・マン』と交戦中だとさ。余程切羽詰まっているらしい」

「しかし施設は崩壊させたってのに、どうして奴らここまで戦力があるんだ?」

「さあな。だがもうじき援軍が来るそうだ。それまで粘れってこった」

 会話に紛れて、微かに聞こえる爆発音。それと伴う振動。割と近いらしい。

 匂いの源は見当たらないが、消毒薬によるものか。

 腕の違和感の原因も判明した。腕の皮膚を針が突き刺していた。針は細いチューブに繋がっており、チューブを辿った先には点滴パック。

 躊躇なく針を引き抜く。多少痛みはあったがどうでも良い。後はベッドから起き上がり……

「おい、君、待ってくれ!」

 ふと、呼び止める声。正面から迷彩服の誰かが、起きた自分を寝かせようと手で誘導する。

「まだ安静にするんだ。昏睡状態だったし、無理に動くと……」

 止まっていられない――忠告を無視し、立ち上がった。呼び止めた男は、それでも止めようとする。

「やめろ」

「でも君……」

 制止する手を振り払い、逃げるようにその場を去る。

 何かをしなければならない気分だ。耳に入る銃砲撃が更に誘ってくる。

「あそこだ、止めてくれ」

 先程の男性がこちらを指差していた。近くに居た兵士と思われる同じ服装の人物ら三人が走り寄り、周囲を囲んだ。

「おとなしくしてくれ、悪いようにはしない」

 正面の人物が言ったその言葉に偽りはない。

 だが拒否していた。ここから動きたい。

 地面を一蹴り――気付けば、三人の包囲から抜け出していた。後方で聞こえた狼狽。

 行かなければならない、気がする。

 知りたい。何が起きているのか、知らない。

「あの少年さては、『トランセンド・マン』か?!」

 他人の言う事など意識の外。

 行きたい、その一念のみ。

 やがてテントの外へと足を踏み出し……

 身震いした。足がすくんだ。

 広い、何があるんだ?

 反射的に涙が溢れ出てくる。

 “それ”が何なのか、分からなかった。

 外に出て一歩ずつ歩く度に、その感覚がこみ上げてくる。

 だが、戸惑っている暇はない。

 何かが“見えた”気がした。強い発光だ。

 周囲のあらゆる場所に散在し、まるでそれぞれの光が争い対立し合っている様に見えた。光は強弱や色まで、どれも違って“見える”。

 その中で一番近い場所で対立している、四つの光。

 三つと一つに分かれているが、数で劣っている筈の一つがその強さで勝っていた。

 この光は何なのか。そもそも光なのだろうか。疑問だ。

 知りたい。だが進もうとすると体が震える。

 進みたいのに止まってしまう。体が意思を拒否している。

 それでも、足を一歩前へ。






 正面蹴り――それを受けた衝撃で、ハンは地面に叩き付けられた。

 受け身を取って起き上がると、視界の右端には銃を乱射する医師の姿。

 アサルトライフル型の銃は一秒で百発の銃弾をばら撒く。しかし、左右へジグザグに回避するポールには命中せず、既に距離は残り三メートル。

 ボディブローがチャックを吹き飛ばし、続いて反対方向の少女目がけて突進する。

「二人とも準備してください!」

 アンジュリーナが叫んだ。既に起き上がっている青年も、地面を背にしたままの中年男性も、頷く。

 両手を前に突き出した少女。ハンが右手を突き出しながら駆け寄り、チャックが照星を合わせ引き金を引く。

 直後、不可視の圧力がポールの突進を妨げた。後方から迫る脅威が分かっていても、思い通り動かない。

 瞬時に跳び上がり、体の向きを地面と水平に――銃弾に対し表面積を最小限に。それでも避け切れず、腕で受けて痛みに耐える。

 今度は三時の方向、東洋人が銃も使わず、掌から“弾”を発射していた。仕方なく腕を振り払って“弾”を防御。

 ハンの能力は「電気操作」。空間から吸収した“エネルギー”を変換して掌から射出、その“弾”は命中した物体に存在する電子を操作し、電気エネルギーを発生させる。

 結果、痺れる感覚がポールの肉体を駆け巡り、ただでさえ身動きが不自由な空中で硬直する。

 ほんの一瞬、アンジュリーナが表情と両手を力ませる――相手の肉体が宙で固定された。

 ほぼ同時、右足で大地へ踏み込むハン――足元にクレーターを作り、体ごと左足を大きく横へ、突く。

 蹴り飛ばされる敵の姿。砂の上を転がり、銃弾が申し訳程度に命中した。

 一泡吹かせられたものの、三人の表情は緊張と威圧に固まったままだ。それぞれの視線先では、相手が青い瞳で睨んだまま体を起こしているのが見えている。

「……一応言うが、やはり私は必要なのか?」

「二人だったらこんなに上手くはいきませんよ。誰にだって取り柄はあるんです」

「励ましをどうも……」

 接近戦闘は出来ず、射撃にしても精度が良いとは言えない、チャックの自虐発言だ。ハンは正面で向かい合う相手を警戒しながらも、間接的にフォローを忘れない。

「でもこれなら勝てるかもしれませんね」

「いや、まだ手の内を隠している。まだ油断しちゃ駄目だ。集中して」

「で、ですね……」

 黒髪の男性に厳しめに言われ、アンジュリーナは自分のドジな面を戒めながら、顔を横に振って気を引き締めた。同じ失敗を繰り返してはならない、と心の中で言い聞かせる。

(あの中国系の男、鋭いな。小娘の方も能力が厄介だ。潰すなら一番弱いあのデブからにしたいが、そう上手く行くか……)

 三方から囲まれながら、ポールは三百六十度に気を配りつつ、立ち上がっていた――三対一の視線の駆け引き。

 体中砂埃にまみれた敵の姿、だがその表情には余裕が読み取れた。冷酷な、相手を昆虫や小動物あるいは実験対象のように観察する目。蔑む笑いを浮かべている風に見えなくもない。

 しかし何時までも何かを仕掛けてくる様子がない。

「どうした? 何のつもりだ?」

「……」

 察したハンが沈黙を破るが、返事は来ない。構えながらも不審がって手を出そうとしなかった。アンジュリーナも同様、警戒心を失い、チャックに至っては首や関節を曲げてストレッチしていた。

 不意に相手の口が上に開いた。

「……そこの小娘が我々の研究所からある少年を誘拐した、そうだろう」

 ポールの人差し指は、灰のロングヘアの少女を示していた。

 当然三人には思い当たりがある。アンジュリーナに至っては連れてきた張本人だ。青髪で比較的小柄な、病的な白さの肌の少年。

 やはり、と三人は心の中で苦虫を噛み潰した。

「ああ知ってるとも。妙な少年だったぞ。成長しているのに老化レベルは胎児と同じ。一体どういう事だ?」

「お前達は知る必要はない」

 医者としての疑問を含みながら、代表して問い返したチャックだが、一蹴された。

「奴を引き渡せ。そうすれば我々は引き上げる」

 その条件に男性二人は迷った。あの少年を引き渡すだけで犠牲は抑えられる。だが、ハンは相手の機密情報として、チャックは研究対象として、興味があるものをそう簡単には捨てられない。

 しかし、条件に乗るか乗るまいかの意思を表明したのは、この場唯一の女性かつ未成年の、アンジュリーナだった。

「彼を渡したりなんかしないわ!」

 彼女に迷いなど無かった。

「……理由を聞こう」

 ポールの視線が右へ百二十度移る。仲間二人は少女からのあまりに突然な発言に戸惑い、言葉を失っていた。

「彼が可哀想だからよ!」

 絶句し、呆れて顔をしかめるポール。アンジュリーナの訴えは続く。

「だって、あんな昏睡状態になるまで大量の麻酔を使って、しかも私が彼に初めて会った時は床にまるで捨てられたように横たわっていたのよ! 一体彼に何をしているの?! 私は誰かが苦しむのは見たくない!」

「駄目か……」

 返事ではない、単なる独り言。ポールにとっては目的さえ達成出来れば、こんな未熟な少女の戯言などどうでも良い。

 ふと、見えない“発光”――突如、アンジュリーナの視界から敵の姿が消えた。チャックも見えなかった。走る動きを捉えられたハンですら、反応が間に合わなかった。

 次の瞬間、ポールは少女の目の前に現れた。

 ローキックが彼女を仰向けに蹴り倒し、靴底が華奢な背中を踏む。そして少女の細い腕と灰色の長い髪の毛を、大きな手が後ろ向きへ強引に引っ張った。

(何だ今のスピードは?! いくら何でも速過ぎる……)

 駆け寄ろうとしていたアジア青年が立ち止まった。平常を保とうと相手を見詰めるが、内心は驚いていた。

「私には何が何だかさっぱり……やっぱり治療に専念しとった方が良かったかな……」

 アイルランド系医師の頭は混乱と戸惑いで埋め尽くされ、硬直している。

 そして、ポールは足元で力なく抵抗する少女を一目見るなり、

「奴は何処だ」

「……」

 返事が返って来ないと見るや否や、左手に握る細長い灰色の束を更に引っ張る。

「い、いやあああああ!!!!!」

 苦痛に少女が悲鳴を上げる。そこへ太い指が背中の左部分に突き立った。

「この指が見えるな? 渡さんと小娘の心臓を止める。早くしろ」

(……仕方ない、皆を助ける為だ)「引き渡せば本当に撤退するんだな?」

「当然だ」

 即答。向こう側には動揺の欠片もない。

 仲間を助けるべく、そしてこの場一体の戦闘を解決すべく、ハンは仕方なく言おうと口を開きかけた。

 その時、彼の息が喉から吐き出される寸前、口が閉じた。

 ハンの目線にはポール、対する彼の細められた視線は、丁度ハンとチャックの中間、距離は二人よりも遠い。

 何を見ているのだろうか。好奇心に負け、疑問を解消すべく後ろへ目をやる二人。這いつくばらされたアンジュリーナも首だけを傾けて知りたがっていた。

 約二十メートル先――はっきりとは見えないが、兵士達の照明や満月の灯りに照らされ、暗い髪と瞳が青く輝いている様だった。

 ガウンらしき白い病人着、病的なまでに色の無き白い肌。時折細い足元がフラフラと覚束なく、弱々しく立っている。目は眩しそうに閉じ気味だった。

 今まさに噂の、アンジュリーナが連れてきた少年に間違い無かった。その涙で滲んだ目は、何かを探しているように見えた。

「アンダーソン……」

 呟き。直後、ポールは髪を握る手を放し、ハンとチャックの中間を通り過ぎていた。

 一番早く反応したハンはその後ろを追い掛ける。続けて倒れたままのアンジュリーナの両手が突き出され、遅れて止まったままチャックの視線が銃の照星を覗く。

 それよりも先に、ポールの突き出された指が少年の側頭部へ食い込んだ――聴覚器官のショックで小柄な体躯が膝からガクリと崩れる。

「やめて!」

 最初に食って掛かったのは、やはり誰よりも正義感の強いアンジュリーナ。

(交渉は無理そうだな……せめてあと誰か一人来てくれれば……)「今は食い止めるしかありませんね」

 応じて迷いを捨てたハン、落ち着きを失った少女より前に出る。

「私が頼りなくて悪かったな……だがやれることはするさ」

 チャックが愚痴りながらも、銃身を腰の位置で抱え、しぶしぶ参戦。こうして一時休戦は終わりを迎えた。

 既に四人は少年の事など意識の外、戦闘に集中していた。

 だから、誰も気付かなかったが、地面に倒れた少年は、ほんの少しだけ瞼を開いていた。

 何かを探して、あるいは求めていた。