【短編集】妖怪女子、様様に暮らし

Chapter 5 - ソーメンと狸と夏の思い出

壱原優一2020/06/02 12:07
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 鍋の中で湯が沸々と滾っている。

 そこへ、|蜷局山《トグロヤマ》ガラ|代《ヨ》はソーメンの束をバラバラっと投入。

 噴き零れに注意しつつ箸でサッサかき混ぜる。


 夏真っ盛り。

 新調されたエアコンは絶好調だが、火の前に立って湯気に手を突っ込んでたら、汗は際限なく噴き零れるというものだ。

 体にタンクトップが張り付き、不快指数は今年最高。

 どうしてもソーメンが食べたかった、というわけでもない。

 この暑いなか、外に買いに出る気にもならず、台所を漁ってみれば、頂き物のソーメンを見つけた。


「夏だし、これでいっか」


 なんて言って、気付いていなかった。

 いや忘れていたと言うべきか。

 ソーメンを茹でるのは、己を茹でるにも等しい行為だと!

 およそ一分半の、その苦行に耐えた者にだけソーメンの道は開かれる。


 そろそろだろうか。

 ガラ代がザルを用意したところで、


 ――ピンポーン!


 予期せぬ来客の報せ。


 ガラ代は無視して――ピンポーン!――ソーメンをザルに開けた。

 ようく水洗いし――ピンポーン!――ネギと、それから――ピンポーン!――きゅうりとハムもあったから刻む。


(……行ったか? 頼み事だったら悪ぃけど、昼時に来られてもなぁ)


 やれやれと思いながら、めんつゆとワサビをリビングへ持って行こうとして、

「よお、ガラ代。久しぶりじゃな」

 麦わら帽子に白いワンピースを着た狸耳の女が、いつの間にか、ちゃぶ台の前に座っていた。


 鍵は掛けていたはずだけれど、彼女が相手ではしかたあるまい。


「勝手に入らないでって何度も言ってるじゃないですか、おキヌさん」


 |八丈島《ハチジョウジマ》|絹優《キヌユ》という。

 見た目は二十代後半といったところだが、実年齢は不詳。

 ガラ代の小さい頃から全く変わらない。


「あー? チャイムは鳴らしたじゃろ? 返事はなかったかもしれんがの」


 ガラ代はちゃぶ台にソーメン一式を並べながら、

「ご覧の通り、手が離せなかったんです」

「どれ。うちもいっぱい貰おかね」

 絹優が付けつゆを持っていくのを止める間もなかった。


「……たくさんって意味じゃあないですよね?」

「地蔵じゃないけんの。たまに化けるが。三杯くらいにしとこか」


 しかたないと思いつつ、改めて自分の分のつゆを用意するガラ代。

 ようやく腰を落ち着けると、不意に絹優の手が頭に伸びてくる。


「おっと。ソーメンみたいじゃけん間違えたわ!」

「うっせ」

「にしても凄い汗じゃのー。まるで我慢大会じゃ」

「そりゃソーメン茹でてたら、そうなりま」


 ぐりぐりと撫でまわされる。

 髪の毛代わりの蛇たちがキュイと鳴いた。

 頭から額に移り、頬までも。


「ほれ、これでええじゃろ」


 そう言って手が離れていけば、すっかり汗は引いていた。

 いや、葉っぱになったのだ。

 その証拠に、絹優の手には数枚ほどが握られている。


「……どうも」

「夏風邪は阿呆が引くけんな」

(いつか、ぜってー殴る)


 もう何度も思っているが、かなったことは一度もないのだった。

 ちゅるりちゅるり。

 ソーメンを啜って絹優は「うむ」と頷く。


「やっぱり夏はソーメンじゃの。天ぷらがないけん、すぐ飽きそうじゃけど」

「そりゃ良ござんす」

「きゅうりとハム、結構いけるな」

「ソウデスカ。はあ……もう、好きなだけどうぞ」


 結局、彼女は三杯ほど食べて箸を置いた。


「夏場なんじゃけん、もっと栄養つけよ。ほれ」


 そう言って彼女は麦わら帽子の中から十数枚の葉っぱを差し出してくる。

 受け取って見れば『ナス』だの『トマト』だの野菜の名前が書いてある。


「別に」とガラ代。「人間みたいに、やわじゃねえし」

 葉っぱをちゃぶ台の上に置き、絹優の側へ戻す。


「はン。小娘が遠慮するな。今年の夏はどうも一味違うけん。海外じゃ五十度とか六十度とか、想像しとうもないな。まだマシなほうか、こっちは」

「どこも地獄ですね」

「本当にな。ああ、そうじゃ。一味違うと言えば、スイカじゃ。ええ出来じゃけん食え」


 さっき見た中にはなかったはずだ。

 ついにボケたか、このババア。

 ガラ代は喉元にまで上がってきた言葉をソーメンで押し流す。


「|霜乃《シモノ》のとこに置いてきた。あいつアホみたいにクーラー効かせとるし、抱っこさせとけば、ええ具合に冷えるじゃろう」

「……さいですか」


 本当に言わなくて良かった。

 と思うガラ代であった。


「枠那んとこには猪置いてくつもりじゃ。みんなでバーベキューでもするとええ」

「ま、くれるってんなら、ありがたく頂戴します」


 絹優は「はン」と笑って、蛇頭を乱雑に撫で繰り回す。

「子供扱いしないでください」

「わっはっはっ! 生意気なのは、ちっせえ頃から変わらんね」


 そして「よっこらせ」年寄り臭い掛け声と共に立ち上がった。

「なに、もう帰るの?」

「おう。枠那の他にも寄るとこあるけんの。ま、達者で暮らしよ」


 次は卵も持ってくる。

 そう一言残して、彼女は去っていった。

 これでゆっくりソーメンを食べられる。

 ガラ代は腰を下ろし、ちゃぶ台の端の葉っぱを見て、口元を緩めた。

 くすぐったそうに頭を掻く。


「ったく、変わんねーな」


 例年よりも暑いらしい、この夏。

 自分より年若い妖怪連中がどう過ごしているのか。

 よほど心配だったのだろう。

 うちばかりか、アパートの他の部屋に、きっとガラ代の知らない妖怪のところにも赴くのだろう。

 自前の作物やら、猟の獲物を片手に。


 ご苦労なことだ。

 そういうお節介焼きなところは、昔から、変わらない。


(……そいや、あのババアと会ったのも、夏だったっけ)



   *   *   *



 まだ七歳になったばかりだった。

 ガラ代は公園のベンチに寝そべり、夜空を眺めていた。

 朝早く電車に乗って人間県へ。

 万が一にも追手の目につかぬよう、家の屋根を転々と渡った。


 日差しがきつく、頻繁に日陰で休んだ。

 日が落ちてようやく潜まなくても良さそうになったが、彼女は公園でぼんやりするばかり。


 はじめての家出は衝動的なものだった。

 頼れる人、妖怪はいない。

 あるのは実家からガメた財布だけ。


 これからどこかへ行くとしたら。

 思い浮かぶところはある。


「やっぱ|魑魅《チミ》県だよね」


 人間の首都に近い妖怪県の一つだ。

 そこならば、伝手もなにもなくとも、どうにかなるのではないか。

 けれど、本当にそれでいいのかという迷いも、あった。


 実家からそう遠くない、この土地で一日を潰したのだって、そうした思いの現れだ。

 離れれば離れるほど、時が経てば経つほど、帰りにくくなるだろう。


 ひとまず今日のところは、寝てしまおう。

 明日になったら気が変わるか、心が決まるかするだろう。


 そう思い、ガラ代は瞼を閉じた。

 五分か十分か。

 意識が浮き沈みを繰り返していた頃、ふと声が降って来た。


「よお。お前がガラ代じゃの?」


 びっくりして起き上がれば、狸耳の女が傍に立っていた。

 普通に出会っていたら、麦わら帽子にワンピースの、可愛いらしい人だと思っただろう。


「だ、だれ?」


 けれど、まるで気配なく、そこにいたのだ。

 自身も妖怪と言えど不気味さが勝った。

 それが年季の入った足運びによるものだと知ったのは、だいぶ後のことだ。


「八丈島絹優じゃ。お前の母親とは知り合いでな。ちょうど近くに来とったものじゃけん、頼まれたんじゃよ。そら、帰るぞな」

「や、やだ!」


 差し出された手を、ガラ代は思わず振り払った。


「帰らない!」

「心配しとるぞ」

「う、うそだ」

「本当じゃ」

「……心配したったとしても、そんなの、アタシじゃない。白蛇だから」

「ふぅむ。強情じゃの」


 絹優がガラ代の頭に手を置いた。


「白蛇は神に近い。人間もだが、そう考える蛇妖の一族は少のうない」

「そうだよ。だから……アタシが大事なわけじゃない」

「はン。阿呆め」


 彼女の手がワシワシと乱雑に、頭を撫でまわす。


「自分じゃのうて、その後ろに神を|幻視《み》よるのが嫌じゃったのか?」


 ガラ代は答えなかったが、その通りだった。

 加えて、末子の自分が、周囲から跡取りも同然に見られている。

 姉弟さえも。


 けれど本心はどうなのだろう。

 知るのが怖かった。考えるのが嫌だった。

 蛇のように巻き付き、締め上げてくるネガティブな想像。


 鬱陶しい。

 捨て去りたくて家を出た。

 けれども覚悟を決めたわけじゃない。

 それで足踏みしてしまった。


「ま、親族の幾らかはそうなのかもしれんけどな。うちゃ会ったことないけん、わからん! けんどな、母親は違うぞな。よう知っとる」


 俯くガラ代を絹優は抱き上げる。


「ほうじゃけん、帰ろう、ガラ代」

「は、離せっ!」

「わっはっはっ! 元気元気! その元気があるんじゃけん、ビビってるなよ」

「ビビってなんか……」

「そうか? なら、ひとまず帰ろう。出るなら出るで、話をしてからでもええじゃろ」


 元より迷いがあったし、どんなに暴れても逃れられそうにないと悟ったガラ代は大人しく、彼女に連れられ強制的に、帰宅の途につくのだった。


「うちからも口添えしちゃるけんよ」

「……アンタみたいなの、何て言うか知ってる。お節介焼き」

「それが嫌なら焼かれねえよう立派になりなせな」

「いつか逆に、お節介焼いてやる」

「わっはっはっ! そりゃ楽しみだ」




     (了)