「お、雪女」珍しい。
蜷局山ガラ代は呟いて、口元のソースを舐め取った。
駅前の超有名ハンバーガーチェーン店。
遅めの昼に、冬季限定の月見バーガーを窓際の席で頬張りながら、なんとなしに外を眺めていたところ、白い着物に腰まで長い白い髪という目を引く出で立ちの少女が、ふら~っと駅の階段を降りてくるのが見えた。
少女は人間県が初めてなのだろう。
立ち尽くして辺りをキョロキョロ、興味深そうに眺めている。
緊張もあるのか。表情はやや硬い。
一方、通りすがりの人間たちも、彼女を物珍し気にしていた。
雪女は古来より、人はもちろん、妖怪とも滅多な関りを持たない。
持とうとしない。
ゆえに、人妖が融和に舵を取って久しい今でも、その多くが妖怪県の山奥でひっそりと暮らしている。
誰にとっても珍しい妖怪。
それだけが、ガラ代を彼女から目を離せない理由ではなかった。
(危なっかしいなぁ)
そう思っていたら、やっぱり。
青年が雪女に近寄っていく。
悪い意味で身なりが良い。
ブランド品で固めているが、サングラス、金時計には、どこなく下品さが漂っている。
サロンでしっかり焼いたような肌も相まって、普段、どのような仕事に就いているのか疑問である。
もちろん、中には堅気の人間もいるのだろうが、ガラ代は今のところ見たことがなかった。
(スカウトだなー、たぶん)
雪女は、肌はまさに透き通るような白さだし、おおむね美人。
しかも人里入りしたてで右も左もわからないといった雰囲気を醸し出している。
声を掛けてみようと思っていた悪い男は、彼の他にもきっといたに違いない。
彼は中々のやり手のようだ。
会話は聞こえないけれど、彼女の性質を見抜き、過剰なくらいへりくだったのだろう。
高慢ちきなお姫様に接するように。
雪女は、緊張と警戒心で強張っていた顔を満足気な上から目線に変え、彼に付いていく。
(あー……ったく。しょうがねえな)
ガラ代は店を出て、早足で二人に追いつくと、男のほうを呼び止めた。
「お兄ちゃん、ちょっといい?」
「は?」
苛立ち交じりに振り返った彼だったが、いかにも妖怪らしく頭に無数の小さな白蛇を蓄えた女を見るや、すぐさま愛想の良い笑顔を浮かべる。
けれど目だけは笑っていなかった。
「なに? なんか用?」
「そ。大事な話」
ガラ代は雪女をチラと見て「ツラ貸しな」
男は蛇女の意図を察したようだ。
「少々お待ちください」
と雪女に告げて、彼女との距離を取る。
ガラ代は男の肩に手を回し、そっと耳打ち。
「悪いことは言わねえ。手を引きな。誰があれを抱くのかは興味ないが、自慢のモノを凍傷にされたらどうする? 連れ込んだ、てめえも立つ瀬がないだろ? どっちも立たせていこうぜ」
そして背中を景気よく叩き、送り出してやった。
さて、お次は……と彼女のほうへ向き直る。
彼女はやはりと言うべきか、不愉快そうに睨みつけてきていた。
「あー……はじめまして、アタシはガラ代。アンタは?」
「どんげなつもり?」
腕を組み、苛立ちを隠そうともしない。
「どういうつもりって?」
「お仕事よ、お仕事! 折角、紹介してもらえるって話だったのに、追い払うような真似して。わたしの生活にどう責任を取ってくれるのかしら?」
短期間で簡単に稼げる仕事がある。
誘い文句はそんなところだろうか。
その実情を、もしも理解していたとしたら。
こんなにもありがたい話はない。
「えーっと……あの、さ、その仕事って、どんな内容?」
「それを今から聞くところだったの!」
(ですよねー。やっぱりシカトしときゃあ良かったかなぁ!)
だが、もう後には引けない。
ガラ代はすでに冷や汗が出そうだった。
これから、この純粋で高慢な女に本当のことを話さなくてはならない。
問題は、その後だ。
出来ることなら今のうちに妖怪県に移動したいところだった。
「でも、わたしは寛大だから、理由次第では許してあげるわ」
「それはもちろん話すけど、ちょっと場所を変えない?」
「なぜ?」
「あー……人がいるところだと話しにくいからさ」
雪女は辺りを冷めた目で見回し、首を傾げる。
「人間ばかりじゃない。気にしないわ」
「……わかったよ。頼むから、怒らずに聞いてくれよ?」
同年代みたいだし、いざとなったら、どうにかできる。
そう自分に言い聞かせながらガラ代は、もしもあのまま付いていったらどうなっていたかを、世間知らずにもわかりやすく、時には直接的な表現を用いつつ掻い摘んで話した。
終わってみれば、
「へえ。そう。ふーん」
雪女の吐き出す息は、ぞっと底冷えするものになっていた。
「つまり嘘を吐いたのね」
彼女に限ったことではない。
雪女は嘘を吐かれること、約束を破られることを、とても嫌う。
「たかが人間如きが、このわたしに」
しかも、ごくごく自然に人間や妖怪を見下している。
だから危なっかしいのだ。
雪女に格下の者が嘘を吐いて、無事に済むわけがない。
「ま、まぁ、でも事が起きる前で良かったじゃん! さっ、行こうぜ? 街を案内してやるよ」
なだめるガラ代を無視し、その脇を通り抜けていく。
ガラ代は咄嗟に頭の蛇を彼女へ遣わし、両脚に巻き付かせた。
「アンタのためにも言ってるんだ。やめておけ」
雪女は見返り、鼻で笑う。
「蛇如きが、それも冬に、わたしの邪魔を出来るわけないでしょう?」
瞬間、足元の蛇が凍り付く。
(や、やべえ。年齢じゃなくて季節を気にすべきだった!)
無理にでも妖怪県へ連れて行き、誰かに助勢を求めるべきだった。
今更もう遅い。
彼女がふわりと浮き上がっていく。空から、あの男を探すつもりだ。
ガラ代は舌打ち一つ。
数匹の蛇を合体させ、大蛇でもって彼女の胴体をぐるぐる巻きにして捕えた。
「触るな、下郎!」
それも、たちまち氷にされ、共に砕け散る。
「おい、待てよ!」
彼女は氷の粒子を振り撒きながら更に上空へ。蛇はもう届かない。
しばらくキョロキョロ見回していたかと思えば、男を見つけたのだろう、その方角へ飛ぶ。
ガラ代も追って駆け出した。いや這い出したのだ。
気付けば彼女の下半身は、蛇そのもの。
二本足で走るよりも断然に早い。
その異形に人間たちも思わず目で追うが「なんだ妖怪か」と騒ぐほどのものでもない。
角を曲がり、少し行ったところでガラ代は変化を解いた。
もう、追う必要はなくなっていた
なぜなら――、麦わら帽子にダウンジャケットの女が、そこにいたのだ。
「おキヌさん、なんで……?」
化け狸の八丈島絹優は、親指ほどの大きさになった雪女の首根っこを摘まんでいた。
「おう、ガラ代。久しぶりじゃの。夏以来か」
「は、はなせー! たぬきババァの分際でー!」
「あー? 餅にくるんで食うちゃろうか。雪女大福じゃ」
「わーっ!? ごめんなさーい!」
二人の向こうをチラと見やれば、さっきの男が五体満足に歩いている。
こちらの様子にはまるで気付いていないようだった。
目線を絹優の足元に落とせば、葉っぱが散らばっている。
(なるほど。雪女があいつを襲う前に、ババァが割って入ったかなんかして体の一部……いや大部分を葉っぱにしちまったんだな)
流石は年の功。
見事な化かし力だ、とガラ代は思うに留めておいた。
蛇大福にはなりたくない。
「助かりました。本当に。おキヌさんがいなかったら大変なことになってましたよ」
絹優はいつものように豪快に笑う。
「わっはっは! うちにしてみれば、お前がいたことにびっくりぞな」
詳しく話を聞いてみれば、彼女は雪女の一族に頼まれ、彼女を捕えるため、この街にやって来たのだそう。
年の功だけあって顔も広いものだ。
「うちは車でな。ちょうど男に声掛けられた辺りで見つけたんじゃが、お前が出てきたけん。どうするかと見よったんじゃわい。ほいで、先回り」
「そうでしたか。ところで、そろそろ戻してあげませんか?」
「あー……そうじゃなぁ」
絹優は、摘まんだままの雪女を自身の目の高さにまで上げて、
「帰すよ。これに街暮らしは無理じゃ」
意外だった。ガラ代は言葉に詰まった。
一方、雪女は大福発言以来に、大慌てだった。
「ま、待って待って! 本当にごめんなさい! 反省してる! だから、帰るのだけは……!」
地元から離れたいという気持ちは、ガラ代にもわかる。
彼女自身、親の許可ありという違いはあるが、そうしているから。
「おキヌさん、そう、頼まれたんですか?」
「いや違う。頼まれたのは、この子に問題を起こさせないように、じゃ」
「アタシは、今回のことはセーフだと思います」
「うちも。けんど遅かれ早かれ、やらかすじゃろう。山でなら、その心配もない」
ミニ雪女がじたばた暴れ出す。
「いーやー! こんげな形で帰ったら、数十年も軟禁されちゃう!」
しまいには涙までポロポロリ。
「なんで、なんでよ……! たぬきのくせに、へびのくせにぃ……貴女たちばっかりズルい! ズルいわ! わたしだって、もっと、いろんな色を見たいのに……!」
ガラ代は、哀れんだわけではない。
同情したわけではない。
彼女は高慢で、怒りっぽく、考えなしなところがあるけれど、しかし今回、取り返しのつかないところまではいかなかった。
結果的に。運よく。
そう言ってしまえば、確かに、そうなのだが。
それでも、だ。
ここまでの思いをした以上、遅かれ早かれ、なんてことはないと思う。
「アタシたちは……良い時代に生まれたな」
ガラ代は雪女に語り掛ける。
「人間と妖怪、それぞれに労働力と技術力、文化文明を求めて……打算や政策の都合もあるとはいえ、現状、そう悪くない。大昔みたいに斬った張ったもねえ。だからこそ、なんだ。雪女、アンタがさっき、しようとしたこと。ああいうことは、良くない。互いに問題しか生まない」
「……でも、嘘ついたのは、あっちでしょう? 騙そうとしたのよ、わたしを」
「タチの悪い人間もいるさ。妖怪にだっているんだから。だから気を付けるだろ」
雪女は少しだけ考え、小さく頷いた。
「でも、こっちが気を付けたって、どうにかなるばかりじゃないわ」
「そりゃあな。お互い、起きてしまったことには相応の対処も必要だよ。でもさ、今回の話に限れば……結果的には、なんてこともなかった。なのにそれは、行き過ぎってもんだろうよ」
「でも、そんなの、人間の価値観でしょ」
「アタシから見ても、ちょっと、どうかと思うけど……。それが許せないなら、やっぱり山に帰るべきだよ。でも、そうはならないはずだ。だってアンタ、真っ白に塗りつぶしたくって、山から降りてきたわけじゃないんだから。そうだろ?」
「それは……でも……」
彼女が迷っている間に、ガラ代は絹優に向かって、
「やっぱり、おキヌさんも、行き過ぎだと思います。そりゃあ、年中こいつを見張ってるわけにはいかないんでしょうし、こいつの所為で、山奥でひっそり暮らしている他の雪女たちが、なにかと干渉されるような事態になるのは、アタシだって望みません」
「ならどうする? 他に解決策はあるのか?」
「少なくともこいつは、アタシが面倒を見ます。ちゃんと、こっちで暮らせるように」
絹優は問うように雪女を見た。
雪女は頷き、首根っこを摘ままれたまま、
「よろしく、お願いします」
見下しているはずの蛇女に頭を下げるのだった。
すると絹優は、やれやれとでも言いたげな顔をして、彼女を足元の葉っぱの上に置く。
ぼわん、と煙が湧いたかと思えば、そこには、すっかり元の姿になった雪女が。
彼女はささっと絹優から離れて、ガラ代の背中に隠れた。
「わっはっは! 脅しが効き過ぎたか。すまんな」
ガラ代は呆れた。
「おキヌさん、試したんですか?」
「そんな人聞きの悪い。連れ帰ろうと思うたのは本当じゃ。為人に難ありそうじゃし」
それを言われてしまうと、少し早まっただろうか、と思わなくもない。
「けんど、まぁ、大丈夫じゃろ」
絹優はニッカリ笑うと、
「お節介焼きもおることじゃし」
ガラ代の頭を撫でて、雪女に対しては、
「短気は損気。これに懲りたら、あんまり、やんちゃせんことじゃの」
と残して去っていった。
その後ろ姿が雑踏に紛れると、ガラ代は振り返る。
「――で。アンタ、名前は? さっきアタシの自己紹介、無視しやがって」
雪女は、さっきまでの氷柱めいた刺々しい雰囲気はどこへやら。
ニコニコ顔で答えるのだった。
「わたしは、霜乃。氷河崎霜乃。これからよろしくね、ガラちゃん!」
(了)