【短編集】妖怪女子、様様に暮らし

Chapter 4 - 満月にまた会いましょう

壱原優一2020/05/24 01:24
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 満月の町を鼻歌混じりに闊歩するは、真っ白な浴衣を着た、真っ白な髪した少女。

 名を|霜乃《シモノ》という雪女である。


 夏が去り、だいぶ過ごしやすくなってきた。

 ここ数年で最高の秋だ。早々に寒々しい。

 いよいよ自分の天下が来た。そんな心持ちだった。


 住人のほとんどが妖怪の町だから、零時を回っても、フラフラしている者は少なくない。

 けれど霜乃は、むしろ静かな夜こそ感じたくって、大通りではなく裏通り、商店街ではなく住宅地を歩いていく。


 目的なんてものはない。

 気まぐれに、なんとなく。

 右に曲がって左に曲がって、真っ直ぐ行って引き返して。

 コンビニ寄って酒買ったなら目的は出来た。


 一人酒の、良いロケーション。

 思い浮かんだのは、十分ほどのところにある、通称えこの山だった。


 由来はよくわからない。

 山と言っても、まるで高いものではない。小山。

 周りにぐるりと設置された階段を上がれば、一分かからず頂上につく。

 幼稚園の裏にあって、格好の遊び場となっている。


(てっぺんが開けているし、月見酒に良いかも)


 霜乃は、あと三段ほどで頂上というところで、さっと木陰に隠れた。

 先客がいたのだ。

 それは真っ黒な人影だった。


 女性……らしい。

 少女かもしれない。


 と言うのも、本当に影なのだ。


 薄っぺらくはないけれど。

 普通の人――人型の妖怪――みたいに厚みがある。

 肩くらいまでの長さの髪、なだらかな起伏ある体型、そしてスカートの裾がシルエットから見て取れる。


 だから、きっと女性だろうと、霜乃は思った。

 バレリーナなのかも、とも。


 広場の中央を舞台に、月明かりをスポットライトとし、彼女はすらりとした手足を伸び伸び躍動させ、飛び跳ね、くるくる回る。

 夜の|静寂《しじま》の向こうに、彼女のメロディが聞こえてくるようだった。


 喜と楽のダンス。

 その終わりに彼女は、無人の観客席へと、スカートの端をちょんと掴んで一礼する。


 霜乃は少し悪戯心が湧いた。

 木陰からそっと、彼女の頭上に目掛けて冷気をふんわり放つ。

 それは月明かりに煌めくパウダーになって降り注ぐのだった。


 影の女性は不思議そうに首を傾げ、それから辺りをきょろきょろ見回した。

 霜乃は拍手と共に姿を現す。


「ごめんなさい、驚かせて。とっても素敵だったから。ちょっとした、お礼のつもりだったの」


 彼女は答えず、コンクリートの地面を指差した。

 すると指先から黒い煤のようなものが噴き出し、文章が浮かび上がってくる。


『ありがとう。きれいだった』

「ふふ。良かった。ね、一緒に飲まない?」

『お酒は、ちょっと……ごめんなさい』

「あら残念。それじゃあ、アイスを半分あげる」

『いいの?』


 霜乃は頷きベンチに座る。

 そして、どうぞ、と言うように隣を手で叩いた。

 腰掛けた影女にアイスを半分ほど蓋に取って渡す。

 残る器のほうにはお酒を入れた。


「わたしは|氷河崎《ヒョウガサキ》霜乃。かんぱーい」

『乾杯。|月影《ツキカゲ》|映子《エイコ》です』

「っはぁ……おいし」

『お酒、好きなんだ』

「どっちかって言うとアイス! 今日みたいな満月の夜は、格別だわ」

『本当にきれいね、お月さま』


 二人は天を仰ぎ見ながら、ほう、と息をつく。

 それから霜乃は彼女に視線を移し、お酒に溶けたミルクアイスをくいっと呷った。


「綺麗なものを見た後は、格別ね」

『うん。アイス、おいしい。ありがとう』

「ふふん。雪女の選んだアイスにはずれ無しってね」

『初耳。でも納得』

「味はもちろん、値段もお手頃なのよ~。ほんと、いい時代になったわよね、こうして人間の食文化を手軽に楽しめるんだもの」


 アイス酒をまた一口含み、

「えっちゃんは、あれなの? バレリーナ? 舞台があるとか?」

『えっちゃん?』

「うん、えっちゃん。だめ?」


 映子は首を横に振った。


『ダンスは……趣味、かな』

「へえ。なんか、いいわね。素敵」

『ありがとう。それに、約束したの』

「約束?」


 彼女の手が止まる。

 なにか困らせてしまったみたい。


「ダンスしてるときの貴女、表情はわからないけれど、とっても楽しそうだった」

『たのしいよ。霜乃さんも、どう? もし、よかったら』

「ふふん。いいわよ? ちゃんとエスコートしてくれるならね?」


 そんなこんなで。

 アイスを食べ終わった二人は、月光に散るパウダースノウのなかを踊って、他愛もない話に笑い合って、なにも喋らずぼんやり満月を眺めて、夜が明ける前に別れた。


 特に再会の約束もしなかったけれど、次の日も霜乃は山頂を訪れた。

 やっぱり彼女はいて、ダンスを見せてもらった。

 お礼に粉雪を降らせ(彼女は随分とこれを気に入ったらしい)一緒に踊って、お菓子とジュースをお供に他愛もない話をした。


 そんな夜を繰り返すにつれ、霜乃の目にも、その異変は明らかだった。


(やっぱり……薄くなってる)


 映子の、凝縮された闇のような体。

 それが少しずつ、本当に少しずつ薄まっていく。


 月が細くなるにつれ、その明かりが弱まるにつれ……とうとう十日が過ぎた頃には、向こう側が透けて見えるようになっていた。

 本人に訊ねてみても『よくわからない』との返事。


 霜乃はガラ|代《ヨ》に話してみた。


「ふぅん。最近、夜にいないと思ったら、逢引してたんだ」

「妬いてる?」


 鼻で笑う蛇女だった。


「で? 調べて欲しいわけ?」

「顔広いから普通に知ってるかなって思った」

「別にそんなことないけど」


 彼女はスマホを取り出して、

「ま、巣の広いやつにあたってみるわ。名前と住処わかってんなら余裕でしょーよ」

「ありがとう、ガラちゃん」


 霜乃は封筒を差し出す。


「これ、依頼料」

「あー? いいって、いいって。今回は訊くだけだろうしさぁ」


 ガラ代は持ち込まれる相談事に対して、一応は、料金を設定している。

 ただ、たまにこうして、なあなあにする。

 そもそもが、彼女の面倒見の良さから始まったからなのかもしれない。

 霜乃も今回の件でなければ、それに甘えても気にならなかっただろう。

 けれど彼女の設ける依頼料は、手間賃であり、しょうもない頼まれ事までは受けたくないがための、ふるいなのだ。


「大事なことだから。そのヒトにもなんか奢ってあげてよ」

「ま、そういうことなら断る理由もないけどさ」


 調べは本当に早いもので、十分後にはガラ代のスマホが鳴った。

 資料がメッセージに添付されてきたようだ。


「へえ。随分と年上な友達だな」

「そうなの? 最近の子かと思った」


 ガラ代が眉間に皺を作った。


「……ある意味では、そうとも言える」

「どういうこと?」

「その人の種族は、魔影ってやつみたいね」


 これは実に個体差の激しい妖怪なのだそう。

 映子は実体のある影とでも言えようが、そうではなく平面に映し出されるタイプの妖怪もいれば、自由に動き回れるもの、長く長くその場に残り続けるものもいる。

 影女のみならず、影男もあれば、影猫もあるし、影竹もある。


 ガラ代の説明に、霜乃は頷いた。


「月が欠けて薄くなるのは、えっちゃん個人の特性みたいなものってことね?」

「ん、まあ……そう、ね」

「良かった。それじゃあ新月を過ぎたら戻っていくんでしょう? 古くからいる子みたいだし」

「……いや、満月になったら、だ」

「そ。良かったぁ」


 ホッする霜乃の一方、ガラ代は余計に難しそうな顔。

 その様子に霜乃は少し震える声で「違うの?」と問うた。


 ガラ代は逡巡する素振りを見せ、

「いい? 霜乃。落ち着いて聞いて」

 静かにそう切り出した。



   *   *   *



 二人が出会ってから、二度目の満月の夜。

 霜乃は少しばかり緊張していた。

 映子とまた会うべきか否か。迷う気持ちもあった。


 いつもより遅く、アパートを出た。

 コンビニで適当な雑誌を、ぼんやり立ち読む。

 三十分ほどして、ようやく決心がついた。


 アイスとお酒を買って向かう。通称、えこの山。

 いつしか、その古き住人、月影映子の名を冠して呼ばれるようになった山。

 と言っても、ものの一分も掛からず登り切れる、小高い盛り土のようなもの。


 麓から見上げれば、かすかに人影の踊る様あり。

 霜乃はホッと息を漏らし、枯れ葉を踏みしめながら、階段をあがっていく。


 あと三段ほどで頂上というところで木陰に隠れた。

 彼女の舞いが終わるのを見計らって、空に向けて冷気を放つ。

 水気が氷の粒子となって、月明かりに照らされながらキラリキラ。

 映子に降り注いだ。


 彼女は、驚いた様子で辺りをキョロキョロ見回す。

 霜乃は胸の鼓動を抑え、そんな彼女の前に姿を現した。


「素敵なダンスのお礼だったんだけど、ごめんなさい、驚かせちゃった?」


 彼女は首を横に振って、いつものように、コンクリートの地面を指差す。


『ありがとう。きれいだった。あなたは、雪女さんね』


 月影映子は満月に生まれ、新月に死ぬ。

 そしてまた満月に生まれる。

 それをかれこれ数十年、繰り返している。


 けれど……その年月が彼女の中に蓄積されることはないのだそう。


 妖怪の世界では、百年二百年の付き合いもあれば、一年一日の付き合いだってある。

 霜乃はまだ若い。そういうものだと知ってはいても、経験はなかった。

 この寂しさはきっと、これから先にも待ち受ける、その一回目なのだろう。


 霜乃は微笑み、ベンチに誘う。


「良かったらアイスでも一緒にどう?」

『いいの?』

「もちろん」


 霜乃にとっては二度目の自己紹介をしながら、カップアイスを一つ渡す。


『アイス、とってもおいしい。ありがとう』

「ふふん。雪女が選んだんだもの」


 それに、あなたが好きだと言っていたから。

 言葉にはしない。どっちがいいのか、まだわからないから。

 本当は、短いけれど付き合いのある仲だよと、告げるが良いのか。悪いのか。

 告げたとして結局はそれだって、新月になれば失われてしまう。


 ふと彼女の、アイスを食べる手が止まる。


『もしかして』

 と首を傾げ

『わたしたち会ったことある?』


 霜乃はドキリとしながら訊き返す。


「え、どうして?」

『だってアイス、二つ買ってきてるから。それに』

「それに?」

『なんか、なんだろう、嬉しい味がする』


 霜乃には、それで充分だった。

 たとえ全てでなくても、ほんの欠片でも残っているのなら。

 霜乃が努めて明るく、


「あははっ。バレちゃった? 実はそうなのよー!」


 そう返すと彼女もクスリと微笑んだようだった。


『やっぱり。それじゃあ、霜乃との約束だったのね』


 初めて会った日も、言っていた。

 もしかしたら彼女は、誰かが遺した約束の影なのかもしれない。


 それとも影になった後の、わずかに残った記憶の欠片だろうか。

 霜乃のアイスのような。


 確かなことは、誰にもわからない。

 当の本人はもちろん。

 最初の約束を交わした者だって、ここには、いないのだ。

 それが死によるものか、単に、彼女に付き合いきれなくなったのかは、わからないけれど。


「……うん。そうだよ。また貴女のダンスを見たかったの」


 ただ確かなことは、これからは、霜乃が果たしていく。

 最初の新月を迎えるときに交した、その約束を。

 彼女の寿命が尽きる、その日までは。



   *   *   *



 ――それじゃあ、また来るね、えっちゃん。

 ――わかってるって。あのアイスね。

 ――氷のやつ? もちろん。ってーか、毎回やってるじゃーん。

 ――ふふ。本当にあれ好きね、貴女。

 ――それじゃあ代わりに……またダンス見せてくれる?

 ――あはは。うん、約束ね。でもいいのー? 雪女と約束しちゃって。

 ――あら、知らない? 雪女はね、約束を破らないのよ。

 ――でも逆に、破ったら怖いんだから!




     (了)