【短編集】妖怪女子、様様に暮らし

Chapter 3 - 不幸レターパニック!

壱原優一2020/05/20 09:44
Follow

 五日ほど|霜乃《シモノ》を見ていない。


 ガラ|代《ヨ》がそのことに気付いたのは、布団の中から畳の上に落ちた蛇の抜け殻を眺めているときだった。

 拾わなくちゃなぁと思いつつも、冬の呪い、布団の呪縛から逃れられず、かれこれ一時間が経とうとしていた。


『そろそろ剥いたほうがいいんじゃない? カピカピになって、みすぼらしいわよ』


 最後に会ったとき、確かそんなことを言われたのだった。

 彼女は雪女だ。

 夏の間なら見かけなくても気にならない――いや、来年からは溶けてないか心配する必要がありそうだが、今はもう冬。


 秋の頃のほうが寒かったと思うくらいの暖冬だが、彼女はこの世の春の如くに、ほとんど毎日、出歩いているらしい。

 蛇女としても過ごしやすい気候。

 だから、会わないわけではない。


 なにかと誘いに来るし、出る前や帰ってからに食事を共にすることも多い。

 会わない日が続いたとしても、三日。

 先月あたりから、そんな具合。


 珍しいのは珍しいけれど、

(ま、そういうこともあるか。たかだか五日。顔合わせないくらい)

 ガラ代は布団を出ると押し入れの中から、ビニールシートを引っ張り出した。


 その上に座り、まずは一匹、髪の毛めいて生える蛇を頭から離して寝かせる。

 剥くだけなら頭わしゃわしゃでも充分に事足りる。


 けれど、この抜け殻も収入源の一つなのだ。

 出来るだけ蛇の形を残すように脱皮させたい。

 乾燥の後、人間県にある神社等の金運グッズを取り扱う業者に卸す。

 綺麗なほうが喜ばれ、値も良くしてくれる。


 黙々と作業すること三時間。

 おおかた取り終えた。

 抜け殻のひしめくシートを、日当たりの良いところに移し、さて夕飯の買い物でも、とガラ代は部屋を出た。


 奇しくも霜乃と鉢合わせた。

 どこからか帰って来たところらしい。


 目が合うと彼女は、

「んぃっ」

 と喉を引きつらせたような変な声を出し、足早に自室に入っていってしまった。


「……あァ?」

 なんだ今の。


 ガラ代は首を傾げる。

 そして、はたと思い当たる、一つの可能性。

 青ざめ、慌てて部屋に戻って洗面所の鏡を見る。

 けれど、そこに映っていたのは、なんら変哲のない自分の姿で、ホッとすると共に、またもや首を傾げる羽目になった。


(蛇を頭に戻し忘れて、つるっぱげになってたのかと思ったけど……)


 そもそも、その危険性を回避するために一匹ずつ剥いていたのだから、ほとんどあり得ない失敗なのだが、他に、霜乃に避けられるかのような反応をされる覚えなんて、さらさらない。

 ない、はずだ。


「えぇ……? まじで、なんだ? なんかしたか?」

 後頭部を掻きながら五日前に思いを馳せる。


(確か……)


 その日は一日中寝ていた。

 起きた時には夕方だった。

 ちょうど霜乃がやって来て、夕飯でも一緒にどうかと誘われ外で食べた。

 それから彼女は|映子《エイコ》のとこに行くというから、別れたのだ。

 ということは、食事中の会話が原因だろうか。


(うーん、でもなあ。世間話しかしてないよな。なにか議論したわけでもない。些細な一言が気に障ったとか? いや……)


 彼女の性格からして怒ったなら、はっきり怒るはず。

 そういうやつだとガラ代は思っている。


(でも実は、ガチのマジでキレてるときは、かえってなにも言わないタイプだったり?)


 どんなに思い返してみても、天気や頭の脱皮、共通の友達のこと、そうではない友達のこと、最近読んだ小説や漫画、観たドラマに映画、それから願望、どこか旅行でもしてみたい、温泉とか、そうした話の端々に不穏な気配はやはり欠片もない。


 いや待てよ。

(……雪女に温泉はまずかったか?)


 ガラ代は頭を横に振った。

(だから、もしも行くなら妖怪向けのとこがいいよね、って話してたんだ)


 またもや振り出しに戻り、うんうん考え込む。

 やがて彼女は一つの結論に至った。


(あーもー! 霜乃相手に、なにうだうだしてんだか!)


 勢いよく飛び出して向かった先は二つ隣――つまり彼女の部屋である。

 ノックを三回、大きな声で呼びかける。


「こぉら! 霜乃アンタねえ! 人の顔見て逃げるったぁ、どういうつもりだ!?」


 返事はない。ムカつく。

 試しにドアノブを回してみるが今回はちゃんと鍵が掛けられていた。

 ぶちやぶってやろうか。

 安アパートのドアくらい、妖怪である彼女にとって大した障害ではない。


 けれど、その後の大家は恐ろしい。

 とてつもなく、恐ろしい。


 壊さない程度に強めのノックをして、もう一回、呼びかけてみる。

 それが精々の出来ることだった。


「ねえ、霜乃? 霜乃さーん? なんか、やらかしたんなら、謝る! ほんっと、ごめん! で、もいっこ、ごめんなんだけど、全然検討がつかないんだわー! せめて教えてくんない!?」


 しばらく待っていると静かにドアが開いて、真っ白な頭がちょっぴり見えた。

 チェーンはついたままだった。


「……手紙」

 と霜乃。


「手紙、出してないの?」


 ガラ代は思わず「はぁ?」と声を出した。


「近所なのに手紙なんか出すわけないっしょ」

「……いや、ほら、直接だと言いにくいこととか、あるかもだし」

「あー? まぁ、確かに、そういうことも、ないとは言わないけどさ。一般論として。でも、アタシが手紙なんて書くガラかぁ?」


 霜乃はしばらく考え込んで、

「たしかに」

 ドアが閉められる。

 チェーンの外される音がして、また開いた。


「あがって、ください」


 ピンク色のテーブルを挟んで向き合う蛇女と雪女。

 心なしか、霜乃は肩を縮こまらせてばつが悪そう。


「で?」

 とガラ代。


「そういうこと訊くってことは、手紙が来たんだ? アタシの名前で」

「うん。あ、はい」

「さっき逃げたのも、それが原因ってこと?」

「ん、まあ、そうなります、はい。……その、そうしたほうがガラちゃんのためにも、いいのかなって、思って」


 日頃あっけらかんとしているというか。

 全身が溶けて、ほとんど水になってコップに収まるはめになったときだって「はろう」なんて呑気な挨拶をかますような彼女が、こうも、しゅんとしている姿は初めて見るかもしれない。

 実に貴重だ。


 それはそれとして、ガラ代は腹が立っていた。

 たかが手紙の一通で。

 こんな風に距離を置かれるなんて。

 どんな内容だか知らないが、その手紙を送りつけた輩に、はらわたが煮えくり返る。


「手紙、まだある?」

「え? あ、はい、一応あるけど……」

「出して。どこのどいつか突き止めて、丸呑みにしてやる」


 有無を言わせぬ様子に、霜乃はただ頷いて、書机へにじりよる。

 引き出しの三段目。

 そこから取り出された手紙は、一見なんの変哲もない。

 真っ白な洋封筒。差出人の名前はガラ代。閉じ口には赤ペンで〆とある。

 飾り気のなさは確かに、ガラ代らしい。

 本人も認めるところであった。

 便箋を取り出す。

 これまた赤い字で綴られていた。

 激しい怒りというのは、そう持続しないものらしい。


『アンタとはもう口を聞きたくない。いや顔も見たくない』


 一行目を見れば、かえってガラ代の気持ちは落ち着いた。


(殺すわ、こいつ)


 その決意は、つまらないテレビ番組からチャンネルを変えるように気軽く、確固たる。


『近くに来ると寒気がするし、ヘアカラーが白でちょっと被ってんじゃねえかよ。頭から墨汁ぶっかけてやりたいって、いつも思ってる。馬鹿みたいに明るいとことか超ニガテ。鬱陶しい。とっとと田舎に帰れ。それか死ね。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね』


 ガラ代は「はンッ」と吐き捨てるように笑って、両手の指で端っこを摘まんだ。


「霜乃、アンタもねえ、こんな雑な手紙、真に受け、受けっ、あァッもうッ!」

 まったく破れない!


「ガ、ガラちゃん、大丈夫……?」

「アンタよりはね!」


 ただの紙ではないのだろうか。

 疑い、手元のそれをよく見ようとして、


「ッ|痛《つ》!?」


 瞬間、掌にチクリ。

 明らか紙で切ってしまったときの感触ではない。

 刺されたかのような。でも正確ではない。


 《《つっつかれたのだ》》!


 怯んだその隙に、手の中の紙はすっかり姿を変えていた。

 いや戻ったと言うべきか。真の姿に。

 それは天井へ舞い上がって「アホー」と鳴いた。


「アホー、アホー」

 と鴉の如く、白い鳥が二人の頭上を飛び回る。


 ガラ代はすかさず頭から蛇を放つ。

 ひらり躱されるも、窓へ向かうそいつを見て笑った。


「アホはテメェだ!」


 窓は閉まっている。

 閉まっている――のだが、四十年間、変えられたことのないガラスは、そのクチバシに耐えられなかった。


「ぎゃー!」

 霜乃の絶叫。

「大家さんに怒られるーっ!」


 ガラ代は急いで窓を開けた。

 紙鳥との距離は、まだそう遠くない。

 大空へと逃げ切られる前に跳んで捕える腹つもり。

 |棧《さん》を踏みしめれば首根っこを掴まれて、


「――|退《の》けれ、ガラちゃん」

「ぐぇーっ」


 部屋の中へ戻される。

 代わって前に立つ彼女の背を見て、背筋が凍った。

 極寒の冷気が、その右手から外へ向かって放たれた。


「雪女に嘘ついて無事に済むて思うたか」

「……し、霜乃?」


 振り返った彼女はニッコリいつもの笑顔。


「落としてやったわ」


 ガラ代が窓から道路を覗いてみれば、確かに、氷の塊が転がっている。

 外に出て、早速ぶち砕こうとする霜乃を羽交い締めになだめつつ、ガラ代はスマホで役所に連絡を取る。

 見知らぬ|怪物《ケモノ》だ。

 勝手なことをして後々、問題があるようでは困る。

 中には保護対象となっているものもあるのだ。

 コレだって扱いを間違えなければ、よいものなのかもしれない。

 あるいは始末の仕方によっては更なる害をもたらす、そういう可能性もある。


「――正体わかった」

「じゃ、砕くわね」

「ダメ。絶対焼却」

「ん……まぁ、いいわ、それなら。で? なんなの?」

「不幸の手紙」


 霜乃が「あぁ」と頷いた。

「聞いたことある。人間の風習よね? 脅迫状をみんなで回して厄落としするっていう」


「ちげーわ」

「あ、あれ? そうなの?」


 ガラ代は添付された資料を見つつ答えた。


「近いっちゃ近いけど、風習ではないし厄落としでもない。悪質なイタズラの類ね」

「なるほど、イタズラ」


 これは不幸の手紙です。

 〇日以内に〇人に同じ文面で手紙を出さないと不幸になります。


「ってぇのが基本的なものらしい。逆パターンの幸福の手紙もあるとか。他に、いかがわしい秘密をバラされたくなければ金払えーっていう亜種も……ふん? 普通の脅迫じゃね?」

「話の核は複数人に回せってとこよね。でも、このゴミ鳥そんな文面じゃなかったわよ?」

「それは自己増殖できるからでしょーねー」


 霜乃が心底嫌そうな顔になった。


「他にもいるかもしれないってこと? 燃やさなきゃ」

「現状、報告はないらしいから。コレが発生一号かも」


 すると彼女は一変、にまっと笑う。


「え、じゃあ、もしかして金一封とか!? やった。窓ガラス助かるー」

「ないない」

「えぇー……」

「元が元だけに無害だから。そういうもんだと知っていればさ。ほっとけば自然と消えるって」

「はた迷惑なだけかぁー」

「元もそんなみたいだし」


 霜乃は口をへの字にして足元の氷を軽く蹴った。

 その肩をガラ代はちょんと、つっついて、片手を挙げて見せる。


「大変だった」


 霜乃はクスッと笑い、ハイタッチ。

 パシンッ。小気味良い音が鳴った。


「いぇい。でも勝った!」


 そして首を傾げる。

「あれ? ちょっと待って。今の、どっち?」


「あー?」

「私? ねえ私のこと言った?」

「さってと、役所に行くか。霜乃、持って」

「交代交代よ!」

「りょー」

「で? どっち?」

「はいはい、行くよ」

「ねえって。もう!」

「そう思うんなら、次は勘弁だかんねー、こういうの」

「わかりましたよー! 気をつける! ます!」


 しばらく歩いて、霜乃がぽつりと呟く。


「か、髪、染めよっかなぁ」


 ガラ代は後頭部を軽く|叩《はた》いた。

「次は勘弁って言ったばっか」

「……へへ。ごめーん」


 にやつきながら肩でグリグリ体当たりしてくる彼女を鬱陶しいと思いながらも、ガラ代は、今日のところは言わないでおくことにするのだった。

 別にイヤってわけではないし。

 こういう面倒は、二度とごめんだもの。




     (了)