Chapter 18 - 十七噺 変動
森の中に溶け込むようにそびえ立つ、植物に包まれ緑色に染まった石の塔。私はその塔の傍でとある少年の介抱を行っていた。
少年の名はアルベルト・シュヴァルツシルト。魔女の森などと呼ばれているこの地を領地に含む、シュヴァルツシルト王国の王子である。まあこの森は名前の通り私が住むと言われているせいで、皆が気味悪がって治めるような人間も納めるべき税も存在しない。何らかの理由で行き場を失った者達が、自給自足でひっそりと暮らしている程度だ。
では何故王子がこの場所に来れたのかというと、森自体は王都からそう遠くないからである。
その深さから奥地にたどり着く人間はほとんどいないが、浅い所は行商人などの通行ルートとして人が通ることもある。彼はそこを通っていた時、恐らくラプンツェルの歌声を聞いてこの場所の存在に気が付いたのだろう。王子の耳がいいのだろうか、それともラプンツェルの歌声が遠くまで響いていたか。
ともかくそんな彼はラプンツェルを迎えに来たが、塔を登った先にいたのは彼女ではなく、この森の代名詞である魔女そのものだったのだ。そこで立ち向かうなり気概を見せてくれれば良かったのだが、あろうことかこの王子は叫び声を上げながら塔の窓から飛び出し……。
「はあ……」
塔から降りて確認しに行くと、少年は草木の中で怪我まみれになっていた。とりあえず応急処置は済ませて、草むらの中で寝かせていた。
目を傷付けてしまっていたのでもしかしたら失明してしまっているかもしれないが、流石にそこまで治す術は持ち合わせていない。まあ大人十人分の高さから落ちて、骨の一つも折れていないだけ幸運であろう。咄嗟に魔法を唱えた私に、感謝の言葉の一つでも言って貰いたいところだが。
仇を取るわけでも嘘だと否定するわけでもなく現実から逃げ出した、この王子は軟弱で意気地なしかもしれない。だがこんな少年でも、ラプンツェルの責任は取って貰わねばならない。
なんとラプンツェルは身ごもっていたのだ。砂漠に連れていき体調を調べた時に、彼女の胎内に新たな生命が宿っていることに気が付いたのだが……若気の至りとはかくも恐ろしいものか。
とにかく王子にはラプンツェルを連れて帰って貰い、幸せにして貰わなければならないということだ。
身体を横たえたまま動かない王子を見て、彼に過酷な運命を背負わせてしまったかもしれないことに少しだけ罪悪感を覚える。
これから起こる未来を知らない少年は、年相応の幼い寝顔で眠っていた。
少しして王子が目を覚ましたが、上半身を起こした彼の目は焦点が合わない。何かを確認するかのように必死に瞬きをしているが、彼の瞳はそれぞれ見当違いな方を向いていた。やはり失明してしまっているのだろう。
彼は目を瞑りしばらくブツブツと何かを呟いていたが、突然ゆったりと立ち上がるとふらふらと歩きだした。
どこへ行く気なのだろうか……そっちは王都の方向ではないし、そもそも見えていないのに方向など分かるはずもない。
「さて、どうしたものか……」
遠巻きから王子の動向を眺めていた私だったが、流石にこのまま放置は出来まい。目の見えない状態で一人森の中を彷徨ったところで、ろくなものも口に出来ず三日と持たないだろう。
かといってこの少年に付きっきりという訳にもいかない。子供を宿したラプンツェルの世話もあるし、そもそも彼女の荷物の引っ越しもせねばならない。その後にはソルマとの戦いも控えている。
ガンッ。
そうこう考えている間に王子が木へと正面衝突した……見えないのに歩き回るからそうなる。怪我の治療をしてやったそばから新しい怪我を作らないで欲しい。
やはり目が見えていない以上、最低限の誘導はしてやる必要があるだろう。普段から持ち歩いている袋から『のど飴』を一つ摘まみ出し口へと放り込んで、木にしたたか打ち付けた額をさすっている少年へと喋りかける。
「いてて……」
「大丈夫、ですか?」
少年を心配するセリフを言った私の声は、若い村娘が出すような高い声に変っていた。
この『のど飴』は私の育てた特殊な薬草が配合されており、舐めると声の高さを変えることが出来る。普段は変装と合わせて使う代物だが、どうせ王子は見えていないのだから声だけで充分であろう。
「……あ、ありがとう……え、誰?」
「私はこの付近に住むしがない村娘でございます。何かぶつかる音を聞いたのでこちらに来てみれば、倒れている貴方をお見かけしたので……もしかして目がお見えにならないのですか?」
彼の瞳を覗き込んでみると、やはり左右で焦点が合っていない。しかしどこか決意に満ちているような、出会った時とは違う目をしている。
「うん、さっき目を傷つけてしまったみたいで何も見えないんだけど……いや、そんなことより、この付近にある石の塔から、誰かが出てくるのを見なかった?」
「ああ、遠めなので分かりませんでしたが、あの塔の上の方から何かが飛んで行ったような」
「飛んで行った!? どっちの方向に!?」
しまった、素直に飛んだと答えてしまった。適当にぼかして誤魔化しながら、それとなく彼をこの奥にある流れ者の村に誘導しようと考える。
王子がいなくなった王都ではひと悶着起こっているかもしれないが、調べによると彼は三男らしいので跡継ぎの問題にはならないだろう。それにもし彼がこのままラプンツェルを見つけずに帰ってしまうと、彼女のことなど忘れて二度と迎えに来ない可能性がある。大切なラプンツェルに手を出しておいて、責任も取らず逃げられては困るのだ。
「確か、あっちの方へ飛んでいった気が……」
「ありがとう!」
私は指で方向を示した後、少年の目が見えなかったことを思い出して、改めて口で言い直そうとした。
しかし王子は一礼した後すぐに私の指した方向とは全く別の方に走っていき、少ししてくるりと反転し走って戻ってきた。
「ごめん、あっちって、どっち?」
「……今貴方から見て右手側です」
……この少年、本当に大丈夫だろうか。
私の心配などよそに森の中をずんずんと進んでいく少年の目には、何も映っていないはずなのに不思議と光が灯っているように思えた。
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「神の愛し子を見失った、ですって?」
「ええ、匿っていた塔の結界内部を調べたのですが、既にもぬけの殻でした」
深く暗い海の底、喧騒とはかけ離れたそこに静かに構えられた城塞。
中は空気で満たされており、そこで会話する二人の悪魔はどちらも海底の環境に適応した水の悪魔である。
「愛し子が結界から出れば、何らかの魔力反応があるはずよね」
「しかし、塔から大きな魔力が放出されたり、塔の近辺で規模の大きい結界を用いられたりした形跡はありませんでした」
華美な玉座に座って甲高い声を上げるのは、黒い髪にティアラを付け、煌びやかなドレスを身に纏った青き悪魔のエンデ。
そして彼女の正面に立ち感情のない声で会話に応じるのは、美しい青髪を持つ白き悪魔のネイ。
「まさか、愛し子が死んだ? いや、アイツに限ってそんなヘマはやらかさないはず」
「……もしかすると深緑の魔女は、神の愛し子に魔力操作の訓練をしていたのではないでしょうか」
羊に似た巻角を指で触りながら思案顔をするエンデに対し、ネイは一つの仮定を投げかけた。
「……なるほど、そうすればワタシ達の監視をかいくぐって自由に動かせるようになるってワケね」
「もしくは、そのまま一般人に紛れ込ませたか、でしょうか」
「それはないわ! せっかく力を手に入れたのに自ら手放して、普通の暮らしをさせるなんてバカのやることじゃない!」
魔女がそこまで愚かならワタシ達より強いワケがないもの、と真っ向から否定するエンデに対し、ネイはわずかに眉を動かした。
「エンデ様は……」
「何?」
「……いえ、何でもありません」
言葉を飲み込んだネイは一礼した後、エンデの部屋から退室した。
「何を言おうとしたのかしら……ともかく、神の愛し子の行方を追う手立てを考えないと」
残されたエンデは顎に手を当て、思考を加速させるべくその目を閉じる。
そのドレスとティアラが放つキラキラとした輝きは、海の静寂に包まれて誰にも届かず消えていった。