Chapter 15 - 十四噺 変化
ソルマと決闘の約束をした後、月の満ち欠けが一巡りした日、私はラプンツェルの様子を見に塔へとやってきていた。
「~~♪ ~~♪」
最近、ラプンツェルはかなり上機嫌だ。
紡ぐ鼻歌も陽気な宴の歌。私が部屋にいてもお構いなしに、浮かれ気分を振りまいている。
何かがあったのは丸わかりなので、塔や周囲の動向を少し調べてみたのだが、どう考えても|あ《・》|の《・》|少《・》|年《・》のせいだろう。
私は塔の結界の確認をしながら、これまでの調査で分かったことを整理していく。
先日、塔の近くを通った人間の集団は、この国の王子が率いる一団であったようだ。
その王子――名はアルベルトだったか、とにかく彼が塔の近くまで来た張本人だったらしい。悪意がないので放置したのだが、まさかラプンツェルが髪を降して塔に入れるとは思わなかった。
塔の結界を調べたところ、私以外の誰かが入った痕跡があったため大変驚いたものだ。普通の人間が結界を通過し塔に入る方法などないのだが、彼女が自ら入れてしまってはどうしようもない。
王子は魔力を知らない一般人であり、魔力を十全に扱えるようになってきているラプンツェルの相手ではないが、知らない人間を部屋に入れるなど不用心にもほどがある。彼に悪意らしき感情はなかったが、結界の中に入ってから心変わりする可能性もなくはないのだ。
不用意な行為だと大いに叱りたいところではある。しかしもし私が『王子との密会を知ってしまった』とするなら、悪役としては叱るだけで済ませる訳にはいかず、またあの少年との交流も止めなければならない。
それに塔に一人で寂しかったという彼女の心情も分からなくはない。私と会話しなくなって一年、他人との交流のない生活は堪えたはずだ。
私は悩んだ結果、何も気付いていないふりをすることにした。
「~~♪」
当の本人は広くもない部屋の中で小躍りして跳ね回る始末。
あの王子と何か進展があったのだろうか。
私が勘付いたらどうするつもりなのだろうか。監禁している人間が突然上機嫌になったら、脱走を疑うと思うのだが。
私は結界の調整を終えて部屋の整理をしていく。すると……。
「これは……」
部屋自体は王子が来たという証拠を残さぬよう隅々まで掃除されているが、流石に洗濯物は溜まる。溜まった洗濯物は私が城に持ち帰って、水と汚れを取る植物の実を用いて綺麗にするのだ。洗濯物が入れられた籠の中にあった、寝床用の敷布の状態を見て二人の仲を理解した。
どうやらラプンツェルは王子とやらを、何度もこの塔に入れたらしい。しかもその仲は短期間で驚くほど進展しているようだ。汚れた敷布が全てを物語っていた。
「……はぁ……」
これでばれないと思ったのだろうか、それともベッドまで気が回らなかったのだろうか。嬉しさのあまり詰めが甘くなっている可能性が一番高いか。
子供の成長は早いと言うが、彼女はまだ十五歳。しかも相手はあどけなさの残る少年である。
もう少し成長してから、とも思うが……いや、今がまさに成長の最中なのだろう。酸いも甘いも経験して、私には教えられなかったことも学んでいかなければならない。ここで過保護に世話してしまうのは彼女にとってもよくない。
しかし流石にラプンツェルに子供が出来ては、ここに住まわすことも出来ない。それは他人をここに入れていることの証明になってしまうからだ。
もし私が本当の悪役なら、発覚と共に彼女を閉じ込める場所を移すはずである。またこのような閉じ込められた空間にいるのは、生まれてくる彼女の子供にとってもあまりいいことではない。
だから、あの子は塔からの脱出手段を考えているはずだ。普通の梯子などは私の結界を潜り抜けられないため、恐らくだが自分の髪の代用品となる何かを用意しているのだろう。
例えば、紐で作った梯子の中に自分の髪を編み込み、そこに自らの魔力を通して結界に自分の一部として誤認させる方法。王子に紐を持ってこさせれば簡単に拵えられる。
魔力を通して効果を発揮するそれは簡易的ではあるが魔道具であり、つまりそれを作る行為は魔道具作りの初歩とも言える。まあそもそも、簡易版とはいえ魔道具を作れるほどの魔力操作が身に付けば、恐らく髪を切っても魔力が暴走する心配はないのだが。
つまり、もう少し魔力操作が上達したら、切った髪をハシゴにして降りればいいのである。彼女にはそこまで教えてはいないので気が付いていないだろうが、まあ魔力操作の修行の締め括りとして頑張って貰いたい。
何にせよ彼女の今の実力があれば、脱出用の梯子か何かはそう遠くない未来に完成すると考えている。
そして、もし仮に脱出の手段が出来たとして、彼女が塔の結界の外に出ても大丈夫なのか、という点だが……。
「ラプンツェルもあと少しで、魔力を隠せるだけの実力が身につくだろうからな」
最近のご機嫌が彼女の集中力に良い作用を及ぼしたのか、魔力操作の練習が随分と捗っているのだ。魔道具作りの成果も出ているのか上達速度はかなりのもので、この調子でいけばもうじき結界はお役御免となる。彼女が自ら魔力を隠せるようになれば、こんな狭苦しい結界など必要ない。
私の呪縛ともおさらばである。いや、むしろ早く私から離れなければ、いずれ魔女の娘などと噂されてしまうだろう。
また塔を出た後、彼女が生きていけるかという点は問題ない。
「相手が王子なら食い扶持には困らんだろう」
王子が魔女から救い出した薄幸の少女を、気味悪がる者はいても迫害する輩はいないはずだ。相手が相手なので経済的な面も問題ない。作法やマナーは幼少期から叩き込んであるので、どこに行っても恥ずかしくない娘に育ったはずだ。
……まさか、相手が王子だとは思わなかったが。
つまるところラプンツェルにとって、あの王子は添い遂げるには問題ない相手である。いずれ彼女が使えるようになるであろう魔法、その扱いにさえ気を付けていれば、持ち前の明るさできっと幸せに生きていけるだろう。
ともあれ、今はソルマとの決闘の準備をしなければならない。
洗濯物の入った籠を背負った私は、陽気な鼻歌を歌うラプンツェルを尻目に、彼女の金の髪を伝って塔を降りた。
森の果てを見つめる少女の青い瞳は、いつにも増して輝いているような気がした。
~~~
「意外だな、奴がすんなりと決闘を受け入れるとは」
沈みゆく夕日を見つめる赤き悪魔。頭部に橙色の光が当たり、二本の角の影が一段と長く伸びていく。
傍に控える黒き悪魔は、黄昏と向かい合う彼をただそっと見守っている。
「かつては至る所で決闘を吹っ掛ける我のことなど、歯牙にもかけなかったのだがな」
ソルマは赤く染まりゆく日に目を細め、ゴテルと知り合った頃の思い出にふける。フラフラと揺れるマントの影が、地面で黒いカーテンとなって風を見送る。
「こんなにあっさりと受け入れるのは不自然です、何か――」
「ああ、確かに何か裏があるのかもしれんな」
一方ダンは、ソルマが語るかつてのゴテルと、今の彼女の言動の差異に違和感を覚えていた。
「で、であれば……」
「だが、それがどうした」
しかしソルマは彼の身を案じるダンの台詞を遮ると、マントを翻し夕日を背にソルマの方を向く。彼の赤い顔には獰猛な笑みが浮かんでいた。
「奴は我の手袋を拾ったのだ、それが全てだろう」
「あのゴテルという魔女は危険です。奴は長い年月を一人で過ごしていた。その果てに、悪魔という存在そのものが不要という結論に至っているかもしれないのです」
ダンはゴテルを間近で見て、魔女の力は悪魔に勝るとも劣らないものであると知った。だからこそ、明らかに変わった様子を見せる彼女が危険だと思い、ソルマに一つの可能性――彼女が穏便派の悪魔とも敵対する、最悪の可能性を説いた。
そんなダンの忠告を聞いたソルマは、少しの間目を閉じた後にゆっくりと口を開いた。
「……ああ、もしそうならば」
その時、ダンは見た。
ソルマの表情が激情に駆られたかのように険しくなり、その赤い身体が燃え盛っていると錯覚するほどの覇気を帯びていくのを。
「私の手で終止符を打つまでだ……少し惜しいが、その決闘は今生最高の一幕になるだろう」
ソルマは地平に飲まれつつある夕焼けを、ギラリと輝く双眼で強く睨みつける。
そんなソルマを見たダンは何かを決心したかのように、かすかに震える拳をそっと握りしめた。