円柱2020/05/27 12:09
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「……ああ、合格だ。これで魔力の操作は一通り出来る。魔道具や簡単な魔法は使えるようになっただろう」

 

 黄金に輝く杖を持つラプンツェルがはっとした表情をする。思わず笑みが零れそうになっていたが、私の前であることを思い出したのかすぐに神妙な面持ちに戻った。

 今日遂にラプンツェルの修行が終わりを迎え、魔力の操作が完璧なものになったのだ。幼少期から続けていた彼女の努力が実を結んだのである。コントロールが上達し無駄に漏れ出す魔力もなくなったので、結界の外に出ても問題なく暮らせるだろう。

 彼女に教えることはなくなった。魔力が漏れ出さなくなったため、下賤な輩に狙われる心配もほぼなくなった。もしそれでも狙うような輩がいれば、私が影からひっそりと始末すればいい。

 

 ようやく彼女は普通の人間として平穏な人生を送ることが出来るようになったのである。神の加護を受けし者だと正体を悟られることも早々あるまい。料理屋を営むという彼女の夢も、自身の手の届く範囲まで近付いた訳だ。

 

「これで、夢に一歩近付いた訳だ」

 

 私のぼそりと呟いたセリフを聞いていたのか、ラプンツェルが少し目を見開く。まあ誰の夢とは言っていないので、魔女の邪悪なる野望とでも思っているのかもしれないが。

 

 ともかく、後は彼女を王子の元に送り出してやるだけだ。いや、追い出すと言った方が正しいだろうか。

 こんな魔女の塔からは、一刻も早く出て行って貰わねばならない。むしろこれ以上私の元にいる方が問題であろう。魔女の子などと呼ばるようになってしまえば、彼女自身の夢を叶えるにはかなりの障害になってしまうはずだから。

 

 脱出手段についてだが、ここまで魔力操作が出来るようになったならば、自らの長い髪を切りそれを梯子にして脱出してしまえばいい。もう髪の補助がなくとも魔力が暴走することはないだろう。

 自ずと脱出の手段も手に入ったという結果に、彼女は嬉しそうにしながらもどこか納得いかない顔をしている。準備していた梯子か何かが無駄になってしまったからだろうか。自分で用意していた魔道具の出番がなくなって、唇を尖らせ分かりやすく不貞腐れているラプンツェルを尻目に、私は部屋の片付けを進めていく。

 

 彼女を独り立ちさせたその後は、ソルマとの戦いも控えている。

 だが、その後は……。

 きっとまた、孤独な日々が続くのであろう。城の中一人で過ごし、感情の動かない毎日が訪れる。

 随分と脆弱になってしまったこの心は、ぬくもりのない冷え切った人生を許容できるのだろうか。

 

 胸を刺すような痛みを抱えたまま、ラプンツェルの綺麗な髪を伝って塔を後にする。

 塔から外を覗く少女の青き瞳は、確固たる意志を持って未来を見据えていた。

 

 


 

 

 翌日、強い風に揺れる木々がざわめく中、私は自分の城からラプンツェルの待つ塔へと向かっていた。

 今日は彼女の様子を確認したら塔から離れ、その後迎えに来る予定のアルベルトとかいう名前の王子に、役目のなくなった塔からラプンツェルを連れ出して貰うだけである。餞別に何か持たせてやってもいいが……いや、他の人間に私との関係性を疑われるようなことはしない方がいいだろう。

 

 一つ気がかりなのは、魔力操作が出来るようになったからと言って、すぐに魔法を使いこなせる訳ではないということだ。ラプンツェルが一体どんな魔法を使えるようになるのか。こればかりは彼女が時を迎えるまでは分からないのだ。

 簡単な魔法なら魔力操作でこなせるが、私の植物の魔法やソルマの炎の魔法といった特殊な魔法、人によって使える魔法が異なることから『固有魔法』と呼ばれるそれは、大抵は必要に迫られた時に初めて使えるようになる。自身の強い望みや願いが魔法の方向性を決定付けているのでは、という説はあるが定かではない。

 明るく優しいラプンツェルなら、固有魔法もきっと優しい魔法になるはずであろう。間違ってもあの戦闘狂のように、何もかも燃やし尽くすようなバカにはならないで欲しい。

 

 考え事をしている間に、随分と植物に覆われ緑の深くなった石の塔の麓へと到着した。この塔や結界の役割も終わりを迎えたのだと思うと少し感慨深い。

 古くなった塔の外壁に手を当て、伝わるかどうかは分からないが感謝の意を込めて、少しの間だけ目を瞑った。

 

「ラプンツェル! ラプンツェル! お前の髪を下げてくれ!」

 

 この合言葉もまもなく必要なくなるであろう、そんなことを思いながら塔の上に声を投げかけ、金の髪が降ろされるのを待つ。

 そうしていつものように髪を登り、塔の窓へと辿り着いた時。

 

「ねえ、ゴテルのお婆さん」

 

 彼女は何でもないかのように、ぽつりと口にした。

 

「どうしてお婆さんはゆっくり髪を登ってくるの? あの王子は軽々と登ってくるのに」

 

 ――私は驚きに目を見開く。一瞬遅れて、ラプンツェルがはっとした顔をし、自らの口を手で押さえる。

 

「この子は!」

 

 あの王子、と私の前で言ってしまった。つまり秘密裏に他の人間と出会っていると公言してしまったのだ。このまま彼女の体調を確認した後に見逃そうと思っていたのだが……仕方ない。ラプンツェルの前では悪役でなければならないのだ。

 これ程甘くては、穏便に暮らしてはいけない。迂闊な発言や行動は身を滅ぼすと、その身をもって教えなければならない。

 

「私はお前を、世間から引き離していたつもりだったが……私を騙していたのだな!」

 

 私は素早くラプンツェルの後ろに回り込むと、とある植物の実の入った袋を潰し、彼女の口元に当て睡眠作用のあるガスを吸わせる。ラプンツェルは少しの間モゴモゴと抵抗していたがすぐに効果が現れ、糸が切れた人形のようにぷつりと意識を手放した。

 激しく抵抗されると彼女の魔力が暴走してしまう恐れがあるため、特製の睡眠袋で気絶させたのだ。

 あのまま彼女と会話をしているうちに、こちらがボロを出してしまう可能性を危惧した、というのもなくはないのだが。

 

 さて、ラプンツェルをこのままこの塔に住まわせるのは、悪役としては宜しくない。密会の場所だと知られてしまっている以上は、彼女の住まいを移さねばなるまい。ここにいれば王子と鉢合ってしまうし、かといって自分の城に連れ帰るのも悪役の行動としては違う気がする。

 

「……昔使っていた砂漠の小屋にでも連れて行くか」

 

 あそこなら周囲に人里もない。ラプンツェルも反省部屋に連れて来られた、くらいに思ってくれるだろう。後は王子がそこまで助けに行くよう仕向ければいい。

 とりあえずの目標地を定め、移動のため彼女の身体を横抱き抱え直すと、幾重にも折り重なった金髪がだらりと垂れ、その先端が床に触れた。

 有り余る魔力の影響か、人間では考えられないほど長く強靭なものとなってしまったラプンツェルの髪。その重量はどうにか髪留めの魔道具で軽減していたが、それを外せばかなりの重さになっているだろう。魔力が暴走する危険を考え伸びるに任せていたが、塔の結界に出入りする必要がなくなった以上、このあまりにも長過ぎる髪も必要ない。

 

 この髪はラプンツェルにとっての鎖だ。彼女をこの塔に、いや私という存在に縛り付けていた象徴。

 ラプンツェルの使っていた棚を漁り、大きな鋏を取り出して刃に魔力を通し、彼女を縛り付けていた金の鎖をジャキン、ジャキンと切っていった。

 

「随分と、さっぱりした印象になったな」

 

 肩にかかる程度には残したものの、それでも今までと比べると随分と短くなった髪型に、ラプンツェルが起きた時どんな反応を示すだろうか。そんなことを思いながら切った髪を捨てる……のは勿体ないので、魔道具の素材用に持っておくことにして。

 

 さっさと塔から移動してしまうとしよう。このタイミングで王子が来てしまったら取り繕うのが大変だ。

 予め塔に備え付けてあった藁の箒を手に取る。実はこれは私が作った魔道具で、魔力を込めると重力に反する力――浮力と、ある程度の推進力を発する。つまり、これを使えば空を飛ぶことが出来るのだ。

 

 今まではラプンツェルの魔力故に移動を躊躇っていたが、ラプンツェルが無事成長した今となっては問題ない。

 普段隠れて行動するために使っている簡易型の結界を使えば、誰にも気付かれず移動ができるだろう。

 

 塔の結界は一応作動させたままにしてある。ラプンツェルが中にいたままだと誤認させておけば、彼女の行方が追われる心配も減るだろうという算段だ。なのでここから出るには彼女の魔力が必要なままであるが、ラプンツェルの魔力が残っている髪があれば彼女がいなくとも出入り可能である。

 髪を切り随分と印象の変わったラプンツェルを背負い、彼女の魔力を纏った後に藁箒に跨り、塔の窓から空へと飛び立つ。森が揺れる程の風に少しふらつきながらも立て直し、目的地へ向けて迅速に移動するべく魔法の箒へと魔力を込めた。

 

 


 

 

 彼女をとある砂漠の中央付近にある小屋へと連れて来た。ここはかつての私が悪魔を狩る際、仮の拠点としていた場所である。草木もほとんどない厳しい環境であり付近には村一つないため、ラプンツェルのような少女が身一つでここから脱出するのは容易ではない。

 小屋の中に入り古めのベッドにラプンツェルを寝かせる。仕方ないとはいえ前触れもなく突然気絶させてしまったラプンツェルが、怪我などしてないか心配になって少し体調を調べた。その時に衝撃の事実が発覚したのだが、とりあえず今はそれどころではない。

 この小屋である程度生活出来るように準備しなければならないし、そもそも今日ラプンツェルを迎えに来るはずだった王子もどうにかしなければならない。ここで自分の行いを反省するがいい、と気絶したままなのに何故か微笑んだ表情の彼女に言い残し、小屋の外に出て箒に跨り空へと飛び立った。

 

 藁箒に乗る魔女は頬で風を切り、誰もいない空を飛び続ける。

 ラプンツェルのぬくもりがなくなった背中が、強風に晒されてやけに冷たく感じた。

 

 

 

~~~

 

 

 

 ラプンツェルが紐を編み梯子を完成させた数日後、アルベルトが彼女を塔から連れ出し脱出するという約束の期日がやって来た。

 王子はどこか緊張した面持ちで、誰にも気付かれないよう慎重に場内から抜け出そうとしていた。

 

「お出かけですか、アルベルト様」

「っ!!」

 

 どうにか気付かれずに馬小屋まで到達した王子を出迎えたのは、彼のお付きである老いた執事であった。

 

「爺や……そこを、どいてくれないか」

「……かしこまりました」

「!?」

 

 まさか素直に通してくれるとは思っていなかったアルベルトは、執事が一礼して道を譲ったことに驚きを隠せないでいた。

 

「普段から城を抜け出す王子が、最近その頻度を増やして一体どこへ出かけてらっしゃるのか……今日は特に重要な日とお見受けします。いやあ、青春ですなあ」

 

 何をしているかまでバレバレでとても恥ずかしくなった王子は、顔を赤くして老執事を小突いた。執事は、流石に王様の説得は自らお願いしますよ、と苦笑しながらも王子に協力した。

 執事は初めから、最近の王子の脱走が誰かとの蜜月だということを予想していたのだ。彼は二人で乗っても大丈夫なような、立派な馬も用意していた。大人しく、がっしりとした頼もしい体躯の白馬だった。

 

「無事に帰ってきてくださいませ」

「ああ……行ってくる」

 

 頭を下げ見送る執事の思いを受け、アルベルトはラプンツェルの待つ塔へ向けて馬を走らせる。

 ざわざわと落ち着かない様子の森の中に入ると、王子は逸る気持ちを抑えられないのか馬の腹を軽く蹴る。それに応じて巨躯の白馬は速度を上げ、颯爽と木々の間をすり抜けていく。

 

 そうして空が少し赤くなる夕暮れ前に、アルベルトは石の塔の前に辿り着いた。日が落ちつつあるこの時間帯には、魔女は自分の城に帰っていると王子は聞いていた。

 恋する少年は塔の上にいるはずの彼女に向けて、あの言葉を投げかけた。

 

「ラプンツェル! ラプンツェル! 君の髪を下げておくれ!」