Chapter 14 - 十三噺 準備
かさりと植物の葉と葉が擦れる音が、静かな空間に幾ばくかの賑やかさを与える。
ここは私の城の一室。鉢に植えられた様々な植物が並ぶこの空間は、私の研究室だ。
「この結果は使えそうだ、後で記録しておこう」
手元の植物を注意深く観察した私は、満足のいく結果が出ていることに頷いた。
これらの研究こそ、私が深緑の魔女たる証明であり、人間よりも強大な力を持つ悪魔と戦うことが出来るようになる強みでもある。
「それにしても……あいつが初めに来るとはな」
ラプンツェルの一件で私は、今までの静寂を破り派手に動き出した。そこを突け狙う強力な力を持つ者達を警戒していた矢先に現れたのは、赤い悪魔ソルマだった。あいつは私に執着しているのでそう不思議ではないが、むしろあいつで良かった部分も多い。
「戦いは久々だからな、肩慣らしにはちょうどいい」
最近はあまり戦闘などしていなかったので、勘が鈍ってないか心配だったのだ。
当然だが技術は使わなければ衰えていく。身体を動かしたり、仮想敵を相手取った訓練などはしていたが、実戦となると勝手が違う。
彼との戦いは寸止めで終わらせるため、気を抜けば一瞬で死に至るとまではいかないが、やはり緊張感を持って経験を積む、というのは大事なのである。
「ソルマ……はたして、どこまで強くなっているか」
あいつ曰く、私は「我とまともに戦える唯一の存在」だそうだ。
ソルマは炎の悪魔であり、勿論扱う魔法は炎の魔法。その火力は悪魔の中でも随一で、街一つを灰燼に帰すことも可能だ。
だがあいつに限ってそんなことをする奴ではない。もし人類に仇なすような奴なら、かつての私が許しているはずなどない。
とにかくその業火のような魔法は注意しなければならない。しかも最後にあいつと戦ってから長い年月が経っているため、更なる魔法も確立しているかもしれない。
私の使う魔法は、深緑の魔女の名の通り植物の魔法である。本来ならば相性的に明らかに不利なのだが、生憎と私が負けたことは一度もない。
その理由は、まさしくこの研究にあると言っても過言ではない。
「私も研究を進めていた……どこまで付いてくるか、楽しみにしておこう」
何の気なしに呟いた言葉の後に、ふと自分の口角が上がっていることに気が付く。
あいつ程ではないが、私も戦いに飢えていたのかもしれない……いや。
「ラプンツェルと過ごした時間が、長すぎたのかもしれんな」
ここ最近、ラプンツェルとはまともな会話をしていない。
ソルマとの接触は久々にした他人との交流だった。
私は誰でもいいから話がしたかったのだろうか。
自身の軟弱な心には難儀しているが、ここまで脆弱になってしまったのか。
「この戦いで、何か振り切れるといいが」
むしろこの戦いを通して、より一層感情というものを思い出しそうな気がしてならない。
どうすればいいのだろうな、という問いかけに答えるのは、私の動きに合わせて揺れる葉のかすれる音だけだった。
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ラプンツェルとアルベルト。一人の少女と一人の少年の名である。
ラプンツェルは魔女に育てられた少女で、『神の加護』と呼ばれる強大な魔力を持つ。塔の中での生活を強いられており、状況を打破する糸口を探っていた。
一方のアルベルトは、ラプンツェルの住む塔がある魔女の森を含む、広大な領地を持つシュバルツシルト王国の王子である。王子としての窮屈な毎日に退屈しており、新たな刺激を求めていた。
そんな二人はある日、森の中にある塔の天辺で出会った。
ラプンツェルにとってアルベルトは初めて出会った男だった。自分に優しくしてくれ、またゴテルと決別し人肌が恋しくなっていたラプンツェルにとっては、彼だけが頼りだった。
王子にとって少女は、冒険の果てに見つけた宝物だった。自分を必要としてくれ、透き通るような声で自分だけに喋りかけてくれる。品性な顔立ち、きらりと光る大きく青い瞳、異常なまでに長いもののとても美しく輝く金髪。彼女の何もかもが素晴らしく思えた。
若い二人が互いに惹かれあうのに、理由も時間もいらなかった。
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「よしっ、梯子も段々と出来てきた」
元気な声と共に一人の少女が椅子から立ち上がる。まず目に留まるのは、彼女の頭と足元を幾重にも往復する金髪。十五歳の彼女の華奢な身体に全くそぐわないそれは、窓から入る日の光を浴びてキラキラと輝いていた。
「後……半分くらいかな?」
ラプンツェルの持つ紐が幾重にも結ばれたそれは、足をかける余裕のある梯子のような形状になっていた。長さは塔の高さの半分といったところだろうか。
「ラプンツェル! ラプンツェル! 君の髪を下げておくれ!」
塔の外から声変わりの最中といった感じの、思春期の少年特有の声が聴こえてくる。ラプンツェルが窓から下を覗くと、きらびやかな服を着た少年と目が合った。
少女は窓際に行き、自らの長い髪を取り付けてある折れ釘に巻き付ける。そして髪を下に降ろし、少年が登ってくるための縄代わりにした。
少年は足早に塔を登ると、窓から部屋に入り優雅に一礼する。
「こんにちは、ラプンツェル」
「こんにちは、アルベルト」
ラプンツェルが笑顔を返すと、アルベルト少年は嬉しそうに微笑んだ。
「会いたかったよ」
「私も。……ところで、今日はやけにくたびれてるけどどうしたの?」
よく見るとアルベルトの髪はぼさぼさで、高価そうな服にも乱れが生じている。
彼は疲れた様子を隠すこともなくフラフラと歩くと、木で出来た椅子に力なく座り込んだ。
「今日は爺やにしつこく追いかけられたんだ……危うく捕まるところだった」
「毎回やってるんだろうけど、王子が王城を抜け出すって大変そうね」
アルベルトの言う爺やというのは、彼の身の回りの世話をしている老いた執事のことだ。
毎回ラプンツェルと会うために、彼が城を抜け出す状況にしびれを切らしていたのだろう。この日、王子は鬼の形相をした老執事に追いかけられ、どうにかして馬で逃げてきたのだ。
「馬小屋までたどり着くのが大変だったよ……まさか待ち伏せしてるとは」
「馬かあ、乗ってみたいな」
アルベルトにとって馬という生き物は当たり前のものだと思っていたので、ラプンツェルの羨望の眼差しは予期しておらず思わずたじろいでしまう。
「えっと、乗ったことないの?」
「見たことはあるけど……」
首を横に振るラプンツェルに対し、馬のことなら色々知ってるから、とアルベルトは自信ありげに胸を叩く。
「大丈夫、僕が色々教えてあげるから。乗れるようになるまで時間がかかるんだけど、乗れるようになったら楽しいよ」
「努力することなら自信はあるよ!」
そう言ったラプンツェルは先程まで作っていた紐の梯子を見せる。アルベルトは梯子をまじまじと見つめると、称賛の声を上げ手放しに喜んだ。
「すごい、結構進んだね」
「でしょ?」
照れた顔で後頭部を撫でるラプンツェルの笑顔を見て、アルベルトは自らの胸がドキリと高鳴るのを感じた。この胸の心地よい苦しみの正体を、彼は知っていた。
そして彼は、覚悟を決めなければならない、と自らを鼓舞した。これ以上ラプンツェルと共にいたいなら、共に生きたいなら、アルベルトには言わなければならないことがあった。
「僕は、君を塔から連れ出そうと思ってる」
意を決したアルベルトはラプンツェルの青い瞳を正面から見つめ、彼女の核心に触れる言葉を放った。
「だからそろそろ聞かないといけないと思うんだ……君がここにいる理由を」
ラプンツェルは少し顔をしかめた後、窓の方を向いて目を細め、何かを憂うように悲しい顔をした。
「閉じ込められてるの。あなたも分かってるんでしょ、ここに来ているあなた以外の人物が誰かを」
ゴクリ、とアルベルトが固唾を飲む音が部屋に響く。彼の緊張した顔付きに対し、ラプンツェルは真実を口にする。
「私をこの塔に閉じ込めている張本人……彼女は『深緑の魔女』。正真正銘、お伽噺に出てくる魔女本人よ」
王子は、やはり、とは思うものの、それでも驚愕を隠し切れなかった。
それは、子供達にとって恐怖の対象。悪いことをしたら連れ去られる、と悪魔に次いで怖いものの代名詞として用いられる名前である。アルベルトも昔からその怖さは聞かされており、しかしながら魔女なんぞお伽噺の中の人物だと思っていた。
驚きの最中、彼の思考は加速していく。
彼がラプンツェルと初めて出会ったあの日、塔から降りてきた女性はまさしく魔女だったのだ。
だが皆の間では悪夢のように語られているにも関わらず、当の魔女はこうして森の奥深くでひっそりと少女を育てている。
しかもラプンツェルのために食事、本、杖など様々なものが与えられている。生活に必要ない料理や歌の本まである。
深緑の魔女は彼女をとても丁寧に扱っているのだ。それ程重要な存在なのか、あるいは……。
アルベルトは思考していくうち、魔女に関する噂と実際の行動との間に、明らかな齟齬があることに気が付いていく。
「でも、その魔女って……」
「……今はあまり話したくない。でも、ここから出ないといけないのは変わらないよ」
アルベルトが魔女の話を詳しく聞こうとすると、ラプンツェルは拒絶するかのようにきっぱりと口を閉ざした。こちらから触れてもあまりいいことはなさそうだと考えたアルベルトは、とりあえず今は彼女がここを出たがっている、ということだけを考えることにした。
「……じゃあ、改めて言わせて貰うよ」
王子は真面目な顔をした後、その固い表情を崩しとびきりの笑顔でこう言った。
「僕と一緒に来て、僕と一緒に生きよう、ラプンツェル」
「……うん」
少年の差し出した手に、少女の手が重ねられた。
こうして少年と少女は、秘密の逢瀬を重ねていった。