Chapter 13 - 十二噺 口約
落ち行く夕焼けが真っ赤に燃え上がり、目の前に立つ赤い悪魔の顔を照らす。
短めの茶髪の隙間から見える眼光は、確かに私の知る悪魔のものであった。
「……ソルマ」
私は彼の名を口にし、息を深く吸い込み……。
「……はぁ……」
安堵の息を吐いた。
「何だお前か……」
「何だとは何だ」
気を張っていただけに拍子抜けして肩を落とすと、赤い悪魔――ソルマがムッとした顔をする。
「そろそろ誰かしらが干渉してくると思っていたからな」
「む、その言い方だと、我が一番最初らしいな」
どうだと言わんばかりに胸を張るソルマ。屈強な見た目に反する相変わらずな振る舞いに、思わず溜息を吐く。
こいつは昔から一番だ何だと張り合うのが好きだ。とあることにお熱な奴だが、それ以外に対しては無頓着というか……子供っぽいのである。
とにかくこいつならラプンツェルに危険が及ぶことはほとんどない。お前で良かったよ、と安堵の言葉と共に深く一息吐いた後、先程から感じている視線が気持ち悪くなってきたので、ソルマの後ろにある茂みを指差して確認を取る。
「それで、あの連れは一体誰だ?」
「ああ、あいつは……ダン、出てこい」
ソルマの言葉に反応して、その茂みの中からもう一人の人物が出てくる。
人の形はしているもののその身体は炭よりなお黒く、赤い髪の側頭部から短い角が生えていることから、ダンと呼ばれたこの人物も悪魔であろうと推測される。
ダンとやらは驚愕しながらも、腑に落ちないといった顔をしていた。
「……魔力も気配も消していたのですが……」
「経験の差だ」
「貴方がソルマ様と並ぶ化物なのは本当のようですね……」
気配の遮断の練度やソルマが傍に置いているところを見るに、まずまずの手練れであろうことは伺えるのだが、角の短さを見るに悪魔の中でも新入りと言ったところなのだろう。
そんな部下との押し問答もソルマは興味がないのか、ダンと私の会話が切れた途端、森の切れ間から見える塔を指差して喋り始めた。
「あの塔の結界……相当手間をかけているな。貴様を知る者以外なら、この一連の出来事にすら気付かんだろう」
「そう簡単に見抜かれては困る」
我は気付いたがな、と誇らしげに胸を反らすソルマを適当にあしらうと、彼は何か考え込むようなしぐさを取る。
「人間の子供……『神の愛し子』か」
「私のような悲劇はもういらないだろう。それで、何をしに来た。あの子はまだ――」
「分かっている、我は人を不幸にして喜ぶような屑ではない」
こいつの思考はかなり人間に近い。とあることに狂気的である以外は、悪魔の中でも珍しい人と仲良くしようとする派閥である。人殺しを良しとしない彼らは、魔力を喰らう時も相手や環境に負荷がないよう気を使う、何とも悪魔らしからぬ奴らなのだ。
「それに、若い芽を摘むのは我の流儀に反するのでな。しかし代わりに……」
人間と共存を求める彼らは穏便派とも言われることはあるが、ことこいつに関してはこの言葉は当てはまらない。何故なら……。
「貴様には戦ってもらうぞ、ゴテル」
ソルマは懐から白い手袋を取り出すと、その片方を私の足元に投げつけてきた。
その行動が示すのは『決闘の申し込み』。
そう、この男は極度の戦闘狂なのだ。
「会うたびに毎回……お前はこれ以外ないのか」
「我がどれだけ待ったと思っているのだ」
昔から変わらない脳筋ぶりに思わず溜息を付くと、赤鬼は心外だと言わんばかりに憤慨する。
「もし我の話に応じないのであれば、あの子供を――」
「その台詞は看過出来んぞ」
ピキリ、と何かが軋む音がした。
聞き捨てならない、いや口にされるのも許容出来ない言葉を、殺気を放って無理やり止める。
魔力を使えば他の者に居所が露呈してしまうので少しだけ殺気を漏らしたが、寝静まり静かだった森がざわざわとざわめく。
「――っ」
ソルマに付き従ってるダンというこの黒い悪魔は、まだ戦闘に慣れていないのだろう。私が突然出した殺気にたじろいでしまっている。
しかし戦うことに飢えているソルマは、殺気を受けてもどこ吹く風と言わんばかりの平静を保ち、逆に私の闘気を嬉しく思っているのか口角を上げニヤリと笑った。
「どうやら、子供に手を出す必要はないみたいだな」
「当然だ、むしろ手を出そうとしたら……分かっているだろうな」
恐らくそんなことをする気はないのだろうが、私を挑発するためにわざと口を滑らしたのだろう。首を振って茶髪を揺らしているが、食えない真似をするものだ。
「貴様と命を懸けた本気の戦いも楽しそうではあるが……まともに戦える相手を失うのは惜しいのでな」
「ふん。そういった台詞は、私に一度でも勝ってから言え」
私が投げられた白手袋を拾い上げると、ソルマは悪魔らしく豪胆な笑顔を浮かべる。
「ああ、今回は勝たせてもらう。今宵は満月だ、三度目の満月が昇った夜、あの場所で貴様に土を付けてやる」
いつの間にか日は落ちていた。地平から顔を覗いた銀盤が眩しい程に輝き、去り行く悪魔達と魔女の影を地面に映していた。
「そうだ、一つ聞き忘れていた」
その場から立ち去ろうとしていたソルマはこちらを向くと、懐をまさぐり何かを取り出した。
「魔力を込めて熱を出すこの藁は何に使うのだ、部下は貴様の庭から飛んできたと言っていたが」
そう言って差し出したのは、ラプンツェルがミルクを温めるために使っていた例の藁だった。
いや、彼女は温かいミルクを好んでいるので、未だによく使っているのを知っているのだが。
「ああ、これはミルクを温めるための藁だが……どうかしたか?」
私の説明を聞いたソルマとダンは、何とも言えない微妙な顔をしていた。
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「あなたは……」
ラプンツェルは自らの髪を昇ってきた少年をまじまじと見つめる。美しい碧眼に見つめられた王子は年相応に胸の高鳴りを感じていた。
一時の静寂の後、少女はその艷やかな唇を開いた。
「男、なの?」
その質問は想定していなかったとばかりにガクッとする王子。
「僕、そんなに頼りなく見えるかなあ」
「別にそんな意味はないんだけど……私は男を見たことないから」
「……え?」
窓から外に垂らしている髪を回収しながら、初めて出会った男である少年を観察する少女。対する王子はその様子を見て、とても彼女が嘘を言っているように思えずにいた。
「村や街に行ったら嫌でも出会うはずじゃ……」
「そんな人がいっぱいいるところ、行ってみたいなあ」
あまりに衝撃的な事実に少しの間絶句していた王子だったが、気を持ち直しその理由を問いただしていくことにした。
「君、ここから出たことないの?」
「この塔に来たのは三年前。その前は城に住んでたの」
髪を回収し終えたラプンツェルは、窓から身を乗り出し外を眺める。憂いの混じった彼女の横顔に、王子は思わず見惚れていた。
「外へは一度も出たことないから、私にとっての男は物語の登場人物だよ……」
少女は眼下に広がる森を羨ましげに見つめる。彼女にとっては、三年前からこの部屋だけが自分の世界なのだ。外の世界に憧れを抱くのも無理はない。
「例えばそう、『魔法使いの王子』に出てくる王子様、とか」
ラプンツェルは、幼いころゴテルに読んで貰っていた絵本の名前を口にする。
すると王子がピクリと反応し、切り返すように口を開く。
「僕が王子だ、って言ったら驚く?」
「えっ?」
「と言っても、僕はそんなお伽噺に出てくる魔法なんか使えないけど」
驚くラプンツェルに対し、王子は首をすくめ横に振り、両手を開いて否定的なポーズを取る。
「僕はこの国の王子、アルベルト・シュバルツシルト。長男じゃないから世継ぎじゃないけどね」
王様にならなくて良いから気楽でいいよ、と続ける少年――アルベルトは、正真正銘、魔女の森を領地の一部とする国、シュバルツシルト王国の王子であった。
「僕の話はこれくらいにして……君はどうしてここに住んでるの?」
「……外に出られないからかな」
「出てみたいとは思わないの?」
「もし出来るとしたら、とっても魅力的だね」
アルベルトの質問攻めに少しうろたえながらも、ラプンツェルは楽しくなってきていた。他人としっかり会話をするのは久しぶりだったのだ。返事をする綺麗な声も心なしか弾んでいる。
「じゃあ、僕と一緒に来ない?」
「……プロポーズ?」
アルベルトの思わぬ台詞をラプンツェルがからかうと、アルベルトはしどろもどろに言い訳しようとする。
「あっ、いや、これはその……」
「っふふっ、良いよ、でも」
あたふたする少年を横目に、少女は微笑みながら頷いた。しかし直後に少し悲しい顔をすると、窓を指さして首を横に振る。
「あなたと一緒に行きたいけど、このままじゃここから出られない」
アルベルトは先程この部屋に入ってきた方法を思い出す。未だに信じられないが、確かに彼女の立派な金の髪を伝って登ってきたはずだ。ならば同様の方法を取れば、彼女も下に降りられるのではないか。そう考えたアルベルトは彼女にそのまま意見をぶつける。
「なんで? その髪を切って梯子にすれば出られるよ?」
「この髪は切っちゃダメなの」
ラプンツェルは再び首を横に振りながら、そっと自分の金髪を撫でる。鮮やかな青の双眼は悲しみを湛えたままである。
「単純に言うと私が死んじゃう」
「……ごめん」
大丈夫、と口にするラプンツェルは窓枠を降りる。そしてアルベルトの元へと迫り、その美貌をより強調するように上目づかいで彼を見つめる。
「だからこれからここへ来る度に、丈夫な紐を持ってきて欲しいの。それを編んで梯子にして、私が下に降りれるようになったら……」
少女は少年の手を握り瞳を輝かせ、透き通るような声でこう言った。
「その時は、あなたの自慢の馬に乗せて、連れていってくれる?」