Chapter 12 - 十一噺 邂逅
「ではな。明日は忙しくて来ないかもしれないが、魔力操作の練習は怠るなよ」
「……さようなら、ゴテルのお婆さん」
今日も塔とラプンツェルの確認を済ませた私は、窓から塔を出て彼女の髪を伝い下へと降りる。塔の結界の外に出ることによって、周囲の魔力的な情報を確認出来るようになる。
誰かが近くにいるみたいだが、最近この近くを通った集団の一人だろうか。特に悪意を感じないので放置する。
身体から放出する魔力を隠すことも出来ない一般人程度なら、ラプンツェルでも撃退可能だろう。そもそも普通の人間があの塔に入る方法などないのだから何も問題はない。
それより問題なのは魔力を扱える者の襲来である。彼女を塔に移してから三年は経過しているので、もういつ来てもおかしくはない。ある程度の備えは出来ているが、万が一を考えると徹底しておくに越したことはない。
私の命ではなく、ラプンツェルの未来がかかっているのだから。
しばらく歩いていると、後ろからラプンツェルの歌が聞こえてくる。
魔法の本に歌の本を紛れ込ませて以降、他の歌を歌うことも多くなったのだが、結局は私が昔教えた悲しい恋の歌を歌うことが多い。
今日は森が静かだからか、いつもより歌声が鮮明に聞こえる。
綺麗な声で歌われる失恋の歌に、不思議なまでに心を惹きつけられる。
「吟遊詩人の才能があるのかもしれんな」
正直ラプンツェルの料理の腕前は普通である。これ程素晴らしい歌を歌えるのなら、そのような道もあるかもしれない……そんなことを考えながら自分の城に帰っている、その途中だった。
それは現れた。
それは人間の男と同じような形をしていた。
がたいのいい体つき、焦げたような茶色の髪。
だが、燃え盛るように真っ赤な皮膚が、それがただの人間ではないことを主張している。
そして側頭部から生えるのは、天を指す一対の鋭い角。
そう、その角こそ悪魔の象徴。
「久しいな、ゴテル」
赤に染まるその男は、私を睨んでニヤリと口角を上げる。
いつもは騒がしいはずの森が生む異様な静寂が、魔女と悪魔を包んでいた。
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「確かこの辺りだったはず……」
魔女の森という不気味な名を付けられた森を、一人の少年が馬に乗って駆けていく。
この少年の正体はとある国の王子。魔女の森を含む広大な領地を支配している国の賢王、その息子の一人である。
彼はお付きの者の一瞬の隙を突いて、王城を抜け出し馬を使って森へとやって来たのだ。
どうにも以前に聞こえた歌が気になった彼は、その正体を知るべく情報を集め、前回声を聞いた場所へとやって来たのだ。
「今日は森が静かだな」
風もなく、木の葉の擦れる音もあまりしない。あの歌が聞こえるかもしれない、そう思った王子はただ静かに佇んで耳を研ぎ澄ませていた。
馬の吐息が聞こえる程の静寂の中、目を閉じてじっと待っていると。
「……~~♪」
声が――あの時に聞こえた高い歌声が聞こえてきた。今回ははっきりと若い女性のものだと分かる程に、その声は静かな森に響き渡っていた。
「~~♪」
それはとても悲しい歌だった。透き通るような美しい声が、彼の心を掻き立て、惹きつける。
王子がしばらくその歌声に聞き惚れていると。
「ラプンツェル! ラプンツェル! お前の髪を下げてくれ!」
その歌声をかき消すように、女性の声が聞こえてきた。
歌の声とは違い大人びた低い声だが、聞こえてきた向きは以前従者とこの付近を通った時、従者が言っていた塔のある方角と一致していた。
歌声は止み、森に再び静寂が訪れる。
王子は馬をその場の木に繋ぎ止め、森の奥へと足を踏み入れていった。
しばらく歩いた王子が木々の切れ間から見たのは、見上げるほどに巨大な石積みの塔だった。
周りには蔦が絡んでおり多少森の中に溶け込んではいるが、これ程大きな人工物が森の中心にあることが違和感を放っている。
だが、緑の塔の入り口はどこにも見当たらない。王子は周りを確認するが地面近くは石で埋め尽くされており、一番上に小さな窓があるばかりであった。
「どうやって出入りするんだろう……?」
そう呟いた直後、彼の疑問は突然解消することになる。
金色の何かが、塔の上の窓から放り出されたのだ。そしてそれはロープのように、窓から地面付近までぶら下がった。
「……毛、なのか?」
彼は思わずそう呟いた。それは細い糸のような何かが束になったような……動物の毛としか思えないような見た目をしていたのだ。
だとすれば、先程聞こえた「髪を降ろせ」という台詞は、あれが『ラプンツェル』という存在の髪であることを示していることになる。
しかし仮にそうだとすれば、この長さはおかしい。人間の髪は十人の大人が連なった長さより、なお長く伸びるものなのだろうか。
彼が混乱している間に、その異常なまでに長い金の髪を伝って、大人の女性が塔から降りてきた。
その人物は地面に降り立つと、足早に森の奥の方へと消えていった。
遠目からだと女性だということ以外はよく分からなかったが、森の奥には魔女の城と行き場を失った人々の村があるはずだと思い出す。
となると彼女は――。
「――まさか」
可能性はあるがそうと決まった訳ではない。それより今は塔に残っているはずの金髪の持ち主――ラプンツェルと呼ばれる人物が気になる。
王子が彼女への接触を試みようと思考していると、金色の髪はするすると窓の中へと回収されていった。ラプンツェルと出会うには、もう一度髪を降ろして貰うしかなさそうだ。
そう考えた王子は謎の女性がその場から去ったのを確認し、周囲を警戒しながら塔に接近しようとした。
「……~~♪」
すると、塔の上から歌声が聞こえてくる。王子は遂に歌の正体を知った。従者の推測通り、この大きな塔の住人であるラプンツェルという人物の歌声だったのだ。
彼には、彼女が何かを振り切ろうと必死になって歌っているようにも聞こえた。
そして彼は疑問を抱いた。どうして彼女はあんなに高い塔の上に住んでいるのだろうか。
ラプンツェルと話してみたいと思った。例えそれが危険を孕む行為だと分かっていても、あんなに悲しげな歌を歌う彼女を放ってはおけなかったのだ。
心を決めた王子は、塔の上にいるはずのラプンツェルに向かって、大きな声でこう言った。
「ラプンツェル! ラプンツェル! 君の髪を下げておくれ!」
突然聞こえた知らない声に、彼女は歌声を止める。逡巡したのか少し間はあったものの、結果として金色の髪は王子の元まで降りてきた。
この先に何があるかは分からない。魔女の塔などという噂が本当なら、命の保証さえないかもしれない。
王子は心臓の鼓動が早まるのを無理やり飲み込んで、ロープにも似た長い髪を掴んだ。
金色の髪は妙な安心感があり、それでも人の髪にぶら下がることへの罪悪感と逸る気持ちからか、彼は随分と素早く上まで登った。
そして、王子が髪を登った先で出会ったのは、青い眼をした美しい少女だった。