Chapter 11 - 十噺 歌
「ラプンツェル! ラプンツェル! お前の髪を下げてくれ!」
緑の蔦に包まれた石造りの塔、森の中にぽつんと存在するそれの足元で、私は合言葉を口にする。
しばらくして塔の上部にある唯一の窓から、異様なまでに長い金色の髪が私の元に降りてくる。
私はそれをロープ代わりに、大人十人分はあろう高さの塔を登っていく。ゆっくりと登っているが魔道具のおかげで荷重はないので大丈夫であろう。
窓まで辿り着いた私を出迎えたのは、無感情な青い瞳で私を見つめるラプンツェル。
彼女は無表情なまま髪を回収し終えると、椅子に座って本を読み始める。
「体調はどうだ」
「……」
「魔法の訓練は順調だろうな」
「……」
「食料はここに置いておくぞ」
「……」
一年前から会話は殆どない。誘拐犯とのお喋りを楽しむような変人に育てた覚えはないので、当然と言えば当然である。
だが十五年も共に過ごしていたので、返事などなくとも彼女の機微な動作から感情は理解出来る。
どうやら魔法の練習はさぼっていないようだ。体調は……特に問題ないだろう。
部屋の備品の確認や塔を守る結界のメンテナンスなどをする私、それを気にする様子もなく本を読み進めるラプンツェル。
彼女は最近魔道具について詳しく調べるようになった。何をしようとしているかは何となく予想出来るが、部屋の棚にある本も備品補充のついでに、それとなく魔道具関連の書物へと変えていっている。もちろん彼女の夢のために料理の本も混ぜてあるが、読み込まれた跡が見受けられるため順調であるようだ。
彼女が魔力の制御をものにするまで、後もう少し時間がかかる。それまではこの塔から出す訳にはいかないが、せめて準備くらいはさせてやろうと思っている。
「帰る。準備してくれ」
「……」
こちらをちらりと見たラプンツェルは本を閉じると、ゆったりとした足取りで窓辺まで行き、折れ釘のような魔道具に自身の金髪を巻き付ける。
「明日も来る。訓練を怠るなよ」
「……さようなら、ゴテルのお婆さん」
私が髪を伝い下に降りたことを確認したラプンツェルは、そそくさと自分の髪を回収する。
「……さて」
ラプンツェルのためにいろいろとしてあげたい気持ちはある――私が彼女に甘いようにも聞こえるが、同時に私も彼女という存在に甘えているのかもしれない。
一方で彼女ばかりに時間を割いていられない現実もある。私は私で準備しなければならないことがあるのだ。
彼女を隠すために魔女である私が動いたが、それを快く思わない人物や好機だと捉える輩が出てくるはずである。今まで接触してくるものはいなかったが、最近は頻繁に外出しているため時間の問題だろう。もちろん外出の際は察知されないように魔力を絞ってはいるが、私の正体を知るものからすれば些細な問題だろう。
中には悪魔や実力者もいる。万全の準備を整え迎え撃たなければならない。
理由が理由だけに少し急いで自分の城に帰る。そこまで距離がないのが救いか、と思いながら移動している途中だった。
「……~~♪」
メロディを成すラプンツェルの声が、塔から離れたはずの私の耳元まで届いた。
彼女は真実を伝えた一年前と比べ、よく歌を歌うようになった。
本を読んで何かを考えることも多くなった一方、私と遊んで過ごしていた時間を歌に当てるようになったのだ。
いくら魔女の私の前で大人びた態度を取ったところで、彼女はまだ十五歳。若さ特有の有り余るエネルギーを、ああして歌うことで発散しようとしているのだろう。
あるいは寂しさを紛らわすために、大きな声を出して自身に発破をかけているのだろうか。
「~~♪」
そして今日の彼女が歌うのは、私がよく聞かせた切ない恋の歌であった。
彼女の透き通るような声が、塔の上から森に響き渡る。
少女の心の叫びにも聞こえる悲しい歌を、私は聞かないふりをして塔を離れた。
森のざわめきが止まぬ、風の強い一日だった。
~~~
魔女の森、と呼ばれる大きな森がある。森の奥深くには城があり、魔女が住んでいると言われている。
そんな森の中を騒がしく進む、大きな馬の群れが一つ。それぞれの馬の背に鎧を着た人間が乗っているが、その中に一際目立つ煌びやかな服装をした少年が一人。
「馬での移動は疲れるなあ」
馬の上の少年は溜息交じりに肩を回す。木漏れ日が彼の装飾された鎧をキラキラと煌めかせる。
「後少しで開けた場所に出るはずです、そこで休憩いたしますのでもうしばらくのご辛抱を」
「分かってるよ、僕もそんなに軟弱じゃないから大丈夫」
彼はある国の王子。付き従う男のいたわりの言葉に、彼は苦笑を浮かべながら返事をする。
「……ん?」
しかしふと何かを感じ取った王子は、従者の一団に馬を止めさせ意識を聴覚に集中した。
「この音は何だろう?」
「音、ですか? どの音のことでしょう?」
森の葉のざわざわという音の中に、高い音が混じっているような気がした王子は、きょろきょろと辺りを見るがそこに広がるのは普通の森ばかり。
「……声? 女性の声かな?」
「はあ、鳥か何かの鳴き声でしょうか」
途切れ途切れだが高い声が聞こえる。王子は更に集中して耳を傾ける。
しかし従者には聞こえていないらしく、王子と同じように聞き耳を立てているが首を傾げている。
「いや、これは……歌?」
「……私にはさっぱりでございます」
従者が耳を澄ましても、木の葉の擦れる音ばかりが耳に入る。
だが王子には、その雑音の切れ間から聞こえる定期的な音の断片が、確かに誰かが歌っているように聞こえるのだ。
どうしてこんな森の中で、歌が聞こえてくるのか……王子は歌の聞こえてくる方角を指差し、従者に確認を取る。
「あっちには人は住んでるの?」
「確か、大きな石の塔があるとかいう噂が流れてましたね」
「そんなに大きな建物が、どうして森の奥なんかにあるの?」
森の外に出ない限り街の一つも存在しない。そう聞かされていた王子は異質な塔の存在に疑問を持つ。
「ああ、あの奥には魔女の城があるらしいです。その手前に塔がそびえているのを、森の外から見た者がいるとの事で」
らしい、というのは彼がこの辺りについて聞かされていないことを意味する。
城の近くには村らしきものもあるらしいが、権力者も気味悪がり誰も手を付けようとしない。
税も課されていないため、行き場を失った者が辿り着き、自給自足でひっそりと暮らしているのではないか……と噂されている。
「そうなんだ……あれ、聞こえなくなった……」
「そんなことより、こんなところで止まっていては暗くなってしまいますよ」
気が付けば聞こえなくなっていた歌に少し後ろ髪を引かれる王子であったが、従者に促され馬を出発させる。
「お伽噺の魔女……全てを不幸へと誘う悪夢の象徴……」
王子は動き始めた馬に振り落とされぬよう片手で手綱を握り、もう片手であごに手を当て考える仕草をする。
「そんなに恐ろしい魔女が、どうしてこんな森の奥に……?」
彼は人々に仇なす魔女のお伽噺と、森の奥の城にひっそり住んでいるとされる魔女の噂、その何とも言えない矛盾感に疑念を抱いた。
馬はそんな彼の疑問などつゆ知らず、ただ目的地に向かって歩を進める。蹄が土を蹴る鈍い音が、軽快にリズムを成して深い森の中を駆けていった。