Chapter 10 - 九噺 孤独
ラプンツェルに真実を伝えてから一年、塔で暮らし始めて三年。十五歳、つまり大人となった彼女の外見は、可愛らしさより美しさが勝るようになってきていた。
頭と足元を往復する長い金色の髪、それが彼女の美しさをより一層引き立てている。愛想を振りまけば傾国の女になりかねないような、とても美しい娘になった。
しかし、この一年で彼女の笑顔を見ることはなかった。
当然だ。『神の加護』という力のために、親からさらってきたと言ったのだ。
何も間違ったことは言っていない。『神の加護』という力のためにやがて悪用される可能性が高い彼女を、そんな未来から防ぐべく泥棒の真似事をする親から引きはがすようにさらってきたのだ。
十五年間を共に過ごした彼女に嘘が通るとは思わなかったので、嘘偽りのない台詞で彼女に悪役だと思わせようと試みたのだ。
その甲斐あってか、ラプンツェルは私と距離を取り始めた。食事以外で口を利くこともなく、修行も与えられた本で自力で行うようになった。
私のことを『ゴテルのお婆さん』と呼び、明らかに余所余所しい態度を取るようになった。
これでいい、これで正しい。
これが最善のはずだ。
なのに、何故だろう。
「私は何故こんなにも、彼女と決別したことを惜しんでいるのだろうな」
自分の城の一室、かつてはラプンツェルと過ごした部屋。意味もなくこの部屋に入った私は、誰も聞いていない独り言をポツリと呟く。
……いや、意味もなく、というのは嘘だろう。最近、何かを求めるようにこの部屋に訪れることがある。何故なのかは私にも分からないが、ラプンツェルの近況が関与しているのは確実だろう。
時折、彼女の見せる悲しい瞳が、私の心を騒がせるのだ。
彼女は悪者に隙を見せまいと、今までの甘えん坊が嘘のような気丈さで振る舞っている。
一方の私はどうだ。そんな彼女を見て、誰もいないはずのこの部屋に何度も通っている。
これでは魔女ともあろう私の方こそ、子離れ出来ない親みたいではないか。
「……いや」
娘が離れていくという親心もあるが、それ以上に。
人と笑って過ごす時間が、終わってしまったことが響いているのだろう。
胸にぽっかりと穴が開いたような喪失感。仲間を傷付け、失った時と同じような感覚。
もう人とは関わるまいと思っていたからこそ、この感情も忘れていた。
「寂しさ、か……」
長い間孤独に浸った私に、彼女の温もりはいささか暖か過ぎたようだ。
城の部屋の窓から差し込む月明りは、眩しすぎる程に白く輝いていた。
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森の中にぽつんと存在する、背の高い緑の異物。そびえ立つは、植物に覆われた石の塔。
しかしその緑も、夜が訪れれば皆黒に染められる。満月と星々が表面の質感をぼんやりと映し出している程度だ。
その塔の天辺に光の灯った部屋がある。空の一室に住むのは、金色の髪をなびかせる少女一人。手には、黄金に輝く一本の杖が握られていた。
ラプンツェルは大きな溜息を吐きながら、一つしかない窓に腰かけて白い月を眺めていた。
「もう一年、か……」
一年前のあの日、少女は真実を知るべく魔女へ尋ねた。「親はどうしているの」と。
魔女は答えた。「さらってきた」、暗に「知らない」と。
そして「『神の加護』という力を掌握するために育てた」とも言った。
……まるで、「私は悪者だ」とでも言うかのように。
「一年前のこと、忘れられないなあ……特にあの、帰り際の変な笑顔。悪そうな顔をしようと思ってたんだろうけど……悪役の演技、下手だよね」
ラプンツェルはその大きな瞳を細めて夜空を見上げる。
彼女は気が付いていた。ゴテルが嘘を吐いていないことも。自らの力の価値も。
そして、悪役を演じる彼女の意図も。
「ここにお前を閉じ込めているのは、他の奴らに渡さないようにするため……私を守る、そう言ってるようなものだよ……」
夜風に揺れる長い髪は、部屋の灯りを反射してキラキラと輝いている。瞬くような金色の輝きは、塔の下から見上げれば夜空の星と見紛う程であろう。
自分の髪と同じ金色の杖を見つめながら、彼女は独り言ちる。
「杖も取り上げないんだもん……これじゃあ、不意に攻撃される可能性だってあるんだよ?」
そう言って窓から離れると、部屋の棚をごそごそと漁り始める。取り出したのは、先程まで持っていた金色の杖とは異なる、一本の小さな杖。
かつてゴテルが幼きラプンツェルのために作った小さな杖を、両腕で抱えるようにギュッと抱きしめた。
「本当は知ってるんだよ、本で読んだの」
彼女は本を読むのが好きだった。ゴテルの所蔵する、あるいはどこからか仕入れてくる本を読み込み、様々な知識を蓄えた。
「歴史や昔話の中に『深緑の魔女』って話があったんだ。魔女の自分から引き離すために、わざと悪者になろうとしてるんだよね」
そしてその知識から、ゴテルの正体が皆に恐れられし『深緑の魔女』であることにも気が付いていた。
自分の情報が書いてある本まで読ませてしまうのは、ゴテルの甘さか、あるいは甘えか。
「夢の役に立て、って、私の夢のことでしょ……そのために私に、頑張って独り立ちしろって言ってたんだよね……」
それでも距離を置いたのは、ゴテルが自身と距離を置こうとする意味も理解していたから。
ラプンツェル本人のため、そして夢のためにも、さらわれた子というシナリオをラプンツェルに話したのだ。ゴテルは二度とラプンツェルと心通わせることが出来なくなるのもいとわず、ラプンツェルの未来を選んだ。
そして彼女は、その全てを理解していた。しかし分かっていると言ってしまえば、ゴテルはより一層悪役として振る舞うだろう。自身の心を押さえ付けてでも、彼女を『魔女』という存在から引き離そうとするだろう。だからこそラプンツェルは全てを飲み込んで、ゴテルのことを『お婆さん』と呼んだのだ。
だが、心はそう簡単に成長するものではない。
「|お《・》|ば《・》|あ《・》|ち《・》|ゃ《・》|ん《・》……」
その青い眼は涙を湛え、その透き通るような声は震え、その小さな手は何かを求めるように小さな杖を握りしめている。
彼女がゴテルに寄せる親愛は、切り離そうとして切れる程小さなものではなかった。彼女にとって、それを捨てるのが困難であることも、彼女自身が一番理解していた。
「やっぱり、一人は寂しいよ……」
少女の悲壮な呟きは闇夜に溶け、白い満月だけが彼女を見つめていた。