Chapter 2 - 一噺 始動
ゴテルのお婆さん、そう呼ばれた魔女をご存知でしょうか。
彼女は、『ラプンツェル』という童話に登場する魔女です。
ラプンツェルを塔に閉じ込め、王子との恋路を邪魔する、典型的な悪役。
恐ろしい力を持つとされ、世間から恐れられた魔女。
しかし、彼女は本当に悪者なのでしょうか。
自分の子ではないラプンツェルを育てたのは、どうしてでしょう。
これは、そんな魔女ゴテルの物語です。
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蝋燭だけが灯る暗い部屋。赤いテーブルクロスの敷かれた机。
その真ん中に置かれた、透明な水晶の球を覗く。
大きな水晶玉の中に映るのは、母親に抱えられた一人の赤ん坊。
「これは……」
自分の額に汗が浮かぶのが分かる。
持つ者を茨の道へと誘う、絶対的な力。
この力の持ち主は、ある時は勇者と呼ばれ、ある時は魔王と呼ばれた。
そう、これは人の身に余る力。人一人が持つには、あまりに大き過ぎる。
始めはその力から皆に称えられ、その声に応じ皆を助けた。
だが、あまりに強大なその力のせいで、次第に妬まれ、恨まれ、城に引きこもった。
それでも、人々の危機や事件に暗躍した。しかしそれらの出来事さえも、その責任を押し付けられた。
私が『魔女』と呼ばれるようになるまで、そう時間はかからなかった。
そんな力が、これから産まれてくる赤子の身に宿ろうとしている。
私と同じ結末は、避けなければならない。
私の名はゴテル。
遥かなる時を生きる、嫌われ者の魔女だ。
〜
占いにより見えた未来。それは、私の住む城の近辺にある小さな家、そこで暮らすとある夫婦の未来だった。
今から半年の後に、その二人の間に産まれることとなる娘が、神の加護と呼ばれる希代の力を持つこととなる。魔法を使うための不思議な力、魔力というエネルギーを大量に有して産まれてくるのだ。
その力は膨大であるが故に、様々な者に目をつけられる。心優しい穏便な者ならいざ知らず、過激な魔法使い、悪魔や魔王といった奴らに捕まれば未来はない。
それに私がそのような輩から守ったとしても、彼女がここで育つのはまずい。私のせいで、この城の周辺で人知を超えた出来事が起こると、魔女の仕業、魔女の呪いと忌み嫌われてしまう。
そしてもう一つ、懸念事項がある。
どうやらその夫婦の男の方が、最近私の庭に侵入し作物を奪っているようなのだ。
そんな奴の娘に強大な力が宿ればどうなるかは、最早明白であろう。
彼女が、人としての道を歩めなくなるのだけは、阻止せねばなるまい。
夜空に満月が輝く夜、ラプンツェルという緑の作物が並ぶ庭で、私は盗人を待ち構えた。そして、岩の塀に手をかけ、乗り越えてきた男に向かってこう言った。
「どうしてお前は塀を乗り越えてまで、私が丹精込めて育てたラプンツェルを取るのだ?」
すると男は私を見て、驚愕を顔に浮かべた。
「ど、どうかお許し下さい! 好き好んで盗んでいた訳ではないのです」
震えた声で謝る男は膝を折り、庭の土に手を付いてひれ伏した。
そんな彼を前に、私は少し違和感を覚えていた。私にはその男が、作物を好き好んで奪うような卑劣な輩には見えなかったからだ。
すると男は訝しむ私を見て何か勘違いしたのか、恐怖に染まり切った顔で必死に言葉を紡いだ。
「魔女様の庭のラプンツェルを見た私の妻が、『あのラプンツェルが食べたい』と死にそうになってしまい……」
ああ、そういうことだったのか。理由を聞いて納得がいった。
私の庭で育てているラプンツェルには、魔法の力――魔力が込められている。
女は腹の子に多くの力を取られ、それを補うべく私のラプンツェルを欲したのであろう。死にそうになったというのもおそらく比喩ではない。
「そうだな……」
確かに不可抗力ではあるが、人の作物を盗むのはいかがなものか。
せめて譲ってくれと頼み込むくらいはして欲しい。まあ、魔女が怖いというのは分かるが、人として道を踏み外していい理由にはならない。
そう結論付け、一つの提案を口にする。
「お前の言うことが本当なら、ここにあるラプンツェルは好きなだけ持って行っていい。その代わり、もうすぐお前達の間に産まれるであろう、子供を貰うことにする。母親のように世話をし、幸せにすると約束しよう」
男は悩んだ末、ゆっくりと頷いた。
半年後、私の城に新しい住人が増えた。
名はラプンツェル。神の加護を持つ碧眼の赤子だ。
……名付けのセンスがないのは、自覚している。
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紅く淀んだ空、燃え盛る大地。太陽は禍々しいまでに真っ赤に染まり、風に揺らめくのは草木ではなく火炎。この場所を目にした人間がいたならば、口を揃えてこう言うだろう。
地獄だ、と。
ここは炎の悪魔だけが生きられる炎魔の国。生きるものを悉く灰へと変える業火、それに耐えうる物質のみが存在出来る世界。
現実味のない地獄のような光景の中に、炎に包まれし黒き城が一つ。焼け焦げた灼熱の廊下にて、二つの影が静かに蠢く。
「深緑の魔女が動いたそうだな」
一人は使い古されたマントに身を包んでいた。その隙間から覗くのは、炎に溶け込むような赤い肌。髪は黒に近い茶色で、側頭部から上向きに一対の鋭い角が伸びている。
「はい、何でも人間の子供を城へ連れ去ったそうです」
声に応じ廊下の奥の闇から浮かんできたのは黒い身体。その人物の赤い髪の隙間からは、やはりと言うべきか短い角が生えていた。
二人は拷問のような熱量など何でもないかのように、平然と会話をしている。この二人こそ、人ならざる者、炎の悪魔である。
「何故今になって動き始めたのかは知らんが――」
赤き悪魔はマントを翻し、火の止まぬ廊下を歩き始める。
「借りを返させて貰うぞ、ゴテル」
大きく見開かれた目が、ギラリと輝いた。