指を折ってと指折り待つ彼女

Chapter 15 - 河野霧子の発芽③

中田祐三2021/05/23 17:48
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仕掛ける場所はすぐに決まった。

 体育館横の用具準備室だ。

 普段は施錠されてはいるが、鍵の管理がずさんであり、昔に誰かが合鍵を作っていつでも出入りすることが出来るようになっていた。

 教師達は把握しておらず、けれど一部の生徒達はそれを知っていて。

 高校生にともなればすでに大人のズルさをとうに身に着けているもので誰もそれを教師達に報告はしない。

 

 皆、自分の都合の良いように使える場所は大事にするものだから。

 だからよく構内の恋人達がそこで『何か』をするときには決まってそこが使用されていた。

 また生徒達も暗黙の了解というか紳士協定のようなものでそこには近づかないという一種の不文律が出来ており、それを破るようなことは誰もしない。

 大人のずる賢さとまだ子供ゆえの純真さの表れのようなそこは生徒たちにとってはある意味神聖な場所でもあったようだ。

 その鍵の在り処を私は同じグループの友人が使ったことがあるので知っている。

 なので容易にそれを手に入れて、見つからないであろう場所にボイスレコーダーを設置する。

 満タンに充電していれば一日は余裕で持つ。

 なので私は朝にそれを仕掛けて、放課後に回収するという日課が出来た。

 目的はあくまでクラスメイトの之葉が受けているDVを突き止めることだったが、思わぬ副産物があった。

 件の場所は実によく使われていて、本来の目的以外の『それ』が録音されていたのだ。

 先輩同士が、同級生が、先生同士、あるいは生徒と先生が。 

 みんなやることはヤッてるのねと自分自身の行いを棚に上げて私は半ば呆れつつもそれを毎日自身のPCに取り込んで聞き続けていた。

 だがいかんせん、之葉達との『それ』はなかった。  

 目的の空振りにはガッカリはしたが、私は諦めずにその悪趣味な試みを続けていく。

 

 しかしよく考えてみれば之葉達が本当に付き合っているとしてもそういった関係になっていないかもしれない。

 そもそも用具室で『何か』をしているという証拠も無い。

 

 ましてや別れているのならばますます意味がない。 

 それでもなぜか私はそれをアレコレ理由をつけて続けていた。

 それはつまり最初の目的からそれが別の目的に入れ替わっていることを現している。

 周囲の人々の普段の姿とは違う、行動や言葉と本音。 それを知るということに私は熱中していたのだ。

 

 ここにきて私は私自身の『気づいていなかった欲求』を始めて理解するようになった。

 他人の秘密を『覗く』という浅ましくも卑劣な行為に対する罪悪感や嫌悪感を抱きつつもそれをとめることができない。

 それが私自身。 度し難い私の『私』という部分。

 そんな自分の『本性』を認めつつあったくらいにやっとそれは起こった。

 それはボイスレコーダーを仕掛けるようになって一ヶ月ほど立った頃だった。

 いつものように回収したボイスレコーダーのSDカードをセットして、何か物音がするまで早送りしていくと唐突に扉の開く音が入ってきた。

 すぐに止めて、再生ボタンを押すと同時に会話が耳に入ってくる。

「なあ…もう止めようよ」

 ……! この声は菅原君だ! ということは相手は……。

「一回だけ…ね?ちょっとだけだから…」

 之葉の声。 普段よりも甘えるような声色。 

「こんなの異常だよ…なあもっと…普通に…さ」

「普通ってなに?これが私の普通だよ?」

 その言い方に鼓動が早くなる。 その言葉は私へと言われてるようにも思えたからだ。  

 心臓がドクンと大きく跳ね上がった。

「い、いや…だから…さ…く、来るな…よ…」

「ええ~、来たら…どうするの?」

 足音が聞こえる。 音はやや遠い。 どうやら入り口付近にいるようだ。

 私は慣れた手つきでマウスを操作して音量を上げ…ようとしてヘッドホンをイヤホンジャックにさして装着する。

 そして音量を最大に持っていく。

「だ、だから…来るな…」

「どうして?私達付き合ってるんでしょ?」

「だ、だから…俺はもっと…だから来るなって…言ってんだろ!」

 途端、でかい声と何かが転がる音が大音量で入ってきた。

 どうやら突き飛ばされたようだ。 痛みに声を挙げる之葉の声が聞こえるけれど、それは…思っていたよりも違う。

 なんというか、嬉しいような、喜んでいるような…。

 形容しがたいその声色には怖気にも似たゾクゾク感が背中にこみ上げてくる。

 このあとはどうなるんだろう?

 やはりDVされているのかしら?

 そんな私の『期待』を裏切るようにまた扉が開いて足早に走っていく音がリフレインして聞こえた。

 なんだ…。 これで終わり?  なんてつまらないオチかしら。

 ガッカリしている自分の悪辣さに自嘲しながらも兎にも角にも、私の知らないところで問題は解決してしまったようだ。

 まあこれでよかったのかもしれない。

 当初の目的は果たしたし、十分に『何か』

はストックできたしこれが潮時なのかもね。

 そう思って停止ボタンを押そうとして、

「ねえ、聞いてるんでしょう?」

 思わず固まってしまい、慌ててヘッドホンを外して周囲を見る。

 当然のことだけれど部屋には私しか居ない。 

 …ということはやはり、これは…。

 私はヘッドホンを装着しなおす。 そして十秒くらい前にまき戻すと、もう一度また、

「ねえ…聞いてるんでしょ?」

 と声が耳に入ってくる。 

 途端に身体が強張った。

 そしてガタっと言う物音がきこえて、先程よりもはっきりとした声で、

「…ねえこれで録音してるんでしょ?河野さん」

 名前を呼ばれたことで私はパニックになってしまった。

 バレてる。 どうして? 毎回、見つからないようにしていたのに…ヤバイ、どうしよう…どうしよう。

 狼狽する私の反応を見ているかのように録音された之葉の唇が開く音がかすかに聞き取れた。

「駄目だよ、そんな盗聴なんてさ…よかったら話し合いたいから明日放課後にでも待ち合わせようね……ここで待ってるから」

 普段とも先程とも違う口調と声。

「大丈夫だよ、怒ってないから…ね」

 コトっという音がしてゆっくりと足音が遠ざかり、扉が閉められた音がする。

 私は動けず、ただマウスだけを握り締めていた。 

 やがてボイスレコーダーを回収するためにやってきた私の今となっては場違いにも聞こえる鼻歌交じりの声がして、録音は途切れた。

 翌日の学校。

 登校してきた私はよほど顔色が悪かったらしく、友人どころか短任にも早退したほうがいいんじゃないかと声をかけられるほどだった。

 確かに体調は良くない。

 実は休もうかとも思っていたが、盗聴していることを之葉に知られている以上はそれも出来なかった。

 放課後に会おうと約束をしていたし、やはり自分自身の行いを知られている以上はそうするわけにはいかなかったのだ。

 件の之葉はというといつもと変わりなく彼女自身の友人達と楽しそうに過ごしていた。

 でも時折、視線が合うとニコリと笑って気づかれないように手を振ってくれるのでますます私は帰ることは出来ない。

 やがて放課後。

 最悪な体調でもなんとか授業を乗り切って、友人達とも別れたあとに例の用具準備室へと向かう。

 鍵は…開いていた。 

  

 慎重に周囲を伺いながら足早に入ると、すでにそこには之葉が待っていた。

「あ、あの…竜宮さん、ごめんなさい!」

 開口一番、すぐに謝罪した。

 まずはこれだけはしないといけない。 私自身の度し難い行為については…。

「ああ謝らなくてもいいよ~、それより座ろう? ねっ?」

 ポンポンと彼女が手を置いたマットの上に隣り合うように座る。

「何度もいうけど私、ぜんぜん怒ってないよ~、むしろちょっと嬉しかったかも」

「えっ…どう…して?」

 戦々恐々としている私の疑問に、彼女はう~んと顎の下に指を当てながら考え込んでいる。

 おそらくはなんて言ったらいいんだろう? と思案しているのだろう。

 

 やがて考えがまとまったのか急に真剣な眼差しになった。 

「私ね…好きな人に殴られたいの」

「……えっ?」

 絶句する私に彼女は口早に説明を始めた。

 小さい頃に見たアニメのヒロインがいたぶられるシーンに感情移入したこと。

 それをされたいと思うようになったこと。

 でもそれを本当の意味で叶えてくれる人がいないこと。 

 そしてそれを打ち明けられる人がいなかったことを。

 興奮していたのかやや息を切れ切れにして少し顔を赤らめた彼女はニッコリと笑って…

「でも性癖ってどうしようもないことでしょう?だから河野さんのこと、私は理解するよ」

 その瞬間、私は泣き出しそうになった。

 私が言い訳がましく行っていた行為を彼女はとうの昔に自身の心の中で消化していて、その異常性に気づきながらもそうだと認めていることを。

 勿論、彼女の性癖を私は理解することが出来ない。

 でも同じように私が彼女の告白を聞いて、最近になってやっとわかりはじめてきた自身の性癖を熱っぽく語っても彼女は理解することが出来ない。

 でもそれでいい。 それが嬉しい。

 私達は『理解できない』ということをお互いに『理解する』ことが出来たのだ。

 どうしようもなく度し難い『好み』を私達は何の恥ずかしげも無く、負い目も無く語り合えるのだから。

 悪趣味だと言いながらもそれを曝け出せる仲間が出来た。

 あの喜びは何年たっても忘れることはないだろう。

「私達、親友になれそうだね」

「そうね…よろしくね之葉」

「うん、よろしくね、霧子」

 

 互いの名前を始めて呼び合ったあの用具室。

 その仲で私は生涯ただ一人の親友を得たのだ。