旅人と手紙
シャーレという街を一言で表すとすれば、巨大な要塞だ。
街の中心にある大きな時計台を取り囲むように多くの家が連なっており、綺麗な円を描いている。家や店、図書館や博物館など様々な建物が存在するが、どれもが白で統一されている。その中に主張しすぎない程度の青が混ざり、まるでおとぎの国のようだ。それらを高さが二〇〇フィートもある巨大な壁が取り囲んでいた。
シャーレへ出入りするためにはいくつかある門を潜らなければならない。壁の上にはいくつもの監視塔や砲台が置いてあり、まさに要塞であった。
しかしシャーレは、旅人にとっては魅力のある街の一つであった。
大きな時計台は近くで見ると一層圧巻であるし、時計台から見下ろす家々は徹底した区画整理が施され、まるで碁盤のように見える。
時計台の周りは広場となっており、沢山のお店が立ち並んでいる。その多くが旅人の笑い声で賑わっていた。
いつもより賑やかだと感じるのは気のせいではないだろう。旅人も街の人も皆仮装をしているのがその証拠だ。まだ日も高いというのに酒を浴び、楽器を打ち鳴らしている。
一年に一度、死者の霊が家を尋ねてくるとされている日が、今日であった。皆で仮装をすることで身を守るとされていたそれは時を経て、ハロウィーンとしてお祭りのような扱いとなっていた。
シャーレのハロウィーンは大規模であると、旅人の中でも特に有名であった。
そんな特別な日にエマが広場へ訪れたのは偶然ではなかった。
強い日差しを避けるようにつばの大きい帽子を目深に被り、人混みをかき分けながら目的の店へ足を早める。
腰まで伸びたプラチナブロンドの髪は陽の光を反射し、宝石のように輝いていた。帽子の奥ではブルーの瞳が輝き、シャーレの街を映し出している。白く透き通った肌も相成り、その姿は街へ溶けて消えてしまうと感じるほどだった。
広場を抜け少し歩いた先の裏通りにその店はあった。
オシャレな家や店が並ぶ中、その店は数十年前から存在するかのような佇まいをしており、遠くから見ても違和感を感じる。
その古臭いドアをエマは慣れた手つきで押し開けた。
店の中へ入った途端、独特なインクの匂いが鼻をつく。戸棚にはインクや万年筆、便箋から原稿用紙まで、書くために必要な物が無尽に並んでいた。
店内は外観ほど古臭くはなく、程よいレトロ感を感じられる。
エマは慣れたようにカウンターへと直行し、中にいた店員に声をかけた。
「こんにちは」
「あら、こんにちは。珍しいわね、 エマが今日みたいな日に買いにくるなんて」
「紙がきれちゃって。いつもの貰えますか?」
エマは薄い茶色の便箋を指さした。誰も買わないのか、周りの便箋と比べていくつも売れ残っている。
隣にある便箋のように、かわいいイラストがポイントととして描かれているわけでもなく、下にある便箋のように金で箔押しされた高級感もない。ただ羊皮紙をそのままそこへ置いたと言われても違和感のない便箋だった。
その便箋は、淡いピンクに小柄な花弁を散りばめたワンピースに身を包み、僅かに頬を染めたかわいらしい少女が好んで選ぶようなものには到底見えなかった。
「またあの便箋? 私としてはありがたいのだけれど、たまには可愛い便箋にしたらどう?」
「……いえ、私はそれがいいんです。それ以外にはありません」
エマは力の籠った声で返事を返し、硬貨をカウンターへ置いた。
「……そう。でも、ほどほどにね」
店員は硬貨を受け取りエマの指さした便箋を手渡す。
エマは無言で頷き、大事そうに便箋を抱えながら店を後にした。
ハロウィーンの日というのは夜も騒々しいもので、静まり返った自室へにもうるさい程に外の喧騒が届く。
その声と混じり、万年筆で紙を擦る音が部屋に響いていた。
買ったばかりの便箋が机の上に数枚散らばっており、さらに増えるだろう便箋がエマの手元で黒く染まっていくのが見える。
ペン先が少し潰れ、塗装も禿げた万年筆はかなりの頻度で使用されているのだろう。便箋は、沢山の文字で埋め尽くされていた。
「少し早いけど、君にこれを贈りたいんだ」
エマは万年筆をくれた男の言葉を思い出した。男の名前はローガンと言った。
一年前のハロウィーンの夜、エマがローガンへお菓子を要求した時に、彼はそれを取り出した。ローガンは照れくさそうに鼻の頭をかき、綺麗な小箱をエマへ差し出した。
「君はなにかを書くのが好きだろ。だから俺もそれを手伝えたらと思って」
白い箱に青のリボンをあつらえた箱から、エマを想って選んでくれた事が伺える。中の万年筆も箱と同じデザインをしており、白に青のポイントが映えている。
エマは嬉しさのあまりローガンへ飛びついた。
「ありがとう! ところで、お菓子は?」
「お菓子は用意していないんだ」
「それじゃあ悪戯ね!」
二人の楽しそうな笑い声は夜遅くまで続いた。
その翌日、ローガンは姿を見せなくなった。
エマが十五歳を迎えた日であった。
その日からエマはローガンへ手紙を描き始めた。
『今日は新鮮なトマトを八百屋のおばさんにもらったの』
『ローガンが応援したいって言ってくれたから、小説を書いているのよ。いつか見て欲しいわ』
『もうすぐ春よ。ローガンは今なにをしているのかしら』
以前ローガンからもらった便箋と同じ便箋を探し出し、何枚も何枚も想いを綴る。
そのほとんどが宛先不明でエマの元へ帰ってきたが、エマはそれでも筆を進めた。
時には旅人に託し、時には他の街へ出かけてみたり。鳩の足に括りつけようとして、失敗したこともあった。
しかしどれだけ手紙を出しても、ローガンからの返事はなかった。
便箋を五枚ほど書き終えたところでエマは手を止め、ゆっくりと息を吐き出す。
──なんで。
なんで黙って消えたの。なんで手紙を返してくれないの。なんで逢いに来てくれないの。
こんなにも寂しい誕生日を迎えるのは初めてだ。こんな想いをするのであれば、何も欲しくなかった。出会わなければよかったとすら思った。心とは裏腹に明るい笑い声が混じった外の喧騒に酷く苛立ちを覚える。一年前は大好きだったお祭りが、今は聞きたくもないほどに。
もう寝てしまおうかと考えた時、部屋いっぱいにブザーの音が響いた。
エマは勢いよく頭を上げた。
──ローガンかしら!
玄関まで走り、扉を開ける。
おかえりなさいと声に出そうとした時、そこに立っているのがローガンでは無いことに気づいた。
「こんばんは! お菓子をくれなきゃ悪戯しちゃうぞ!」
目の前にいるのはローガンとは似ても似つかない子供だった。
切りそろえられた髪の毛は誰が切ったのか、少し不揃いで不格好。真っ黒な髪の毛は毛先が青く、アホ毛と横の毛が角のように跳ねている。口元からのぞく犬歯と、短くて丸い眉毛が印象的だ。杖を持ちローブを着ているところをみると恐らく魔法使いの仮装だろう。
仮装した少年はキラキラとした笑顔で両手を差し出していた。
エマは、今日がハロウィーンであったことを思い出した。
ローガンではないと分かったとたん力が抜けその場へへたり込む。見下ろしていた少年を見上げる形となったが、言葉が出てこなかった。
期待した自分が馬鹿だと思った。ローガンのはずがないのに。
「ごっ、ごめんなさい! そんなに驚かせるつもりはなかったんだ……。お姉さん、立てる?」
突然へたり込んだエマに驚いた少年は慌てて手を差し出した。
エマはごめんなさいと小さく呟いて立ち上がる。
それから少年がお菓子を貰いに来たことを思い出して、家の中へ招き入れた。
本当はお菓子なら用意してあった。ローガンの誕生日に買ったプレゼントも、クリスマスに焼いたケーキも、バレンタインに作ったチョコレートも、全部用意していた。
用意しては、捨てていた。
ハロウィーンも例外ではなく、小さな袋に賑やかなパッケージのキャンディを沢山詰め込んだものを用意していた。
エマはキャンディを手に取り、少年の方へ差し出す。どうせ捨てるのであれば貰ってくれた方がいいと思った。
「ところであなたは旅人さん?」
少年はキャンディを嬉しそうに受け取り、ポケットへしまい込みながらエマのほうへ向き直った。
「そうだよ! 色んなところを、写真を撮りながら旅してるんだ」
「まあ、若いのに立派ね。一人なの?」
ローブの下からは腰に着けているであろうランタンが顔を覗かせているが、少年の体と比べるとかなり大きく見えた。体格や声からして、エマよりも五つほど若いだろう。
「ぼくもう十歳だよ。今は一人。前は一緒に旅していた子がいたんだけど、少しの間別々で行動してるんだ」
昔は親やローガンと街の外へ出たこともあるが、ローガンが消えたあの日から外へはほとんど出ていなかった。
エマにとっては一年がとてつもなく長い期間に思えた。外に出ていない間にどれだけ変わっているのだろう。
少年の楽しそうに答える顔を見てエマは久しぶりに興味を持った。
「写真の話、もっと聞かせてくれないかしら」
少年の名前はラクテといった。
聞けば今夜は野宿をする予定だったそうだ。シャーレの街は十歳の子供が野宿をしてもおそらく無事である事が多いだろう。
しかしやはり危ないからと、エマは宿として部屋を提供することにした。そのお礼にとラクテの旅の話を要求してみた。
ラクテはもちろんと快く受け入れた。
誰かのために紅茶を入れたのも、一年ぶりであった。
エマは揺れる湯気をぼんやりと見つめながら、話を聞き逃さないよう耳を傾ける。
ラクテの話は面白いものばかりであった。星の綺麗な国や、氷で覆われた大地。水のない広大な砂漠に深いジャングル。
ラクテは様々なところを旅していた。
「綺麗な景色やその国の人を写真におさめながら旅をしているんだよ」
「素敵ね」
「たまには危ない戦場にも行くけどね!」
「まあ!」
すっかりぬるくなってしまった紅茶を口に運びながらエマは思う。
ローガンがラクテの話を聞けばどんな顔をするだろうか。
──彼も写真が好きだったから、自分も旅に出ると言い出しそうね。
そうしたら目の前の少年と同じように、キラキラと目を輝かせながら旅の話をしてくれただろうか。
「でも、どんな場所へ行っても誰かの笑顔があるんだ。ぼくはそれを写真として形に残したいんだよ。だからね、お姉さんの笑顔も写真におさめたいな!」
ラクテはカメラを手にし、その輝いた瞳をエマへ向けた。
その笑顔が、あの日のローガンと重なった。
エマとローガンが初めて出会った時、両親の友人が近くへ引っ越してきたからと挨拶に来た時、人見知りだったエマはローガンと目を合わせないよう母親の脇に隠れた。
そんなエマを大きな機械音と共に光が包み、目を開けた時にはローガンが目の前に立っていた。
「これから君の笑顔をおさめていきたいんだ。一緒に写真撮ろうよ!」
彼と初めて交わした言葉だった。
そこからローガンと打ち解けるにはそれほど時間はかからなかった。
三つ歳上の彼はエマに難しい勉強を教えてくれたし、引きこもりがちだったエマを外へ遊びに連れて行ってくれたのも彼だ。
ローガンはいつもカメラを手にしていた。
玩具のようなチープな安いカメラであったが、彼はそれを大切そうに毎日持ち歩いていた。
エマが笑うと写真を撮ってくれたし、気持ちが落ち込んでいた時には綺麗な風景や面白い写真を見せてくれた。それを見たエマが笑うとシャッターをきった。
ピントのズレた写真を見て、二人でまた笑った。
「みんなの笑顔を残したいんだ」
それが、ローガンの口癖だった。
「お姉さん、泣きそうな顔をしてるね。何かあったの?」
思わず俯いたエマの顔を覗き込むようにしてラクテが見上げる。
「なんでもない。なんでもないのよ」
「……そっか」
ラクテは迷った様子で口を開いた。
「この街に来たのはもちろんハロウィーンを楽しみたかったこともあるけど、実は、もう一つ理由があるんだ」
そう言って鞄から取り出したのは一冊のアルバム。
背表紙は禿げ、角が潰れてはいるが、表紙はまだ新しく、紺の生地に金の箔押しが施されているのが分かる。
ラクテは己の顔よりはるかに大きいアルバムを一つずつ捲りながらある写真を探しはじめた。
しばらくページを捲る音のみが響いていたが、その音がはたと止んだ。そしてラクテは一枚の写真を取り出した。
「この人、知ってる?」
ラクテはエマに写真を差し出した。
「お姉さんの名前、エマ・ターナーだよね」
差し出された写真を見てエマはあっと声をあげた。
写っているものを見て我慢していたはずの涙が、タカが外れたかのように溢れ出す。
一年間待ち続けた顔が、会いたくて会いたくて仕方がなかった人が、誰よりも大好きな姿が、そこにあった。
「……ふ、うぅ……う……」
知っていると返事を返したかったのに出てきたのは嗚咽だけだった。
「……ローガン……知ってる、知ってるわ……」
エマの嗚咽が止まるのを待ち、ラクテはゆっくりと話だした。
ラクテとローガンが出会ったのは、遠い国の戦地だったそうだ。二人とも写真を撮るのが好きということもあり、すぐに仲良くなった。
ローガンは十八の青年であった。
彼が生まれた街には徴兵制度が存在しているという事を、エマはこの日初めて知った。
ローガンが十八の歳を迎えた日の夜、彼の元にも例外なく一通の手紙が届いた。
生まれた国の制度からは国籍を変えない限り逃れられないようで、ローガンはその召集に応じる他なかった。
一年の始まりである、ハロウィーンの翌日がその日であった。
それから戦場へ赴いたローガンは、旅人であるラクテと出会い、数日間共に居たという。
「ローガンさんから、お姉さんの話をたくさん聞いたよ。……それでね」
ラクテは一瞬、言い淀んだ。
「ローガン・スミスさんからエマ・ターナーさんへ。一通の手紙を預かっています」
手渡されたのは薄い茶色の、ただの羊皮紙に見える封筒。
封をあけ、同じ素材の便箋を中から取り出す。ローガンが好んで使っていたあの便箋だった。
エマにとって、待ちわびたローガンからの返事だ。
エマは震えた指で手紙を読み始めた。
『エマへ。
まずは突然居なくなった事を謝りたい。
きっと君に話せば、俺が最後に見る君の顔が笑顔ではなくなると思ったんだ。
でも、この手紙が君に届かなければ、きっと君はずっと、俺が居なくなったと思って泣いているのだろうね。
だからラクテくんと出会って、君に気持ちを伝えるのは今しかないと思って、彼に手紙を届けて欲しいとお願いをしたんだ。』
手紙の中のローガンは、エマの知っている彼であった。
手紙にはエマとの思い出が、ローガンとエマが出会ってからの全てが書かれていた。
楽しかった思い出が、まるで昨日の事であったかのように思い出される。
『ローガン・スミス』
最後の署名は丁寧に二重線が引かれている。
手紙には、まだ先があった。
『俺は多分、この戦争で死ぬだろう。
分かるんだ、戦況が良くないのが。毎日友であった誰かが死んでいくんだ。
だけど、撤退はないだろう。きっと最後まで戦わなければいけない。』
読みたくないと思った。読んでしまうと、受け入れないといけない気がした。
それでも、読むのをとめられなかった。
手紙にはシワシワになった跡が所々に出来ている。
『エマとの思い出があれば俺は寂しくないな。
……いいや。それは嘘になるかもしれない。
本当は君に逢いたい。美しいシャーレに戻りたい。楽しかったあの日を永遠に過ごしたい。君の笑顔が見たい。』
死にたくない。
その言葉は後からぐちゃぐちゃに塗りつぶされて読めなくなっていた。
『でも、俺の事でエマの夢を壊したくない。君は書くことが好きだっただろ? それを応援したいと言ったのは、心からの言葉なんだよ。
だから君に書くことをやめて欲しくない。これは俺のエゴかもしれないけど。君が感じたこと、触れたこと、心を動かされたこと、全てを残してほしい。俺にとっての写真がそうであったように。
だから俺がいなくなっても、まだ書くことが好きなのであれば、どうか書くことをやめないで。
俺はずっと君を見守っているから。』
滲んだインクが広がり、しわができる。それが元々なのか、今できたものなのか、既に分からなかった。
『最後に。ずるいと言われるかもしれないけど。』
『俺は君が好きだった。
ローガン・スミス』
最後は、視界も、文字も、滲んで見えなかった。
止まったはずの嗚咽が漏れる。荒くなる呼吸と共に、視界が霞んでいく。
ローガンからの手紙の内容はとても受け入れられなかった。だけど、張り詰めた糸が緩んでいく感覚があった。
エマは、気付いていた。ローガンが生まれた国のことを話したがらなかったことも、彼が手紙を受け取ってから様子がおかしくなったことも、気付いていた。
それでも受け入れたくなかった。
受け入れると二度と会えない気がした。
だけど手紙を読み、突きつけられた現実を受け入れてしまった。
ローガンは、もう帰ってこないのだと知ってしまった。
それに抗うかのように両手で顔を覆い、溢れる涙を拭いもせず、エマは大声をあげた。
声が止んだ頃には、気付けば零時を超えていた。
それからエマはローガンとの思い出を、一つずつ静かに零した。
初めて出会ったあの日のこと。親と喧嘩して彼の家に逃げ込んだこと。道に迷っていたら彼が偶然通りかかり一緒に帰ったこと。
彼と一緒だと全てが楽しく思えたこと。
彼の写真が好きだったこと。
彼が、好きだったこと。
「そっか……。本当はね、お姉さんの事を知ってたんだ。ローガンさんがぼくに託してくれたから」
「うん」
「ローガンさんはお姉さんとの思い出をたくさん話してくれたよ」
「うん」
「ローガンさんから、もう一つ預かってるんだ」
彼が取り出したのは小さな小箱だった。白い箱に青いリボンが施されている。
中には万年筆が入っていた。
テーブルに転がっているものとよく似た白と青の万年筆。違っているのはその中心に、小さな宝石が埋め込まれていること。
ローガンの瞳と同じ、黄色い宝石だった。
シャーレという国は旅人達の中ではとても有名な国であった。
白い家が海のように見え、ところどころに散りばめられた青がまるで宝石のようで、輝く宝石箱の街という噂だった。
宝石のような街を高い壁が取り囲んで居ることから"宝石箱"と呼ばれるようになったのだろう。
そんなシャーレでは、ハロウィーンの日に奇跡が起こると言われている。
会いたい人に会える日、夢が叶う日、新たな出会いが見つかる日など、いくつもの噂が飛び交っている。
きっかけは、ひとつの小説だった。著者はエマ・ターナー。齢十五の少女だ。
彼女のデビュー作は、一人の青年と少女のたわいも無いお話だ。街で出会った男女の、幸せで少し切ないお話。ハロウィーンの夜の奇跡。
その小説に出てくる街のモチーフがシャーレだと判明して以来、一層ハロウィーンの日が騒がしくなっていた。
そんなハロウィーンの日の夜、彼女の家のブザーがけたたましく鳴り響く。
バタバタと騒がしく足音を鳴らし扉を開けると、小さな魔法使いが玄関に立っていた。
「トリックオアトリート! お菓子をくれなきゃ悪戯しちゃうぞ!」
「用意してるわ。ところでまたお話を聞かせてくれるかしら、可愛い魔法使いさん」
「もちろんだよ、お姉さん」
騒がしい外の声にも負けないほどの笑い声は朝まで続いた。
翌日、街を後にしたラクテは笑顔で写るエマの写真をそっとアルバムにしまいながら思う。
旅先で出会う物語は楽しいものだけではないと。時には悲しい場面や辛い場面に出会うこともある。人の運命を大きく変える機会も何度もあった。
たった一年で何もかもが変わってしまうこともあれば、何も変わらないこともある。
たとえそれが良くても悪くても、誰もが一年分の時間に寄り添わなければならない。
旅をしていると、その誰かの一年に、その人の生涯にほんの少しの間だけでも寄り添うことができる。
ラクテは思う。
だから旅は、楽しいのだと。
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