小国の王太子、美人だが有能ゆえ男に嫌われる選帝公ご令嬢と結婚する
Chapter 2 - 王太子、小国の辛さを味わう
ナーロッパ歴1056年10月27日。
「エミリア、今日の予定は?」
国王執務室に入り、書類が積まれた机の椅子に座りながらアルベルトは後ろに立つ従者に尋ねる。
「午前中、報告書等の確認や嘆願書等の確認を。昼食をはさみまして14時より帝国大使との会談が入ってございます」
そうかと軽くつぶやいたアルベルトは書類に目を通していく。
目を通すべき書類は多く、時間はいくらあっても足りない。アルベルトはいつものことながら、
(兄上が健在ならこんな苦労しなくて済んだんだけどな)
と内心で呟いていた。
残念ながら、彼の兄である前王太子は8年前に病死してしまった。
このため、アルベルトは本人が望んでいなかった王太子となり、さらに父である国王が病に倒れた後は摂政ともなり、国政を一手に担うという大変な責務を背負わされていた。
まだこれが大国であればよきに計らえである程度は済むが、有能な人材が少ない小国はそういう訳にはいかない。
しかし、本当に書類多いな。
「はあ。摂政王太子なんかじゃなくて、王立図書館の司書になりたかった!」
アルベルトの魂の叫びにも、従者はため息をついて、
「無理よ、諦めなさい」
と冷たく返した。
書類もある程度片付き、エミリアが入れてくれた紅茶でアルベルトは一服する。
「帝国め、フラリン王国がアストゥリウ王国の内紛で動けない隙に北方で動く気か」
「やはり帝国大使の会談申請はそういう事?」
「アストゥリウ王国がフラリン王国の勢力下に入ればフラリン王国は後顧の憂いなく東方に進出してくるだろうからな。今のうちにロアーヌ帝国はここ近辺を抑えておきたいと言った所だろう」
「簒奪王に勝ち目はない……わね」
紅茶を飲み干してアルベルトは答える。
「全くないとは言えないがまず無理だと俺も思うよ。フラリン王国は4万の大軍を投入している。それにヘルメス王子を旗印とするアストゥリウの有力諸侯もそれに加われば6万を超すだろう。フェリオル王の手勢は1万8千からせいぜい2万程度。確かにフェリオル王は戦上手で知られているし、その軍は異民族平定戦で実戦経験を積んだ精鋭だ。でも、少々の兵力差は覆せても三倍の差を覆すのはどんな精鋭でも無理だよ」
アルベルトが残った報告書を取り、読み始める。
「まあフラリン王国にそれなりの出血は強いるだろうけどね」
14時
「お久しぶりでございます、摂政殿下」
定刻の少し前にアルベルトは応接間に入ると、帝国大使ローン伯とその秘書はすでに到着していた。
「ローン大使も久しぶりですね」
挨拶を返してアルベルトは座る。
ローン大使も座りながら口を開く。
「本日は帝国のためにお時間をいただき、誠にありがとうございます。国王陛下のご容体が優れないとのことで、殿下におかれましては気苦労が絶えないことと存じます」
「非才の身には重すぎる重責がかかっています。しかし王国を支えてくれる家臣がとても良く頑張ってくださるので、若輩の私でも何とか務めていられます」
穏やかな雰囲気で会談は始まり、しばらくとりとめのない話を続けていたが、10分ほどしてローン大使がついに本題に入った。
「現在アストゥリウ王国では内紛が勃発しフラリン王国が介入しております」
「簒奪王も困った事をしてくれました。彼のせいで大陸の勢力図が大きく変わる事となるでしょう」
ナーロッパ大陸の西の半島にアストゥリウ王国があり、その東にフラリン王国、その北東は北方小国群が広がっている。大陸中央から南部でフラリン王国とロアーヌ帝国は国境を接している。
もし、フラリン王国がアストゥリウ王国を勢力下に抑えれば巨大化した王国が東に進出して来るのは時間の問題であり、超大国同士の大戦に突入するのは確実である。
「全くです。しかし起きてしまった物は仕方ない」
ローン大使の言葉にアルベルトは頷く。
確かに起きてしまった事にとやかく言っても仕方ない。
そんな事を言う暇があるのであればまず対策を考えるのが政治家という物だ。
「フラリン王国が勝つでしょうが簒奪王も戦上手。それなりにフラリン王国に出血は強いるでしょうし、アストゥリウ王国平定はそれなりの時間を要するでしょう。その隙に――」
「その隙に北方緩衝地帯の小国群を帝国の勢力下に組み込むと?」
「ご明察の通りです、殿下」
アルベルトの言葉に大使は頷く。
まあ、フラリン王国とロアーヌ帝国の国境地帯には城塞群が広がり、三万程度の兵力をフラリン王国は残しており、帝国も突破するとなるとかなりの時と犠牲を要する。
それよりは北に勢力を拡大する方が合理的だ。
しかし。
「我が国は中立国ですが、帝国は何をお望みで?」
リューベック王国はロアーヌ帝国ともフラリン王国とも関係を持っており、この二大国の争いには中立の姿勢をとっている。
「我が国との同盟と帝国軍の軍事通行権です、殿下」
(やはり、それか。)
アルベルトは内心でそう呟く。
このリューベック王国は帝国が北方に進出する際の通り道であり、また要所となる国家である。帝国が北方に進出するならまずこの国は絶対に抑えなければいけない。
もし、拒めば帝国が軍事力を用いて侵攻してくる事は目に見えている。
侵攻を受ければ勝ち目はない。例えフラリン王国の同盟国と言う名の属国群のフリーランス王国等の国々や北方最大の大国デーン王国等の援軍を受けても時間稼ぎとロアーヌ帝国に出血を強いるのが限度だろう。
フラリン王国が動けば話は変わるが、今彼らにそんな余力はない。
「見返りは?」
受けいれるしか手がなかった。ならば出来る限り見返りを取るための交渉をして今後を考えようと思考を切り替えたアルベルトは尋ねる。
そして帝国大使もリューベック王国は受け入れるしかないとはわかっているのだろう。
「フリーランス王国領と場合によってはホルスタイン地方北部、そして王太子妃にピルイン選帝公ご令嬢はいかがですかな?」
大使は勝ち誇った微笑を浮かべて答えた。普通は外交官失格だろう。正式な合意文書どころか、口約束すら交わしてもないのに、ここまで感情を露わにするとは。だが、残念ながら、そんな相手でも尊重しなければならない、というかその程度の器量の大使で十分だと思われているのだ、リューベック王国は。