小国の王太子、美人だが有能ゆえ男に嫌われる選帝公ご令嬢と結婚する
Chapter 1 - 選帝公令嬢と王太子
ここまでアリシアを先導してきたメイドが、扉をノックした。
「失礼します。旦那様、アリシアお嬢様をお連れしました」
扉が開かれ、アリシアが入室する。メイドはそのまま手際よく飲み物の用意を始めた。
「ああ。少し長くなるから、そこに座りなさい」
そう言うと、父サイラスは執務机の上の書類を片付けてから、アリシアの前に座る。
それにあわせて二人の前にコーヒーが置かれる。ナーロッパに栽培できる土地はない。密貿易商人から購入したのだろうななどとアリシアは益体もないことを考えはじめる。そのせいで、サイラスの言葉への反応が遅れた。
「アリシアに結婚の話が来ている」
まさか、縁談があるとは思っていなかった。婚約破棄されて、半年もたっていないのだから。
まず、帝国貴族はあり得ない。身分で釣り合いが取れなおかつ同世代の独身の男性貴族はいない。男爵や子爵令嬢なら第2夫人や愛妾という選択肢もあるが、それはピルイン選帝公令嬢と言う立場が許さない。高位かつ高齢貴族の後妻ならばあるいは可能性があるかもしれないが、初婚のアリシアを差し出すほどの価値がある相手は、と考えるとやはり浮かばない。
と言う事は他国なのは間違いないだろう。
そして、このタイミングとなれば、まず思い浮かぶのは――。
「かしこまりました。このタイミングと言う事はリューベック王国ですか?」
だ。
「ほお。何故そう思う?」
サイラスは興味深そうに見つめる。
「簡単ですわ。まず帝国貴族はあり得ません、今空きがないですし、さらに言うならば私は嫌われていますから。と言う事は他国しかありません」
「なるほど。しかし、何故リューベック王国と思ったのだ?」
父がカップに口をつけて続ける。
「フラリン王国がアストゥリウ王国の内戦に干渉した以上、フラリン王国がアストゥリウ王国を同盟国という名の事実上の属国にするのは時間の問題。そうなればフラリン王国は後顧の憂いもなく東方に進出し、ロアーヌ帝国と戦端を開くのは疑いありません」
アリシアもコーヒーを口につけて続ける。
「しかし、フラリン王国とロアーヌ帝国国境には要塞群も広がり、さらに三万の兵力を本国に温存している以上、ロアーヌ帝国軍でもフラリン本土侵攻は難しい。ならばフラリン王国がアストゥリウ王国を平定するまでの隙をつき、北方の小国群を勢力下に収めてフラリン王国との決戦に備える。帝国の戦略方針がそう定まるのは当然です。そして、リューベック王国は帝国が北方に進出するならば必ず掌握せねばならない要所です」
リューベック王国は海路、陸路、河川とすべての交通が集中した要所である。ここを完全に抑えなければ、帝国の北方進出は夢のまた夢。
無論、根本的な軍事力に大差がある以上、軍を用いて征服することも可能だ。だが、リューベック王国は経済力があり、傭兵を大量に雇って抵抗されれば思わぬ出血と時間が必要になる可能性がある。そうなればその後の北方進出に支障を来すし、戦が長引けば他国の介入も考えられる。それならば、まず懐柔政策をあの皇帝は選ぶであろう。
「当たりだ」
サイラスは拍手をしながら続けた。
「で、何故ピルイン家から姫を出すか分かるか?」
「これ以上シュタデーン公の勢力拡大をさせるわけにはいかないからでしょう。この北伐は我々ピルイン家がなんとしても主導権を握らねば帝国北部はシュタデーンが覇権を握る事になります」
シュタデーン選帝公とピルイン選帝公は帝国北部の有力諸侯であるが、近年シュタデーン選帝公はベルガ王国と同君連合を組んだりポトラント王国の一部を切り取ったりして急速に勢力を拡大していた。そしてアリシアの婚約破棄を契機に、シュタデーン公の中央進出の意志が明らかになった。「敵の敵は味方」の原則通りにピルイン選帝公と中央に強い影響力を持つハーベンブルク選帝公は共同でシュタデーン公を牽制する事になったが、後手に回っているのが現状だ。
ここで巻き返しをはかるなら北伐の主導権をピルイン家が握るしかないのだ。
「本当に可愛くないな。だから、婚約を破棄されたり、男に嫌われるのだぞ」
上げたと思ったら落とす。親心は複雑なのだろう。サイラスは大きくため息をついて続けた。
「そなたにはアルベルト王太子に嫁いでもらう事になるが、まだこれから大使が交渉するという段階だ」
アリシアはてっきり決定事項だと思ったが、まだ交渉にすら入ってないらしい。
遅いなとアリシアは思うが口には出さない。出したのは別の話だ。
「父上、フラリンが勝った時はそれで良いとしてもフェリオル王が勝った場合は考えなくとも宜しいのですか?」
「簒奪王か……」
サイラスは嫌な顔になる。
庶子の身でありながら父王と兄王子らを討って王位を奪った簒奪王をサイラスは嫌っているのだ。
「簒奪王の手勢は二万程度、フラリン王国が出した軍は四万、それにアストゥリウ王国の反フェリオル派の諸侯軍が二万。計六万だ。簒奪王とその手勢が戦慣れしていようが、三倍の兵力を覆すのは無理だ」
それと、とサイラスは続ける。
「嫁いだら政治や軍事の事に口を出すなよ。そなたは世継ぎをなすことと奥を纏めることだけを考えれば良いのだ」
「承知……しております」
アリシアは少し悔しそうに答える。
女が政治に口を出す事は基本的に許されていないのだ、少なくともロアーヌ帝国では。
リューベック王国ホルステン宮。
石工たちが、その才能を余すことなく作り上げた廊下を二人の男が歩いた。
二人の男はどちらも身なりが良く、立ち居振る舞いからは品位が感じられる。
それもそのはず、彼らはこの国の内務卿(内務大臣)と軍務卿(軍務大臣)、即ち国内の重臣であり古くからの友人同士でもある。
けれど、彼らの表情は暗かった。
「陛下の御容体、いよいよ悪化しつつあるとか」
内務卿が、重々しく息を吐きながらつぶやいた。
軍務卿は、眉根をつまみながら沈痛な表情を浮かべながら答える。
「ああ、そうらしい。……もともと、お身体が丈夫な方ではなかった故なあ……」
「さらに聞くところによれば、西の果てのアストゥリウ王国では第4王子が父王を討ち取り王位を簒奪。これに反発した有力諸侯らが第3王子を担いで挙兵しそれにフラリン王国が介入し、内紛が激化しているようだ」
「血で血を洗うような権力争いの末、滅亡の危機か」
再び、二人の口から重々しい溜息が漏れる。
「我が国もこれを教訓とせねばな。だが、我々は当面の心配はあるまい」
その時、廊下の向こうに人影が現れた。
軍務卿はすぐさま口を閉ざし、内務卿とともに敬礼の姿勢をとる。彼らの動きには、ただ権力者に付き従うだけの臣下とはまるで違った、自発的な尊敬が見て取れた。
「おはようございます、アルベルト王太子殿下」
二人が揃って礼をする先に立っていたのは、17歳の赤みかかった金髪の少年と従者の銀髪の少女であった。
「おはよう。どうした? 暗い顔だがもしかして父上のことかな?」
少年の問いかけに、さらに二人は恭しく答えた。
「その通りでございます」
「そうか」とわずかに考えた後、彼は二人の肩にそっと手を置いた。
「心配はわかるが、大丈夫だ」
全く心配を感じさせない自身あふれる声に、思わず二人が顔を上げる。
「確かに、今が一番辛い時期だ。しかし、この国には卿らのように長年父上を支えてきた素晴らしい家臣がたくさんいるではないか?」
「殿下……」
「もったいなきお言葉……」
少年はさらに微笑を浮かべる。
「父上には治療に専念していただかねばならぬ。父上が回復されるまで微力な私に卿らの力を貸してくれ」
「はっ」
ではと言うと王太子は従者を連れて去って行く。
その背中が廊下の向こうへ消えてから数秒、二人は感嘆の声を漏らしながら顔を上げた。
「殿下は我らの希望だな……殿下が王位を継がれれば、この国の発展も確約されているというものだ」
「ああ。幼き頃から聡明だったがここ数年でさらにご成長なされた」
「去年陛下が倒れられた時はどうなるかと思われたが、今は殿下の元、家臣が一丸となり国のために働いている。殿下の御為に粉骨砕身せねば」
「無論だとも」
二人の顔にはすでに不安はなく、確信と希望にあふれた表情をしていた。
「あとは殿下が良縁を得て、世継ぎを儲けられれば我が国も安泰というものだ」