Chapter 13 - VS.ディーネー&ファル 再戦
村を出たところで、ディーネーは待っていた。
こんな真夜中にうろついている人は誰もいない。
ただ、きれいな月が、星が出ているだけだ。
メルとアウラは、十分な距離を置いてディーネーたちと向き合った。
「俺は戦うことが好きだ。だが、邪魔されるのは大嫌いだ。だからお前をここに呼んだ。お前はまだ、十分に覚醒していない。だから、槍は使わない。素手で行くぜ――」
「なぜ、僕を狙う。僕が、絆の民だからなのか?」
「悪いな、俺も命令には逆らえない。だが、絆の民として目覚めたばかりのお前を、ただ殺すのもつまらない。ちょっとは楽しませてくれよ!」
そう言って、ディーネーは走り出した。あっという間に距離が縮まる。
腰のナイフに手をかけたものの、動かない木の幹を的に練習していたから、反応が遅れた。
まずい……。
慌ててナイフを前に構えようとした。
しかし、ディーネーはもう至近距離に達していた。
向かってくる右の拳がやけに大きく感じられる。
体格差だけではない。
命のやりとりを経験してきたかどうかの差を、メルは嫌というほど思い知った。
しかし、その拳は飛んでこなかった。
ディーネーは左に転げながら何かをかわし、忌々しそうに「チッ」と舌打ちをする。
「メル、しっかり!」
アウラだ。
アウラがディーネーの右脇腹に飛びかかろうとしたのだ。
着地して体勢を立て直したアウラは、メルを守るように前に出る。
「アタシが相手してあげるわ」
ディーネーは膝の汚れを手で払いのけ、夜空を見上げてから言った。
「オオカミごときが俺様の邪魔をするなあっ!」
それまで近くの枝に止まって静観していたファルが、羽ばたいた。
「一発決めてやれ、ファル!」
そう言ってディーネーは、素早く両手を顔の前で何度か交差させ、何かをつぶやいた。
それに応えて、ファルが上空から急降下してくる。
アウラは攻撃に備えて低く身構えるが――。
ハヤブサの急降下するスピードは、鳥の中で最速ともいわれている。
体格ではアウラに分があるが、一瞬の判断が生死を分けるのは必然だった。
ファルは、アウラに飛びかかろうとするその瞬間、急ブレーキをかけるように翼を大きく広げた。
左右の翼から放たれた二枚の羽根が、アウラの皮膚にたやすく突き刺さった。
「うっ、くうっ……」
アウラの動きが止まった。
まるで魔法でも掛けられたかのように、アウラは動けなくなった。
「よーく見ろ。これが絆というものの力だ。苦しいだろう、そうだろう? 俺の技で体が麻痺しているのだからなっ!」
「アウラッ!」
慌てて駆け寄ろうとしたメルは、あっという間にディーネーに組み伏せられた。
「は、離せっ」
ディーネーは素早くメルのナイフを奪い、自分の後方へ投げ捨てた。
「さぁて、オオカミは後回しにしようと思ってたが、今ので考えが変わった。そもそも俺は、オオカミが大嫌いなんだ。まずは、こいつが死ぬところを見せてやる。メルとか言ったな、お前。しっかり近くで見ておけよ」
ディーネーが口笛で合図をすると、ファルは高々と舞い上がり旋回を始めた。
やがて、いつでも行ける、というように一声鳴いた。
「行けっ、ファル。とどめを刺せっ!」
ファルのスピードはさっきよりも速くなっている。このままではアウラが危ない……。
「やめろーっ!」
メルが振り解こうとするが、ディーネーの力は圧倒的だった。
ファルが急降下してくる。
アウラに迫るにつれて、メルにはそれがスローモーションのように鮮明に見えてくる。
アウラに鋭い爪が襲いかかろうというそのとき、黒い影がとっさにアウラを守った。
「母さんっ!」
それは、マリーだった。
「子どもたちを守るのが、親の役目だもの……」
爪はマリーの背中をえぐり、見る見るうちに服が赤く染まっていった。
「母さん!」「マリー!」
メルとアウラの痛切な叫びが重なる。
アウラは雷に打たれたかのように、すべてを思い出した――。
*
広い広い平原だった。
アウラの家族は、代々絆の民である人間たちと行動を共にしていた。
動物と人間とが思いを伝え合い、手を取り合って生きる。
いつか自分も信頼できる人間に出会い、絆の民との契約である「バインド」を行う日が来る。
アウラは期待感に満ちていた。
だが、悲しみは突然やって来た。
見たこともない黒いオオカミと人間がやって来て、父を殺したのだ。
それだけではない。
兄や姉を残らず殺された。仲の良かった人間もだ。
末っ子のアウラだけは助けてほしい、そう命乞いした母にも、あいつらは攻撃の手を緩めなかった。
襲われたアウラは、母と絆の民の最期の力で、見知らぬ森の中へ飛ばされた。
一人だけ生き残ったのだ。
「生きなさい、アウラ。あなたが私たちの希望だから……」
母はそう言ってアタシを逃がしてくれた。
母は……。
アタシは思い出した。
アタシは死ねない。
あいつらを倒すまで!
*
アウラの全身に力が戻った。
刺さっていた羽根は、もはやその力を失い、頼りなくふらふらと宙を舞う。
母で最後にする。もう十分だ。
マリーまで失いたくない。
アウラの目に蒼い炎が燃え上がった。
「許さない」
冷たく言い放ったアウラは、疾風のような速さで、飛行体勢に移っていないファルへ襲いかかった。
その見えない爪と牙によって、一瞬で事は終わった。
「お、お見事……」
言切れたファルを踏み台にして、すぐさまディーネーに飛びかかる。
アウラの素早い動きに対応しようと、メルから両手を離すディーネー。
メルが首に下げていたペンダントが、突然青くあたたかい光を放った。
その中に、見たことのない足跡のような模様がはっきりと浮かび上がる。
このあたたかさを、僕は覚えている――。
メルはすぐに確信した。
「その子を助けて……お願い、メル」
アウラと出会ったときに、そう懇願してきたあの光だ。
アウラの思いが、アウラの痛みが、手に取るように分かる。
それだけではない。メルは、すべての感覚が研ぎ澄まされていくのを感じた。
力を貸して、メル!
アウラの願いに反応して、目を凝らす。
月明かりだけでも、投げ捨てられたナイフの在処が手に取るように分かった。
これはきっと、アウラの力だ。
半ば転げるように駆け寄って、ナイフを掴む。
(あイつ、オれヲなゲすテやガっタ。ぜッたイに、ユるサねエ!)
怒気をはらんだナイフの声がはっきりと聞こえる。
これは、現実だ。
メルに驚きの様子は見られなかった。
そう。
動物と、アウラと会話できた時点で、なんでもありだと気付いていたんじゃないか?
「僕だって、許さない」
いつの間にかディーネーは、槍を手にアウラと対峙していた。
ファルを失った今、さっきまでの余裕はもうない、ということだろう。
接近戦に持ち込みたいが、長い槍に阻まれて、アウラは思うように距離を詰められないでいる。
だが幸いなことに、メルの存在にまでディーネーの注意は及んでいない様子だった。
大きく息を吐き、メルは集中力を高める。その手は小刻みに震えている。
人を狙ったことは、もちろん一度もない。
だが、母さんを酷い目に遭わせたあいつは別だ。
やらなければ、僕もアウラも、殺される。
「お前の役目は、誰かを倒すことではなく、動きを遅らせることだ」
ふと、ジンクの言葉を思い出した。
そうだ。
僕は、アウラと一緒に戦うと決めたんだ。
(おレにマかセろ)
気付くと、手の震えは治まっていた。
牙や爪で仕留めるための間合いに持ち込みたいアウラ。
槍の長さを最大限に生かし、鋭い突きや足払いを繰り出すディーネー。
二人は激しい攻防を繰り返している。
時折重なり合う二人の姿を、メルは不思議な感覚で見つめていた。
どんなに素早い動きであろうとも、アウラには決してナイフは刺さらない。
なぜなら、メルとアウラは今、同じ感覚を共有しているのだから。
「これが、バインド……絆の証?」
まるで自分の体のように、アウラの次の動きが感じ取れる。
だから、全身で念じた。
母さんにしたことと同じことを味わわせるために。
「届け」と。
メルが放とうとしたナイフは、その瞬間手の中から消え失せた。
それは、なぜかアウラの前足――右手――に、ものすごいスピードで弾き飛ばされ、ディーネーの胸に深々と突き刺さった。
「かはっ……」
突然の出来事に、ディーネーはなすすべもない。
その手にあった槍は、獲物を見失い、力なく地に落ちた。
メルのいるほうへ目をやりながら、アウラは驚きの声を上げた。
「ナイフが、急に目の前に……これが、メルの、絆の力なの?」
メルは急いでマリーを抱きかかえ、アウラを見た。
アウラはそれに応えるように、そしてメルには見せないように、ディーネーの喉元へ、その鋭い爪を立てた。
「まだ助かる。いいえ、助けるのよ!」
ディーネーの胸から抜いたナイフをメルに渡し、アウラは村へ向かって走り出した。
「母さん……絶対に、助けるから。大丈夫、だから」
マリーが苦しまないように、ゆっくりと背負いながら、メルは歩き出した。
返事はない。
メルはこらえきれず大粒の涙を流しながら歩いた。
マリーはメルよりも小柄だ。
重くはないはずなのに、足がもつれて何度も転びそうになった。
初めてバインドの力を使ったからなのか、全身がひどくだるい。
やがて、前からジンクとフロールが走って来るのが見えた。
見慣れたその姿に安堵して、メルは静かに膝からくずおれた。