オオカミか幼なじみか選べない……。

Chapter 13 - VS.ディーネー&ファル 再戦

本多 狼2020/08/29 20:41
Follow

 村を出たところで、ディーネーは待っていた。

 こんな真夜中にうろついている人は誰もいない。

 ただ、きれいな月が、星が出ているだけだ。

 メルとアウラは、十分な距離を置いてディーネーたちと向き合った。

 

「俺は戦うことが好きだ。だが、邪魔されるのは大嫌いだ。だからお前をここに呼んだ。お前はまだ、十分に覚醒していない。だから、槍は使わない。素手で行くぜ――」

「なぜ、僕を狙う。僕が、絆の民だからなのか?」

「悪いな、俺も命令には逆らえない。だが、絆の民として目覚めたばかりのお前を、ただ殺すのもつまらない。ちょっとは楽しませてくれよ!」

 

 そう言って、ディーネーは走り出した。あっという間に距離が縮まる。

 腰のナイフに手をかけたものの、動かない木の幹を的に練習していたから、反応が遅れた。

 まずい……。

 慌ててナイフを前に構えようとした。

 しかし、ディーネーはもう至近距離に達していた。

 向かってくる右の拳がやけに大きく感じられる。

 体格差だけではない。

 命のやりとりを経験してきたかどうかの差を、メルは嫌というほど思い知った。

 

 しかし、その拳は飛んでこなかった。

 ディーネーは左に転げながら何かをかわし、忌々しそうに「チッ」と舌打ちをする。

 

「メル、しっかり!」

 アウラだ。

 アウラがディーネーの右脇腹に飛びかかろうとしたのだ。

 着地して体勢を立て直したアウラは、メルを守るように前に出る。

「アタシが相手してあげるわ」

 ディーネーは膝の汚れを手で払いのけ、夜空を見上げてから言った。

「オオカミごときが俺様の邪魔をするなあっ!」

 

 それまで近くの枝に止まって静観していたファルが、羽ばたいた。

「一発決めてやれ、ファル!」

 そう言ってディーネーは、素早く両手を顔の前で何度か交差させ、何かをつぶやいた。

 それに応えて、ファルが上空から急降下してくる。

 アウラは攻撃に備えて低く身構えるが――。

 ハヤブサの急降下するスピードは、鳥の中で最速ともいわれている。

 体格ではアウラに分があるが、一瞬の判断が生死を分けるのは必然だった。

 

 ファルは、アウラに飛びかかろうとするその瞬間、急ブレーキをかけるように翼を大きく広げた。

 左右の翼から放たれた二枚の羽根が、アウラの皮膚にたやすく突き刺さった。

「うっ、くうっ……」

 アウラの動きが止まった。

 まるで魔法でも掛けられたかのように、アウラは動けなくなった。

 

「よーく見ろ。これが絆というものの力だ。苦しいだろう、そうだろう? 俺の技で体が麻痺しているのだからなっ!」

「アウラッ!」

 慌てて駆け寄ろうとしたメルは、あっという間にディーネーに組み伏せられた。

「は、離せっ」

 ディーネーは素早くメルのナイフを奪い、自分の後方へ投げ捨てた。

 

「さぁて、オオカミは後回しにしようと思ってたが、今ので考えが変わった。そもそも俺は、オオカミが大嫌いなんだ。まずは、こいつが死ぬところを見せてやる。メルとか言ったな、お前。しっかり近くで見ておけよ」

 ディーネーが口笛で合図をすると、ファルは高々と舞い上がり旋回を始めた。

 やがて、いつでも行ける、というように一声鳴いた。

「行けっ、ファル。とどめを刺せっ!」

 

 ファルのスピードはさっきよりも速くなっている。このままではアウラが危ない……。

「やめろーっ!」

 メルが振り解こうとするが、ディーネーの力は圧倒的だった。

 ファルが急降下してくる。

 アウラに迫るにつれて、メルにはそれがスローモーションのように鮮明に見えてくる。

 アウラに鋭い爪が襲いかかろうというそのとき、黒い影がとっさにアウラを守った。

 

「母さんっ!」

 それは、マリーだった。

「子どもたちを守るのが、親の役目だもの……」

 爪はマリーの背中をえぐり、見る見るうちに服が赤く染まっていった。

「母さん!」「マリー!」

 メルとアウラの痛切な叫びが重なる。

 アウラは雷に打たれたかのように、すべてを思い出した――。

 

     *

 

 広い広い平原だった。

 アウラの家族は、代々絆の民である人間たちと行動を共にしていた。

 動物と人間とが思いを伝え合い、手を取り合って生きる。

 いつか自分も信頼できる人間に出会い、絆の民との契約である「バインド」を行う日が来る。

 アウラは期待感に満ちていた。

 

 だが、悲しみは突然やって来た。

 見たこともない黒いオオカミと人間がやって来て、父を殺したのだ。

 それだけではない。

 兄や姉を残らず殺された。仲の良かった人間もだ。

 末っ子のアウラだけは助けてほしい、そう命乞いした母にも、あいつらは攻撃の手を緩めなかった。

 襲われたアウラは、母と絆の民の最期の力で、見知らぬ森の中へ飛ばされた。

 一人だけ生き残ったのだ。

 

「生きなさい、アウラ。あなたが私たちの希望だから……」

 母はそう言ってアタシを逃がしてくれた。

 母は……。

 アタシは思い出した。

 アタシは死ねない。

 あいつらを倒すまで!

 

     *

 

 アウラの全身に力が戻った。

 刺さっていた羽根は、もはやその力を失い、頼りなくふらふらと宙を舞う。

 母で最後にする。もう十分だ。

 マリーまで失いたくない。

 アウラの目に蒼い炎が燃え上がった。

 

「許さない」

 冷たく言い放ったアウラは、疾風のような速さで、飛行体勢に移っていないファルへ襲いかかった。

 その見えない爪と牙によって、一瞬で事は終わった。

「お、お見事……」

 言切れたファルを踏み台にして、すぐさまディーネーに飛びかかる。

 アウラの素早い動きに対応しようと、メルから両手を離すディーネー。

 メルが首に下げていたペンダントが、突然青くあたたかい光を放った。

 その中に、見たことのない足跡のような模様がはっきりと浮かび上がる。

 

 このあたたかさを、僕は覚えている――。

 

 メルはすぐに確信した。

「その子を助けて……お願い、メル」

 アウラと出会ったときに、そう懇願してきたあの光だ。

 

 アウラの思いが、アウラの痛みが、手に取るように分かる。

 それだけではない。メルは、すべての感覚が研ぎ澄まされていくのを感じた。

 

 力を貸して、メル!

 

 アウラの願いに反応して、目を凝らす。

 月明かりだけでも、投げ捨てられたナイフの在処が手に取るように分かった。

 これはきっと、アウラの力だ。

 

 半ば転げるように駆け寄って、ナイフを掴む。

(あイつ、オれヲなゲすテやガっタ。ぜッたイに、ユるサねエ!)

 怒気をはらんだナイフの声がはっきりと聞こえる。

 

 これは、現実だ。

 メルに驚きの様子は見られなかった。

 そう。

 動物と、アウラと会話できた時点で、なんでもありだと気付いていたんじゃないか?

 

「僕だって、許さない」

 

 いつの間にかディーネーは、槍を手にアウラと対峙していた。

 ファルを失った今、さっきまでの余裕はもうない、ということだろう。

 接近戦に持ち込みたいが、長い槍に阻まれて、アウラは思うように距離を詰められないでいる。

 だが幸いなことに、メルの存在にまでディーネーの注意は及んでいない様子だった。

 

 大きく息を吐き、メルは集中力を高める。その手は小刻みに震えている。

 人を狙ったことは、もちろん一度もない。

 だが、母さんを酷い目に遭わせたあいつは別だ。

 やらなければ、僕もアウラも、殺される。

 

「お前の役目は、誰かを倒すことではなく、動きを遅らせることだ」

 ふと、ジンクの言葉を思い出した。

 

 そうだ。

 僕は、アウラと一緒に戦うと決めたんだ。

(おレにマかセろ)

 気付くと、手の震えは治まっていた。

 

 牙や爪で仕留めるための間合いに持ち込みたいアウラ。

 槍の長さを最大限に生かし、鋭い突きや足払いを繰り出すディーネー。

 二人は激しい攻防を繰り返している。

 時折重なり合う二人の姿を、メルは不思議な感覚で見つめていた。

 どんなに素早い動きであろうとも、アウラには決してナイフは刺さらない。

 なぜなら、メルとアウラは今、同じ感覚を共有しているのだから。

「これが、バインド……絆の証?」

 

 まるで自分の体のように、アウラの次の動きが感じ取れる。

 だから、全身で念じた。

 母さんにしたことと同じことを味わわせるために。

「届け」と。

 

 メルが放とうとしたナイフは、その瞬間手の中から消え失せた。

 それは、なぜかアウラの前足――右手――に、ものすごいスピードで弾き飛ばされ、ディーネーの胸に深々と突き刺さった。

 

「かはっ……」

 突然の出来事に、ディーネーはなすすべもない。

 その手にあった槍は、獲物を見失い、力なく地に落ちた。

 

 メルのいるほうへ目をやりながら、アウラは驚きの声を上げた。

「ナイフが、急に目の前に……これが、メルの、絆の力なの?」

 

 メルは急いでマリーを抱きかかえ、アウラを見た。

 アウラはそれに応えるように、そしてメルには見せないように、ディーネーの喉元へ、その鋭い爪を立てたとどめを刺した

 

「まだ助かる。いいえ、助けるのよ!」

 ディーネーの胸から抜いたナイフをメルに渡し、アウラは村へ向かって走り出した。

「母さん……絶対に、助けるから。大丈夫、だから」

 マリーが苦しまないように、ゆっくりと背負いながら、メルは歩き出した。

 返事はない。

 メルはこらえきれず大粒の涙を流しながら歩いた。

 マリーはメルよりも小柄だ。

 重くはないはずなのに、足がもつれて何度も転びそうになった。

 初めてバインドの力を使ったからなのか、全身がひどくだるい。

 

 やがて、前からジンクとフロールが走って来るのが見えた。

 見慣れたその姿に安堵して、メルは静かに膝からくずおれた。