パドックで会いましょう 【完結】

Chapter 17 - 卒業アルバム 2

櫻井音衣2020/09/28 03:22
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「休みの日にね……飲むんですよ、ビール」

「そうなんか。それで慣れたんやな」

「多分……」


一緒にいてもいなくても、僕の頭の中はねえさんのことでいっぱいだ。

ねえさんは今、どこで何をしているだろう?

日曜日、ねえさんは競馬場に来るだろうか?

もしかしたら、もう会えないかも知れない。

あんなふうに僕の心と体に、たしかにそこにいた痕だけを残して消えてしまうなんて。

もう会えなかったら、僕のこの気持ちはどうすればいいんだろう?


「なんや……最近なんかあったんか?」


先輩はさきいかを噛み締めながら僕に尋ねた。

意外なその言葉に、僕は軽く首をかしげる。


「仕事の合間も、なんやボーッとしとるやろ?気になってたんや」


驚いた。

先輩は僕のこと、ちゃんと見てたんだ。

女の人のことばかり考えている人だと思っていたのが申し訳ない。


「僕、ボーッとしてますか?」

「なんちゅうか……どこ見とんねん!ってツッコミ入れたなるような感じや。目の焦点がうとらん」

「そうですかねぇ……」


ねえさんとのことを話したって、どうにかなるわけじゃない。

ただ、先輩の目から見てもわかるくらい、僕は落ち込んでいるってだけだ。


「なんや?女にフラれたんか?」


こういうことにだけは鋭いな、先輩は。


「フラれた……ってわけじゃないです」


何がなんだか、僕にもさっぱりわからない。

あの夜、ねえさんがなぜ僕にあんなことを言ったのか。

なぜ、僕と一夜限りの関係を持ったのか。

僕にはどうしてもわからないことばかりだから、その理由をこちらが教えて欲しいくらいだ。


「僕にもね、何がなんだか、さっぱりわからないんですよ」

「なんのこっちゃ……。おまえがわからんのやったら、俺にもわからんわ」


呆れたように先輩が呟いた。


「……ですよね」


僕はやりきれない気持ちを、ビールと一緒に喉の奥に流し込んだ。

ねえさん本人に確かめなければ、ねえさんの気持ちはわからない。

だけどもし問い詰めたところで、うまくかわされてしまうのかも知れない。

確実に言えるのは、『今だけ』と言ったと言うことは、ねえさんが僕と一緒にいる未来を求めてはいないと言うことだ。

ねえさんはあの夜、僕のことなんか好きでもないのに『今だけ』と言って僕を求めた。

それが無性に悲しくて、虚しい。

なんで僕はあの時、ねえさんを欲しいと思う気持ちを抑えきれなかったんだろう。

体だけ重ねたって、心がそこにないと虚しいだけだと、あとになって気付いた。

僕だけがどれだけ想っても、どんなに優しく抱きしめても、ねえさんの心は僕のものにはならないのに。


それから僕と先輩は、先輩が父親からもらったと言う、なかなか手に入らないと有名な日本酒を飲みながら他愛ない話をした。

先輩は彼女はいないと言うけれど、話を聞いていると特定の彼女がいないだけで、かなりの頻度でいろんな女の人がこの部屋を訪れているようだ。

やっぱりモテる男は違う。

僕なんかこの歳になって、この間ようやく初めて……いや、考えるのはやめておこう。

また虚しくなりそうだ。


「先輩はいいですね。女の子にフラれたことなんてないでしょう?」

「アホか、腐るほどあるっちゅうねん!」

「ホントですか?」

「おう、相手から付き合おうて言われて付き合っても、なんかわからんけど絶対最後は俺がフラれるねん。なんでやろ?」


なんだ、フラれるって意味が違うじゃないか。


「さぁ……?先輩に愛が足りないからじゃないですか?」

「おまえ、ホンマに言うようになったのう!でもそれな、キッパリとは否定できんわ。相手からなんぼ好きや言われても、俺がその子を本気で好きになれるかって言うたら、それはまた別の話やからな」


先輩はさりげなくモテ自慢をしていることを自覚していないようだ。

それだけモテてモテて、どうしようもないくらいモテまくりの人生なんだろう。


「先輩って昔からそんなにモテたんですか?」

「まぁ、たしかに子供の頃からモテたな。俺をめぐった女同士の修羅場も何回か見たし、バレンタインとかチョコばっかりアホほどもろて、しばらくチョコ見るのもイヤやて、小学生の頃から毎年言うてたもんなあ」


やっぱりイケメンは子供の頃からイケメンだ。

僕なんかバレンタインにチョコをもらったのなんて、母親と祖母と、近所のおばちゃんくらいだ。

やっぱり、モテる先輩が羨ましい。


「なんで世の中、こんなに不公平なんですかねぇ……」

「ん?なんや?」

「だってね……先輩はイケメンだから、特定の彼女を作る気はなくても女の人がバカみたいに群がって来るじゃないですか。だけど僕なんかね……本気でめちゃくちゃ好きな人でさえ、僕を本気で好きになってはくれないんですよ」


自分で言っておきながら無性に虚しくなって、僕はグラスに残っていた日本酒をグイッと一気に飲み干した。


「なんや、おまえ……片想いか?」

「そうですよ!悪いですか!」


僕はかなり酔っているんだろう。

頭の中ではどこか冷静なのに、言葉とか態度が自分でコントロールできない。

これには先輩も少し驚いているみたいだ。