パドックで会いましょう 【完結】

Chapter 5 - コンプレックスの塊 3

櫻井音衣2020/09/12 17:58
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「とにかく……僕は見た目こんなでも、男ですからね。男にモテても全然嬉しくありません」


そう言って僕がごはんの最後の一口を口に入れると、先輩は湯飲みを置いて腕組みをした。


「おまえ、女にモテたいんか?それとも好きな女でもおるんか?」


今の僕には好きな女の子なんていないはずなのに、『好きな女』と言う先輩の言葉に、一瞬ドキッとした。

なんだこれ?

なんだこのドキドキは?!


「そりゃまあ……人並みにはモテたいですよ」

「彼女欲しいんか?」

「……欲しいです」


ええ、欲しいですよ。

欲しいですとも、ものすごく。


「じゃあ、今度合コンセッティングしたる。それか紹介の方がええか?」

「お任せします……」


本当は合コンとか紹介なんて苦手だけど、今の僕にとって新しい出会いは貴重だ。

先輩の紹介してくれた相手が僕を好きになる保証なんてないけれど、ねえさんが言ってくれた通り、せめて堂々としていよう。



午後3時の休憩時間、僕は先輩に自販機コーナーへ連れ出された。

自販機コーナーはお茶休憩をする人たちで賑わっている。

先輩に飲み物の入ったカップを差し出され、僕はお礼を言ってから、その甘い香りに一瞬首をかしげた。

なぜゆえにミルクココア?

もしかしてコーヒーも飲めないほど子供だと思われてるのかとも思ったけれど、先週は一緒にコーヒーを飲んでいたことを考えると、おそらく先輩は、僕が身長を伸ばしたいと今も思っているのを知ってカフェインを気にしたんだろう。

無駄な気遣いのような気もするが、こういうところはいい人だと思う。


「今週の金曜の夜、空けとけよ」

「え?金曜ですか?」

「おまえの望み通り、合コンやったる」


は、早い……!!

合コンしてやるって言ってからまだ2時間半ほどしか経っていないのに、もうセッティング済み?


「おまえ、女と経験ないやろう?」

「……男もありませんけどね」

「おまえみたいなやつはな、最初は歳上の女の方がええねん。可愛がってもらえるからな」


可愛がってもらえるって……。

僕はペットでもゆるキャラでもないんだけどな。


「誠に不本意なんですが」

「ええねん、最初は慣らしてもらえ。そこでいろいろ学んだらええ」


……やっぱり不本意なんですが。

たしかにあれこれ経験してみたいと言う気持ちがないわけじゃない。

いや、大いにあるけれど、だ。

僕はそれより、ただ純粋に恋愛がしたい。

……なんて言ったら、少女趣味だとか思われて、また子供扱いされるんだろうか。


「とりあえず金曜の夜、空けとけよ」

「わかりました……」


せっかく先輩が気を遣ってくれたんだから、断るのも申し訳ない。

おそらく僕に拒否権などないんだろう。

僕は自分から積極的に出会いを求めて行けるタイプではないし、ここは素直に先輩の話に乗っかるとしよう。




なんとか無事に今週の仕事を終えた金曜日。

定時が近付くにつれ、僕はソワソワして落ち着かなかった。

一体どんな人が来るんだろう?

なんとなく、イヤな予感もする。

今までだってこういった機会は何度かあったけど、歳上の女の人からは可愛いだのなんだのと頭を撫で回されて、それで終わりというパターンが多かった。

僕を仔犬か園児と勘違いしているのかと、腹が立ったこともある。

可愛いなんて言われて喜ぶ成人男性、いないだろう?

いくら相手が歳上でも、それは喜べない。

僕だってもう社会人だ。

小柄でも童顔でも成人男性だ。

人並みの恋愛願望だって、性欲だってある。

いい加減、可愛いだけの男からは卒業だ!



……なんて、意気込んではみたものの……。

先輩の友人らしき女性たちは、実際の年齢よりもずっと大人に感じた。

いや、違うな。

大人と言うよりは老けて見えたと言うか、言い方は悪いがケバく見えた。

きっちり化粧をして、小綺麗な服を着て、高そうなブランドバッグを持っていて、僕が苦手な強めの香水の匂いがした。

そして案の定僕は、ちっちゃい、可愛いと撫でまわされ、仔犬か園児扱いだ。


彼女たちは僕が関東出身なのが珍しいのか、地元の神奈川だけじゃなく、東京のことばかり尋ねてきた。

関東イコール東京じゃないって。

僕は大学卒業まで地元にいたから、東京のことなんてあまり知らない。

正直に『よく知らない』と答えると、あからさまにがっかりされてしまう。


居心地悪い。

香水臭い。

彼女らの鼻にかかった声が癇に障る。

何を話しても疲れるばかりで面白くない。

ビールもちっとも美味しくない。

早く帰りたい。

そんなことばかり考えてしまう。


ビールをチビチビ飲みながら観察しているうちに気付いたのは、結局この人たちは、僕なんかにはまったく興味がないってことだ。

そりゃまあそうだろう。

そして、みんな先輩狙いなんだと言うことは明らかだった。

僕をだしに先輩に取り入ろうって魂胆だな。

先輩がいくら僕に気を利かせてくれたところで、結局僕は先輩の引き立て役にしかならない。

なんだ、この惨めな感じ。

やっぱり男は見た目なんだよ。

なんかもう、どうでもいいや。

僕だってこの人たちにはまったく興味がない。

うわべは綺麗に見えるけど、化粧を落とせば別人なんじゃないの?……なんて、意地の悪いことを考える。


つまらない。

無理やり作られた出会いなんて。

それよりもっとつまらないのは、人を羨んで妬んでばかりの、卑屈で情けない僕。

背が低いとか童顔で子供みたいだとか、そんなのは、ただの言い訳に過ぎない。

見た目がどうだって、中身がこんなんじゃ、誰にも好きになってもらえるわけがない。

こんな僕に一番嫌気がさしているのは、ほかでもない僕自身だ。

僕はまた、背中を丸めて下を向いた。



ようやく合コンが終わり、二次会を断って帰路に就いた。

電車に揺られながら、また窓に写る自分の顔を眺めてみる。

情けない顔だ。

吐き気がする。

思わず視線を真っ暗な窓の外の景色に移した。

線路沿いに並ぶ桜の木が、残りわずかな花びらを散らしている。

桜は咲いているときだけでなく散り際も美しい。

おまけに誰からも愛されているなんて、羨ましい限りだ。

だから花が咲かない季節でも堂々と佇んでいられるのか。


『背が高いとか見た目がどうとか、そんなことよりもっと大事なことがあるわ』


不意に、ねえさんの言葉を思い出した。

ほんの少しの間、僕を抱きしめてくれたねえさんの温もりが蘇る。


『もっと自分に自信持て!』


また、ねえさんの言葉が脳裏をかすめた。

持てる自信なんて、僕のどこにあるって言うんだ。

少なくとも今の僕には、自信なんて一欠片もないじゃないか。

ハッタリでもいいから堂々としていろなんてねえさんは言ったけど、そんな気力もないよ。

こんな姿、ねえさんには見せられないな。

……ああ、そうか。

見せるも何も、また会う約束をしたわけでもないし、よく考えたら、名前も歳も、どこに住んでいるのかも知らない人じゃないか。

僕がねえさんのことを何も知らないように、ねえさんも僕のことを何も知らない。

それなのになぜ、ねえさんはあんなにも僕の心を温かくしてくれたんだろう?

僕はなぜ、こんなにもねえさんのことを考えているんだろう?

なんだか無性に、ねえさんに会いたい。




土曜日はお昼前に目が覚めた。

まだ慣れない仕事のせいで疲れていたのか、それとも夕べの合コンでのダメージからか、外に出る気にはなれず部屋にこもって過ごした。


昼下がり、退屈しのぎにつけたテレビからは競馬中継が流れている。

ねえさんは今日も競馬場にいるだろうか。

おじさんとパドックで会った時、週末一番長い時間を共にするのはおじさんだとねえさんは言っていた。


夕べ僕は、無性にねえさんに会いたいと思った。

けれど、ねえさんに会ったからと言って、何になるだろう?

情けない僕を抱きしめて慰めて下さいとでも言うつもりなのか?

それこそ情けないじゃないか。

ねえさんだって大人の女の人だ。

僕のことなんて、頼りない弟とか、弱くて放っておけない仔犬くらいにしか思ってないだろう。

ねえさんはきっと、たった一日競馬場で一緒にいただけの僕のことなんて、すぐに忘れちゃうんだろうな。

それでも会いたいと思うのは、なぜだろう?