Chapter 4 - コンプレックスの塊 2
「今日、楽しかった?」
「すごく楽しかったです」
「そら良かった。今朝はガラの悪いやつに絡まれとったし、小鹿みたいにビクビクしてかわいそうやったもんなあ」
小鹿みたいって……。
それは弱くて小さくて頼りないってことか?
みっともない所を見られたもんだと、いまさらながら恥ずかしい。
「あれは怖かったですよ。でも、そのおかげでねえさんにもおじさんにも会えたし、まぁいいかなって思います」
「前向きやな。ええこっちゃ」
ねえさんは笑いながら、僕の背中をバンバン叩いた。
「いつもそうやってな、背筋伸ばして顔上げとき。ちょっとは男前度が上がるわ」
「男前度……ですか?」
「そう。少なくともな、ずっと下向いてため息ばっかりついてる男よりは、ハッタリでもええから堂々としてる男の方が、アタシは好きやで」
堂々としてる男の方が好き?
そんなことを言われたら、単純な僕は少しでもねえさんに近付けるならと、反り返るほど背筋を伸ばして大股で歩いてしまいそうだ。
「ねえさんがそう言うなら、これからはそうしようかな」
「そうしとき」
「それで少しはモテるようになれば、言うことないんですけど」
少し酔っているせいか、不意に本音がこぼれ落ちた。
ねえさんは笑う。
「なれるなれる。頑張ってアタシが惚れるくらいのええ男になりや」
「どれくらい頑張ればなれるのかなあ……」
思わず呟くと、ねえさんは笑いながら僕の頭をポンポン叩いた。
「そんなこと言うてるようやとまだまだや。そんなん言うてるとこ見ると、アンチャンは恋愛の方もアンチャンやな?」
僕は思わず立ち止まった。
たしかに僕は、恋愛したことも、女性経験もない。
ねえさんから見れば、僕なんてまるきり子供なんだろう。
大人の男なら上手な口説き文句も知っているんだろうけど、僕はそんなハイレベルなスキルは持っていない。
見たままの僕でしかないのが悔しい。
こんなことが僕にとって一番のコンプレックスだなんて、ねえさんは知らない。
何気なく言ったはずのねえさんの一言が、僕には『女も知らないつまらない子供だ』と言われたように聞こえた。
「僕は背も低いし、童顔で子供みたいで、口もうまくないですからね。今まで好きな子がいても、フラれるのが怖くて告白する勇気もなかったんです。恋愛したことも、女の子と付き合ったこともないけど……いけませんか?」
下を向いてこんなことを言う自分が情けなくて、拳を握りしめた。
「ん?アカンことないよ。でもな、背が高いとか見た目がどうとか、そんなことよりもっと大事なことがあるわ」
ねえさんは華奢な腕を伸ばして、僕をギュッと抱きしめた。
「もっと自分に自信持て!」
そのあと、駅前で人と会う約束をしていると言うねえさんとは改札口の前で別れ、一人で電車に乗った。
真っ暗な夜の街を走り抜ける電車の窓に写る自分の顔を、思わずじっと眺める。
自信持て、か。
……ヤバイ。
またドキドキしてるよ……。
まさかあんなふうに抱きしめられるとは、思ってもみなかった。
ねえさんは温かくて柔らかくて、いい香りがして、少しだけお酒とタバコの匂いがした。
女の人に……いや、ねえさんに抱きしめられるって、こんなに気持ちいいんだと思った。
ねえさんが抱きしめてくれたのはほんの少しの間だったけれど、僕はどうしようもないくらいドキドキして、ねえさんを思いきり抱きしめたい衝動に駆られた。
だけど僕は拳を強く握りしめて、その衝動を必死に抑え込んだ。
あれはかなりヤバかった。
僕のなけなしの男の本能が、暴れだしてしまいそうだったから。
僕ってホントに、女の人に対しての免疫がない。
こんなんでこの先、彼女なんてできるんだろうか。
今日初めて会った人がこんなにも気になるなんて、自分でもどうしてだろうと思う。
今日一日一緒にいたと言っても、競馬のことを教わったくらいで、それ以外たいした話はしていない。
そう言えば不思議なことに、ねえさんとおじさんは、居酒屋でも競馬の話と世間話くらいしかしなかった。
お互いのことはあまり話さないみたいだ。
それは僕に対しても同じで、どこの出身なのかとか、歳はいくつだとか、どんな仕事をしているのかとか、どこに住んでいるのかとか、それどころか名前すらも聞かなかった。
だから僕も聞かなかった。
今日一日一緒にいたからと言って、特に親しくなったわけでもない。
もしかしたら、もう二度と会わないかも知れない。
また会うかどうかもわからない相手には、深入りしないのかも。
それが暗黙のルールなのかな?
翌日の昼休み。
僕は約束通り、先輩に昼飯を奢ってもらった。
会社のそばの安い定食屋の日替わり定食だ。
安くて速くて量が多くて美味しいから、いいんだけどさ。
先輩は男の後輩にはお金を遣わない主義なんだな。
しかしイケメンと言うのは、安い定食屋で焼き魚を食べているだけでも絵になるもんだ。
男はやっぱり見た目か?
「先輩、身長何センチあるんですか?」
「身長?182やったかな」
182もあるんだ……羨ましい。
一体何を食べればそんなに大きくなれるんだろう?
「なんや、急に」
「背が高くていいなぁと思って」
先輩は味噌汁で口の中のご飯を流し込んで、向かいに座っている僕をチラッと見た。
「あー、悪くはないな。おまえは?」
「163.4です」
僕がミリ単位まで身長を言うのがおかしかったのか、先輩はきんぴらごぼうを箸でつまみながら吹き出した。
「俺、中1の最初にはそれくらいあったぞ。成長期逃したんか?」
成長期はあった。
あったけど、期待していたほどは伸びなかったっていうだけだ。
「これでも伸びたんですよ。僕、生まれた時から小柄で、中1の最初は150もなかったんですから」
「ほーぉ。のびしろが足りんかったか」
世の中は不公平だ。
先輩は顔がいいだけでなく、背も高くて何もかもがカッコ良くて、僕にないものをたくさん持っている。
「これからでも伸ばせないかな……。せめて170くらいは欲しいんですけど」
「ハタチ過ぎても伸びるヤツもおるけどな。せいぜい何ミリか、よう伸びて1センチやろ」
「やっぱりそうですよね……」
先輩を追い越すほどとはいかなくても、せめて日本人の成人男性の平均身長くらいは欲しい。
だけど数ミリじゃとても追い付かない。
「そんなに気になるんやったら、毎日牛乳飲んでめざし食うて、日光浴でもしとけ。成長促進するサプリとか健康食品なんかもあるはずや」
「へぇ……」
そんなありがたいものがあるのか。
よし、あとでネット検索してみよう。
「そんなに背が気になるって、なんか理由でもあるんか?」
「いっぱいありますよ。僕は背が低いだけじゃなくて童顔ですから。どこに行っても年齢確認されるんです」
「ほう、それから?」
「背の高い女の人にはちっちゃくて可愛いとか言われるし……。同級生の女の子からも弟みたいだとか言われて、全然男として見てもらえないし」
先輩はお茶を飲み込んで、にやっと笑った。
「おまえ、男に迫られたことあるやろう?」
「なんでわかるんですか……」
思えば僕のモテ期は、男子校に通っていた中学から高校の6年間だった。
ただし、相手は男ばかり。
残念ながら僕にはソッチの趣味はないから、付き合ってくれと何度迫られても頑なに拒んだ。
たまに強引な男に襲われそうになりながらも、なんとか必死でこの身を守ってきたんだ。
「いかにもソッチの趣味の男に好かれそうな顔しとるもんなあ。この際やから、ソッチの世界に飛び込んでみたらどうや?」
先輩はほんの軽い冗談のつもりで言ったんだろうけど、僕は何度となく経験した恐怖体験を思い出して、背中に変な汗が流れた。
「やめて下さいよ……。優しくて頼りになるいいやつだと思ってた友達に、ある日突然好きだって押し倒されて、襲われそうになるんですよ。もうあんな恐怖は二度とごめんです」
「そら怖いわ……。すまん、もう言わん」
女の子にモテる先輩にはまったく縁のない話なんだろう。
本気でドン引きしている。