雨宿り(第一話)待たされている女

Section 2 - 第二章 雨音

進藤 進2022/02/04 06:12
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窓に叩き付ける強い雨音を聞きながら、男は白い煙を漂わせている。


女は男の肩に頭をもたれさせて、独り言の様につぶやいた。


「今度の誕生日で二十九になるわ・・・。」 


男が顔を横に向けると、女は顔をそむける様にして枕に顔をうずめた。


「悪いと思っている。もう少し・・・待ってくれないか。」


同じ台詞を何度聞いたであろう。

礼子はその言葉を枕の中に沈めた。


雨の音だけが部屋の中に響いている。


いつからだろうかと、瀬川は思った。


いや、考えてみれば最初に抱いた時からこんな重苦しい雰囲気を女は持っていた。


メガネをとった素顔は意外に美人で、背も高くプロポーションも良い。


そんな彼女が、社内でオールドミスのお局様として取り残されようとしていた。


付き合いだしてもう3年になるが、礼子は生まれつき自分の容姿に、コンプレックスを持っているらしかった。


子供の頃から視力が悪くメガネをかけていて背も高かったので、男の子達にはからかわれこそすれ、モテタと思った事は一度も無かった。

特に、恋愛には臆病だった。


スタイルもいいんだからもっと着飾れば良いと思っていたが、瀬川はあえて好きにさせていた。


彼にとって化粧映えする女は飽き飽きしていたし、社内で極秘に付き合うには礼子の美しさが目立たない方が好都合なのだ。


ただ、男にはこの暗さがやりきれなかった。 


最初の内はおとなしさがウブな感じがして新鮮だったのであるが、自分が離婚しない事を暗に責められているようで妙に苛立つのだった。


最近では仕事の忙しさを理由に、瀬川が買って住まわせているこのマンションにもあまり通わなくなってきている。


女も雨音を聞いていた。


久しぶりに男がやってきたというのに少しも心が満たされなかった。


あれ程寂しくこがれていた男であるのに心にあいた穴はポッカリ開いたまま暗闇の中に溶け込んでいるのであった。


男に結婚する気は無いと最初から分かっていた事であった。


口癖の様に言う男の台詞は二人にとって、一種の儀式でしかない。


今の成功と将来の地位を男が捨ててまで、自分を愛してくれている等と想像する程若くは無かった。


独占したいとは思わなかった。

ただ・・・寒いのだ。


一人で眠るのには冷たい季節になろうとしていた。

特にこんな日は雨音が心にしみる。


女は雨が嫌いであった。


自分が美しいと思った事など無かった。

劣等感を抱いたまま青春期を過ごした。


瀬川が初めての男であった。


入社した時から、背が高く自信満々の甘いマスクの男に自分に無い物を感じて憧れていた。


瀬川の秘書の様な今の仕事をし始めた頃、大きな商談が成功した夜、半ば強引に食事に誘われた。


慣れない酒に酔ってポーッと顔を染めていると、瀬川の力強い眼差しが心を捕らえて離さなかった。


その夜、礼子は女になった。

うれしかった。


瀬川の愛の囁きが音楽の様に心を溶かしていった。


会える日が楽しみだった。

待つのが・・・幸せな時だった。


瀬川もこの少し暗いが従順で、自分しか知らない美しさを密かに持っている女が愛しかった。


いつも神経を磨ぎ澄ませていなければならない地位と、社長の娘である妻との間のストレスを埋めるにはちょうど良い存在であった。 気がついたら3年の間ズルズルと関係を続けていた。


愛って何だろう。

礼子はいつも考えてしまう。


確かに瀬川は自分の様な女に、素直に愛をぶつけてくれている様に思う。


地位も金もあり、デートにも高級でおしゃれな店に連れていってくれる。


このマンションさえ与えてくれている。

これ以上何を望めると言うのだろう。


灰皿を取ろうと男は立ち上がり、本棚に飾ってある人形を見て言った。


「何だ、この人形・・・気味悪いな。」


古ぼけた人形は少し汚れていて、ピエロの様な赤い縞の服を着ていた。


それなのに黒縁のメガネをかけているのが異様だった。

どう見ても品の良い物ではなかった。


女は顔をずらす様に見上げると、ため息に似た声を出した。


「昔の物を整理してたら、でてきたの。」


男はタバコをもみ消すと、吐き捨てる様に言った。


「いくら何でもこんなの飾っとくなんて、趣味がわるいぜ。」


「小さい頃、お父ちゃんが酔って帰ってきた時におみやげに買ってきてくれたの・・・。すごいセンスでしょ。あんまりバカバカしくて取っておいたの。でも、見てると何だかホッとするの・・・。」


男は興味が無さそうにベッドに潜り込むと、女に背を向けて言った。


「お父ちゃんか・・・まっ君がそう言うんならな。」


やがて小さな鼾をかき始めた。


女はそっと、スタンドの電気を消した。

暗闇の中、人形をじっと見つめている。


雨の音が男の寝息と重なっている。


今度男はいつ、来るのであろう。


人形は何も言わず、奇妙な微笑みを女に投げかけている。


(今年で二十九・・・か。)

女はため息をつくと、シーツをたぐりよせた。


(寒いわ・・・二人なのに・・・。)


そして、少し濡れた長いまつ毛を伏せると眠りに落ちていった。