終末歌姫の黙示録

Chapter 2 - 悪魔~カデンツァ(ある一人の音楽教師による)

須賀川めねす2020/08/05 12:49
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「カノン」は、広大な平原の真ん中で、大の字で寝ていた。

(……何か、変な夢を見ていたような気がする。転生がどうとか、悪魔がどうとか…走馬灯みたいな動画を見せられた気もする。そもそも私、たしかに自殺したよね。どこからが夢?ここ、どこだろう。周りは草しか見えないし、こんな所で寝る習慣はないかな…ここもまた、夢?)

そう思って眠い目をこすっていると、大きな画面のついたキーボードが彼女の目の前に現れた。

と思うと、それはいきなりドーン!!という低音から始まる超高速の曲を奏で始めた。

リスト・超絶技巧練習曲1番のけたたましいメロディを奏でたそれは、彼女の眠い目を覚ますのに十分だった。

「うるさーーーーーい!!」

カノンがそう叫ぶと、キーボードは「ジャーン」と叫びに対して呼応するように和音を奏で、音を停止させた。C(ドミソ)の和音である。

なにもない所に突然現れたキーボードに注意を払っていると、キーボードに取り付けられた液晶のような画面に、「おはよう」という表示がされた。

変な夢はまだ続くのかなと、彼女は「おはよう…?」と元気なさげに漏らす。

「おはよう、カノン。ミケだよ~。うるさくしてゴメン。異世界での初日の暮らしはどう?おなかすいてない?地球の時間で言うところの70時間くらい寝てたから結構限界だよね。残念だけどお菓子をそっちに送ってあげるのはルール違反だからさ、頑張って自分の力でなんとか食いつないでほしいな。」

キーボードの液晶画面にはそのようなことが表示された。文字は線や三角や四角のような図形を組み合わせた見たことのないものであったが、なぜか理解できた。

というより、"聞こえて"きた。

カノンは、眠りにつくまでの記憶を辿っていく……

「異世界…そう、ここが異世界!!」

カノンは、今までの事が夢ではないことを確信して叫んだ。と同時に、グ~とお腹の音が鳴った。

キーボードの液晶画面を畳み、「よっこいしょおっ」と持ち上げる。配信者時代の癖である。動作一つ一つにセリフを付けるのがかわいいとされた。あたりに"耳"をすませ、何か食べられるものを探すことにした。

(悪魔も、お腹が空くのかぁ…)

カノンの目を覚まさせるのに十分な大音量を鳴らしたキーボードは、200g程度しかないように感じられた。身長139cmと小さい彼女が小脇に抱えて運ぶのに苦労しなかった。

しばらく歩くと、カノンの十倍くらいは背丈のある木が群生する森が見えたので、そちらに向かうことにした。

虫の声を意識して遮り(虫は見たくもないし食べたくもないので)、木や草の音に集中していると、周りから聞こえてくる植物の"音"に変化があった。

「とりあえず、何か食べられるものを探そ、このへんの木や草は食べられないって"言ってる"し…あ、あれは食べられそう!」

そこには穂の部分が青い、ねこじゃらしのような草が群生していた。摘み取って食べると、薄い味のブドウに近い味がした。種が多かったが、噛み砕いても問題はなさそうだった。

カノンはお腹いっぱいそれを平らげると、そばに生えていた10mくらいある木の陰で体を休めた。森を歩いた疲れが一気にやってきたようだった。

これからどうしよう…そもそも、ここはどこ?周りに人間らしい"音"はまるでしないけど…

とカノンは考えていると、遠くから獣の咆哮のようなものが聞こえてきた。それは、辺り全体を敵意の音で覆った。普通に素手で戦えば絶対に勝てないということを、その咆哮は主張してきた。


(……周りに誰も居なかったのは、コイツのせい!?)


とにかく、逃げよう。



……カノンはそう思いながらも、その獣のような大きい存在はこちらに気付いていないことを"音"で確信する。

周りに生えているねこじゃらしもどきの穂を、せっせとかわいらしいキャラクターの絵があしらわれたポーチに詰め込んでいた。

というか、逃げるってどっちに?というくらいその獣の力は強大に感じた。

ポーチは筆箱が入るか入らないかくらいの大きさだったので、さっき食べた量と同じくらいしか入らなかった。

と、あらかた詰め終わった次の瞬間。

地面に生えていたねこじゃらしもどきが、次々と大きな音を立てて爆発し始めた。

「ギャア!?!?」とカノンは、必要以上に大きな叫び声を上げた。ゲーム実況をやっていた時の癖である。叫び声が大きければ大きいほど、ウケたのだ。

カノンは急いでキーボードを持ち上げると、その場から走り抜けた……

(やられた。遠くにいるおっきいのに注意を払いすぎて、周りのねこじゃらしの"音"がどんどん大きくなっているのに気付いていなかった……)

急いでポーチの中にある穂の"音"を確認したが、枯れ木のように静まり返っていた。カノンはこんなときでも、ポーチが汚れることを気にしていた。お気にだったのだ。

森中に響いた絶叫が聞こえたのだろうか。大きな獣が、殺意を伴った不快なメロディを放ちながら、こちらに近づいてくる…それはどんどん大きくなり、もはや"調律"の力など必要ないくらいに周囲の異常が感じ取れた。

遠くに見える木が、葉っぱを撒き散らしながら砕け散る。

逃げ遅れたのだろうか、足を怪我した鳥のような生き物が、声をあげる暇もなく血を全身から吹き出し惨殺死体となる。

カノンは頭が真っ白になった。20秒間棒立ちの状態になり……ここであることを思い出す。

ミケが人の精神を自在に操ることができると言っていた、"調律"────それは獣や魔物にも通用するのではないか?

急いでキーボードの蓋を開け、カノンの中の魔力を込める…この時初めて、カノンは自分の中に魔力というものがあることを意識したが、不思議とカノンの魔力は周囲に漏れることなくキーボードに吸い込まれた。短い一曲のエチュードの展開を聞くように、自身の中にある魔力の流れを、カノンは"聞く"ことが出来ていたのだ。カノンの中の魔力はありふれたJPOPのコードを紡ぐように、いとも簡単にキーボードに作用し、キーボードの電源をONにさせた。キーボードの蓋がタブレットPCの液晶画面のようになり、そこにはボタンがいくつか表示された。

キーボードにある、左から「調律」「ステータス」「メッセージ」「アラーム」「プリセット」「電源」の6つのボタンのうち、一番左の「調律」のボタンを渾身の力を込めて連打した。たぶんこれを使って、対象の精神操作を行うのだろうと、そうゲーム的にカノンは判断した。


すると…何も起きなかった。


(え?これ、これって、これで、精神を自在に操れる感じのボタンじゃないの…?)

獣のようなものは、既に100m先くらいに居た。それが通った後には、抉れた土しか残っていなかった。

(私の二度目の人生…終わった────)

カノンは錯乱する中、キーボードで泣きながらハ長調のカデンツのメロディを弾いた。「終止系」である。

(このキーボード、弾いたのこれが初めてだけど、いい音するなあ………もっと弾いておけばよかったなあ………ははっ、なんか、なにもかも、どうでもよくなってきちゃった。だって、もう、一度死んでるし。)

カノンは、完全に幼児退行していた。

「ドレミファソラシド、レ、ソ、ド。一度、五度、二度、属七、一度。これが、応用のカデンツね。あ~ら奏乃子ちゃん、難しいのによくできました!!ぱちぱちぱち~~」

3歳の時に教わっていた、笑顔の素敵な、でも怒ると怖いピアノの先生の顔を、カノンは走馬灯のように思い返していた。

(自分で決めて、自分で死んで、それで生き返ってまたすぐ死ぬなんて、それじゃ一回死ぬ前となんも変わらないよね…なんのために、転生したんだっけ……自分のことを守れなきゃ、なにも、なにもできないよ……)

ドレミファソラシド、レ、ソ、ド

ドレミファソラシド、レ、ソ、ド

ドレミ♭ファソラシ♭ド、レ、ソ、ド

ドレミ♭ファソラシ♭ド、レ、ソ、ド

ドレミ♭ファソラシ♭ド、レ、ソ、ド……


カノンは、自分で何をこんな牧歌的な曲を弾いているのだと悲しくなり、その曲を短調に編集した。

(はは…これで、いいや)


そうして、何度その旋律を繰り返しただろうか…一度自殺をする覚悟を決めたというのに、死ぬのがこんなに悲しいだなんて。

前が見えていなかった。手は勝手に、和音を繰り返していた。

目の前に角を生やした筋骨隆々の獣が、カノンの3mほど先で立ち止まり、同じように涙を流していたのに気付いたのは、それを十分ほど繰り返した後だった。