終末歌姫の黙示録

Chapter 1 - 転生〜エリーゼのために

須賀川めねす2020/08/05 08:07
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元・バーチャルアイドル「カノン」こと橘奏乃子たちばなかのこは、11歳という若さでバーチャルアイドルとしての仕事で精神的に疲弊し、この世の人間に絶望し、自殺していた。




何もかもが「嫌い」になっていたので、一片の悔いもなく、あっけなく、しかし死ぬ瞬間は残酷に、自殺していた。









奏乃子は確実に死ぬ方法で、確かに自殺していたはずなのに、気付いたらおしゃれなカフェの店内のようなところに居て、そこにあるテーブル席の椅子に座らされていた。

椅子はふかふかしていて座り心地がいい。店内…のようなところは薄ピンクの照明で彩られ、見たこともない観葉植物やクラゲのような生き物が入った水槽が、幻想的な雰囲気を醸し出していた。カーテンは締め切られていた。外からの明かりは入ってきていない。





対面の席には軽いウェーブがかかっているピンクの長い髪をツーサイドアップでまとめた、顔立ちの整ったモデルみたいな女の人が、色とりどりのフルーツが乗ったパンケーキをもっさもっさと食べていた……







(…ここで、私は、何をさせられるのか。何のために、連れてこられたのか。そもそも…この人、誰?)





奏乃子がじい…とその女性を見つめても、彼女は変わらずパンケーキをマイペースに頬張り、紅茶をすぅ、とすすっていた。





(わけが、わかりません。)







人がお菓子を咀嚼している様を眺めるのが自殺をした私への罰なの?と五分ほど眺めていると、「あ、次の方~。こちらをどうぞ」と軽く白い布を羽織っただけのその女の人から、手鏡のようなものを渡された。



「あたしは今回かのこちゃんの担当をやらせてもらうことになった死神のミケーラ・ベネデッティ。ミケでいいよー、よろしくねっ」



「…ミケ、さん。この鏡は?ここはどこですか?」



「かのこちゃんのこれまでの人生を映してくれる便利な鏡~?みたいな。あ、大事に扱ってね、壊したらオイちゃんがめっちゃ怒鳴ってくるからほんっと丁寧にね。見終わったら教えてっ。あ、そうだ、ここの説明がまだだったね。ここは煉獄って所でさ、んっと…まぁゆっくりしてってよ」



そう言うと、目の前のやけに距離感が近いお姉さんは紅茶を飲みながら、また一息ついていた。







奏乃子としては自殺を決意し、死んで、間髪入れずに得体の知れない手鏡を見せられているという状態であった。煉獄って何?なんで私の名前を知っているの?などのことを聞く気にもなれずただただ俯き、それを眺めていた……



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小学五年生、橘 奏乃子は、バーチャルアイドルであった「天才ピアニスト」こと彼女は、3歳の時からピアノ等多くの英才教育を受ける。

6歳での発表会でクロード・ドビュッシーの「デルフィの舞姫」を巧みな表現力を持って演奏し、周囲から「天才」と持て囃された。

しかし、彼女は「ピアニスト」として大成することはなかった。











 9歳の時分から、ゲームやアニメ、動画サイトを見ることに彼女の興味と時間は注がれていく。





ある日ピアノの演奏動画を見て、「これなら私の方がうまいんじゃない?」と思い、試しに当時インターネットで流行っていた曲を10分程度で耳コピし──そこには印象派的な激しい、「ドゥルルルル」とコメントされるような音のおかずが多く含まれた──それをスマホで撮影し、動画サイトに投稿した。







人気の曲であるということとその曲の演奏動画が少なかった(奏乃子がよく使う、ドラムをピアノの低音で再現するという技術が出来なければその曲の演奏動画はとても薄っぺらいものになったことから、インターネット上のピアノ弾きから敬遠されていた)こともあり、彼女はこれをきっかけに一躍ネット上で有名になった。



並行して始めたゲーム実況も、そこそこの人気を得ていた。幼い女の子が、高難易度のゲームに悪戦苦闘するという動画はそれだけで一定数の「需要」があった。







そうして演奏動画や、ゲーム実況の投稿に完全にドハマりしていった。が、別段それが金になるということもなく、あくまで趣味の範囲内であった。



週一で受けるピアノのレッスンは前日に1時間課題として与えられた曲を練習(30分練習して3時間ゲームをしてまた30分練習してご飯を食べて寝るといった具合である)する程度になっていた頃、バーチャルアイドル運営会社からスカウトの声がかかったのであった。







運営会社の本部に呼ばれ、そこで30分程度の面接を親同伴で行った。難しいことはわからなかったので、コンプライアンスや収益に関わることは親に任せることにした。

親と面接官との話を聞く限りでは、どうやら既に彼女がバーチャルアイドルとしてデビューすることは半ば確定しているようだった。







簡単な自己PRをしただけで出番が終わってしまった彼女は純粋に、流行りのバーチャルアイドルに自分もなれる!という期待のみが心にあった。

地味な顔立ちである上に、おしゃれとも無縁だったので、今までの配信者活動では顔出しはしていなかった。首から下を出したりはしていたが。







それから二週間ほど後、新しいバーチャルアイドル「カノン」が運営会社から発表され、奏乃子に与えられた。

きれいな赤い目をしていて、長い黒髪をゆるくウェーブのかかった二つ結びにし、前髪には五線譜をモチーフとした髪飾りがつけられ、王族のように豪華なドレスを纏うその見た目は、彼女の好みにこれでもかというほどマッチした。





多額の予算をもって彼女に与えられたアバター「カノン」は、運営会社によって巧みに編集されたゲームの実況に加え、プロ顔負けと言われる演奏動画や弾き語り動画で人気を得る。

彼女の10歳という年齢からくる声の独特の抑揚や、年相応の語彙そして身勝手さ、流行りのゲームを視聴者と一緒に遊ぶという親近感を感じさせるカノンの配信スタイルは、幅広い年齢層のファンの熱狂的な支持を受けた。





だが、そのファン達によって、彼女の心は蝕まれていくこととなる。







ファンが増え、彼女への支援金額が指数関数的に伸びていくのに従い、「俺達がカノンちゃんを支えている、俺の"解釈"が絶対である」というようなことを主張する者が現れた。



彼らは、小学生に見せられないようなセクハラコメントを平気で書き込んだ。



彼らは、彼女の言動一つ一つを切り抜き、少しでも粗があれば「お気持ち表明」という形で長文による批判を繰り広げた。



彼らは、彼ら同士で行き場のない議論を重ね、カノンの手の届かないところで暴れ続けた…







日に日に気が病んできた奏乃子であった。しかし、彼女は死ぬまで配信をやめることはなかった。



運営会社に次から次へと動画のネタを渡され、それをこなすことでお金がかなり手に入るということ。

「またゲームばっかりやって…」と奏乃子を叱るばかりであった両親が、それによって随分と裕福になり、天才と持て囃された6歳当時のようにたくさん褒めてくれるようになったこと。







自己中な上にキモい男共……こいつらはこいつら。私は私で、お前らは関係ない──私が配信をやっていれば、親が私を認めてくれる。アンチの人達も、いずれ飽きるだろう。





「仕事」を、こなそう。





奏乃子はそう決意するのだった。




しかしそんなカノンの決意が、揺らぐ出来事があった。あれはカノンにとって忘れることの出来ない日──2019年、10月18日。奏乃子が12歳の誕生日を迎える、一週間前の事であっ


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「嫌!!!!!!」



カノンは生前のトラウマを思い出し、手鏡から目を背けた。耳を塞いだ。

(何も聞こえない、私は何も見てない、本当に、本当に、本当に───)


それは物心ついてからの彼女の人生をダイジェスト形式で映し出し…最後に壮絶な自殺を遂げた場面が終了すると、「カノン」の顔を映すただの手鏡に戻った。











































「終わった、の?」



「──以上がカノンちゃん?かのこちゃん?が死ぬまでの経緯ね。ヤバ、人生RTAって感じ?ひとまずお疲れ様っていうか…元気出そ?」



「元気をだせといわれても。私、死ぬために結構頑張ったんですけど?もう人間の汚さなんて見たくなくて、かなり前から…計画的に…」







人間は、汚い。こんな世界で生きていても、その汚さに精神をやられるだけだ。それが、11年間生きてきた奏乃子の下した結論だった。







「いやね、そんなかのこちゃんにぴったりの転生プランがあって…かのこちゃんさ、人間の世界をめちゃくちゃにしてみたくない?」



言うとミケは、ろくろをこねるようなポーズを取る。うさんくさい、と奏乃子は思う。



何もかも面倒になり、嫌いになり、奏乃子は自殺したのだ。今更もう一度"転生"するなど、考えたくもない。



しかし奏乃子は常日頃、そんな世界を自分の手で滅亡させたいと夢想していた。



「うーん。出来るならそう…したいですけど。周りの人に本当にイライラして、殺してやりたくもなって、でもそのストレスの行き場はどこにもなくて、それで……死んだ」

カノンはトラウマを呼び起こされたことから、死んだ魚のような表情でミケに相対する。

「悪魔に転生すれば、好きなだけ人間に悪さできるよ?」



「悪魔!?はは、いやいやいや。悪魔なんて生きてきてゲームの中でしか見たことないんですけど。どういう話ですか?」



「かのこちゃんが生きてきた世界と別の異世界に転生して、そこで悪魔としてメッチャ暴れて、人間どもをコテンパンにしてさぁ…どう?楽しそうじゃない?」



ミケは「どう?」と言ったタイミングで、こねていたろくろをパン!と潰すように手を叩いた。死んだ魚のような目をした奏乃子の表情がちょっと明るくなったな、とミケは思った。



「楽しそう…ですけど。私運動とか苦手だし、人を殺したどころかケンカでも勝てたためしがありませんし…悪魔になったって人一人どうにかするのだって無理じゃないですか?」



「それがさー、あるんだよね。人間に勝つ方法…かのこちゃんてさ、ピアノ得意じゃん?」



「まあ、生きてた時はそれでぼちぼちやってましたけど。それと何が関係が?…いい加減ここから出してください。地獄でもなんでも、好きなところに送ってもらっていいので」



「ここに楽器が上手い人だけに使える"調律のイデア"って力があってー…それを使えば人の精神を好きなように"調律"し放題、気になるアイツのハートもゲット!強くない?」



ミケはどこからともなく光の球のようなものを取り出した。奏乃子は気になるアイツというものが出来たためしはなかったが、それから放たれるとてつもない力は、カノンの精神に直接流れ込んでくるものであった。あの光を見ていると、なんだか、あの力を使えばなんでも思い通りになりそうだ…そう、奏乃子は感じ取った。

しかし、奏乃子は突然目の前に現れたモデルのような小綺麗な女の人に、未だ信用しきれていない部分があった。

「"現実世界では"男が寄ってくるほど顔が良くないからいまいちよくわからないかな…私、地味ですし」

「ふ~ん…ところでさ。鏡、よーく見てみて?今の奏乃子ちゃん、まあまあイケてると思うんだけどね」



言われた通り先程渡された手鏡を見ると──そこにはサラサラの黒い髪が二つ結びにされていて、幼いながらもよく整った顔立ちに大きく赤い瞳が目立つ、彼女が生前バーチャルアイドルのアバターとして演じていた「カノン」そのものが映されていた。着ている服は生前親に買ってもらった、インナー、パーカー、スカート、それぞれ3000円くらいの子供服だったのが、少しアンバランスさがあった。

「ミケさん、これって…」



「魂っていうものはね、生前一番印象に残ってる見た目で現れるものなの。兵士なら戦争で活躍した時、政治家なら知事とか総理大臣とかやっていた時…かのこちゃんにとってのそれが、『カノン』ちゃんとしての姿だったわけね」



「ちょっと、やる気出てきたかもしれません。人類滅亡!に向けて…うん、悪魔、楽しいのかもしれませんね、これ。悪いことだって、なんだってできちゃいそうです」

カノンは悪魔になることについて想像もついていなかったが、自分のこの見た目については文句のつけようがなかった。この外見であれば、悪魔にだってなっていい…というような思考が、カノンの脳内に芽生え始めていた。



「たはは…滅亡までされると怒られちゃうからほどほどにね。じゃあこれから、かのこちゃんは『カノンちゃん』!決まりね」



急に"契約"に対して前向きになった奏乃子に対して若干戸惑いつつも、ミケはこれを好機と見て話を進める。



「じゃあ『カノン』ちゃん。転生についていくつか説明させてもらうね。よかったらほら、紅茶あるから飲んで飲んで。これ、自信作なんだよねっ」



と、ミケは「カノン」にどこからともなく現れたティーカップに紅茶を注ぎ、これまたどこからともなく出てきた、カラフルなベリーの乗ったパンケーキとともにそれを差し出した。アールグレイをベースに、不思議な香りが混ざったブレンドティーだった。



「まず、転生したカノンちゃんは私の『サーヴァント』という扱いになるんだ。その見た目と名前を気に入ってるようなら、転生後の名前はアタシの名前を取って、『カノン・ベネデッティ』になるのかな。種族はどんなものになるかわからないけど、そんなにカノンちゃんと見た目は変わらないはず」



「はい。私が、『カノン』そのものに…なるんですか?わぁ、ワクワクしてきちゃいますっ…」



紅茶に口をつけながら、カノンは目をキラキラさせていた。よっぽど奏乃子そのものの見た目にコンプレックスがあったようだなとミケは思う。



「で、あたしこれタダじゃ出来ないのね…オイちゃん、死神王『オイゼイト』にそう決められてるから。定期的に、あなたの魔力を貰うことになるの」

「魔力、ですか…?なんかこう、ゲームのMPみたいな感じですかね?うーん、悪魔の私にどれくらいの魔力があるのかとかよくわかりませんし、ちょっと心配になっちゃいました」

「ああ、そこはね、テキトーでいいのいいの。転生したあなたの魔力はそこそこ多いと思うし、具合悪そうな時は後でもらってもいいことになってるから」



「じゃあ大丈夫そう…魔力が余ってるときに、ミケさんにあげればいいってことですよね。で、私のメインの活動は、人間をめちゃくちゃにする!……そうですよね?」



「そうそう。契約は契約だけど、まあ軽い感じでいいから。中にはノルマなんて決めて、守らなかったサーヴァントの魔力を根こそぎ吸い尽くしちゃうみたいな死神も居るけどね。死神公爵のサトちゃんとか。」



「なにそれ怖い。ミケさん、優しそうだしよかった…」



「うんうん。あっちの世界ではいつでも連絡できるから、お姉さんを頼ってほしいなっ」



なにやら強そうな能力とともに異世界に転生し、しかもなんでもできそうな死神、ミケのサポートまで受けられるらしい。カノンは決心した。



「私、悪魔になります!悪魔になって、人間共に非道の限りを尽くしたいと思いますっ!」



「やったー、その言葉を待ってたんだよね!じゃあじゃあ、こっち来てカノンちゃん!正式な契約、始めるから」



言われるままにカノンは座っていた椅子をゴゴゴゴと引いて立ち上がり、対面の席に座っていたミケの元へ小走りで向かった。



ミケはカノンに座ったまま向き合うと、今までの軽い印象とは打って変わって真剣な表情になり、トーンの一段階下がった声でこう言った。



「それじゃ、目を閉じて…今から"調律のイデア"の力をあなたにあげるから。肩の力を抜いてね」



「はい…」

ミケは、カノンを優しく抱き寄せていく。カノンが温かくも強い気配を感じたかと思うと…微かな吐息とパンケーキの甘い香りを顔に感じて数秒後、唇に、柔らかいものが触れたのを感じた。ミケの唇は、優しく、けれども豪快にカノンのそれに重ねられた。



(契約って、こうやってするものだったの…?なんか、とろぉってするような、いけないことをしてるような…)

それが触れた瞬間、カノンは驚きとともに、脳がとろけるような感覚を覚えた。



カノンが奏乃子であった頃、経験したことのないキスの味は、クランベリーの味がした。

カノンの口の中に、ミケの舌が優しく入り込む。カノンの先程食べた苺をメインとしたパンケーキの香りが、クランベリーのそれのフレーバーと混ざり合う。カノンはこんなことをされたのは初めてであったが、全く不快ではなかった。むしろ、ミケから流れ込む今まで経験したことのない暖かく情緒的な感覚に、カノンは自らの一生を捧げる価値すら感じた。

そのまたしばらく後、今度は全ての感覚が覚醒したような、体中が奮い起つような衝動に襲われた。



(これが、"調律のイデア"…)



"聞こえる"。



紅茶の香り、パンケーキの味、観葉植物の色、クラゲの動き、その全てが、音となってメロディとなって、カノンの全身に流れ込んでくる。



そしてミケから流れてくる「メロディ」は───人間の両手ではとても演奏できないくらい狂ったように興奮し──けれども整然とカノンの心の中の楽譜を全て埋め尽くし、虜にしていた。



壁の"音"、床の"音"、周りの全ての物質の"音"がカノンの脳内に響き渡り…やがて、カノンは激しい頭痛を覚える。







音、音、音、音。







周りの全てが、「音」としてカノンの鼓膜と脳髄に襲いかかった。

音を、認識しすぎた。その痛みは生前、ダダダダダダと掘削機械の音が鳴り響く工事現場で、奏乃子が多数の音を同時に聞いた時に奏乃子の身に起きた頭痛を、数百倍、数千倍に強めたものであった。













そして五分ほどに及ぶ「契約」は───カノンの意識が"音"に耐えきれず手放されたことにより、終了を迎える。







「"契約成立"。これからよろしくね、カノンちゃん……」





ミケがそう耳元でカノンに囁き、軽く頬にキスをすると、カノンはどろりと溶けたように姿を消した。







これが、ありふれた悪魔「パリカー」であるカノン・ベネデッティが、世界全体に影響を及ぼす存在になるまでの、最初の一歩であった……