キョウダイセブン

無料テキスト

イナベより愛をこめて(22)日本は「強権国家」or 「民主主義国家」?

イナベより愛をこめて(22)日本は「強権国家」or「民主主義国家」? ロシアのウクライナ侵略のせいで、世界が「専制独裁国家」VS「民主主義国家」という構図が現れてきた。専制独裁国家というのはロシア、中国、北朝鮮など軍事力で有無を言わさず相手をねじ伏せようとする。民主主義国家というのは欧米や日本、オーストラリアなどを指すらしい。 私は日本が民主主義国家というと、少し頭を傾げたくなる。それは、アメリカで教師をしていた経験があるからだ。日本は確かにロシアや中国と比べたら報道の自由や発言の自由はあるだろう。戦前の密告社会ではないからだ。しかし、三重県の田舎に住んでいると権力側の抑圧ではなく住民の抑圧がある。いわゆる同調圧力というヤツだ。 アメリカの学校にはブラック校則やブラック部活など存在しない。校則や部活そのものが無いからだ。私服だし、パーマもカールも化粧も自由。学校でチョコレートを販売していた。午後2時半になったら学校は消灯で誰もいなくなる。「クラス」も存在しない。日本の大学のように授業毎に移動する。だから、イジメなんて聞いたことがなかった。 日本は自由の国と言うが、みんな同じ服、同じ鞄、

イナベより愛をこめて(22)日本は「強権国家」or 「民主主義国家」?

キョウダイセブン

無料テキスト

父親は一筋縄ではいかない(8章、A子ちゃんのこと①)

8章、A子ちゃん もう10年以上経ったから書いても人物が特定できないだろう。長く受験指導をしていると忘れられない生徒がいるものだ。A子ちゃんも、その一人だ。 私の塾に来てくれたのは彼女が小学6年生の時のことだった。最初に面接した時に、一目見て 「この子は賢い子だ」 と分かった。学力を確認しようとプリントを渡したら、いつまで経っても提出しようとしない。完全に仕上げるまで粘る子だった。 彼女は小学校の時から 「私は医者になりたい」 と言っていた。私の塾はそういう子が多い。しかし、家庭は金持ちではないので何がなんでも国立大でないといけないと覚悟していた。私の小学校時代とはえらい違いだ。 中学校では猛勉強して常に学年でトップクラスだった。そして、 「自治医大だと無医村に行けば学費が浮くとか聞いた」 とお金がなくても医者になれる情報を集めだした。私もできるだけ協力して情報を収集した。 そう思わせてくれる塾生だった。 灘やラサールや東海の過去問を集めて練習する授業も彼女から始めた。そして、当然のように四日市高校の国際科に合格した。 その頃、メールやファイルが普及し出したので私はさっそく 「家庭学習

父親は一筋縄ではいかない(8章、A子ちゃんのこと①)

キョウダイセブン

無料テキスト

「空き家」はこうして生まれる(4)

親の土地・家屋の相続でもめている。解体も売却もできない。ただ、解体には費用がかかるし、更地にすると固定資産税が6倍になると聞いた。これでは、何もできないではないか。行政は、空き家を生むのを奨励しているとしか思えない。 地元の不動産屋さんに査定してもらったら300万円から400万円の間の評価だった。解体費用は100万円ほど必要と言われた。固定資産税が6倍になったら年間30万円以上必要になる。つまり、7年以上もめたら解体して売却しても何も残らない。早急に決着させる必要がある。 姉はそういう計算ができる人間ではないので父が亡くなって17年間私が固定資産税を支払い続けたことを何とも思っていない。自分が死んだら問題が子供たちの代に降りかかることも考えていない。 ここがユタ州だったら確実に教会の人が知恵を貸してくれるだろう。しかし、日本は人に手を貸す人のランキングで世界最下位の国。教会もない。もはや、姉であっても弁護士を介して徹底的に戦うしか道がなさそうだ。 「人助けランキング、日本は世界最下位」英機関 注目すべきは、調査した3つの観点の中でも、「見知らぬ人、あるいは、助けを必要としている見知らぬ

「空き家」はこうして生まれる(4)

キョウダイセブン

無料テキスト

イナベより愛をこめて(6)

イナベより愛をこめて(6) 昨日と同じ今日ではない 私が塾を始めたのは30年以上前のこと。当時はバブルの頃だったし、田舎ではアメリカ帰りの塾講師なんて珍しかったのでしょう。で、初年度から30名ほどの中学生の子が来てくれました。 3年目には100名を突破したので、実家の近くに200坪ほどの土地を購入して塾と自宅を新築しました。 あれから30年以上時間が過ぎて、日本は「失われた20年」と呼ばれる不況の真っただ中。私の塾生は中学生主体の塾から、高校生主体の塾に変貌した。私は英語講師から、授業の8割が数学という数学講師い変わった。 いつから変貌したのかというと、バブルが崩壊した頃から徐々に変化してきた。突然、変われるはずはない。準備が必要だから。 もし、私が「うちは中学生主体の塾なのだ」とコチコチ頭だったら倒産して夜逃げになっていたことだろう。もし、私が「私は英語講師なのだ」と頑なだったら今頃は首をくくっていたかもしれない。 通信生を考えた時も、友達は「Z会などの大手があるから個人塾ができるわけがない」と言っていた。でも、50代で高校生に混じって京都大学を7回受けて高得点を取れる英語を研究して

イナベより愛をこめて(6)