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イナベより愛をこめて(14)「もの分かりの良い人」は嫌いだ!

イナベより愛をこめて(14)「もの分かりの良い人」は嫌いだ! 私は中学時代の教師の偽善が許せなかった。中学三年生の時に、どの高校を受験するか決めるため三者面談が行われた。しかし、教師は校内順位を教えると競争を煽ることになるので教えられないと言った。 私は四日市高校を受験する予定だったのだが、北勢中学校では毎年2人か3人しか合格しないことが分かっていた。だから、自分が学年で3番までに入っているのか知る必要があった。しかし、教師は教えるわけにはいかない。それが決まりだということだった。 三重県には「三進連」というテストがあったが、順位や偏差値を出すようなテストは競争を煽るというので学校では受験できなくなり、その後その会社は倒産した。ヒドイ話だ。高校に入ったら、順位を廊下に貼り出すのにね。 私も自分の評価を他人にしてもらいたくないから、相対評価や偏差値は好きになれない。しかし、それ以上に情報の隠蔽は嫌いだ。たぶん、私は教師からは扱いづらい生徒だったと思う。周囲の生徒たちはもの分かりの良い生徒たちだった。 私は今も、もの分かりの良い人間ではない。「組」は抜けさせてもらった。クリスチャンの私に香

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イナベより愛をこめて(12)「誰かのせい」で身の破滅

イナベより愛をこめて(12)「誰かのせい」で身の破滅 長年受験指導をしてきて受験で落ちる子に共通点があることに気づいた。それは、いつも責任転嫁をする相手をさがしていることだ。 「成績が上がらないのは先生の授業がヘタだから」 「試験に落ちたのはあの塾が悪いから」 「この参考書が分かりにくいのが駄目だった」 私が聞いた最もヒドイ言葉は 「親の遺伝子が悪いから私は頭が悪くなったんだ」 でした。貧乏だったから。悪い友達に誘われて。自分の部屋がなかった。 こういう子は、受験だけではなくて就職・結婚で失敗しても同じように責める相手をさがして人生を終わっていくのでしょうね。哀れです。 誰かを憎み、批判する人生は何も有益なものを生まない。やはり、イエス様の言われたように 「汝の隣人を愛せよ」 が、楽しい日々を送る秘訣でしょうね。 具体的には 1,できるだけ不愉快な思いをしような人を避ける 2,運悪く不愉快な思いをしてしまったら忘れる努力をする の2点が大切。 私の場合、収入が少しくらい落ちても躾の悪い子を避ける。具体的には厳しめの「塾測」を作って躾の悪い子に避けられる塾にしている。 それでも、モンスタ

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イナベより愛をこめて(13)「凡人は画一化された中に安らぎを見出す」

イナベより愛をこめて(13)「凡人は画一化された中に安らぎを見出す」 フレデリック・タイレンは言った。 「凡人は画一化された中に安らぎを見出す」 自分が中学生・高校生の頃にどういう生活を送っていたか思い出してほしい。全員、同じ服装、同じ靴、同じ鞄、同じ髪型、同じ参考書と問題集、同じテスト、同じ宿題・・・・。 私はアメリカの中学校で教えていたからよく分かる。これは、異常な状態です。アメリカの中学生は私服だし、好きな鞄が使えるし、髪型はカールやバーマ、化粧も自由。宿題はあっても、午後二時半には学校は消灯されてあとは自由。部活が強制の日本とは異なります。 こうして、究極の画一化された大人の社会ができあがり世界でも稀な同調圧力が強い社会になり果てています。ここで考えてもらいたい。アマゾンやアップルを創業した人たちは凡人だったでしょうか?調べれば分かりますが、少し変わった子供時代を送っています。それを許容する柔軟性をアメリカ社会は持っています。 日本でも、歴史に残る織田信長などは子供の頃は「尾張の大うつけ」と呼ばれていました。戦国時代だから、何でもありでした。そういう自由な雰囲気が社会の変革・進

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イナベより愛をこめて(18)「私はなんてバカなんだ!」

イナベより愛をこめて(18)「私はなんてバカなんだ!」 私は自分の「名古屋大学」の入試だけではなく「京都大学」の二次試験を7回受けた。センター試験は10回。「河合」と「駿台」の京大模試は10回。それと並行して「Z会」の京大即応コースを8年間受けて添削方法を盗んだ。その時、Z会から六段認定証を受け取った。 資格試験は、英語検定1級、通訳ガイドの国家試験、ビジネス英検A級、国連英検A級、観光英検1級などを受けた。TOEFLも受けた。 英語講師として河合塾学園、名古屋外国語専門学校、コンピューター総合学園HAL、名古屋ビジネス専門学校、名門会、駿台プロメディカスなどで講師の採用試験として筆記試験を受けた。 全部で40回以上の試験を受けて悟ったことがある。 「本当にくだらない!」 若い頃は他人の評価が得られないと就職できないので必死で合格しようとしてきた。しかし、何十回と受けるうちに自分が何をやっているのか分からなくなってきた。 「これ、英語能力を測定できないよね」 問題を作る人、それを評価する人、合否を決定する人。みんな自分より英語力が低い。草野球のコーチがメジャー選手の評価ができるのだろう

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イナベより愛をこめて(11)今まではこれでうまくいった

第二章 イナベより愛をこめて(11)今までこれでうまくいった 人は年月とともに成長していく。だから、誰にとっても過去の自分はバカで失敗だらけに思える。そうして、 「あの時に、あんなことをしなければ・・」 と、つぶやく人も多い。 私は大学時代に恋愛をしたのだが、出会った女性には3年間つきあっていた男性がいた。それでも、私と急速に仲良くなっていく自分が許せずに私に辛く当たって別れようとしたようだ。結局、私と付き合うことになった頃に私は彼女のしたことが許せなくなっていた。 20年後に再会した彼女は旦那様が不治の病だった。そして、私に言った。 「あの時に、あんなことをしなければ・・」 このような言葉は、自分を犠牲者にしてしまう。この世には、自分がコントロールできないことが溢れている。過去の自分のしたことも、その一つだ。変えられないことを愚痴るほど時間とエネルギーの浪費はない。 私は受験指導が仕事だから、生徒を変えようと努力してきた。そして、悟るのに30年かかったが真理を悟った。 他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる。(エリック・バーン) これを教育の放棄の言葉だと受け取る人もいる

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イナベより愛をこめて(10)ありのまま

イナベより愛をこめて(10)ありのまま 喫茶店でモーニングを楽しんでいるとき、隣に客が座り大声で話し始めたら誰でも自分の大切な時間が台無しになって怒りの感情が湧く。しかし、それでは自分が大声の客の犠牲者になってしまう。 自分の貴重なモーニングタイムの時間に誰が隣に座るかは、完全に偶然の出来事。つまり、自分でコントロールできない事態だ。自分でコントロールできないことは、ありのまま受け入れるのがいい。 私たちはコロナが世界中に蔓延することを予測できなかったし、ウクライナで戦争が勃発することも予測できなかった。これからも、予測できない「まさか!」の出来事の連続だろう。私たちは、コロナをコントロールできないし、プーチンが何を考えているのかも知ることができない。 私たちは自分の持ち分の領域で、時間的、身体的にできる最善のことを行うことしかできない。それでいいのだと思う。美容院の方は素敵な髪型を考え、宅配の方は荷物をお客様に届けることに全力を尽くす。 私は塾講師だから、頑張って教える。少子化や不況に悩まされても、知恵を絞って朝から寝るまで頑張る。それ以外にできることがないのだから、それでいいのだ。

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イナベより愛をこめて(9)

イナベより愛をこめて(9) 不当な圧力には断じて「ノー」と言え 日本の文化の特徴として「和を以て貴しとなす」というのがある。現代の言葉で言うと、同調圧力がきわめて強いということ。制服に反対でも、ブラック校則に反対でも、ブラック部活に反対でも、「ノー」というと目立つので黙ってしまう。 私はクリスチャンなので仏式の葬式はしなかった。神社で行う寄付もしない。「組」も抜けた。その時々に、周囲から同調圧力があった。陰口も多い。しかし、私にとって組長とか自治会長という肩書は意味がない。きちんと自分の思いを伝えれば、「あの人はそういう人だ」と周囲の人も諦める。 日本も21世紀になり、中国や韓国に経済的に追いつかれ追い抜かれて自分の国に何かしらの欠陥があることに気が付き始めている。制服も自由化が進み、ブラック校則やブラック部活を廃止、自由化する波は止めようがないほどの流れになってきた。 昭和の時代に生きていた教師が引退する頃には、制服は消え、校則は大半が廃止され、部活は好きな人だけがやるという当たり前な姿に変化していることだろう。 憲法も改正され、軍事侵攻しようとする隣国に“遺憾砲”ではなく「ノー」と

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イナベより愛をこめて(7)

イナベより愛をこめて(7) 言うことを聞かない子ほど可愛い ある生徒が登校拒否になった。学校の授業が役に立たない。部活動に参加したくない。自分で勝手にやらせてもらう。高卒認定試験があったはずだ。もっともな理由だけれど、学校側は何とか出席させようと躍起になった。しかし、彼女はその後、登校することなく現役で日本で最難関の大学に合格してしまった。 学校側は自分たちの指導、授業を否定されたまま合格させてしまい面目は丸つぶれだ。彼女の存在は学校では抹殺された。通常、最難関校に合格した生徒のことを教師は後輩たちに話すのだけれど、彼女はいなかったことになっている。 しかし、彼女は後輩たちのヒロインになった。 教師も、友人も、家族さえ彼女の行為を批判し、宥め、周囲に同調するように勧めた。しかし、彼女は自分の信念を守り、その思いを静かに周囲に語り、ひたすら合格をめざした。すると、友人たちは口には出せないけれど陰ながら彼女を応援していた。家族も、手に負えないと嘆きながら心の中ではこの反逆児を尊敬と畏敬の念で見るようになっていった。 他人が自分をどう思うかは、究極的にはどうでもいいことなのだ。自分のやりたい

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イナベより愛をこめて(6)

イナベより愛をこめて(6) 昨日と同じ今日ではない 私が塾を始めたのは30年以上前のこと。当時はバブルの頃だったし、田舎ではアメリカ帰りの塾講師なんて珍しかったのでしょう。で、初年度から30名ほどの中学生の子が来てくれました。 3年目には100名を突破したので、実家の近くに200坪ほどの土地を購入して塾と自宅を新築しました。 あれから30年以上時間が過ぎて、日本は「失われた20年」と呼ばれる不況の真っただ中。私の塾生は中学生主体の塾から、高校生主体の塾に変貌した。私は英語講師から、授業の8割が数学という数学講師い変わった。 いつから変貌したのかというと、バブルが崩壊した頃から徐々に変化してきた。突然、変われるはずはない。準備が必要だから。 もし、私が「うちは中学生主体の塾なのだ」とコチコチ頭だったら倒産して夜逃げになっていたことだろう。もし、私が「私は英語講師なのだ」と頑なだったら今頃は首をくくっていたかもしれない。 通信生を考えた時も、友達は「Z会などの大手があるから個人塾ができるわけがない」と言っていた。でも、50代で高校生に混じって京都大学を7回受けて高得点を取れる英語を研究して

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イナベより愛をこめて(5)

イナベより愛をこめて(5) 話の通じない人を相手にして時間とエネルギーを浪費しないこと 三重県では以前、免許の更新のためには県庁所在地の津まで行く必要があった。公務員だから午後5時には仕事が終了するというので仕事を休んで行く必要があった。私が出向いた時は正午前だった。私の後ろには自分の番を待つ人が長い列をつくっていた。 私の書類を受け取ったら正午になって、受付の女性はカーテンを閉めてしまった。私の次の人は憤慨して 「オレは仕事を休んで来てんだぞぉ!さっさと窓を開けろぉ!」 と怒鳴っていた。もちろん、開くはずがない。公務員だもの。 お役所だから決まった手順の仕事以外はやらない。改善する気もない。今ならロボットが代わりをやった方がずっとマシ。こんな公務員の態度に憤慨しても時間とエネルギーの浪費だ。 学校も同じで、公立中学・高校の先生は公務員で何も決められない。決まったことを処理したらそれだけでいいという仕事。自分の学力に全然合わないテキスト、授業進度、テスト。そんなこと抗議や提案しても無題。改善する気がない。 京大医学部医学科に現役合格したある女子は、授業中はすべて内職をしていた。学校の定

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イナベより愛をこめて()

自分で自分を貶めていないだろうか? 日本は肩書を非常に重んじる社会だ。ローガン中学校では「先生」なんて呼ばなかった。「ミズ・ロビンソン」のように名前で呼んでいた。これは、とても大切なことだと思う。日本なら「佐藤さん」と呼びかけるわけだ。そうすると、相手がただのオバサン、オジサンだと思えてくる。だから、反論も気軽にできる。「先生」なんて呼びかけるから、上下関係が出て主従関係になる。 会社でも同じことで「部長」なんて呼ぶから上下関係が明確になって、パワハラが始まる。上下関係は軍隊だけでいい。人間は平等なので、どんな専門家相手にも卑屈になる必要はない。 「白い巨塔」の財前医師は“教授”という地位に昇りつめるために四苦八苦をしている。日本人は、それほどまでに肩書を欲しがる。中学生・高校生なら、学歴がそれに相当する。塾講師の私が言うのは変かもしれないけれど、学歴が高ければ人間が上等なんてことはない。 しかし、東大、京大、阪大、名大などの旧帝のブランドネームはすごいんだよ。 英語なら「英検」や、TOEIC。野球なら「甲子園」。メダリストなんかも崇める人が多い。 こんな学歴、資格をありがたがるとキミ

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イナベより愛をこめて(3)

「自由権」を大切にしよう 自由とは誰かが与えてくれるものではない。日本の給食は全員同じものがお盆に乗せられて用意される。しかし、私のいたローガン中学校ではバイキング方式だった。自分の好きなものを、好きな量だけお盆に乗せる。考えてみたら当たり前ですよね。大きな身体の子もいれば、小さな子もいる。同じものを、同じ量だけなんてナンセンス。 学力も同じこと。得意科目はみんな違う。同じ数学でも、分数計算ができない中学生や高校生もいる。逆に、中学生や高校生の中でも微分・積分を楽しく計算する子もいる。チャート式でも、簡単な白、標準の黄色や青。難しい赤と分かれている。志望大学もAランクからFランクまでバラバラに進学する。それなのに、同じ授業で同じ宿題なんてありえない。 自分で自由に教材を選び、学習進度を決められない状態を“奴隷”と呼ぶ。ご主人様が全てを決めて、奴隷は無条件でその命令に従うしかない。日本の中学生・高校生は自分の受けるテストさえ決められない。ベネッセの進研模試は簡単すぎると言う高校生が多いけれど、どの模試を受けるかは学校に決定権があるのでバカバカしくても受けるしかない。 エピクテトスは言った

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イナベより愛をこめて(2)

自分が大切なら「ノー」と言ってみよう 私がハッキリ日本の社会、学校がおかしいと気づいたのはアメリカのユタ州にあるローガン中学校にいた時のことだ。日本では、みんな同じ制服、靴、鞄、靴を身につけ、みんな同じクラス、教材、宿題をやる。 授業が終わると、みんな部活で日没まで学校にいる。 ところが、アメリカでは私服、化粧も自由。みんなバラバラ。もちろん、髪も色とりどりでカールやパーマの子も多い。クラスなど存在せず、授業毎にみんなバラバラで歩き回る。部活など無いので帰宅後は学校とちがう生活がある。教会活動やボランティア。スポーツをする子も勉強する子もバラバラ。 日本の中学も高校生も、他人の意のままに動く操り人形のように見えた。他人の命令によって動いている日本の生徒たちは不気味でさえある。自分の人生が自分中心にまわっているアメリカの中学生や高校生とちがって、自分を押し殺して生きている。 他人に自分の人生をコントロールされている人を犠牲者と呼ぶ。きっと、日本の中学生も高校生もこう言うだろう。 「だって、小さい頃から“先生の言うことを聞いて良い子でね”って言われて育ったんだよ」 私は、そのような日本の中

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イナベより愛をこめて(1)

イナベより愛をこめて(1) 1章 学校まかせではいけない あなたの毎日の生活をふり返ってみよう。朝起きる。朝食をとって学校へ出かける。そして、教室で時間割どおりの従業を受ける。そして、部活。帰宅すると、先生のだした宿題に追われる。夕食をとって風呂に入って寝る。 よく考えてみたら朝から寝るまで教師の決めたとおりに動くようにがんじがらめになっている毎日ではないだろうか?他人があなたの人生の全てをコントロールしている。それは、プーチンが情報統制して国民を自分の意のままにコントロールしているのと基本的に何も変わらない。 人間は世界中、どこでも相手を支配しようとする生き物だ。そして、大多数の人はロシアの国民のように自分がコントロールされている自覚さえない。あるいは、気づいていてもあらがう術が見つからない。黙って従っている方が楽なのだろう。 自分の人生を犠牲にする必要などない。自分の人生をどのように生きるのか。それは、あなたが決めることだ。何も先生に逆らってトラブルを起こせと言っているわけではない。自分なりの哲学をしっかり持って、従えるところは従い、ノーと言うべき時ははっきりノーと言おう。 それだ

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