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英検1級と京大英語、どっちが難しいの?(3)

英検1級と京大英語、どっちが難しいの?(3) 「受験英語」 私の塾生は10年連続で「京大」に合格した。私自身も京都大学を7回受けた。30年以上受験指導をしてきたので「受験英語」がどういうものか日本一詳しいと自負している。母校は、名古屋大学「教育学部」です。 「資格英語」 合格したのは、英検1級、通訳ガイドの国家試験、ビジネス英検A級、国連英検A級、観光英検1級など。これだけの英語関係の資格を持っている人は少ないはず。専門学校で、英検講座を担当していたので資格試験では日本一詳しいと自負している。 「ネイティブ英語」 アメリカのローガン中学校で教師をしていたし、帰国後は教会にいるアメリカ人宣教師と話し、英会話学校でカナダ人、オーストラリア人、ニュージーランド人、アイルランド人、イギリス人と14年間話続けていた。ネイティブの発音には詳しいと自認している。 「英語講師の採用試験」 今まで勤務させてもらったのは、河合塾学園、名古屋外国語専門学校、コンピューター総合学園HAL、名古屋ビジネス専門学校、日本教育事業団、名門会、東海塾、TCC。英語講師の採用試験をこれだけ受けた人は少ないと思う。 その

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英検1級と京大英語、どっちが難しいの?(1)

英検1級と京大英語、どっちが難しいの?(1) 私は名古屋大学の教育学部出身で、別に英語の専門家ではなかった。しかし、中京地区で塾講師をするにはそれで充分な学歴だったので大学卒業後は深く考えずに英語講師をしていた。しかし、私はまだ20代前半で「これで十分」では困るのだった。どうせやるなら“一流”をめざしたい。 その時に考えたのは 「英語講師と名乗るのなら英語圏で暮らしてみるべき」 ということだった。そこで、お金をかけずにアメリカに渡るための試験を受けまくった。その中の一つに合格してアメリカのユタ州ローガン中学校で教師をすることになった。帰国したら、26歳で失業することが分かっていたけど若かったからね。 「何とかなる」 と旅立った。 帰国して自分の故郷で塾を開いて英語講師を始めた。結婚して自分の塾を建ててローンの返済が始まったので、生徒募集に真剣になった頃。 「どうすれば一流の英語講師と思ってもらえるのか?」 と、考えた。私の答えは「英検1級」だった。名古屋大学の学歴や、アメリカで教師をしていたという経歴だけでは安心できなかった。 それで猛勉強をして英検1級の他、通訳ガイドの国家試験、ビジ

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英検1級と京大英語、どっちが難しいの?(2)

英検1級と京大英語、どっちが難しいの?(2) 日本人には、欧米で“マスク拒否”や“ワクチン拒否”の運動が盛り上がると不思議な顔をする人がいる。 「マスクをすれば感染が防げるのに」 とか 「ワクチンで重症化が防げるのに」 とか考えているようだ。 私は反対運動をする人が気持ちが分かる。たぶん、アメリカに住んでいたからだと思う。 自分が何を身に着けるか決めるのは自分である。これは基本的人権に関わる重要事項。そう考えるのが欧米人。自分の身体の中に入れるものは自分で決める。これも基本的人権に関わる重要事項。他人が自分の身に着けるものを決めたり、身体の中に入れるものを決めるなんてありえない。 私が教師をしていたユタ州のローガン中学校では「宿題」はほとんどなかった。それは、 「下校後の時間の使い方は個人の自由選択である」 という基本的人権の問題。スポーツに興味がある子はスポーツをすればいい。ボランティアに興味がある子はボランティア。教会活動が好きな子は教会へ行き、勉強が好きな子は勉強すればいい。 もちろん、部活やクラスなんて制度はありえない。制服もないし、化粧も自由。 そういう民主的な国に住んでいる

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父親は一筋縄ではいかない(8章、A子ちゃんのこと①)

8章、A子ちゃん もう10年以上経ったから書いても人物が特定できないだろう。長く受験指導をしていると忘れられない生徒がいるものだ。A子ちゃんも、その一人だ。 私の塾に来てくれたのは彼女が小学6年生の時のことだった。最初に面接した時に、一目見て 「この子は賢い子だ」 と分かった。学力を確認しようとプリントを渡したら、いつまで経っても提出しようとしない。完全に仕上げるまで粘る子だった。 彼女は小学校の時から 「私は医者になりたい」 と言っていた。私の塾はそういう子が多い。しかし、家庭は金持ちではないので何がなんでも国立大でないといけないと覚悟していた。私の小学校時代とはえらい違いだ。 中学校では猛勉強して常に学年でトップクラスだった。そして、 「自治医大だと無医村に行けば学費が浮くとか聞いた」 とお金がなくても医者になれる情報を集めだした。私もできるだけ協力して情報を収集した。 そう思わせてくれる塾生だった。 灘やラサールや東海の過去問を集めて練習する授業も彼女から始めた。そして、当然のように四日市高校の国際科に合格した。 その頃、メールやファイルが普及し出したので私はさっそく 「家庭学習

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