バットは人を殴るために…
「暑い…」とエリナは呟く、同じ声色同じ声量で同じ言葉をさっきから定期的に「暑い」を吐き出しつつ歩いているが、そろそろ僕も突っ込むのが面倒になってきた。
「エリナさん、もう校門見えてますから我慢してくださいよ」なんて言いつつ、僕は額に浮かんだ汗を親指で集め、それを地面に払い落として顔をあげる。
「いや…だって駅からこんなに歩くって聞いてないし暑いし」
「タクシー代ケチったのはエリナさんですよ」
「徒歩2分って言われたら、ケチるじゃん」
「あぁ確かに、真夏に徒歩二分が余裕だと考える世間知らずの人がいたらケチりますね」僕は語尾をエリナの方に向けて吐き出し、あえて嫌みっぷりを強調すると彼女は目を細めて僕を睨む。
「当て付けか…上等だ結談お前は今を持って助手をクビ」
「いいですけど、その場合だと何の主従関係も無いんで今すぐにでも僕の背中から降りてもらいますよ」
そう、色々と物を申しているエリナだが、駅から出て数百メートルも歩かないうちに音を上げて日陰から動かなくなったので、僕が渋々背負い、汗で全身を濡らしながら依頼のあった高校まで歩いているのだ。
八月初旬の東京で人を背負って歩くなど、何かの罰か新手の拷問だろか、通り過ぎる人は驚きと困惑の表情で僕を見ていく。
「なに…おんぶを人質に取るとは策士め」彼女はそう言いながら「クビは取り消し、だから高校までガンバ」と付け足して日傘をクルクル回した。
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野球部の顧問は冷や汗と、暑さによる汗を止める事なく流し事情を説明する。
説明を終える頃にはクーラーのおかげで汗は止まっていたが、彼は薄水色のワイシャツが濃い青に見えるくらい尋常じゃない汗をかいたようだ。
「つまり…部員の誰かが故意に部室や備品を破壊していると…そう言う事ですか?」と僕がメモを片手に尋ねると「えぇ…残念な事に」と顧問は答える。
「警察に言えばいいじゃないですか、器物損壊ですよ?」クーラーの下で両手を上げて冷えた風を全身で受けるエリナは顧問の方を振り向きつつそんな事を言い出す。
依頼を受けておきながら『他所に頼めよ』と言っている事に変わりないが、彼女の平常運転はこんな感じで、それに慣れてしまった僕は手早く彼女に頭を下げさせて野球部顧問に話の続きをする様促した。
「もちろん、警察に話をしようと思いましたが…もうすでに去年の不祥事で我が校の野球部は今年の甲子園の予選欠場をしています…そんな野球部がですよ?2年連続で不祥事なんて起こしたら…そりゃもう終わりです。去年の件で相当怒っていたPTAやらOBの会、校長の怒りを考えれば廃部だって現実的ありえる話です。それに顧問である私も何かしらあるでしょう…」
「すみません…差し障りがなければ去年の不祥事について教えて頂いてもいいですか?」
シャーペンを二回ノックし、すり減った芯を飛び出させ僕はメモの新しいページをめくる。
グラスに入っていたお茶を二口飲んで、気まずそうな顔をしながら顧問はゆっくり口を開けて去年の浮上時とやらを説明し始めた。
「野球部員の一軍メンバーがですね…あろう事かタバコをやりまして、しかもそのタバコ…近所のご年配の夫婦が経営する小さな商店から万引きしてきた物だったんです。」
「あ…なるほど。それはかなり反感を買いそうですね」
「ええ、覚悟はしていましたが、手始めに三ヶ月の練習中止とボランティア活動。それと先ほど言った予選欠場です。もう大体事件から一年経ちますが、野球部員と言うだけで御父兄の中には嫌な顔をされる方もいらっしゃします…まぁ仕方ないですよね、学校の看板に泥を塗れば関係のないこの進学にも響きますから」
何とも言い難い空気の中、この状況をものともせずエリナの「お茶のおかわりもらえますか…」と言う空気のくの字も読まない声がドアの前にいる女性教員の方へ飛んだ。
一瞬、女性教員は引きつった顔を見せたが、気まずい空気のこの場から一時的に離れられる事に安堵した様子で「今、お持ちしますね」と言って部屋を出ていく。
野球部顧問は額をポリポリと書きつつ、小学生の様な立ち回りをするエリナの方を奇妙な物を見る様な目で一瞥してから僕の方を向き直した。
「えぇ…っとですね。今回是非とも事を大きくせずに解決して頂きたく…その」と語尾を濁らせる野球部顧問に僕は「わかりました、最善を尽くします」と答え、隣に腰をかけて部屋の中をキョロキョロ見渡すエリナの頭を一緒に下げさせて、まずは事件解決に必要な第一段階の概要を手に入れたのだった。
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